出版・読書メモランダム

出版と近代出版文化史をめぐるブログ

古本夜話769 柳田国男『火の昔』とシヴェルブシュ『闇をひらく光』

 『実業之日本社七十年史』を読んでいくと、昭和十六年三月に『新女苑』が第一回文化講座を開催したことを知らされる。講師は佐多稲子、川端康成、柳田国男などで、「従来の女性向き講習会とは趣を異にした、講座の形式による充実した講師と講話とは、当時すでに文化的雰囲気に飢えを感じていた多くの女性に深い感銘を与えることができた」こともあり、この「新女苑文化講座」は十七年末までに四回開催され、いずれも多くの若い女性を集めて盛会だったとされる。

 『同七十年史』の中で、柳田の名前が出てくるのはこの部分と、昭和二十一年の柳田の『火の昔』の復刊のところだけだが、それを目にして、昭和十九年に『火の昔』が刊行されている理由がわかったように思われた。
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 それに関して、『柳田国男伝』は次のように記している。

 柳田と実業之日本社との関係にも、深いものがあった。直接の繫がりは、昭和十六年(一九四一)三月二十六日、同社発行の雑誌『新女苑』主催の第一回文化講座で、柳田が「楽しい生活」を講演して以来のことと思われる。戦時下の出版事情が悪いときでも、実業之日本社は柳田の『火の昔』(昭和一九年)の発行を引き受け、戦後は『柳田国男先生著作集』全十二巻(昭和二二~二八年)を刊行している。

 この記述は無理からぬことだが、少しニュアンスがちがうと思う。おそらく柳田は実業之日本社の『新女苑』などの雑誌に寄稿したことから、文化講座のメンバーに名を連ねた。そしてその後も三回催された「新女苑文化講座」において、『火の昔』の原型となる講演を行ない、それをベースとして、『火の昔』は書き継がれ、実業之日本社から刊行の運びになったのではないだろうか。それに「出版事情が悪いときでも」とあるけれど、この時代に柳田の著作は本連載457の創元選書に多く収録されたことで、売れる著者ともなっていた。それを示すように、『火の昔』の再版は一万部だから、初版はそれ以上だったと考えられるのである。

 柳田は大東亜戦争下において、女性と子どもに語りかける仕事を進め、後者が『火の昔』、『こども風土記』(朝日新聞社、昭和十七年)、『村と学童』(同、二十年)として結実したとされる。これらはいずれも『定本柳田国男集』第二十一巻に収録となっていること、及び柳田の子どもに読ませる「火の歴史」を書いているという発言をふまえて、『柳田国男伝』も同様の見解を示している。

 しかし実際に『火の昔』を読んでみると、これは子ども向けの「児童書」というよりも、現在の言葉でいえば、「ヤングアダルト」に向けて書かれた一冊であることが否応なく伝わってくるし、『明治大正世相篇』を彷彿とさせる火の歴史と変遷に他ならないことがわかる。そして何よりも、この『火の昔』は実業之日本社版で読まないと、そのアウラを感じられないし『定本柳田国男集』収録の『火の昔』は、まったく別の著作のように映る。

定本柳田国男集

 私の手元にあるのは、これも浜松の時代舎で入手した昭和二十一年三月の再版だが、『柳田国男伝』掲載の初版の書影と同じなので、そのまま再版されたと見なしていいだろう。このA5判並製の一冊は中村好宏の装幀によるもので、表紙の上の部分から5センチほどが朱の帯のように染められ、そこに黒抜きで『火の昔』というタイトルが置かれ、その下には火らしきものを手にした少女の姿が描かれている。そして柳田は火の話を始めていくのだが、それらには同じく中村による三十余に及ぶ火にまつわる道具などをめぐる挿画が付され、柳田の話体との絶妙な調和とイメージを喚起させてくれる。中村は春陽会に属する画家とされるが、同じ実業之日本社の『少女の友』などにも絵を寄せ、おそらく彼と同誌のセンスが表紙や挿画に投影されているのではないだろうか。
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 柳田は最初の「闇と月夜」で、まず燈火(ともしび)が出現する前の闇の暗さにふれ、「『親と月夜はいつもよい』といふ子守唄を、あなた方は聞いたことがありますか」と問いかける。そしてその「他人おそろし、やみ夜はこはい」と歌われる意味を明かしていく。それを読むと、昭和三十年代までの日本の田舎や農村の夜の闇の深さが思い出される。またその夜の闇は追放されても、現在でも変わりなく続けている夏の「盆の火」=迎え火送り火の意味についても同様である。柳田は書いている。

 以前の人たちには、自分があかり無しに夜道をあるくことがつらいので、眼に見えない神様でも霊でも、すべてが同様だらうといふ考へ方があつたと見えまして、旱魃の神や蟲の神を造るのにも火を焚いたやうに、盆に遠くから家の御先祖が帰つて来られるのにも、松明をともにして迎へなければならぬといふ心持が普通でした。それが盆の火といふものの起りであり、さうして又家の外で焚く火の中の、一番大切な又美しいものとせられて居たのであります。

 そして柳田は「火を大切にする人」にも言及し、火の歴史をたどり、火を起こし、火を保つ男女の分業から、燧石(ひうちいし)による火の出現後、火と台所の管理は女性に委ねられるようになったとし、「家と火の関係を、先づあなた方が考えて見なければならぬ理由はこゝに在ります」と述べている。それはマッチが一般的に利用されるようになってから、「火を管理する女たちの役目は前よりも骨折なもの」になっていったとも語っている。

 このような内容と、前述した私の推測、造本に観られる『新女苑』のコンセプトに通じるヤングアダルト性と表紙の少女、二ヵ所の引用に見られる「あなた方」という呼びかけから考えても、『火の昔』は子どもではなく、次代を担う『新女苑』の読者に象徴される若い女性たちに向けて提出された火という、もうひとつの「妹の力」の探究であったように思わる。

 それから『火の昔』を読みながら、フレイザーの『火の起源の神話』(青江舜二郎訳、角川文庫、ちくま文庫)が重なってしまうのは当然だけれど、それ以上にドイツの文化史家シヴェルブシュ『闇をひらく光』(小川さくえ訳、法政大学出版局)や、『光と影のドラマトゥルギー』(いずれも同前)を連想してしまった。このベンヤミンの影響を受けたシヴェルブシュの著作に関連して、かつて「宮武外骨と『東京電燈株式会社開業五十年』」(『古本探究3』所収)を書いているので、よろしければ参照されたい。
火の起源の神話(ちくま文庫)闇をひらく光 光と影のドラマトゥルギー 古本探究3


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古本夜話768「仏蘭西文学賞叢書」と『サント・ブウヴ選集』

 前回はふれられなかったが、実業之日本社における昭和十年代半ばの文芸書出版の隆盛は外国文学にも及び、十五年から「仏蘭西文学賞叢書」が刊行されていく。それらの刊行予告も含め、ラインナップを挙げてみる。例によって番号は便宜的にふったものである。

1 エドワール・エストーニエ、桜井成夫訳 『孤独』
2 ロマン・ルウセル、新庄嘉章訳 『春のない谷間』
3 エルネスト・ペロション、朝倉秀雄訳 『眠れる沼』
4 モオリス・ブデル、今日出海訳 『北緯六十度の恋』
5 コンスタンタン・ウエイエル、芹沢光治良訳 『或る行動人の手記』
6 タロウ兄弟、水野成夫訳 『作家の情熱』
7 F・ミオマンドル、川口篤訳 『水に描く』
8 ジョセフ・ケッセル、佐藤正彰訳 『佯りなき心』
9 アンリ・フォコニエ、佐藤朔訳 『馬来に生きる』
10 ラクルテル、市原豊太訳 『妻の愛』
11 モンテルラン、河盛好蔵訳 『独身者』
12 デルテイル、杉捷夫訳 『ジャーヌ・ダーク』

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 これらは「叢書」名どおりフランスでゴンクール賞などの文学賞を受賞した小説の翻訳で、浜松の時代舎で入手しているのは1と9の二冊だが、いずれも水島茂樹によるフランス装にならった装幀で、それがこの「叢書」のフォーマットであろう。これらも含めて、ここでしか邦訳されていないように思える。とりわけ9のフォコニエ『馬来に生きる』は、本連載688の馬来を舞台とし、エグゾティスムとフランス人植民者の内的生活が交錯して成立している。訳者の佐藤によれば、「新しいエグゾティスムの小説」「真の植民地小説」と見なせるし、主たる登場人物のロランは作者を彷彿とさせ、「西洋と東洋との精神的な混血児」とも目される。

 フォコニエはこれが処女作で、一九三〇年にゴンクール賞を得ているが、無名作家の受賞はほとんどないし、その八年後に短編集を一冊だけ出しているだけらしいので、この『馬来に生きる』の一作で、日本への紹介は途絶えてしまったのではないだろうか。またそれはこの「仏蘭西文学賞叢書」のほとんどに当てはまるものかもしれない。

 『実業之日本社七十年史』はこの「叢書」に関して、「世間の一部からは敵性文学とそしられながらも多くの人々に愛読されたが、結局は当局の『不急不要文学』の烙印の犠牲になって続刊を断念したのは惜しまれる」と評し、九冊まで出されたとしている。だが所収の「実業之日本社出版総目録」を見ると、8までしか確認できないが、八冊は間違いのように思われる。それとも9の現物が確認できなかったことによっているのだろうか。

 それはともかく先の一文に続き、「こうして戦局の激化に伴いこの『不急不要』の範疇は文芸全体に拡張されるに及んで、わが社の文学書出版の芽はすこやかに伸び、華やかに開花しながら、実を結ぶのを待たずに終った」と述べている。

 その日本文学書出版の一端は前回に挙げておいたので、ここでは「仏蘭西文学賞叢書」に続いて、外国文学書出版のほうを見てみたい。まず「叢書」と関連してフランス文学だが、昭和十八年には辰野隆監修『サント・ブウヴ選集』第一巻が出され、戦後の二十三年に第二巻、二十四年に第三巻、二十五年に第四巻が続いている。これらのうちの第一巻『中世及び十六世紀作家論』第三巻『十八世紀作家論』を入手していて、前者は戦前版ではなく、戦後の二十三年に出され、奥付に重版記載はない。そこには「サント・ブウヴ選集」と題する小冊子がはさまれ、岸田国士や小林秀雄を始めとする「推薦の言葉」が収録され、第一回配本とあるので、装幀の青山二郎も同様だが、新たに戦後版、それも全七巻として刊行され始めたとも考えられる。
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 この十九世紀最大のフランスの文芸批評家について、かつてサント・ブーヴ『月曜閑談』(土居寛之訳、冨山房百科文庫)を拾い読みしただけなので、語る資格はまったく有していないけれど、すこしばかりこの全七巻の構成にふれてみたい。それぞれの作家論の出典を見てみると、大半が全十五巻からなる『月曜閑談』からの抽出で、小冊子における中村真一郎の解題によれば、それに『新月曜』『文学的肖像』『女性肖像』からのものを加え、最終の第七巻には一般的文学論と方法論、自伝的論文、日記、雑録、書簡を収録し、さらに年譜と総索引を付す予定だったとされる。
月曜閑談

 そのために辰野の監修の下に、実質的に中村を編集者として、東大仏文科を中心にして五十人近くが召喚され、この一大翻訳プロジェクトに臨んだことになる。しかしいくら戦後の文化の時代を迎えていても、このようなサント・ブウヴの著作集が売れることはなかったであろうし、第四巻を出したところで中絶してしまったのであろう。そこまで刊行されただけでも快挙といっていいし、それ以後前掲の冨山房百科文庫版を除いて、そうした試みは二度となされていないといっていい。

 また「実業之日本社総目録」を見ていくと、「仏蘭西文学賞叢書」とパラレルに、ドイツ青年指導局『輝く鉄十字章』に始まる「ドイツ小国民美談」シリーズ、ハインリヒ・バッゲル『重たい血』などの『ドイツ民族作家全集』、アンドレ・モロワ『ツルゲーネフ伝』などの『伝記文学選集』、E・アンリエット『農園の夏』といった「アメリカ少年少女文学賞叢書」も出されている。これらは未見だが、いずれ入手する機会を得たら、取り上げるつもりでいることも付記しておこう。

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古本夜話767 『新女苑』と河上徹太郎『道徳と教養』

 本連載764で、保田与重郎の『美の擁護』の装幀が青山二郎によるものだが、疲れた裸本ゆえにそのはっきりしたイメージがつかめないこと、及び同じ実業之日本社から河上徹太郎の『道徳と教養』も刊行されていたことにふれた。
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 実はこちらも入手したばかりで、これも青山の装幀であり、しかも函入の一冊だった。その「序」を読むと、意外なことにタイトルと相違し、婦人雑誌に書いた「女性訓と読書論」を併録した「婦人本位の評論集」とされている。それに加え、同書は装幀だけでなく、「畏友青山二郎君の勧めと手助け」によって成立したことが語られている。

 私は従来評論集を編むに際して、書き溜めた原稿の中から極く少数を選び、他所行きの顔をした纏つたもの許りで本を作つてゐたが、曾て青山は私に、そんなものよりはもつと書きなぐつた雑文の中に君らしいものがたくさんあるから、そういふものを集めた本を一冊俺に編輯させろ、と常々語つてゐた。そこへ本書の話を出版部の神山氏が申し出られたので、私は早速青山にそのことを話し、原稿のストツク全部を持ち込んで自由に一冊の本を編輯してくれるやうに頼んだ。それを快く引き受けてくれて、凝り性の彼は、日夜丹念に私の原稿を整理・取捨・按配し、遂に編輯から組や印刷工の指定から装釘に至るまで全部やつてくれた。彼の神経の細かな行き届き方は、本書の隅々に至るまで感得出来るであらう。まだ世に珍しい、かういふ形式の著書の著者としての喜びをここに吹聴しておく次第である。

 この「珍しい、かういふ形式の著書」は所謂「青山学院」的編集によって成立したということになろうか。青山の装幀に関しては多くが語られているが、確かに編集については「珍しい」言及といえるだろう。それが功を奏してなのか、奥付を見ると、昭和十五年七月発行、十一月十九版と驚くばかり版を重ねている。はっきりした部数はわからないけれど、このような事実からすれば、前回挙げておいた、それ以後の実業之日本社の様々な文芸評論集もまた、「青山学院」的編集によるものが出されたことも考えられる。

 ちなみに「出版部の神山氏」とは、これも同764で既述しておいたように、文芸書担当者の神山裕一で、『実業之日本社七十年史』によれば、『新女苑』主筆となり、昭和十七年から十八年にかけてビルマ、ジャワ方面に陸軍報道班員として派遣されている。そしてビルマで従軍看護婦の座談会、ジャワでは現地の「インドネシア女性に訊く」座談会を企画し、それを『新女苑』に掲載し、各方面から注目されたという。なお神山は戦後になって出版部長から編集局長となり、昭和三十二年には米国空軍による日本の主たる新聞雑誌関係者招待で、戦後初めて社員として海外に出たとのことで、サンフランシスコでの写真も掲載に至っている。

 それらはともかく、河上の『道徳と教養』は他ならぬこの『新女苑』に寄せたものが大半を占めていて、それが青山の装幀と編集、おそらく神山の出版戦略も相乗し、かなりの売れ行きを示したことは、文芸評論集にしても、戦前の女性誌の隆盛と密接にリンクしていると考えざるをえない。例えば、河上のいうところの「女性訓」にしても、やはり同様に実業之日本社から『芸術の運命』を刊行している亀井勝一郎、シュテーケルの『近代の結婚』の訳者の堀秀彦にしても、どちらかといえば、それが本領だったのではないだろうか。戦後の亀井や堀の著作とその傾向、及び受容はそのことを証明していよう。

 それらは河上がいうように、「此の種の評論集は、一般に啓蒙的なものであることを常としてゐる」し、それは女性誌連載の小説にも共通していたはずだ。それが戦後の婦人誌、及び女性論や結婚論へとも引き継がれていったことは明白であろうし、それらは間違いなく、高度成長期における出版の一角のエトスを支えていたと考えられるのである。

 しかしそれはこの『道徳と教養』にとってプラスとなって表われ、同時代における文芸時評の優れた結実を示しているように思われる。そこに収録された各編は、女性誌を中心にして寄稿されたものに他ならないのだが、「啓蒙といふ仕事が命じる取りすました態度を自分に装ふこと」をしていないことで、見晴らしのいい昭和十年代半ばの文芸時評を形成している。それを自覚してか、河上は「之によつて私は今まで知らなかつた文芸時評のスタイルを獲得し得たのであつた」と記している。ということは本連載762で挙げた河上の文芸評論集『自然と純粋』や『思想の秋』が「啓蒙」ではないにしても、「取りすました態度を自分に装ふこと」で成立していたと告白していることに等しい。

 だが河上は『道徳と教養』に至って、その新しい一歩を踏みだしたのだ。それらは岡本かの子、北条民雄、里見弴、井伏鱒二、横光利一から通俗小説や雑誌論に及び、またヴアレリイやジイドなどの翻訳も配置され、その時代の日本文学と外国文学の広範にして繊細な見取図ともなっている。それらに関してもふれたいのだが、しばらく本連載が保田与重郎と実業之日本社のことに向けられているので、それらが一巡したら、あらためて言及することにしたい。


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古本夜話766 吉田絃二郎『おくのほそ道の記』と梅本育子『時雨のあと』

 前回は『実業之日本社七十年史』、里見弴の名前だけで、書名が記されていなかった小説『愛と智と』を取り上げたが、実はそれなりに売れ、好評だったにもかかわらず、著者名も書名も挙げられていない一冊がある。
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 それは吉田絃二郎の『おくのほそ道の記』で、タイトルが示すように、芭蕉の『奥の細道』をめぐる随想と注釈、それに芭蕉の死を描いた短編「秋」を織りこんだ著作で、装幀は恩地孝四郎、芭蕉の口絵は田中咄哉州によっている。B6判函入、著者と作品ごとに異なる装幀は、実業之日本社だけでなく、この時代の多くの文芸書出版のフォーマットを占めていたように思われる。
f:id:OdaMitsuo:20180226104638j:plain:h115 奥の細道

 そうしたことも影響してか、奥付を見ると、昭和十五年発行、十七年十九版とあり、順調に版を重ねているロングセラーとわかる。それなのにどうして『実業之日本社七十年史』に著者名も書名も挙げられていなかったのだろうか。その理由のひとつとして、『同史』の刊行が昭和四十二年であり、吉田は昭和三十一年に亡くなっていて、すでにこの時代に著者の吉田が忘れられた存在と化していたことに求められるような気がする。

 だが吉田は大正から昭和にかけての流行作家で、自然と人生に関する感傷的憧憬と悲哀が、そのセンチメンタルな文体に投影され、多くの愛読者を有していたのである。それは昭和円本時代に新潮社から『吉田絃二郎全集』全十六巻が刊行されていることにも明らかであろう。手元に均一台から拾ってきた裸本の五冊ほどを見てみると、第一巻から六巻までが短篇小説集、第七巻から九巻が長篇小説集、第十巻が戯曲集、第十一巻から十五巻が感想集、第十六巻が童話集という構成だとわかるし、その多作ぶりを伝えている。

 しかも昭和九年には同じくその第二版としての全十八巻、十年には『吉田絃二郎感想選集』全十巻、十二年には改造社から『吉田絃二郎選集』全八巻が刊行されていることからすれば、吉田が昭和戦前を代表する人気作家だったことになるし、『おくのほそ道の記』のロングセラー化も了解できることになる。
吉田絃二郎全集 (『吉田絃二郎全集』)f:id:OdaMitsuo:20180301153521j:plain:h120

 しかしそのような吉田の生活や個人史に関しては、東京世田谷の玉川に隠棲し、武蔵野の自然に親しみ、各地への旅を続ける一方で、昭和十二年には妻と死別し、その後孤独と病苦の中で晩年を送り、病没したとされていた。その吉田の晩年をテーマとする作品が梅本育子によって書かれ、『時雨のあと』(講談社、昭和四十五年)として刊行され、知られざる生活が明らかになったのである。『時雨のあと』は丹羽文雄が主宰の同人誌『文学者』に連載されたことから、丹羽自身がその帯文を寄せていて、それが当時の吉田とこの作品についての代表的な感慨となっているので、全文を引用してみる。
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 吉田絃二郎の名はなつかしい。少年時代の感傷をこのひとの本によってどれだけかきたてられたか知れない。そのくせ吉田絃二郎の個人については、何も知らなかった。だれにもわからなかった。その吉田絃二郎がこの本によって初めて白日のもとに全姿をあらわすことになった。「文学者」連載中評判になったのも私とおなじ気持のひとが多かったせいであろう。著者は吉田絃二郎を知っていた。信頼性は十分である。女中を通じての語り方も、この作者の身についている。

 ここで丹羽が述べているように、『時雨のあと』は山形県寒河江の紫橋部落から上京してきた十五歳の女中のおはるによって語られていく。玉川での寡夫の吉田家の日常仕事は二人の女中によって担われている。おはるは三畳の女中小屋で朝の五時に起き、庭掃除と朝食をすまし、「だんなさま」=吉田は八時頃起きる。すると二人の女中は座敷の雨戸をあけ、吉田の食事の後、光るように家の掃除をする。それから吉田はタクシーを呼んで外出し、三越と丸善で買物をしたり、精養軒で食事をする生活で、家での犬と女中相手の暮らしとは対照的だった。
 その時代設定は昭和十五年と推定されるので、ちょうど『おくのほそ道の記』が刊行された年であり、そのことはまったく言及されていないけれど、仏前には「だんなさまが書いた本が積みあげてあった」との記述は、同書をさしているのかもしれない。しかし昭和十六年になると、吉田のそのような日常生活は戦時下の進行とともに成立しなくなり、犬に与える肉も買えなくなった。

 その一方で、吉田はお春を召使いとして連れ、沓掛の山荘で暮らすことを宣言する。吉田は五十代半ば、おはるは十七歳だったが、これが吉田の若い女中に対する常套手段だったようなのだ。そして吉田はいう。「男と女が、こういう関係になると、人の目をかくすことはむずかしいのです。それをかくすのです。わたしがきびしく見ています。常に、身分の高い主人に召しつかえるようにふるまうのです。それが守れたら、ごほうびをあげますよ」。
 
 ここに白樺派からつながっている「身分の高い主人」と女中との典型的な関係が露出しているし、それは文学のみならず、近代日本の様々な社会の男女のストーリーだったと見なすこともできるだろう。そしてそれは左翼の場合はハウスキーパー、京都学派にしてみれば、祇園の存在ということになるはずだ。そのような構図は、かたちは変わっても現在でも延命していよう。

 ただ『時雨のあと』の場合、吉田は老齢と病気ゆえにおはるなしでは生活していけず、全財産を彼女に残し、死んでいくのである。著者の梅本は詩人で時代小説なども書いているだが、吉田と子供の頃から面識があったこと、『時雨のあと』は吉田家、つまりおはるから拝借した吉田の『時雨日記』によっていることが「あとがき」に述べられている。それは毛筆で丁寧に書かれた吉田の日記だと記されている。その後も梅本は続編を書いているようだが、まだ読むに至っていない。

 続 時雨のあと


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出版状況クロニクル119(2018年3月1日~3月31日)

18年2月の書籍雑誌の推定販売金額は1251億円で、前年比10.5%減。
書籍は773億円で、同6.6%減。
雑誌は478億円で、同16.3%減。
書籍マイナスは前年同月の村上春樹『騎士団長殺し』100万部発行の影響とされる。
雑誌の内訳は月刊誌が390億円で、同17.1%減、週刊誌は87億円で、同12.4%減。
返品率は書籍が32.2%、雑誌が44.2%と、いずれも高くなっている。
前回のクロニクルで1月の前年同月比マイナスが34億円だったので、今後その反動が生じるはずだと記したが、2月は前年同月比147億円マイナスで、すでに18年は2ヵ月で181億円の推定販売金額を失ってしまった。
それを回復できるような出版状況ではまったくない。
出版状況と出版流通システムは完全に臨界点に達しているというしかない。


 
1.大阪屋栗田が3月6日付で「当社に関する虚偽情報の発信に関して」という「ニュースリリース」を出している。

 ここには大阪屋栗田の現在の実像がよく現われている。それは取引先の出版社や書店ではなく、株主にしか目が向いていない取次としての姿である。かつて街の中小書店と併走し、それなりの自負や矜持も備えた大阪屋や栗田の面影はない。それは取次が置かれている現在の状況を象徴していよう。

 出版業界は何よりも言論の自由を前提として成立しているし、その流通を担う取次がそれを知らぬはずもあるまい。まして社長は講談社出身ではないか。それにまったくの「虚偽情報」であれば、まずダイレクトに本クロニクルに抗議し、反証を示し、論議を交わし、謝罪を要求すべきではないか。言論に関しては言論でというのが言論の根幹であることは自明のことだ。もちろん本クロニクルにしても、納得できる反証が示され、論議を尽くすプロセスを経ていれば、訂正謝罪もしたであろう。

 しかし「一部のブログ」とされているだけで、本クロニクルにはまったく抗議も接触もなく、ここに示されているように、法的「恫喝」を加え、株主の大手会社と出版社名を並べ、出版業界における個人の言論を圧殺することに終始している。

 実際に「本クロニクル118付記2」のような事態が生じ、削除を強いられることになるのだが、これも法的規制から具体的に書くことができない。だがネット事情に通じた読者であれば、すぐに事情はおわかりだろう。

 本クロニクルがあえてこの情報を発信したのは、これが大手出版社に対する支払い条件改定とも考えられたが、この問題を通じて、現在の取次と大手出版社をめぐる金融問題が浮かび上がると想定したからだ。つまりそれは現在の正味と再販委託制に基づく出版流通システムがゾンビ化していることの証明になるはずだった。ところがそれは論議ともならず、とりあえずこのような経過をたどったことになる。

 これは断わるまでもないかもしれないが、本クロニクルは出版業界のリアルタイムでの状況分析を目的とし、出版業界内の個人の無償の行為として発信されている。それゆえに誰でもフリーアクセスできるし、誰も公言しないけれど、出版業界では多くの人たちが読んでいて、業界の様々なシーンにおいて参照されている。

 その一方で、私は『週刊エコノミスト』(3/27)が付している「出版評論家」を名乗ったこともないし、何の報酬も得ていない。しかし本クロニクルは10年間に及んだことで、紛れもない唯一の現代出版史を形成している。

 それにもうひとつ付け加えておけば、本クロニクルを始めた目的は、出版業界に何が起きているのかを定点観測して記録することにある。それは戦前の大東亜戦争下から敗戦と占領に至る10年間の出版史の詳細が記録に残されていないことに起因している。現在に至る10年間こそは第二の敗戦と占領だったと考えれば、後世において、本クロニクルは出版業界のみならず、歴史を検証する不可欠の資料となるであろう。

 かつて私は『ブックオフと出版業界』を上梓している。そこで街の中小書店を壊滅させたひとつの要因である、ブックオフ、CCC、日販、丸善の癒着と関係を明らかにしたが、著者にも発行出版社にも法的「恫喝」は加えられなかったことを記しておこう。もちろんブックオフが取材を拒否し、取次配本に問題が生じ、書店の一括返品などの話は伝えられてきたにしても。

 そうした意味においても、出版業界は解体の危機ばかりではなく、言論の自由の危機すらも露呈し始めているといえよう。
週刊エコノミスト ブックオフと出版業界

【付記】
 「日経新聞電子版」3月31日午後の発信によれば、楽天が大阪屋栗田に20億円を追加出資し、出資比率を5割超とする。大阪屋栗田の社名も「楽天」を含む商号に変更。



2.日販の平林彰社長が「出版社へ条件変更を求める」という見出しで、『文化通信』(3/19)のインタビューに応じている。それらをつぶさに要約してみる。

* 雑誌に関しては定価の0.55%だった出版社の「運賃協力金」を0.85%に上げてほしい。
輸送環境はこの数年急激に悪化しているし、20年以上「運賃協力金」も改定されていないからだ。対象出版社は現在100社だが、「運賃協力金」制度の改定なので、雑誌を発行するすべての出版社にお願いするつもりだ。

* 取次にとって書籍はずっと赤字で、雑誌で稼いだ利益で書籍への投資と赤字を補填してきたのが、取次の構造である。しかし雑誌の売上が減少する中で、遠くない将来、取次業が続けられないという危機感がある。だから書籍で利益を出し、書籍だけで食べられる構造にしなければならない。

* 書籍に関しては日販が営業赤字を算出し、対象出版社個別に赤字額を示し、話し合いをしたい。対象出版社は赤字金額が大きい100社で、最終的に200社になる。

* 書籍の赤字原因のひとつは文庫、新書、コミックの定価が低く、物流コスト負担が重いし、文庫は返品率が下がらない。
 二つ目は出版社の日販への出荷正味が高いケースである。書店へのマージンやリベートを上げていかなければならないし、書店マージンを30%にする必要がある。取次仕入れ正味が70%を越えている出版社は改善してほしい。
 三つ目は取次の場合、価格設定できないことと仕入れ商品を選ぶことができない構造で、赤字になる銘柄でも、消費者や書店に迷惑をかけるので、仕入れなければならない。そこに取次の社会的使命があるわけだが、経済活動としてはジレンマがある。

* 具体的に低価格書籍は価格帯別に1冊あたりの基準送料を負担してほしいし、それに高正味改定の両方が組み合わせのかたちになるだろう。それに書籍だけの流通を考えると、毎日出荷を1冊単位での配達が続けられるかという問題にも直面するだろう。

* 赤字幅の算出は出版共同流通の稼働により、単品返品データが取れるようになり、出版社個別の損益も把握できるようになっている。

* 出版社の出荷正味が高いと、取次から書店への出荷が「逆ざや」になるケースがあり、取次も書店も一定の利益を得る構造にしたい。

* 取次の現状は経営努力の範囲を超えた環境変化を受けていて、もし必要性がないのであれば、市場からの撤退も覚悟している。

* 今期決算の取次部門が黒字か赤字かのギリギリで、コンビニ部門はすでに大赤字、書籍部門も赤字で、雑誌の黒字がどこまで確保できるかという状況だ。会社全体としては不動産収入でようやく黒字を出しているだけで、経営的にはまったなしである。

* 出版社に負担を依頼するのは書店が減っている中で、書店に赤字補填を依頼すれば、さらに市場を縮小してしまうからだ。

* 出版社への依頼が実現すれば、書籍は安定した出版流通を維持できるし、販売努力でビジネスになる。
 だが一方で、雑誌は難しい。雑誌全体の売上がどうなっていくのか雑誌要素が絡んでいるし、先が見えないので、経営計画はさらに雑誌のボリュームが減ると考えている。それに書店が運賃を負担する「返品」処理のコストの問題、専門流通センターからの出荷による「週刊誌」問題がある。週刊誌もかつてのように業量バランスが崩れてしまったからだ。
 書籍モデルを確立し、そこに雑誌が載るという大転換により、マスの世界ではなく、個性化している書店に合うかたちで商品や企画の提案をしたい。

 これは日販非常事態宣言というべきものであり、前回の本クロニクルとタイムラグなきことを考えれば、取次からの返答と見なすこともできよう。
 実際にここまで踏みこんだ発言と危機状況を訴えたことは、管見の限り、取次史上でも初めてである。それにここでは言及されていないけれど、大手出版社に対する支払システムが限界に達していると推測される。

 さらにここからわかるのは、日販傘下の書店とTSUTAYAが置かれている出版物も含めた売上状況の悪化で、マージンアップが切迫した問題となっていることだ。もちろんこれは他の取次にしても同様である。

 だが出版社ももはや体力を失ってしまっていることからすれば、多くの出版社がさらなる赤字になってしまうし、これまでの出版業界の慣例から見て、そうしているうちに時間が経過していくばかりだろう。

 それにここでいわれている書籍をベースとする出版流通システムの確立は可能なのか。大手取次はその誕生以来、たえざる雑誌の成長とともに歩んできたのである。その雑誌すら売ることが難しくなっている現在において、TSUTAYAを始めとして、書籍販売へと転換するのは至難の業というしかない。またTSUTAYAがグロスで売っているように見えるが、大型店にしても驚くほど出版物販売額が少ないことは本クロニクルで指摘したとおりだ。

 さらに出店バブルの精算も待ち構えているし、アマゾンの出版社との直取引という「囲い込み」も加速していくにちがいない。将棋に例えれば、アマゾンによって出版社という角が取られ、取次と書店は王手飛車取りのような状況へと追いやられている。そうした中で、この日販非常事態宣言ともいうべきものが出されたことに留意すべきだろう。

 またアマゾンの出版社「囲い込み」の資料として、本クロニクルのデータが使われていたように、取次と出版社の正味攻防にしても、双方が本クロニクルのデータと状況分析を正味戦争の武器として援用していると思われる。



3.『FACTA』(4月号)がジャーナリストの大西康之の「恐るべきアマゾン『異次元商法』」を掲載している。
 それはアマゾンのジェフ・ベゾスの「あなたの利益は私のチャンスなのです」という言葉から始まっている。彼こそは「あらゆる市場を侵食している男」であり、「アマゾンとのビジネスは引くも地獄、進むも地獄」の例として、「トイザラスの悲劇」がまず引かれている。

 トイザラスはこの12年から5年間、アマゾンで玩具を売ってきたことで、売上データを吸い上げられ、それを使ってアマゾン自身が本気で玩具を売り始めると、17年に経営破綻してしまった。
 そして次なるターゲットはテレビかもしれないとされている。映画や音楽の見放題、聴き放題サービスの「アマゾン・プライム」、それに向けたスポーツイベント放映権の獲得やオリジナルコンテンツへのテレビをはるかに超える投資は、「世界の民放とメーカーが過去100年以上かけて形成してきた消費社会を打ち壊す革命」となるかもしれないとも述べられている。なぜなら「アマゾン・プライム」でドラマを観る人々はCMを見ないし、「アマゾン・ダッシュ」という小さなリモコンで商品も買われていくからだ。

 このアマゾンの世界は「消費者にとっては天国だが、スーパーや民放、メーカーにとっては地獄」という事態を迎えつつある。


 まさに「あらゆる市場を浸食している男」の体現としてのアマゾンは、テレビをも飲みこんでいくのかもしれない。それに考えてみれば、私たちのテレビの歴史にしても、半世紀ほどのものでしかないのである。
 出版業界にしても、このようなアマゾンと対峙していかなければならないのだ。いみじくもでいわれていた「消費者」の争奪戦となる。

 3900円の年会費を払って「アマゾン・プライム」会員になれば、映画や音楽の見放題、聴き放題はもちろんのこと、配送費無料で、しかも翌日に届き、「プライム・ステューデント」ならば、さらに書籍に定価の1割のポイントがつく。それは高定価の書籍ほどメリットが生じる。書店にしてみれば、安さと便利さと早さでは太刀打ちできないし、複合店の映画や音楽のレンタルも同様である。

 前回のクロニクルで、出版社が雪崩を打ったように、アマゾンとの直取引に向かっていることを既述しておいたが、その果てには何が待っているのだろうか。



4.丸善CHIホールディングスの29社からなる連結決算予想は1783億円だが、3億2500万円の赤字の見通し。
 それは主として丸善ジュンク堂の退店費用の見直しから、減損損失17億7500万円を特別損失に計上したことによっている。
 丸善ジュンク堂を中心とする店舗、ネット販売事業は売上高756億8300万円、前年比0.9%減、営業の損失3億2600万円。店舗数は93店。
 
 また丸善ジュンク堂書店は退店時の撤退費用などの見積り変更と、将来の収益計画への見直しによる減損損失を計上したことで、財政状態が悪化。丸善CHIホールディングス保有の同社株式の実質的価値が低下したため、関係会社株式評価損として、23億4000万円の特別損失を計上。


 この決算予想を取り上げたのは、ここで丸善ジュンク堂の退店時の撤退費用への言及がなされていたからである。
 で日販のバブル出店の清算がついていないことにふれたが、それはこの退店時の撤退費用の問題が大きく絡んでいる。これは出店メカニズムにつきまとう問題ではあるけれど、広く知られていないと思われし、私は郊外消費社会論の専門家でもあるので、少しばかり解説しておこう。

 アパートやマンションなどの住居系契約と異なり、商業施設の場合、短期間で閉店すると貸す側の投資コストを回収できないことが生じてしまう。それは1980年代からのロードサイドビジネスの建物に顕著で、テナント側の要求に基づいて建築されるために、汎用性のないもので、撤退してしまうと次のテナントが容易に見つからないことが多く生じるようになった。それゆえに賃貸契約に撤退ペナルティが加えられるようになり、契約期間を待たずしての退店は、残存家賃の支払いといった項目がつけられるようになった。

 それは次第にロードサイドビジネス以外にも及んでいき、広く商業施設の賃貸契約にも応用されていったのである。しかしこれはテナント側の売上が順調であれば、家賃を払うことができるけれど、売上が落ち、採算を割ってしまうと、営業を続けていくことも困難になる。しかし退店すると、先述したようなペナルティが生じるし、しかも原状回復という条件も重なり、退店時の撤退費用は大きな負担になってしまうのである。しかもかつてのその個々の契約内容の詳細は、開発担当者だけが把握しているケースも多く見受けられた。ハウスメーカーなどによるサブリースにしても同様である。
 
 それゆえにとりわけ大型店の閉店の場合、予想以上のコストがかかってしまうし、まさに閉めるに閉められないケースも多くあると推測される。

 このような出店と閉店の契約をめぐるメカニズムを、現在のナショナルチェーンと書店市場に当てはめれば、どのような事態が進行しているのか、想像がつくだろう。
 だがこれが出店と閉店の現実に他ならないのだ。



5.『出版月報』(2月号)が特集「紙&電子コミック市場2017」を組んでいる。
 17年のコミック市場全体の販売金額は4330億円、前年比2.8%減。
 その内訳は紙が1666億円で、同4.4%減、電子が1711億円で同17.2%増。
 そのうちの「コミック市場全体(紙版&電子)販売金額推移」と「コミック・コミック誌推定販売金額」を示す。


■コミック市場全体(紙版&電子)販売金額推移(単位:億円)
電子合計
コミックスコミック誌小計コミックスコミック誌小計
20142,2561,3133,56988258874,456
20152,1021,1663,2681,149201,1694,437
20161,9471,0162,9631,460311,4914,454
20171,6669172,5831,711361,7474,330
前年比(%)85.690.387.2117.2116.1117.297.2


■コミックス・コミック誌の推定販売金額(単位:億円)
コミックス前年比(%)コミック誌前年比(%)コミックス
コミック誌合計
前年比(%)出版総売上に
占めるコミックの
シェア(%)
19972,421▲4.5%3,279▲1.0%5,700▲2.5%21.6%
19982,4732.1%3,207▲2.2%5,680▲0.4%22.3%
19992,302▲7.0%3,041▲5.2%5,343▲5.9%21.8%
20002,3723.0%2,861▲5.9%5,233▲2.1%21.8%
20012,4804.6%2,837▲0.8%5,3171.6%22.9%
20022,4820.1%2,748▲3.1%5,230▲1.6%22.6%
20032,5492.7%2,611▲5.0%5,160▲1.3%23.2%
20042,498▲2.0%2,549▲2.4%5,047▲2.2%22.5%
20052,6024.2%2,421▲5.0%5,023▲0.5%22.8%
20062,533▲2.7%2,277▲5.9%4,810▲4.2%22.4%
20072,495▲1.5%2,204▲3.2%4,699▲2.3%22.5%
20082,372▲4.9%2,111▲4.2%4,483▲4.6%22.2%
20092,274▲4.1%1,913▲9.4%4,187▲6.6%21.6%
20102,3151.8%1,776▲7.2%4,091▲2.3%21.8%
20112,253▲2.7%1,650▲7.1%3,903▲4.6%21.6%
20122,202▲2.3%1,564▲5.2%3,766▲3.5%21.6%
20132,2311.3%1,438▲8.0%3,669▲2.6%21.8%
20142,2561.1%1,313▲8.7%3,569▲2.7%22.2%
20152,102▲6.8%1,166▲11.2%3,268▲8.4%21.5%
20161,947▲7.4%1,016▲12.9%2,963▲9.3%20.1%
20171,666▲14.4%917▲9.7%2,583▲12.8%18.9%

 16年までコミック市場全体の販売金額は4400億円台の横ばいで、紙が落ちこみ、電子が伸びるという回路をたどってきた。それは17年も変わっていないが、紙のコミックスは1666億円で、前年比14.4%の減となり、一方で電子コミックスは1711億円で、同17.2%増であるから、初めて電子コミックスが紙のコミックスを上回ったことになる。

 しかしコミック全体では1995年の5864億円をピークとして、2005年まで5000億円台が保たれていたことからすれば、電子を合わせても26%マイナスとなっている。やはり17年も紙のコミックス全体の落ちこみは深刻で、推定販売金額は2583億円で、同12.8%減。これは統計を開始してからの初めての2ケタ減とされる。

 それがとりわけ顕著なのはコミック誌で、ついに1000億円を割りこみ、917億円、同9.7%減である。その内訳を見てみると、月刊誌の子どもが155億円、同11.4%減、大人が313億円、同5.2%減、週刊誌の子どもが297億円、同14.1%減、大人が152億円、同6.7%減で、コミックス誌全体の凋落が浮かび上がってくる。1997年の3279億円に対し、3分の1以下になってしまい、それは推定販売部数も同様なのである。

 それに紙のコミックスの場合、電子コミックスが成長することでバランスがとれているにしても、コミックス誌の場合、電子は36億円、16.1%増でしかなく、伸びてはいるが、そのシェアはわずか3.8%にすぎない。

 ここで明らかなのは、紙のコミックスもそうであるように、電子コミック市場は、あくまで紙のコミックス誌が母胎となって出現しているという事実だ。その母胎としてのコミックス誌の凋落は、電子コミックスにしても、旧作の電子化が一巡してしまえば、それほど成長を見こめない分野と化してしまうかもしれない。



6.講談社は青年・女性コミック6誌を月額720円での定期購読サービス「コミックDAYS」、それに紐付けたマンガ投稿サイト「DAYSNEO」を開設。
 「コミックDAYS」で配信されるのは、『ヤングマガジン』『モーニング』『アフタヌーン』『イブニング』『Kiss』『BE・LOVE』のコンテンツで、月刊ユニークユーザーは3月1日開始から13日現在で、30万人に達している。20代から40代をターゲットに、書店に足を運ばない読者にコミックを読んでもらうことをコンセプトとする。
 「DAYSNEO」はウェブを通じての編集者と漫画家志望者の出会える場を想定し、開発された。

 前回の本クロニクルで、講談社の電子・版権サービス部門の「事業収入」が357億円で、総収入の30%を超えたことを既述しておいた。
 その電子版路線としての企画がこの「コミックDAYS」などのような具体的なかたちとなって現実化していく。
 その一方で、集英社も「週刊少年ジャンプ50周年」キャンペーンとして、マンガアプリ「少年ジャンプ+」の無料配信、「ジャンプPARTY」で100作品の無料公開を発表している。
 これはで記したことに関連するが、こうした試みが紙のコミックス誌のような読者を生み出せるかどうかは未知数で、まだ時間を必要とすることは確かであろう。



7.主婦の友社の月刊誌『S Cawaii !』は6月号をもって季刊ムックに変更。
 2001年創刊だが、急速なデジタル化と読者の思考の多様性を鑑みてのリニューアルとされる。

S Cawaii !
8.枻出版社の月刊メンズファッション誌『2nd(セカンド)』は紙版の発行を休止し、デジタル版へ移行。2007年創刊で、30代から40代の男性読者を対象とするカジュアルファッション情報誌だったが、電子講読数のほうが上回ったことによる。
2nd(セカンド)

 本クロニクル114などで、2016年はついに雑誌銘柄数が3000点を下回ってしまったことを既述しているが、17年も同様に減少し、18年も続いていくことは確実であろう。
 その中でもファッション関係はデジタル環境の急速な変化によって、多大な影響を受けている。それはコミックにおける紙と電子の関係に似ているかもしれない。
odamitsuo.hatenablog.com



9.『選択』(3月号)の「社会文化情報カプセル」がヤマト運輸の料金値上げが経済誌に波及していることを報じている。
 ヤマトは東洋経済新報社の『週刊東洋経済』とダイヤモンド社の『週刊ダイヤモンド』に定期購読者の配送料の抜本的値上げを要請。
 前者の場合、それは倍となり、総額では六千万円近くで、年間売上20億円の利益が飛びかねないとされる。
 日本郵便へ切り替えると、同誌の4割を占める定期購読者に土曜日に届けられず、店頭発売と同日の月曜日にずれこんでしまい、そのメリットがなくなってしまう。それは『週刊ダイヤモンド』も同様で、ヤマトに配達を依存していた出版社は深刻な問題に直面していくことになる。

週刊東洋経済 週刊ダイヤモンド

 両社だけでなく、定期購読者を多く抱えている雑誌出版社は同じ事態を迎えているはずだ。ここではヤマトだけが取り上げられているが、日本郵便のゆうメールの値上がりも深刻で、アマゾンのこともあり、送料を出版が社負担すると、安い本では利益が出ないといった状況となっている。
 この数年、中小出版社の書籍通販状況をヒアリングしていないが、今後そのことに関して聞いてみようと思っている。



10.『朝日新聞』(3/25)に「夢枕獏の変態的長編愛」と題する全面広告が掲載されている。
 そこには『大江戸恐龍伝』(小学館)、『東天の獅子』(双葉社)、『陰陽師』(文春)の広告に加え、積み重ねた自筆原稿の山と自身のポートレート、「虫に生れかわっても」という一文、しかもそれは「物語作家として生きたい」と続いていくのである。

大江戸恐龍伝 東天の獅子 陰陽師

 これだけ見ると、出版社の広告だと思われるだろうが、実は夢枕が自費掲載料を負担したものである。作品の書店店頭での寿命の短命化、歯止めがかからない書店の廃業の中で、「忘れかけている過去の作品をもう一度、多くの人に読んでほしい」との思いからで、230書店でのフェアも連動している。

 自費出版ならぬ「自費広告」の時代に入ってきているのかもしれない。それにきっと夢枕も「物語」を求め、小田原の書店や貸本屋や古本屋をさまよって時代を思い浮かべているのだろう。そういえば、高野肇が『貸本屋、古本屋、高野書店』(「出版人に聞く」シリーズ8)において、夢枕が常連客だったと語っていたことを思い出した。
貸本屋、古本屋、高野書店



11.日本出版社協議会理事で、リベルタ出版の田悟恒雄が『出版ニュース』(3/中)の「ブックストリート」において、「紙と共に去る」ことを告白している。

 田悟によれば、リベルタ出版を立ち上げたのは1987年のことで、86年のチェルノブイリ原発事故をきっかけとし、処女出版は『石棺 チェルノブイリの黙示録』だった。それを彼は無謀な起業に踏み切ったのは、まだ若さとエネルギーを持ち合わせていたからだと回想している。
 それから30年が経ち、田悟とリベルタ出版は「シューカツ」の時期を迎えざるをえなかったことになる。そしてこの一文は次のように結ばれている。
それにしても、店をたたむというのは容易なことではない。いま零細出版人の脳裏には、むかし耳にした「通りゃんせ」の一節がしきりに去来している。『ゆきはよいよい、かえりはこわいー』」と。
 よくわかります。傷が浅からんことを祈る。
石棺 チェルノブイリの黙示録



12.『FACTA』(4月号)が「コメを売る『ベースボール・マガジン』の落日」を伝えている。
 ベースボール・マガジン社は1946年創業で、『週刊ベースボール』『週刊プロレス』の看板雑誌を中心とし、様々なジャンルのスポーツ雑誌を発行する老舗出版社で、2004年には売上高120億円を計上していた。
 しかしその後は業績が低迷し、売上高が100億円を割りこみ、連続減収で、メーンバンクもメガバンクから地銀、信金と二度も替えている。それに加え、栗田と太洋社の破産により、焦げ付きが発生し、16年には本社ビル不動産を売却し、現在では南魚沼産コシヒカリ「ベーマガ米」の販売も手がけるに至ったとされる。

週刊ベースボール 週刊プロレス

 ベースボール・マガジン社で思い出されるのは、子会社の恒文社のことで、1960年代には『現代東欧文学全集』が出された。それは画期的な企画で、映画化されたカザンザキス『その男ゾルバ』やイヴァシュキェヴィッチ『尼僧ヨアンナ』などの収録もみられた。
 だが当然のことながら、東欧文学が売れるはずもなく、恒文社は資金繰りに行き詰まり、67年にベースボール・マガジン社も会社更生法申請に至った。
 それもあって、当時はこの『現代東欧文学全集』がどこの古本屋でも安く売られていたので、1冊ずつ買って読んだものだった。だがそれもすでに半世紀前のことだったのである。
現代東欧文学全集 (第2巻『その男ゾルバ』)尼僧ヨアンナ



13.『出版ニュース』(3/中)に鈴木久美子「『東京都公立小・中学校司書配置状況』調査を続けて」と、菊池保夫「都立高校図書館の民間委託の問題点」が掲載されている。
 前者では具体的にそれらの職名、身分、資格要件、契約期間、報酬などがリストアップされ、小中の学校司書の実情が示されている。
 後者ではこれも民間委託業者名が挙げられ、それらに図書館関係の会社は1社もなく、ビル管理会社や清掃などの会社が多いとされる。そして学校司書は神奈川県や埼玉県では新規採用が行なわれているのに、「このまま委託が進めば一番の富裕自治体である東京都は、一番貧しい学校図書館をもつ恥ずかしい自治体となるであろう」と結ばれている。

 これらを取り上げたのは、最近地方自治体の公立図書館関係者から委託業者が代わってしまったことで、司書や職員が減ってしまい、困っているとの相談を受けたからである。
 それによれば、委託業者はTRCなどではなく、これも多くが生まれているようで、そのキャパシティと実力はそれぞれに差異があり、先に上げた事態は全国で様々に起きていることが確認できた。
 やはり公共図書館の現場においても、都立高校図書館のような民間委託、同じく小中学校状況のような司書と職員の配置が進行しているのだろう。
 私の場合は門外漢なので、知り合いの大学図書館関係者を紹介しただけで終わってしまったが、日本図書館協会こそはこのような図書館状況をレポートすべきだろう。



14.『出版ニュース』(3/上)の「図書館ウォッチング」28が、「ツタヤ図書館は準備中も営業開始後も、張りぼて様の華やかさと、それとは裏腹の危うさがあります」と始め、その2月の動向を報告している。

 それによれば、「和歌山市ツタヤ図書館談合疑惑」を始めとして、問題は続出しているようだ。
 しかし驚いたのは周南市の新徳山ビルのツタヤ図書館の開館によって、駅前の徳山銀座商店街の老舗地元書店の鳳鳴館が「閉店を決断」したというニュースだった。ツタヤ図書館開館による地元書店の閉店は初めて伝えられるものだったからだ。
 『出版状況クロニクル4』において、その始まりだった武雄図書館に関してはかなり詳細に記しておいたし、地元の書店が影響を受け、売上が悪化していることにもふれておいた。だが地元書店の閉店までは追跡できていなかった。
 アルメディアの『ブックストア全ガイド96年版』で確認してみると、鳳鳴館は徳山市銀座の本店の他に、本部、営業部、山口県だけでも10店近い郊外店を展開していたとわかる。所謂典型的な老舗書店だったが、TSUTAYAを始めとするナショナルチェーンによって、郊外店をすべて失い、最後の本店もツタヤ図書館によって閉店に至ったことになる。おそらく他にもそのようなケースが多発していると推測される。
出版状況クロニクル4



15.このような出版状況を背景にして、『出版状況クロニクル5』は4月下旬に刊行される。
 ゲラを校正していて確認したが、2016年から17年にかけての出版シーンは、これまで以上に深刻で生々しい。
 1冊になったクロニクルを読むことは、ネットとは異なるものであることを付記しておこう。

 なお今月の論創社HP「本を読む」㉖は「エパーヴ、白倉敬彦『même/borges』」です。