出版・読書メモランダム

出版と近代出版文化史をめぐるブログ

古本夜話707 「アジア内陸叢刊」と三橋富治男訳『トウルケスタン』

 前回の『東亜学』の中に、生活社の鄧雲徳『支那救荒史』(川崎正雄訳、昭和十四年)の書評が掲載されていたことを既述しておいた。生活社に関しては本連載131で創業者と設立事情、同578で雑誌『東亜問題』を刊行したことに言及しているが、「アジア内陸叢刊」というシリーズも出していて、『支那救荒史』もその関連書の一冊であろう。
アジア内陸叢刊(「アジア内陸叢刊」第3巻『蒙古と青海』)

 実は「アジア内陸叢刊」の一冊を入手していて、それはその4に当たるデニスン・ロス、ヘンリ・スクライン著、三橋富治男訳『トウルケスタン』である。二人の著者は英国人で、ロスはロンドン大学ペルシア語教授、カルカッタ回教高等学校々長、大英博物館勤務、スクラインは文官試験合格後、ベンガルにて任官し、中央アジアや近東を広く踏破し、「訳者序言」に見える「真摯なる知識層の、而も高度の知識的要求に呼応するに足るべき中亜史」としてのスクライン、ロスの『アジアの心臓』(The Heart of Asia)を上梓している。これが『トウルケスタン』の原書である。
The Heart of Asia

『トウルケスタン』として翻訳された同書は、「中央アジア人種の型」といった十二に及ぶポートレートや各国の写真に続いて、「中央亜細亜地図」、及び「ピヨトル大帝継承時代」からの「中亜に於けるロシア進出図」が折り込まれている。そして第一部が「上古よりロシアの占拠に至る情勢」、第二部が「中央アジアに於けるロシア」となっていることから、前者の地図が第一部、後者のそれが第二部に照応しているとわかるし、それに「訳者の補遺」として「廿世紀の中亜」が付され、中央アジア=トウルケスタンの歴史と状況が最近に至るまでたどられていることになる。

「訳者序言」は次のように始まっている。

 流砂と草原(ステップ)と山嶽と而してオアシスを以つて構成される荒蕪地、中亜の境土は歴史の燭光と共に東方漢民族と西方希臘・羅馬の自然的交渉路として民族・思想・文化の交流周旋の地であつた。此の交渉路上に点在する駅站の地には間断なき政治的統一と分裂と崩壊とが繰返へされ群雄割拠の情勢よりして大小のオアシス国家群が顕没隆替したが、西欧の暗黒時代には回教文化が沙漠の花と咲き誇り、過ぎにし栄耀は哀愁を籠めて灰々と幻想の絵巻物を繰りひろげて居る。其の歴史的光彩をと陰翳の裡に織り成される遊牧民族の消長、政治的過程、社会現象、将又チンギス・ハン、チムールの征旅の歩武を偲ぶとき、中亜の天地は東洋学、考古学の研究対象たるに止まらず、亜細亜復興を歴史的使命と観ずる吾等の関心を彌が上にも唆るものがある。

 このような「序言」から、二十世紀を迎えてのトウルケスタンが「東洋学、考古学の研究対象」のみならず、ソ連邦と「東方民族革命運動の廻廊」に位置するにしても、「亜細亜復興を歴史的使命」とする大東亜共栄圏下に含まれるとの認識が伝わってくる。本連載566のイブラヒムの来日にしてもまた、このような問題とリンクしていることになろう。訳者の三橋は戦後千葉大学教授などを務め、トルコ史の第一人者とされているが、ここでは「公務の暇を偸んでの翻訳」とあるので、おそらく当時は満鉄などの調査部か研究所に属していたのではないだろうか。

 それならば、このA5判五八二ページに及ぶ『トウルケスタン』をどのように評価すべきかということになるのだが、前回の『東亜学』にそれらの氾濫を見ているとの記述があった。『トウルケスタン』もその弊害を免れていないようだ。実は手元にある同書は前の所持者の鉛筆によるメモが書かれ、それは次のように本扉に記されている。

 原著は無味乾燥の年代記的叙述が極めて多い。それだけに役立つ点も多い。
 翻訳下手、しかも仲々に脱落が多く、省筆に注意せよ。節の切り方も勝手に行つてゐる。校正杜撰といふよりも無智に因る見遁しが多い。

 これは私にとっても、翻訳やその出版の編集に携わっているので耳が痛いし、それに続く翻訳のレベル、不注意による見遁し、担当編集者の知識の欠落、専門書の校正の難しさなども、翻訳出版に必ず付きまとっている問題である。それは現在でも同様だというしかない。しかし先の『東亜学』もいっていたように、支那事変後、東亜研究熱がにわかに高まり、研究や講座の出現、研究所や学会が創設される一方で、雑誌や書籍も続々と刊行されたと思われる。実際に『トウルケスタン』も支那事変勃発の翌年の昭和十五年の刊行であり、メモに書かれたような翻訳と編集によって送り出されたことになろう。

 このメモは本扉だけでなく、本文の全体に及び、原書と照らし合わせた上でのメモ、漢文でいうところの鼇頭の評語として示され、それはひとつのテキスト・クリティックともなっている。この元の所持者が誰なのかはわからないのだが、それはどのような時代にあっても具眼の士や読み巧者はいるし、また専門家の読者も存在していることを知らしめている。そうして翻訳の難しさを痛感するし、それは出版全体の問題であることはいうまでもないだろう。


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出版状況クロニクル113(2017年9月1日~9月30日)

17年8月の書籍雑誌の推定販売金額は976億円で、前年比6.3%減。
書籍は464億円で、同3.7%減、雑誌は511億円で、同8.6%減。
雑誌の内訳は月刊誌が419億円で、同6.9%減、週刊誌は92億円で、同15.7%減。
返品率は書籍が42.2%、雑誌は44.4%で、月刊誌は45.3%、週刊誌は39.8%。
最悪なのは週刊誌の落ちこみで、販売金額も2月と5月に続く3回目の100億円割れで、販売部数に至っては前年比18.3%減となっている。週刊誌の時代が終わろうとしているのかもしれない。
8月までの推定販売金額は、これも前年比6.1%減と、16年の倍の落ちこみを示している。
もはや何が起きてもおかしくない状況が招来されつつある。



1.日販の『書店経営指標2017年版』が出され、過去5年間の書店の損益計算書も含まれているので、その抽出表を示す。

■過去5年間の指標〈損益計算書〉(単位:%)
科目2012年2013年2014年2015年2016年
売上高100.00100.00100.00100.00100.00
売上原価72.3572.0271.1872.3972.52
売上総利益27.6527.9828.8227.6127.48
人件費12.3312.5413.2912.4012.03
販売費3.434.473.353.123.20
設備管理費9.238.218.728.528.15
その他管理費計2.422.243.253.423.99
販売費・一般管理費計27.4127.4628.6127.4627.37
営業利益0.240.520.210.150.11
営業外収入計1.051.011.320.951.12
営業外費用計1.071.030.780.670.80
経常利益0.220.500.750.430.43
当期純利益-0.19-0.080.370.31-0.76

17年度は全国69法人、521店の書店経営データを収集、分析したとされる。
その16年の損益計算書が示すところによれば、売上総利益、営業利益、当期損失はいずれもこの5年間で最低となり、14、15年はかろうじてプラスになっていた当期純利益も0.76%のマイナスに至っている。
調査店分類内訳は出版物売上構成比「80%以上」が36.5%、「50%以上80%未満」が21.2%、「50%未満」が42.3%であり、大半が複合店とわかる。しかもその半分近くが、出版物シェアが50%を割っていて、それによって売上原価72%台は保たれていることになる。
しかしそれであっても経常利益率は「0%以上1%未満」が34.0%、「0%未満」が36.0%で、双方を合わせれば、70%近くが赤字の状態ではないかと推測される。

これを雑誌と書籍を専業とする書店に当てはめてみれば、専業店としての書店は、利益を生み出す業態ではなくなってしまったことを残酷なまでに告げている。そしてまたそれが多くの中小書店を閉店に追いやったことも。
それゆえに現在最も苦しいのは、書店経営とその資金繰りであり、双方の困難さをもあからさまに告げていることにもなろう。もちろん資金繰りの苦労は出版社も取次も同様だが、書店は日銭商売であり、複合化しているとはいえ、ここまで雑誌が凋落していくと、そのダメージは出版社や取次が想像する以上に大きいだろう。

その雑誌がさらに落ちこんでいっている17年はどうなっているのか、これもまた想像するに恐ろしいというしかない。
なお「損益計算書」は『新文化』(9/7)にも掲載されている。



2.くまざわ書店が千葉駅ビルにペリエ千葉本店を322坪で開店。隣接のタリーズコーヒーとコラボするブックカフェスタイル店。
 紀伊國屋書店は10月にイトーヨーカドー川崎店を278坪、11月に名古屋の専門商業施設にプライムツリー赤池店を244坪で出店。
 前者は各種イベントに、体験イベントとしてのワークショップも開催し、後者は海外輸入雑貨販売や大学出張講座、サイエンスカフェなどのイベントも予定。

3.大垣書店は今期決算見通しを発表。
 売上高は108億9600万円で、前年比5.0%増。
 9月にJR神戸駅改札前に36店目のプリコ神戸店70坪を出店。

4.TSUTAYA桜新町店が2FのCD、DVDレンタル売場を改修し、心と体を整えるヨガなどの新サービス「ツタヤコンディション」を導入。

前回も丸善ジュンク堂、三洋堂、トップカルチャーの従来と異なるパラダイムチェンジにふれたが、2の200から300坪、3の70坪といった出店は、16年までの500坪以上大型店出店が不可能となり、中型、小型化していることを象徴しているし、今後の出店もそのようにシフトして行くと思われる。

その背景には1で示した書店状況に求められることはいうまでもないけれど、取次自体が大型店出店を支える体力がなくなりつつあることを示している。
そのような中にあって、3の大垣書店の既存店売上1.1%増、前年を上回る売上高は讃えるべきかもしれないが、これはフランチャイズや今期業務提携した兵庫の三和書房、札幌のなにわ書房、新たな2店の出店を含むものであることも、付記すべきだろう。それに利益に関しては発表されていない。

書籍の売れ行きのほうだが、新書分野の第1位は『応仁の乱』の3748冊で、大垣書店から全国に火が点いたとされている。
応仁の乱
4のTSUTAYA桜新町店の「ツタヤコンディション」導入は、同じく三洋堂のスポーツクラブ、トップカルチャーの化粧品やキッチン用品などの物販売場への転換と同様で、TSUTAYAにも広範に起きてくることを予測させる。それらは雑誌や書籍の専門店からレンタルとの複合店、カフェとのコラボなどを経て、模索し、漂流する現在の書店像を浮かび上がらせている。どのようなところに着地するのか、それは予断を許さない時期に入っているとしかいいようがない。



5.『日経MJ』(9/4)が「街の本屋さん『コンビニになる』」という見出しで、「出版不況、日販、ファミマ提携」を一面特集している。

 そのケーススタディは兵庫県加西市の50年の歴史を持つ書店で、業務転換し、ファミマに加盟し、コンビニと書店が融合し、「ファミリーマート+西村書店加西店」となった。
 「店内に入るとコンビニの5倍近い約700平方メートルの空間が広がり、児童書、新刊本、雑誌などが並ぶ。レジカウンターが店のど真ん中にあり、「ファミチキ」を販売。その奥がコンビニでチルド惣菜や菓子、冷凍食品など3000品目が並ぶ」。
 滑り出しは順調で、客数は伸び、売上高は8割増、出版物売上も1坪当たり2.5倍になり、来客の4割が本とコンビニ商品の両方を購入する。しかし悩ましいのは24時間営業で、書店のほぼ倍となったことである。

この背景には日販がファミマにコンビニ書店展開を持ちかけたことで、日販にとってもは書店を存続させる最終手段、ファミマにとってはFCオーナーの確保と新規出店である。ファミマは書店の1200店舗がコンビニ書店転換の可能性があるとしている。
しかしこれまでの書店とコンビニの関係、高いロイヤリティと24時間営業を考えれば、現在の中小書店が1200店もコンビニ書店に業態転換することはありえないだろう。

日販にしてもファミマにしても、中小書店の危機を救うというよりも、トーハンやセブンイレブンへの対抗と、自らの一方的な都合と思いこみで、コンビニ書店を立ち上げようとしているにすぎない。
その一方で、セブンイレブンは雑誌の定期講読取り置き、ローソンは書棚の設置拡大を試みている。だがそれらも功を奏しないとすれば、コンビニにおける出版物外しも生じてくるかもしれない。



6.紀伊國屋書店は文藝春秋の『蘇える鬼平犯科帳』1万部をすべて買切、国内70店舗とウェブストアで販売。
 また書店団体悠々会にも卸し、重版分も買切とすることで、文藝春秋と同意。
 同書は逢坂剛など7人の作家が「鬼平」を描いた短編と池波正太郎の『鬼平犯科帳』からの一編を選んだもので、四六判上製、384ページ、1750円。

f:id:OdaMitsuo:20170926113030p:plain:h110 職業としての小説家

紀伊國屋としては15年の村上春樹『職業としての小説家』を始めとして、出版社28社から166点の書店直接取引による買切販売を行なっている。
池波の読者は村上よりも裾野が広いので、非再販商品、割引販売対象となって売られていくのだろうが、この内容と定価設定でも1万部売ることは難しいのではないだろうか。
村上の『職業としての小説家』も八木書店ルートで、在庫残部と思われるものがかなり流れていたからだ。



7.ポット出版は新レーベルのポット出版プラスから中村うさぎ編集『エッチなお仕事なぜいけないの?』を刊行する。ポット出版プラスは、トランスビュー扱いで書店と直接取引するために設立されたもので、9月7日までの事前注文は特別正味55%で発送し、返品は68%~70%の通常正味で歩高入帳となる。
 同書は編者の中村がクラウド・ファンディングで資金調達し、製作した。
 A5判並製、340ページ、2500円。

エッチなお仕事なぜいけないの?

7日までの事前注文は700部だったとされているが、中村の知名度と粗利45%であっても、そのぐらいの予約しか上がらないのか。もしくは小出版社とテーマを考えれば、よく集まったというべきなのか、判断を下せないのだが、その後の売れ行きも注視することにしよう。



8.集英社の決算が出された。売上高は1175億円で、前年比4.4%減。当期純利益は53億円、同8.2%減。営業・経常利益は非公表。
 売上高内訳は雑誌576億円、同15.6%減、書籍124億円、同3.8%減、広告93億円、同5.4%減、その他381億円、同19.5%増。
 その雑誌内訳は一般雑誌が280億円、同11.1%減、コミックス295億円、同19.4%減。
 その他は電子書籍、雑誌、コミックスなどのwebが145億円、同19.7%増、版権が159億円、同31.4%増。

9.光文社の決算も出された。売上高221億円で、前年比6.8%減。経常損失1億8200万円、当期純損失2億9300万円となり、7年ぶりの赤字決算。
 販売部門内訳は雑誌が76億円、同13.2%減、書籍が34億円、同6.3%減。

8の集英社と9の光文社に共通しているのは、コミックスも含めた雑誌の凋落で、それが両社の決算にも色濃く反映されている。集英社の雑誌とコミックス、光文社の雑誌の二ケタ減は、それをダイレクトに物語っている。
その一方で、電子雑誌やコミックスは伸びているものの、前年ほどではなく、電子除籍の伸長率は鈍化している。
それに何よりも顕著なのは、雑誌に下げ止まりが見られないどころか、明らかに加速していることが近年の決算ごとに露わになってきている。

集英社は一ツ橋グループ、光文社は音羽グループの中枢として、戦後の講談社や小学館を支えるのみならず、取次のトーハンや日販の成長に不可欠な雑誌出版社であった。そのアイテムが講談社や小学館と同様に、集英社や光文社においても崩壊しようとしている。



10.『出版月報』(8月号)が特殊「デジタルにシフトする雑誌」を組み、近年デジタルメディアに移行した6誌をレポートしている。それらの誌名と出版社名を挙げておく。

*『週刊アスキー』 KADOKAWA
*『クーリエ・ジャポン』 講談社
*『FYTTE web』 学研プラス
*『日刊Ranzuki』 ぶんか社
*『WebマガジンCobalt』 集英社
*『別冊文藝春秋』 文藝春秋


これらは2015年と16年にデジタルメディアに移行した27誌のセレクションで、編集長へのインタビューを試みている。電子化による印刷流通経費の減少、配本、刷り部数、返品率問題の解消はなされたが、有料会員とweb広告だけでは大半が黒字となっていないようだ。

特集がいうごとく、確かに「デジタルメディアに移行しても簡単に収益を上げられるわけではない。読者の認知を広げ、講読習慣を定着させなければならない」との状況の只中に、デジタルメディアも置かれている。
ただそのような状況下であっても、大手出版社の雑誌を始めとして、多くの雑誌が休刊し、16年には雑誌銘柄が10年連続マイナスで、ついに2977点と、3000点を割ってしまった。

それゆえに、デジタル雑誌の移行はまだ増えていくだろうし、『新潮』とヤフーの提携による小説の同時配信、講談社と楽天のスマホ向けファッション雑誌『BE ViVi』の創刊、光文社の女性誌『VERY』の携帯電話事業者などとのコラボも発表されている。しかしそれらが「読者の認知を広げ、講読習慣を定着させ」ることができるかは、まったく未知数だといっていい。



11.岩波書店が佐藤正午『月の満ち欠け』で初の直木賞を受賞。新聞広告によれば、12万部を突破したという。

月の満ち欠け

『選択』(9月号)の「社会文化情報カプセル」で、「苦境の岩波書店に『干天の慈雨』/直木賞受賞作のヒットで一息つく」という記事が掲載されている。
岩波書店が同書に関して、買切ではなく委託としたことで、「注文が殺到」し、「カネを刷っている状態」、つまり「干天の慈雨」とされている。
だが出版社の立場から見れば、恐ろしいのは返品で、岩波書店はそれを経験することなく、12万部を配本してしまったことにある。確認するためにいくつかの書店状況を見てみたが、明らかに完売は難しい量の平積みが見られた。10月から返品を受けつけると伝えられているが、その返品金額の穴埋めに苦労することは目に見えている。
そのかたわらで、岩波書店に関する情報が流れているが、複数の確認がとれていないので、今回は言及を見合わせることにしよう。



12.法政大学出版局より、図書目録と同時に次のような案内が届いた。
 
「2017年謝恩割引のご案内
 平素よりご愛顧いただいております読者のみな様への感謝の意味を込め、同封の注文ハガキにて2017年11月末日までにお申込いただいたばあい、全点2割引価格にて販売させていただきます!」


シベリアと流刑制度 河原巻物 つぶて 蓮

せっかくの案内なので、かねてから読まなければならないと思っていたジョージ・ケナン『シベリアと流刑制度』Ⅰ,Ⅱを注文した。同書も含む「叢書・ウニベルシタス」がなければ、読まずに終わった本も少なくないだろう。
この「叢書」だけでなく、もうひとつのシリーズ「ものと人間の文化史」も、盛田嘉徳『河原巻物』、中沢厚『つぶて』、阪本祐二『蓮』などは好著として忘れ難い。

それからこのような読者向け割引販売だが、再販制ではなかった戦前においてはよく試みられたもので、本ブログの古本夜話364「アルスのバーゲンと東京出版協会の図書祭記念『特売図書目録』」を参照されたい。

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13.創拓社出版と関係会社の創拓社が破産。
 同社は1983年設立で、書籍出版、塾運営、家庭教師派遣などを手がけ、2016年には売上高22億円を計上していたが、人件費や諸経費が重荷となり、今回の措置になったとされる。負債額は20億円。

香具師口上集

創拓社といえば、1980年代に『香具師口上集』という一冊が話題になったことを記憶しているが、その後の刊行物に関してはほとんど目にしていないと思う。
それを考えると、今世紀に入ってから一般書は出していなかったのではないだろうか。

それからこれは出版社ではないけれど、かつて文京区で辞書や辞典の製本業を営んでいた福島製本印刷が自己破産申請、負債額5億円。



14.『新文化』(8/31)の「この人この仕事」欄に、河出興産の荻生明雄社長が登場し、現在の出版倉庫状況について語っている。
 それによれば、一時は100社まで取引先は増えたが、毎年のように出版社の倒産、民事再生、資本の移動による解約などがあり、現在は80社ほどとなる。しかし先期はCCCグループ出版社の倉庫業務の集約によって、増収増益の決算となった。
 ただアマゾンの日販バックオーダー発注終了から完全に潮目が変わり、出版物流の変革の時期に入っている。実際に倉庫会社は新たなシステム、設備などを求められる一方で、激しい原価競争と流通量の減少、出版社の破産によって危機に追いやられ、同業者の破産や廃業も増え、減少しているという。

本クロニクル111で、「出版倉庫業者の現状」を紹介しておいたが、今回はその個別編とでもいえる。
13の製本印刷会社ではないけれど、出版倉庫業も出版業界と運命共同体にあり、やはり同様に危機の中に置かれている。
そしてまたここでもCCCが顔を見せ、大きな役割を果たしているとわかる。同じ『新文化』(9/21)に、大阪屋栗田の服部達也副社長のインタビューも掲載され、彼がCCC、丸善CHIグループ、楽天を経て、現在へと至っていることが明らかにされている。倉庫業界のみならず、取次の日販とMPD以外にも、CCCの人脈が流れこんでいることになる。しかしそれが織りなす出版水脈の行方はどうなっていくのだろうか。

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15.『週刊Newsweek』(9/15)が特集「王者アマゾン 次の一手」を組み、次の6本の記事を収録している。

Newsweek

*Amazonの帝王 ジェフ・ベゾスの野心
*謎に満ちたベゾスの半生
*「世界一」富豪に迫る法の壁
*複雑で周到過ぎる節税対策
*トランプvsベゾス、口論の軍配は?
*低迷スーパーを買ったアマゾンの皮算用

 最初の記事のイントロのところに、アマゾンの従業員の待遇、税金逃れ、独占思考は嫌いだが、「それでも決して逃れられないほど、アマゾンは私たちの文化の中に深く入り込み、愛憎半ばする存在となっている」とある。
 そしてアマゾンが『ワシントンポスト』も買収し、ベゾスは資産総額800億ドルの大富豪として脚光を浴びているとし、次のように書いている。

その脚光が照らし出すものは何なのだろう。書籍でも食品でも何でも売るというアマゾンの業態は既に完成した。今ではCIAにクラウド・コンピューティングのサービスを提供し、NASAとはロケット会社ブルー・オリジンを通じて協力関係にある。一方で映画・テレビの世界でも存在感を強めている。いずれ映画大手のユニバーサルも破綻した書店チェーン大手のボーダーズと同じ目にあわされるかもしれない。

 それに続いて、アマゾンの時価総額は全米4位の4780億ドルであること、プライム会員が8500万人に達したこと、最も秘密主義のテクノロジー企業の側面、次々に新事業を打ち出し、教育産業としてのアマゾン・インスパイアのスタート、児童向け番組ネット配信なども言及されていく。
 そのコアにあるアマゾンの野心的エネルギーの根幹には、ベゾス個人の問題である「彼が非常に複雑だということ」の指摘もなされている。


後の5本も読んでもらうしかないのだが、アマゾンの発展を彼の性格と直接結びつける分析は、アメリカからの発信ゆえであるからだろう。

しかし気になるのは「今やアマゾンは、私たちの生活に欠かせない存在だ。アマゾンなしで生きていけるだろうかと思ってしまう」という告白であり、アメリカではアマゾンが「生活の必要性では、国の行政機関を上回る」存在になってしまっていることだろう。さすがに日本ではそこまでいっていないと思われるが、日本が絶えずアメリカを範としてきたことを考えれば、いずれはそのようになってしまう可能性も否定できない。

それにこのようなアマゾンに関する記事も、CCCメディアが発行する週刊誌だから掲載できたのではないかとの思いに駆られてしまうのである。



16.『週刊東洋経済』(9/23)が「流通新大陸の覇者メルカリ&ZOZOTOWN」特集号を組んでいる。ただここではメルカリだけを取り上げるし、旧大陸とは百貨店とショッピングセンターをさしている。
 個人間通販アプリ「メルカリ」はサービス開始4年で、月間流通総額100億円を超えた。そのダウンロードは国内5000万、米2500万で、4年間で7500万に及び、C to C の新市場となっている。

 その出品手続きは簡単で、スマホで写真撮影し、送るだけで成立するため、毎日100万以上の出品がある。買い取り業者は安すぎるが、メルカリは自分で売り値を決められ、納得感があり、出品者の手数料は10%ですむ。
 それもあって、16年決算では売上高122億円で、前期比3倍、営業利益32億円、こちらの前期は11億円の赤字から急成長している。

 この背景にあるのはリユース市場の成長で、16年には1.9兆円とされ、その中でもフリマアプリは16%を占め、4年間で3000億円市場となり、これからの成長も確実で、メルカリも上場間近とされる。

 創業者で30代の山田進太郎会長の言である。

 世界的なマーケットプレイスを仕掛けるテクノロジーの会社だ。モノとおカネ、モノとモノ、サービスとサービスなどもっと自由にやり取りできれば、無駄になっている資源を有効活用でき、世界が本当に豊かになる。青臭い話ではあるけれど、本気で信じている。

 特集もまたヨイショ気味の「期待」をこめ、次のように書いている。

 日本の小売業界に旋風を起こした流通革命児はこの先どこまで突き進むのか。(中略)日本発のネットサービスが世界で成功した事例はまだほとんどない。メルカリは小売りにとどまらないベンチャー代表としての期待も背負っている。

週刊東洋経済

ここでメルカリのほうだけに言及したのは、最近になって、書籍、CD、DVD分野の商品に特化した「メルカリカウル」を投入したからである。これは前回もふれているし、新しいマーケットプレイスの誕生も確実なように思われる。
特集には4ページにわたって、「メルカリ徹底活用例」が掲載され、売り方の基礎から応用までがマニュアル化されている。「メルカリカウル」だけでなく、このようなフリマアプリが広範に普及すれば、多くの個人が消費者と販売者の双方の存在を兼ねることになり、かつてと異なる消費社会の新しい在り方を提出することになるかもしれない。
このような関係にある詩を連想したが、それはここでは示さない。



17.フリースタイルによって、宮谷一彦の『ライク ア ローリング ストーン』が単行本化された。

ライク ア ローリング ストーン 劇画狂時代

解説者の中条省平はこの刊行によって、「ようやく日本マンガ史に開いた大きな空白がほぼ半世紀ぶりに埋められることになります]と書いているが、私も同感である。この際だからフリースタイルには、やはり未刊の『太陽への狙撃』の単行本化も望みたい。

1960年代後半において、宮谷はつげ義春と並んで、その特異な劇画の愛読者はかなりいたと思われるが、出版社に恵まれなかったゆえに、その全集も刊行されていない。宮谷もつげも青林堂から単行本を出し、その後つげは北冬書房や筑摩書房からの選集や全集を見たが、宮谷は編集者や読者がいたにもかかわらず、今世紀に入ってからは忘れ去られていたかのようだった。

宮谷とその時代に関しては、これ以上私が贅言をはさむより、岡崎英生の『劇画狂時代』(飛鳥新社、2002年)を参照されたい。



18.「出版人に聞く」シリーズ番外編としての鈴木宏『風から水へ』『週刊文春』(9/21)の鹿島茂の「私の読書日記」において、好書評を得た。
 また産経新聞(10/1)の読書欄には著者インタビューも掲載予定。
風から水へ 週刊文春

 私も論創社のHP「本を読む」20で、「『風から水へ』と同人誌『はやにえ』」を書いているので、読んで頂ければ幸いである。

ronso.co.jp

以下次号に続く

古本夜話706 『東亜学』、日光書院、米林富男

大東出版社の「東亜文化叢書」、彰国社、龍吟社の「東亜建築撰書」と続けてきたので、もうひとつ日光書院の『東亜学』にもふれてみたい。

 これは昭和十四年九月に第一輯が出され、裏表紙には『ORIENTALICA』とあり、英文目次も付されている。その後、同十九年第九輯までの続刊を確認できる。第一輯は創刊号のゆえあって、巻頭に「発刊の辞」がしたためられている。

 支那事変の発生以来、我国朝野に於ける東亜研究熱は俄かに高潮されたかの感がある。研究の簇出、雑誌の発刊、研究所の創設、学会の結成、講座の増置等、現下の日本は正に計画の渦中に立つものといへる。もとよりこれ等の中には時流に亜した不真面目なものなしとはいはれぬがかゝる機運は喜ぶべきところでありまたその円実なる発展は吾人の深く望むところである。

そして従来の日本の東亜研究が欧米偏重のためにふるわなかったこと、科学的基礎なき所謂「支那通」を跋扈させたことが挙げられるが、それでも徳川時代より、「支那学」、その後の「東洋学」という古典的研究委は持続してきたので、これらを「総合帰一」して、「東亜学」の確立を期さねばならず、それが『東亜学』発刊の使命だとも述べられている。その内容と執筆や、肩書も示してみる。

*「支那の記載に現はれたる黒龍江下流域の土人」  和田清/東京帝大教授、東洋文庫研究員
*「英帝国ブロック最近の同行と東亜経済ブロックの結成」  堀江邑一/満鉄調査部、東亜経済研究
*「日本国号私見」  岩井大慧/東洋文庫主任
*「中国共産党の第二期抗戦大作」  梶原勝三郎/上海日本総領事館特別調査班
*「回教の寺々」  村田治郎/京都帝大教授、東洋建築史
*「北京と家」  瀧川政次郎/満洲建国大学教授
*「支那法・法史に関する一般的参考文献、支那学・古典の重要文献(欧文目録)」 (ジャン・エスカルラ)平野義太郎訳
*「上海通信」  重光蔵/東亜同文書院教授

 これらの他にもモーリス・ウィリアム『孫逸仙対共産主義』(未邦訳)、鄧雲特『支那救荒史』(川崎正雄訳、生活社)の長文書評が高橋勇次と吉川美都雄によって寄せられているが、この二人の紹介はないので、先には挙げなかったことを付記しておく。

 このような執筆者メンバーと本連載120や160の平野義太郎の存在を考えると、日本内地のアカデミズム、東洋文庫、満鉄調査部、満洲建国大学、東亜同文書院、それに加えて転向左翼が一堂に会し、支那事変を背景とした新たな「東亜学」の確立が目されたと推測できる。それをバックアップしたのが日光書院ということになる。その事実を示すように、巻末ページには「新刊」として、瀧川政次郎『満支史説史話』、野口勤次郎、渡辺義雄『満洲共同租界と工部局』の掲載がある。ちなみにこの二人は上海共同租界工部局員を務める学究とされている。

 奥付には編輯者として米林富男、発行者として米林釥夫の名前が記され、その住所は神田区一ツ橋とある。この二人は兄弟、もしくは縁戚関係だと推察されるが、前者は夏川清丸の『出版書籍商人物事典』(金沢文圃閣)の第2巻に立項が見出せる。ちなみに夏川は本連載267の帆刈芳之助である。同辞典は戦後になって帆刈が『出版同盟新聞』や『帆刈出版通信』に連載したものをまとめて収録したもので、米林の名前はここでしか見つけられないこともあり、そのまま引いてみる。

 明治38年9月12日、石川県金沢市に生る。45歳、昭和3年東大文学部社会科卒。そのまま母校にふみ留まりて助教授たること十年、同13年出版業界に入り日光書院を創業、別に当時満洲新京東光書宛(福家俊一氏)の東京支社長となつた。企業整備の際には三社を買収して残つた。終戦の年の20年12月病気静養のため事業を友人坂田厚英氏に譲渡して信州の山中に赴き在留四年、作ね10月病いえて帰京し、同1月同書院を譲戻して業界に復活した。信州在留中、アダムスミスの道徳情操上下論千八百頁を訳了、上巻A5四百頁四百円を今次発行した。別に同書院の兼営にかかる同所、吾妻書院は今回同書院を離れて独立した。長野県社会教育委員、趣味は読書、酒、たばこは何れも好まない。

 福島鋳郎編著『新版戦後雑誌発掘』(洋泉社)所収の「企業整備後の主要新事業体および吸収統合事業体一覧」を確認してみると、日光書院が「残つた」出版社に挙げられていた。ただそれは三社の買収ではなく、月刊満洲社東京出版部、大正書院、日向書房、明倫館の四社の吸収からなり、その新事業体は主として東亜学、ドイツ語学とされている。昭和十三年設立の日光書院が存続を許されたことは、その東亜学関連の出版物多かったことによっているのかもしれない。日光書院については後に本連載も再びふれるつもりなので、今回はここで閉じる。


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古本夜話705 島村抱月『文芸百科全書』と隆文館

前回久し振りに草村北星の龍吟社にふれたので、これも本連載151などで言及している北星が以前に設立した隆文館の書物に関する一編を挿入しておきたい。

 これは本連載71でも既述していることだが、かつて「『世界文芸大辞典』の価値」(「古本屋散策」4、『日本古書通信』二〇〇二年七月号)を書いたところ、谷沢永一から便りがあった。それは実にうれしい、辞典は戦前のものが優れていて、『世界文芸大辞典』はその最たるもので、しかもこの原型は早稲田文学社の『文芸百科全書』に求められるとの指摘もなされていた。

 現在であれば、すぐに「日本の古本屋」にアクセスし、『文芸百科全書』の在庫の有無を確かめたりしたであろうが、十五年も前のことなので、そのうちに古書目録で出会うだろうと思っているうちに、当の谷沢は鬼籍に入ってしまうし、実際に古書目録で見つけ、入手したのは十年以上経ってからのことだった。しかもそれは早稲田文学社刊行ではなく、隆文館からの出版だったのである。

 この『文芸百科全書』は四六倍判、三段組、二千頁近くに及ぶ大冊で、日本も含めた世界文学、演劇、美術、それぞれの名著などの解題と文芸家人名辞彙も含み、明治四十二年十二月に刊行されている。このジャンル別辞書という大冊の企画は、日本で最初に本格的な百科事典を発行していた同文館を範としていると思われるし、同文館は明治三十八年から『商業大辞書』や『教育大辞書』を出版し始め、続けて哲学、経済、法律、農業、工業の「七大辞書」に及んだ。これらに関しては拙稿「近代出版史における同文館」(『古本探究2』所収)を参照されたい。
古本探究2

 つまり『文芸百科全書』は同文館の企画に挙がっていなかった「文芸」版を意図したと考えられる。その「序」は早稲田文学社名で記され、同書編纂計画発表は明治三十九年で、一年以内に完成するつもりだったが、三年以上を要したと始まり、その間の出版状況にもふれているので、それを引いてみる。

 一時出版界に辞書熱といふものが起こつて、随分色々の辞書類が出た。そして本書の如きも幾分は辞書の性質を帯びてゐるから、此の流行が本書の上に及ぼす影響は何うであらうかと思はれた。また同じく出版界に於ける予約出版といふことに、種々の失敗と弊害とが伴ふやうになり、為に大部物の出版に頓挫を来たす恐もなくはなかつた。

 それが何であったかも具体的に語られている。当初版元とされていた金尾文淵堂が『文芸百科全書』の「出版者たるべき負担に堪へ難い不幸に遭遇し」てしまったのである。これも拙稿「金尾文淵堂について」(『古本探究3』所収)で言及しているが、金尾文淵堂は島村抱月によって再興された『早稲田文学』の発行所となる一方で、『仏教大事典』を予約出版で企画したが、辞書の規模の変更と刊行延長もあって、明治四十一年に不渡りを出して倒産に至っている。これが引用部分の背景にある事情だった。そのことから、一時は「早稲田文学社の独自経営とする」に至ったけれど、その後隆文館と協約し、同館からの出版となったのである。
古本探究3

 そして奥付に著作者として早稲田文学社、その代表者として島村瀧太郎=抱月、発行者として隆文館、その代表者として草村松雄=北星の名前が記されることになったのである。それゆえに「序」をしたためたのは抱月自身と推定できるし、実質的な編集主任が本連載238の楠山正雄だったことも明記されている。楠山は『文芸百科全書』の編集経験をベースとして、後にこれも本連載238で取り上げている冨山房の『国民百科大辞典』を編纂するに及んだのであろう。

 また「凡例」には「各秘蔵の図書絵画貸与者として、早稲田文学図書館の他に、伊原青々園、市島健吉、巌谷小波、小山内薫、永井荷風、安田善之助、松居松葉、水谷不倒の名前も列挙され、『文芸百科全書』の成立が大学図書館と集古会関係者に支えられていたことも示している。

 それに対して、隆文館はダイレクトに編集に参加しておらず、発行者を引き受けただけだったと思われる。だが隆文館の社史も全集目録も刊行されていないことから、この実価十五円という大冊の『文芸百科全書』が、どのような売れ行きと波紋をもたらしたかについては確認できていない。おそらく日露戦争後の出版で、同文館の実用的辞書類とは異なり、高価な文芸辞典に類することからすれば、売れ行きに関しては苦戦したのではないだろうか。

 この『文芸百科全書』をベースにして、『世界文芸大辞典』全七巻が編集されるのは昭和十一年であり、ほぼ三十年後ということになるのだが、『中央公論社の八十年』には五十周年の記念出版として記されているだけで、どのような経緯と事情によっているかは定かではない。谷沢がいうように、内容の充実とは逆に、これまた売れ行きがよくなかったことを示唆しているように思われる。



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古本夜話704 藤岡通夫『アンコール・ワット』と「東亜建築撰書」

本連載680で、農業書の養賢堂も南洋関連書を刊行していることにふれたが、それは建築書の分野にあっても同様で、彰国社からも「東亜建築撰書」が出されている。

 この「撰書」に関しては本連載158「龍吟社と彰国社」で言及し、彰国社が戦時下の企業整備で龍吟社に統合されたこと、それゆえにそのうちの田辺泰の『日光廟建築』が龍吟社からの刊行となったことなどを既述しておいた。その後、昭和昭和十八年の彰国社版「同撰書」の藤岡通夫『アンコール・ワット』を入手したこともあり、ここでもう一度取り上げてみたい。

 「東亜建築撰書」は『日光廟建築』巻末の「第一次目録」によれば、二十八冊が挙げられ、既刊は九冊となっているので、まずはそれらを示す。

1 田辺泰 『徳川家霊廟』
2 鷹部屋福平 『アイヌの生活』
3 城戸久 『名古屋城』
4 藤岡通夫 『アンコール・ワット』
5 太田博太郎 『法隆寺建築』
6 杉山信三 『朝鮮の石塔』
7 岡大路 『支那庭園論』
8 鷹部屋福平 『北方圏の家』
9 田辺泰 『日光廟建築』

 9の刊行年月は昭和十九年九月なので、出されたとしても、一、二冊だったのではないかと推測できる。矢崎高義『満洲の住居』、藤島亥治郎『台湾の建築』、村田治郎『蒙彊の建築』などは手にとってみたいと思うが、おそらく出版されずに終わったのではないだろうか。

 その「目録」の裏ページには「同撰書」の「刊行の辞」が次のようにしたためられている。

 大東亜共栄圏確立と大東亜民族解放の黎明に直面した我等には、今やその盟主としての一大決意と反省とが要望される。決意とは断乎として共栄圏の繁栄を確保すべき日本精神の宣揚に邁進することであり、反省とは盟主としての栄冠に酔ふことなく、その内容をして益々堅実なるものたらしむる実力の涵養である。
 永く欧米の圧制と術策の中に虐げられた東亜は、今こそ誤れる過去の覊絆から離脱して、東亜に帰るべき時である。想へば東亜文化の発祥は欧米の文化より遙かに古く、その文化的所産たる建築の如きも、古来高度に完成されたものゝ存在を見るのである。

 これは「刊行の辞」の半分ほどだが、「同撰書」のキャッチコピーの「大東亜文化の性格把握への指針」というコンセプトが了解されるであろう。またそのようにして、日本のみならず、先に挙げた満洲、台湾、蒙彊などの大東亜共栄圏の建築も、あらためて「把握」されなければならないのだ。

 それを目的として藤岡の『アンコール・ワット』も出版されている。彼は東京工業大学建築学教室に籍を置く建築史家で、戦後は教授となり、後に日本工業大学長も努めている。その「序」によれば、大東亜戦争の進展に伴い、所謂南方物の出版が増加し、翻訳書乃至それに準ずる書も次々に現れる」に至っている。だがそれらは内容が疑わしものも少なくなく、とりわけアンコール遺跡研究については急速な進歩を見ているだけで、一九二七年以前の著書は誤説も含まれ、翻訳の価値もないとされる。確かに私が知る限りでも、グロスリエ『アンコオル遺蹟』(新紀元社)、同『アンコール・ワット』(湯川弘文社)、ケーシイ『シバ神の四つの顔、アンコールの遺跡を探る』(南方出版社)、フシエ『仏教美術研究』(大雄閣)、ドラボルト『カンボヂヤ紀行』(青磁社)などが出されていて、「南方物の出版が増加」しているのがわかる。

 藤岡にしても、前年に写真集を主目的とする『アンコール遺跡』を刊行していたようで、いってみれば、大東亜戦争下の南部仏印のアンコールワットルネサンスが日本で起きていた印象すらも受ける。この『アンコール・ワット』も写真を四九、挿図を四二も配した一冊で、南方幻想を喚起させる仕上がりとなっている。

 ムオーというフランス人科学者が一八五六年から六一年にかけて、インドシナ半島を縦貫するメコンとメナム両河沿岸の探検にのぼり、象と虎が住むと怖れられる北方の大森林へと歩を進め、その密林の奥深く埋もれた都市であるアンコール・ワットを発見するに至ったのだ。そうしてその後、多くの学者たちが遺跡や塔や彫刻を手がかりとして、アンコール・ワットの謎に挑んでいたのである。それらは写真や挿図からも浮かび上がってくるし、アンコール・ワットがフランス人にとっても、謎と魅惑の地だったことを伝えている。アンドレ・マルローにとっては盗掘の地に他ならなかったことを想起させる。

 この藤岡の『アンコール・ワット』は思いがけずに、それらのことをテーマとする藤原定朗の『オリエンタリストの憂鬱』(めこん)を再読してみようという思いをもたらしてくれたことを、ここに記しておこう。
オリエンタリストの憂鬱

なお「東亜建築撰書」10として、沢島英太郎『桂御山荘』が出されていることを付記しておく。


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