出版・読書メモランダム

出版と近代出版文化史をめぐるブログ

古本夜話903 朝日新聞社「大陸叢書」とヤングハズバンド『ゴビよりヒマラヤへ』

 本連載893の改造社の「大陸文学叢書」とシリーズ名が重なるものも出されている。それは本連載719などの今西錦司一統も読んでいたにちがいないシリーズで、昭和十四年から十七年にかけて、朝日新聞社から刊行された「大陸叢書」であり、『朝日新聞社図書総目録』から抽出してみる。

1 F・E・ヤングハズバンド 筧太郎訳 『ゴビよりヒマラヤへ』
2 オウェン・ラテモーア 西巻周光訳 『砂漠の蒙彊路』
3 ルイーズ・クレーン 井上胤信訳 『支那の幌子(かんばん)と風習』
4 ル・フィルヒナー 満鉄弘報課訳 『科学者の韃靼行』
5 ハリー・フランク 満鉄弘報課訳 『南支遊記』
6 ヘンリー・ジェームズ 満鉄弘報課訳 『満洲踏査行』
7 M・A・スタイン 満鉄弘報課訳 『中央亜細亜の古跡』
8 ジョージ・フレミング 満鉄弘報課訳 『南満騎行』
9 T・アトキンソン 満鉄弘報課訳 『キルギスよりアムールへ』

f:id:OdaMitsuo:20190321160505j:plain:h110 科学者の韃靼行 (『科学者の韃靼行』)中央亜細亜の古跡


 このリストを作成するために、『朝日新聞社図書総目録』を見ていくと、昭和十二年七月の支那事変の勃発を受け、『週刊朝日・アサヒグラフ』臨時増刊号として、『北支事変画報』(第3輯より『支那事変画報』と改題)が出され始め、それが十五年の第35輯まで出ていたとわかる。また『支那事変画報』と併走するように、『上海・北支戦線美談』や『支那事変戦線写真』なども刊行されていたことも。それらは博文館が日清、日露戦争に際し、『日清戦争実記』や『日露戦争実記』を創刊したことを想起させる。
f:id:OdaMitsuo:20190321141825j:plain:h113(『支那事変画報』)

 そのような出版動向に合わせ、単行本も戦時下の色彩を強くしていく。ただ朝日新聞社の場合、『同図書総目録』が編まれ、刊行されているので、そのような戦時下における出版物を確認できるのだが、講談社や文藝春秋社はそれがないために、この時期の出版物の全貌が明らかにされていない。そうした意味合いからすれば、朝日新聞社が『同図書総目録』を編んでいることは出版史において顕彰すべきであろう。

 また『同図書総目録』とセットになるかたちで、平成元年に『朝日新聞出版局50年史』を出している。それによれば、朝日新聞社に図書出版部が設置されたのは昭和十七年で、それまでは各雑誌の同人たちが出版局編集部員も兼ね、編集部長の管理下で図書の編集に従事していたことから、雑誌の増刊や別冊、雑誌から派生した図書にしても、その雑誌内部で企画編集されていた。しかし出版量が増えるにつれて、図書専任部門の設置が望まれたし、出版局独自の企画で自主的な出版を試みる必要に迫られていたのである。これは支那事変に始まる戦時下の出版事情の一端を伝えているように思われる。

 『同50年史』はその支那事変以後、アジア関係書として、「朝日東亜年報」が九冊、「朝日東亜レポート」が七冊刊行されたと述べ、次のように続けている。

 東亜関係の叢書としては、『大陸叢書』が著名である。オーエン・ラティモーアはじめ、西欧の学者、紀行家、植物採集家、建築家などが中国を中心とするアジア大陸各地を踏査した報告書である。満鉄弘報課の人びとの翻訳によって、三九(昭14)年から四ニ(昭17)年にわたって九巻が刊行された。今では古典的な意義をもつ東亜研究資料である。

 この記述により、どのようなルートから持ちこまれたのかは不明であるにしても、「大陸叢書」が満鉄とのタイアップによって翻訳出版されたとわかる。

 この「大陸叢書」を一冊だけ所持している。それは1の『ゴビよりヒマラヤへ』で、四六判上製、二四一ページの裸本である。その奥付を見ると、発行所は大阪の朝日新聞社、印刷所も同様に大阪なので、これが東京ではなく、大阪朝日新聞社に持ちこまれ、刊行された事実を教えてくれる。訳者は満鉄弘報課の筧太郎とされていることからすれば、筧の詳細なプロフィルをつかめたら、朝日新聞社とのジョイントルートも判明するからもしれないが、残念ながら人名辞典などに立項を見出せていない。
ゴビよりヒマラヤへ

 著者のヤングハズバンドは筧の「訳者序」によれば、英国人で支那及び印度の探検家として世界的存在とされる。彼は『岩波西洋人名辞典増補版』でも立項がある。それを抽出すると、インドのムレーに生まれ、初め騎兵隊に入った。そして一八八六年から八九年にかけて、満州を探検し、北京からゴビ、中央アジアを経て、インドに達している。九八年に、この満洲から北京、ゴビ、中央アジアからインドへの探検がAmong the Celestials 及びThe Heart of a Continentとして刊行された。『ゴビよりヒマラヤへ』は後書の翻訳ということになる。ヤングハズバンドはこの探検で認められ、インド政治部に移り、各地で駐在官を歴任し、チベット駐在英国代表を務めた後、英国地理学協会会長にも就任しているという。

Among the Celestials Among the Celestials)  The Heart of a ContinentThe Heart of a Continent

 なお『ゴビよりヒマラヤへ』の第一章「長白山」は6のインド長官ヘンリー・ジェームズ『満洲踏査行』と重なっているようだが、それはまだ確認できていない。


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古本夜話902 「東洋民族史叢書」と岩永博『インド民族史』

 前回の『印度支那』に続き、もうひとつ、同時代に出されたアジアを対象としたシリーズがあるので、これも書いておきたい。それは本連載831などの今日の問題社から刊行の「東洋民族史叢書」で、次のような構成となっている。
  f:id:OdaMitsuo:20190318173811g:plain

1 内藤智秀 『西アジア民族史』
2 大谷敏治 『インドネシヤ民族史』
3 岩永博 『インド民族史』
4大岩誠 『インドシナ半島民族史』
5 竹尾弌 『 アジヤ周辺民族史』
6 江上波夫 『支那民族史』上巻
7 青山定雄、中島敏 『支那民族史』中巻
8 百瀬弘 『支那民族史』下巻
9 鈴木俊 『東洋史上の日本民族』
10 小林元 『世界史上の東洋民族』

f:id:OdaMitsuo:20190320141044j:plain:h115(『 アジヤ周辺民族史』)  f:id:OdaMitsuo:20190320142102j:plain:h118(『東洋史上の日本民族』)

 手元にあるのは3の岩永博 『インド民族史』で、これはその奥付表に記されたリストを転載している。同書の刊行は昭和十九年三月、既刊はその他に1、2、5、9の五冊で、その後の続刊は不明だが、時局下から考えても、この「東洋民族史叢書」は完結に至らなかったと見なすべきだろう。

 それはともかく、奥付に示された岩永の略歴は、昭和十四年東京帝大文学部西洋史学科卒業、十八年参謀本部嘱託、十八年参謀本部付陸軍通訳官とある。『日本近現代史辞典』によれば、参謀本部は明治十一年に設置された陸軍の軍令統轄既刊とされるが、支那事変以後、南進北進をめぐって、陸海軍の対立が続き、両者を折衷する「国策の基準」の成立を観た。しかしそれと大本営設置に伴い、動員、戦争指導、国防国策、宣伝謀略などの様々な課などの移動、廃合が続いたとされる。

 そのような参謀本部における岩永のポジションと研究者の視座が絡み合い、『インド民族史』も書かれている。彼はその「序」において、まずインドの一八〇万方哩に及ぶ巨大な国土面積と三億九千万の人口の膨大さという特色を挙げている。そして様々な古来の文化の盛衰に関して、「インドの如く太古以来三千年世界的な高度文化に不断の国民的生命を持続せしめたものは極めて稀で」、「そこにインド民族史に与へられた盡くに関心と滋味が溢れる」と述べている。

 それからインドの始源社会における先住民とアーリア人種の侵入による文化の形成、古代社会の政治と文化の発展、その変質と崩壊、ラーヂュプット諸国と新社会の展開、回教政権の成立と派って、ムガル王朝下の政治と社会がたどられ、次に近世初期西欧諸国のインド進出へと至る。そこには「英領インド征服経過概図」の一ページ掲載があり、イギリスの東インド会社によるインド征服道程と統治政策の発展、イギリスの直接統治と社会経済変動の傾向が示される。それに対する反英運動の勃発と不服従運動の展開がたどられ、二十世紀の連邦憲法と第二次大戦下のインドまでが語られていく。そのようなインドの歴史を俯瞰しつつ、岩本は書いている。

 確かに古きインドは西欧近代文明に一度は叩頭した。併し、インドはかかる外的圧力と刺激に直面し、常に自ら覚醒し、本然の潜在力を振興して、却て征服者とその文化を吸収克服征服してゐるのが歴史の偽はらざる教訓となつてゐる。イギリスの侵入前、インドが統治としては異常に強靭な政治力をもち、経済的、文化的にアジアを睥睨してゐた事実によつて、その本質的優秀さを顧みる時、何人も窮局に於けるインドの飛躍と復興を疑へない。

 ここには大東亜共栄圏構想と南進論の中において、自らがいうところの「インド史研究への情熱」を傾ける岩永のインドに向ける眼差し、そこから浮かび上がるインドの現代の実像がクローズアップされてくるように思われる。それはこの一冊しか見ていないけれど、「東洋民族史叢書」に通底しているキイトーンではないだろうか。

 岩永は10の『世界仕様の東洋民族』の著者の小林元を恩師として、またそれに続いて、「あらゆる便宜と熱意を傾けられて中途にして征途に上られた紀元社々員田村政吉氏及びその後任者江川信也氏」への謝辞をしたためている。この記述からすると、「東洋民族史叢書」自体が紀元社の企画だったと推察される。ところが戦時下における企業整備によって、紀元社は今日の問題社へと統合され、それゆえに「東洋民族史叢書」は今日の問題社から刊行されたのではないだろうか。

 しかし福島鋳郎編著『[新版]戦後雑誌発掘』(洋泉社)の企画整備出版社に今日の問題社の名前はないので、そのことに関してはこれからも留意する必要がある。

  『インド民族史』は初版五千部で、昭和十九年のこの分野における専門書出版の受容状況を伝えていよう。同書と一緒に、本連載604の千倉書房の岡崎文規『印度の民俗と生活』(昭和十七年)を入手しているが、これも「新東亜」関連書としての刊行だと考えられるし、「東洋民族史叢書」にしても、そのような出版トレンドの中で出されたように思われる。


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古本夜話901 『世界地理政治大系』と室賀信夫『印度支那』

 白揚社に関しては本連載115や229でふれているが、ここから昭和十六年に『世界地理政治大系』全十五巻が刊行され、そこには続けてふれてきた『印度支那』の一巻が収録されている。 監修者は地理学者で京都帝大教授の小牧実繁である。その「監修の辞」を引いてみる。
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 時局の進展と共に国民は齊しく世界の地理的事情に対する関心を昂め、正しき地理学の出現を切実に要望しつゝあるかに見える。この時に当つて、高き理想に導かれ多年の研鑽を経たる真摯なる業績を世に問ふことは、我々地理学徒に課せられた当然の責務であると信ずる。私は夙に欧米的学風の旧殻を脱し真に日本的なる地理学を建設して正しき国策の遂行に寄与せんとする念願から、平成直接私の指導を受けつゝある気鋭の学徒をして世界各地域に亘る地政学的研究に従はしめてゐたのであるが、幸にしてこれら諸子はよくこの意を体し、夙夜精励して今や夫々専攻諸地域に関するエキスパートたるの実を具ふるに至つた。茲に私はこれら諸学徒の手になる膨大なる業績に更に綿密なる添削を施し、又自らその一部に執筆して、本大系の十五巻の刊行を期したのである。

 そしてこれが「欧米的謀略の我国に於る浸潤」から脱し、「真に日本的なる地理学を建設」し、「『日本へ還れ』と呼びかけるもの」だとも述べられている。「推薦の辞」は総力戦研究所長の飯村穣と京都帝大総長の羽田享が寄せ、ともに小牧が『日本地政学宣言』を著わしていることを掲げ、前者は「皇道に則る真の日本地政学を提唱した憂国の学者」の計画、後者はゲオポリティークに基づく「新らしき歴史地理学」の試みとするオマージュを送っている。それらはこの『世界地理政治大系』が大東亜共栄圏構想下における地政学的政治地理学であることを伝えている。

 このコンテンツと著者を挙げておく。

1『日本』 京都帝大教授 小牧実繁
2『満洲・支那』 和歌山高商教授 米倉二郎
3『印度支那』 京都帝大講師  室賀信夫
4『蘭領東印度』 大阪商大予科兼高商教授  別枝篤彦
5『太平洋』  〃    〃
6『豪州』  京都帝大副手  和田俊二
7『シベリア・蒙彊、西蔵』  京都帝大副手 三上正利
8『印度』 京都帝大人文科学研究所嘱託  浅井得一
9『アフガニスタ・イアン・イラク・アラビアン』 甲南高校教授  松井武敏
10『土耳古・シリア・パレスチナ』 京都帝大講師  野間三郎
11『欧羅巴』   〃
12『アフリカ』  同志社大学予科兼龍谷大学講師  朝倉陽二郎
13『北アメリカ洲』 京都帝大副手  川上喜代四
14『中南米』 京都帝大副手  柴田孝夫
15『北極と南極』 小牧実繁、 川上喜代四

印度  f:id:OdaMitsuo:20190318204624j:plain:h112
 
 これはまったくの偶然であるけれど、古本屋の均一台から3の『印度支那』だけを拾っている。それには「文部省推薦図書」という帯が付され、奥付には昭和十七年二月訂正三版との記載がある事実からすれば、大東亜戦争下において、好評のうちに迎えられたと推測される。この巻は「仏印・タオ・ビルマ・マレー」を対象とするもので、室賀が巻末収録の「内容」紹介で示している言に従えば、「東南アジアの地政学は我が南進政策の基礎たるべきもの」である。そして日本軍の仏印進駐、タイの向背、支那ポールの英米嚮導防衛、ビルマの独立運動などは、「本来アジア的なるものゝヨーロッパ的歪曲に於る矛盾の表現に他ならない」とし、印度支那半島の「運命の地理的必然」を明らかにすることを目的としている。

 そのために仏印、タイ、ビルマ、マレーの自然的基礎としての地貌と気候、住民の構成としての人口と民族がまず挙げられ、続いて歴史的背景としての先住民時代、新興民族時代、白人侵寇時代がたどられていく。続いて資源と経済としての農業、及び畜産、林産、水産業、鉱山資源、工業の見取図が示され、白人侵寇時代以後の列強の圧力と民族の反発としての英領マレーの地政学的意義、苦悶するビルマ、タイの覚醒、仏領印度支那の帰趨が言及され、『印度支那』の結論としての「新しい秩序へ」が提出されるに至る。

 それは「皇帝の南仏印進駐」に象徴される「東南アジア新秩序の建設」に他ならない。ここに見られる日本と仏印の協力は「白人支配下の南洋圏の一画の崩壊」を意味するだけでなく、「日本がこれによつて全南洋圏を制圧する位置を占め得た」ことにもなる。かくして「印度支那半島と日本との結合は、この半島のもつ地域的発展の必然的過程であり、また大東亜共栄圏と名づけられる地域生成への一契機」とされ、また「我が南進政策が歴史地理的必然」なのだ。

 このようにして小牧のいう「日本地政学」のもとに、京都帝大の地理学徒たちが総動員され、『世界地理政治大系』も編まれたことになる。これは未見だが、巻末に同じく白揚社の『支那地理歴史大系』全十巻の予約募集案内も示されている。それは地理学の分野だけでなく、本連載で繰り返し取り上げてきたように、すべての研究領域においても同様だったのであり、これからもさらに言及することになろう。
f:id:OdaMitsuo:20190321110421j:plain:h120(『支那地理歴史大系』第一巻、『支那及び満洲国現勢地理』)


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古本夜話900 日下頼尚『邦人を待つ仏印の宝庫』

 前回の久生十蘭『魔都』における安南のボーキサイト発掘権に関してだが、その数年後にそれに照応するような格好の一冊が出されている。その一冊とは東亜殖産理事の日下頼尚『邦人を待つ仏印の宝庫』で、昭和十六年に発行者を楠間亀楠とする文明社から刊行されている。私が所持するのは同十七年三月の再版である。
魔都

 これはB6判並製の「興亜新書」の一冊で、巻末広告によれば、この他に同じ著者の『食物による体質改造』、小澤修造『現代医学と先哲養生訓』、辻本与次郎『隣組常会夜話』、奥むめお『花ある職場へ』、ニコール・スミス、木川正男訳『ビルマロード』、平野威馬雄『ファブルの自然科学』が掲載されている。その他にも石原廣文『還らぬ白衣』といった「三大戦記」、浅野晃『日本精神史論攷』などの「随筆評論」も見えている。
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 このような文明社の発行者たる楠間については『出版人物事典』に立項が見出せるので、それを引いてみる。
出版人物事典

 [楠間亀楠 くすま・きなん]一八八一~一九六〇(明治一四~昭和三五)文明社創業者。和歌山県生れ。東京高等商業学校卒。商業学校で教鞭をとったが出版界に転じ、宝文観、南光堂などに勤務したのち、一九二三年(大正一三)東京・本郷菊坂に文明社を創業。『最新商業教科書』を処女出版、関東大震災後、小石川水道端町に移り、『女子商業読本』『簿記教科書』などの自著をはじめ、商業関係書などの学参書を多数出版した。四九年(昭和二四)の総選挙に東京第一区から無所属で出馬したが落選した。

 これで文明社が学参書を主とする出版社だとわかるし、「興亜新書」などは大東亜戦争下における出版物だと了解される。そしてそれらの中に必然的に「南進論」にまつわる『邦人を待つ仏印の宝庫』や『ビルマロード』が組み込まれてしまうことも。前者の著者の日下は東亜殖産理事であると同時に、保健食養協会長の肩書で、『食物による体質改造』を刊行していることからすれば、戦時下に組織された様々な団体に在籍していたことがうかがわれる。

 『邦人を待つ仏印の宝庫』の巻末に収録の「東亜殖産協会の内容」を見ると、その「目的は東亜共栄圏各国の重要物産種苗交換、衣食住必需品支援、民族の共存親睦策、民俗の福祉増進策等を主とする」とある。会長は陸軍中将の井上一夫で、本部を東京、支部を東亜共栄圏内各国の重要都市に置くとされている。同書の題字も井上によるものだ。この東亜殖産協会も、当時夥しく設立された大東亜戦争と大東亜共栄圏のための団体に他ならない。

 それを象徴するかのように、日下は次のように「序」を書き出している。「東亜共栄圏の確立は東亜各民族間の緊密なる連盟を結成し、近隣相親睦して相互協力の下に共存共栄の提携増進こそ東亜民族の自覚を見らるべきである」と。そして昭和十六年五月の東京における日本と仏印の経済協定の正式調印が日仏両全権の間で行なわれ、仏印での関税の免除、もしくは最低税率への軽減が認められることになった。それまで仏印はフランス商品の独占消費市場であると同時に、仏印の原料資源はほとんどフランスへ運ばれていたのである。これは昭和十五年の日本軍の北部仏印への進駐、翌年の南部仏印進駐を背景として成立したものと見なしてよかろう。

 また従来の印度支那の特色は地形とともに居住人種が一変するとし、それらがタイ人、カンボジア人、安南人、ラオス人などだと指摘し、その仏印民族の実態を総括するかのようにいっている。

 全体で約二千三百万、その中最も多数なのが安南人の一千六百六十七万九千人である。然しこれだけの多数でありながら此等の商圏は僅か三十二万の華僑その他に握られ、政権はたつた四万人の仏人に握られ、手も足も出ないのであるから実に腑甲斐ない状態である。

 そうした仏印の社会、政治状況に対して、鉱産、水産資源の豊富さ、農業生産の活発さが強調され、とりわけ鉱産資源は膨大で、「南洋の宝庫」と目される。それは日本にとって「国防資源」に他ならず、その開発が使命ということになる。このような視座から昭和十三年の石炭、錫とタングステン、金などの鉱区数と鉱産額が示され、その他には宝石とボーキサイトも含まれ、まさに久生の『魔都』を彷彿とさせるのである。そしてさらにそれらの総産出額の内訳も挙げられ、トンキン、ラオス、安南、カンボヂヤで占められ、そのうちの九三%が輸出され、近年では日本へと輸出されるようになってきている。

 それらの現況が数字に基づいて報告され、これらを日本資本で操業、かつ開発すれば、仏印が日本にとって「南洋の宝庫」であることがリアルに伝わってくる。それは農産、魚類資源も同様で、続けて取引の要に位置する華僑と対仏印写真、金融と邦人企業問題なども言及されていく。

 このように読んでくると、東亜殖産協会がそれらを支援する興亜院、及びその後身の大東亜省の外郭団体のようにも思えてくるし、実際にそのように機能していったのであろう。また「興亜新書」もその一環として出版されていたとも察せられるのである。


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出版状況クロニクル132(2019年4月1日~4月30日)

 19年3月の書籍雑誌推定販売金額は1521億円で、前年比6.4%減。
 書籍は955億円で、同6.0%減。
 雑誌は565億円で、同7.0%減。その内訳は月刊誌が476億円で、同6.2%減、週刊誌は89億円で、同11.3%減。
 返品率は書籍が26.7%、雑誌は40.7%で、月刊誌は40.7%、週刊誌は40.8%。
 4月27日から大型連休が始まり、当然のことながら、書籍雑誌の送品は減少するだろう。
 4月、5月はそれがどのような数字となって跳ね返るか、書店売上にどのような影響を及ぼしていくのかが、問われることになろう。


1.『出版月報』(3月号)が特集「文庫本マーケット2018」を組んでいるので、その「文庫本マーケットの推移」を示す。

■文庫マーケットの推移
新刊点数推定販売部数推定販売金額返品率
増減率万冊増減率億円増減率
19954,7392.6%26,847▲6.9%1,396▲4.0%36.5%
19964,718▲0.4%25,520▲4.9%1,355▲2.9%34.7%
19975,0577.2%25,159▲1.4%1,3590.3%39.2%
19985,3375.5%24,711▲1.8%1,3690.7%41.2%
19995,4612.3%23,649▲4.3%1,355▲1.0%43.4%
20006,09511.6%23,165▲2.0%1,327▲2.1%43.4%
20016,2412.4%22,045▲4.8%1,270▲4.3%41.8%
20026,155▲1.4%21,991▲0.2%1,293 1.8%40.4%
20036,3733.5%21,711▲1.3%1,281▲0.9%40.3%
20046,7415.8%22,1352.0%1,3132.5%39.3%
20056,7760.5%22,2000.3%1,3392.0%40.3%
20067,0253.7%23,7987.2%1,4165.8%39.1%
20077,3204.2%22,727▲4.5%1,371▲3.2%40.5%
20087,8096.7%22,341▲1.7%1,359▲0.9%41.9%
20098,1434.3%21,559▲3.5%1,322▲2.7%42.3%
20107,869▲3.4%21,210▲1.6%1,309▲1.0%40.0%
20118,0101.8%21,2290.1%1,3190.8%37.5%
20128,4525.5%21,2310.0%1,3260.5%38.1%
20138,4870.4%20,459▲3.6%1,293▲2.5%38.5%
20148,6181.5%18,901▲7.6%1,213▲6.2%39.0%
20158,514▲1.2%17,572▲7.0%1,140▲6.0%39.8%
20168,318▲2.3%16,302▲7.2%1,069▲6.2%39.9%
20178,136▲2.2%15,419▲5.4%1,015▲5.1%39.7%
20187,919▲2.7%14,206▲7.9%946▲6.8%40.0%

 文庫の推移販売金額はついに1000億円を割りこみ、しかも前年比6.8%減という最大のマイナスで、946億円となった。ピーク時は2006年の1416億円だったことからすれば、18年は500億円近くの減少となる。それでいて、14年からの前年比を見ても、下げ止まる気配はまったくない。 
 同特集はスマホが与えた影響を大きいとし、10年にスマホの世帯保有率が9.7%だったことに対し、17年が75.1%に及んでいることを挙げている。
 確かにそれも大きな要因だが、推定出回り冊数から見ると、1998年は4億2025万冊で、18年は2億3677万冊とほぼ半減している。それはちょうどこの20年で書店が半減してしまった事実を反映しているし、書店における文庫の滞留在庫も同様であることを意味していよう。

 1980年代の郊外書店全盛期において、主力商品は雑誌、コミックス、文庫が三本柱で、売上の半分以上のシェアを占めていた。だが本クロニクル129で示しておいたように、雑誌は1990年代の1兆5000億円から、18年には6000億円のマイナスとなり、コミックスも前回挙げておいたように、2400億円から1500億円台へと落ちこみ、今回の文庫も加えれば、トリプル失墜という販売状況である。 
 また複合店にしても、それらとDVDレンタルが主力だったわけだから、こちらは四重苦のような中で、暗中模索、もしくは閉店に追いやられている。

 3月の書店閉店状況も86店に及び、1月の82店を超えている。それに100坪以上の大型店は24店を数え、こちらもとどまる要因は見つからない。取次の決算も絡んで、4月はどうなるのだろか。

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2.トーハンと日販は検討を進めてきた物流の協業化に関して、「雑誌返品処理」「書籍返品処理」「書籍新刊送品」の3業務の協業を進めることで合意と発表。

 前回、ドイツの大手取次KNVの倒産を伝え、それが広大なロジスティックセンターの新設という設備投資の失敗によることを既述しておいた。
 トーハンにしても日販にしても、桶川SCMセンターや王子流通センターを始めとして、多大の設備投資を行なった。その果てに、本クロニクル129などでトレースしておいたように、出版物推定販売金額は1996年の2兆6000億円から、2018年には1兆3000億円を下回り、半減してしまったのである。それによって生じた過剰設備化が、トーハンと日販の物流協業化の背後に潜んでいる大きな問題であろう。すなわち半減しているのだから、一社でまかなえるということにもなろう。

 しかしさらなる重要な取次問題は、今回の協業化に含まれない「雑誌送品」で、総コストにおける配送運賃の7割を占めている。結局のところ、先送りされていることになるが、前回や同127などで取り上げておいたように、出版物関係輸送も危機に追いやられている。このままでいけば、さらなる出版物の発売の遅れも蔓延化していくかもしれない。



3.文教堂GHDの2019年第2四半期連結決算が出された。
 売上高は127億300万円、前年比10.2%減、営業損失2億3200万円、経常損失2億8800万円、親会社に帰属する四半期純損失3億6500万円で赤字幅が増加。
 そのために、前年連結決算における2億3358万円の債務超過もさらに拡大し、5億9700万円となった。期中における不採算の6店の閉店などにより、売上、利益が圧縮され、財務が悪化した。
 昨年度に引き続き、増資を検討し、金融機関からの借入金返済、支払い猶予の同意を得ているとされる。

 本クロニクル129などで既述してきているが、文教堂GHDの増資や再建は難しく、赤字幅は増加していく一方である。
 3月も400坪の大型店も含め、3店が閉店しているし、さらに売上、利益、財務が悪化していくことは必至だ。
 東京証券取引所は文教堂GHDに対し、最後通牒というべき上場廃止猶予期間入り銘柄に指定している。そのために今期中に財務を健全化しなければ、上場廃止が待ち受けていることになる。文教堂GHDにとって、残された時間は少ない。



4.TSUTAYAの2018年1月から12月の書籍雑誌販売額が1330億円、前年比3.3%の増で、過去最高額を更新と発表。
 その理由として、全国に於ける大型店40店の新規オープン、「TSUTAYA BOOK NETWORK」への新規加盟による店舗数の増加、独自の商品展開やデータベースマーケティングが挙げられている。
  40店は「BOOK&CAFE」スタイルだが、「TSUTAYA BOOKSTORE」は「ライフスタイル提案型」店舗である。島忠とジョイントした「TSUTAYA BOOKSTORE ホームズ新山下店」はホームリビング、オートバックスとの「TSUTAYA BOOKSTORE APIT東雲店」はカーライフをテーマとしている。

 しかしそれらのトータルな店舗数は開示されておらず、大型店出店と「TSUTAYA BOOK NETWORK」の新規加盟店の増加によって、「過去最高額」がかさ上げされたと推測するしかない。また旭屋書店も子会社化されている。
 TSUTAYAの18年の出店については本クロニクル130、大量閉店に関しては同129で取り上げているので、そちらを見てほしいが、閉店に追いつく出店なしといった状態で、それはやはりこれも同130で示しておいたように、19年に入っても続いている。
 これらの出店と閉店の尋常ではないコントラストは、日販とMPDの決算に確実に反映されるだろうし、それらはTSUTAYAの「過去最高額」の内実を知らしめるであろう。

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5.丸善CHIホールディングの連結決算が発表された。
 連結子会社は丸善ジュンク堂、hontoブックサービス、TRC、丸善出版、丸善雄松堂など29社。
 売上高は1770億円、前年比0.7%減、当期純利益は24億円で、前年の赤字から減収増益決算。セグメント別の90店舗とネット書店売上高は740億円、同2.2%減、営業利益は3300万円。

 店舗ネット販売事業も前年は赤字だったので、減収増益ということになるが、営業利益は3300万円で、かろうじて黒字を保ったとわかる。それは出版事業も同様で、売上高43億円に対し、営業利益50万円。
 つまり丸善CHIホールディングスの場合、書店や出版事業は利益がほとんど上がらず、文教市場販売や図書館サポート事業などにより、バランスが保たれているである。
 株価もずっと300円台だが、今期はどうなるのか、とりわけ丸善ジュンク堂はどこに向かおうとしているのだろうか。



6.大垣書店が京都経済センターに京都本店をオープン。
 同センターは京都府や京都市などが再開発を進めてきたビルで、その商業ゾーン「SUINA室町」1階全フロア700坪を大垣書店が借り上げ、そのうちの350坪を書籍、雑誌、文具、雑貨売場とする。そして残りの350坪には大垣書店とサブリースした8社が飲食店、フードマーケット、カフェなどの10店を出店し、大垣書店はデベロッパーを兼ねるポジションでの出店となる。。
 なお大垣書店は続けて、「京都駅ビルTHE CUBE」、堺市に「イオンモール堺鉄砲町店」を出店。

 これはまったく新しいビジネスモデルというよりも、TSUTAYA=CCCが先行し、本クロニクル120で紹介しておいた有隣堂の東京ミッドタウン日比谷の「HIBIYA CENTRAL MARKET」などに続くものだろう。
 さらに今年は日本橋の複合商業施設「コレド室町テラス」に、有隣堂がライセンス供与を受け、「誠品生活日本橋」を出店することになっている。ポストレンタル複合店の模索がなされていくわけだが、年商7億円を目標とするサブリースによるデベロッパーを、書店が兼ねることができるであろうか。



7.東京都書店商業組合員数は4月現在で324店。

 『出版状況クロニクルⅢ』において、1990年から2010年にかけての各都道府県の日書連加盟の書店数の推移を掲載しておいた。
 東書商組合員数もほぼそれと重なっているはずなので、それを引いてみると、1990年には1401店、2010年には591店となっている。何と30年間で、1000店以上の書店が消えてしまったのである。しかもそれはまだ続いていて、この10年でさらに半減し、来年は300店を割ってしまうだろう。
 1400万人近くの人口を擁する東京ですらも、こうした書店状況にあるのだから、他の道府県の書店環境も推して知るべしといっていい。書店の黄昏は出版や読書の現在を紛れもなく照らし出している。
出版状況クロニクルⅢ



8.幻戯書房の田尻勉社長が「出版流通の健全化に向けて」というプレスリリースを発表し、出荷正味を60%とすると表明。そのコアの部分を引いてみる。

 小社では少部数で高定価の書籍が多く、新刊は書店様から事前注文に基づいて、取次会社に配本していただいており、取次の見計らいの配本は多くありません。しかしながら、配本後すぐの返品も増え、返品類も増えています。また、一部の取次は、月一度の締日を考慮することなくムラのある返品となり、小社の資金計画に支障を来しています。こうしたことから、出版流通に携わる方々も厳しい状況にあると推察しております。
 業界をあげて、先人が築いてきた出版流通の仕組みが疲弊していることに対して、表立った改善策の提案が上がっていません。小社としては、読者の方々に届けていただくためにも、取次会社・書店が機能していただかなくてはなりません。そのために小社としては出荷正味を原則60%といたします。(但し、お取引先からのお申し入れをいただき、詳細は別途相談させていただきます)。

 この提起に対して、『文化通信』(4/8)や『新聞之新聞』(4/12)も、田尻社長のインタビューを掲載しているので、それらも参照されたい。

 こうした提起を幻戯書房の田尻があえてしたのは、次のようなインタビューの言葉に集約されていよう。
 「出版流通がどうしようもなくなっているにもかかわらず、どこからも表だって具体的な改善策は示されない。そこで、小さいとはいえ、一石を投じたいと思いました。」「そもそも販売を取次、書店へ外部依存してきた出版社として、何ができるかと考えたとき、最もインパクトがあるのが『正味』を下げる宣言だと考えました。」
 このような田尻の視座は、彼が冨山房で書店、藤原書店で取次書店営業、そして12年から幻戯書房を引き継いだことで、出版業界の生産、流通、販売という3つのメカニズムを横断し、熟知していることで成立したといえるだろう。
 幻戯書房へは大手取次や書店からもすぐに連絡が入り、書店ではフェアを開くといった話も出ているという。これからも幻戯書房に関しては見守っていきたい。



9.文藝春秋がスリップを廃止。

 本クロニクル125で、スリップレス出版社を挙げておいたが、その後も続き、現在では60社に及んでいる。
 とりわけ文庫本はKADOKAWAから始まり、講談社、幻冬舎、光文社、実業之日本社、祥伝社、宝島社、徳間書店、竹書房、PHPが続き、それにこの4月から文春も加わることになる。
 スリップ関連経費は2円から3円とされ、そのコストカットは取次の運賃協力金の原資になっているとも伝えられている。
 それとは別に、小出版社にとってもスリップ経費は年間を通じると、それなりのコストとなってしまうので、スリップレスに向かう状況にあるようだ。
 近代出版流通システムの終焉は、このようなスリップレス化にも象徴されているのだろう。

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10.『FACTA』(4月号)が「『川上切り』角川歴彦の大誤算」というレポートを発信している。それを要約してみる。

* ネット業界の有望株ドワンゴと出版業界の異端児KADOKAWAによる経営統合から4年半がたち、カドカワが窮地に追い込まれている。2019年3月期は43億円の最終赤字に沈む見通しである。
* 経営統合当初はドワンゴの「ニコニコ動画」を柱とする「niconico」事業が右肩上がりで、ドワンゴ優位だったが、その後「YouTube」に太刀打ちできず、プレミアム会員数も256万人から188万人にまで減少してしまった。
* それにM&Aの失態も重なり、ドワンゴは17年から赤字続きとなり、今期も12月までの純損失が63億円に上り、もはや土俵際に追いこまれた状況にある。
* ドワンゴの川上量生創業者は統合後のカドカワの社長を務め、辞任して取締役に降格、ドワンゴはKADOKAWAの子会社へと格下げになった。だが川上はカドカワの8.4%の株を握る筆頭株主で、角川歴彦はその5分の1以下しか所有していない。
* だが絶大の権力者である角川歴彦は川上を後継者として考え、ドワンゴはその壮大な構想を叶える推進力はずだった。しかしそれらを失った中で、400億円の投資となる「ところざわサクラタウン」の建設が進み、昨年は冨士見の社屋に高級レストラン「INUA」を開店している。


 このレポートは「その行く末が案じられるばかりだ」と結ばれている。
 このカドカワとドワンゴ問題に関しては、本クロニクル130で既述しているし、さらなるリスクとしての「所沢プロジェクト」にもふれてきている。
 これは詳細が定かでないけれど、かつての角川書店とCCC=TSUTAYAは深く関係し、後者が大手株主だった時期もあった。そのような関係から、角川はTSUTAYAが手がけている代官山プロジェクトのような不動産開発プロジェクト事業へと接近していったのではないだろうか。 
 しかし1980年代から90年にかけて、郊外型書店全盛時代に、ゼネコンやハウスメーカーの不動産プロジェクトに巻きこまれ、多くの悲劇が起きたことを知っている。大垣書店のサブリースデベロッパーに危惧を覚えるのも、それゆえだが、「ところざわサクラタウン」は400億円という巨大な投資に他ならず、「その行く末が案じられるばかりだ」と思わざるをえない。

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11.フレーベル館がJULA出版局の全株式を取得し傘下に収める。
 JULA出版局は1982年に日本児童文学専門学院の出版部として始まり、絵本「プータン」シリーズがロングセラーとして知られていた。

「プータン」シリーズ
「プータン」シリーズ

12.岩崎書店が海外絵本輸入卸の絵本の家の全株式を取得し、子会社化。
 絵本の家は1984年に設立され、英語の海外絵本の輸入・卸販売を主として、キャラクター関連グッズの制作なども手がけ、ショールームも兼ねた直営店では小売りも行なっていた。
 岩崎書店は絵本の家の子会社化によって英語教材の強化を図る。

13.辰巳出版グループの総合図書、富士美出版、スコラマガジンの3社が、スコラマガジンを存続会社として合併し、経営の効率化をめざす。

14.主婦の友社は、子会社の主婦の友インフォスの株式をIMAGICAグループに譲渡。
 主婦の友インフォスは、主婦の友社発行の雑誌、書籍などの編集製作会社で、「ヒーロー文庫」「プライムノベル」などのライトノベル、月刊誌『声優グランプリ』を手がけている。
 IMAGICAグループはロボットなどの61社の連結子会社を有し、劇場映画、テレビドラマ、アニメ作品などの幅広い分野の映像コンテンツの企画、製作を行なっている。
 今後、主婦の友社、主婦の友インフォス、IMAGICAグループは新たな企画開発、戦略的メディアミックスの取り組みを推進していく。

15.世界文化社が100%子会社としてプレミアム旅行社を設立し、旅行事業へと進出。

16.JTBパブリッシングは中央区築地に新店舗「ONAKA PECO PECO byるるぶキッチン」をオープン。
 新店舗は地方創生共同事業として、「るるぶキッチン」を運営するJTPパブリッシング、デジタルマーケティング支援のmode,コラボレーション店舗の企画、運営ノウハウを持つツインプラネット3社のタイアップ。
 「るるぶキッチン」は東京の赤坂見付、京都、広島に続く4店目のオープン。

 11から16は、たまたま3月から4月に集中してしまったけれど、ポスト出版時代に向けての各出版社をめぐるM&A、合併、他業種進出の動向を伝えていることになろう。
 トーハンもサービス付高齢者向け住宅事業の第2弾「プライムライフ西新井」を開業しているし、出版社、取次、書店の他業種進出はこれからも続いて行くだろう。もちろん成功するかどうかはわからないにしても。



17.『朝日新聞』(4/16)の一面に『漫画アクション』(No.9)本日発売広告が掲載され、矢作俊彦×大友克洋による新作「気分はもう戦争3(だったかもしれない)」の告知があったので、それを購入してきた。

漫画アクション ( 『漫画アクション』) 気分はもう戦争

 『漫画アクション』を買ったのは何十年ぶりで、確か『気分はもう戦争』が連載されていたのは1980年代初頭で、リアルタイムで読んでいたことからすれば、広告にあるように「38年ぶり」の再会ということになる。17ページの「完全新作」は国際状況の変化とテクノロジーの進化を伝え、読者の私だけでなく、矢作や大友の高齢化をも想起してしまう。私たちだって38年前は若かったのである。
 「気分はもう戦争3(だったかもしれない)」の後に、本連載122で取り上げた吉本浩二『ルーザーズ』が続き、1960年代後半から70年代にかけて連載されたモンキー・パンチ『ルパン三世』、小池一夫、小島剛夕『子連れ狼』を始めとする作品が紹介されていく。当時は『漫画アクション』の読者だったことを思い出す。
 それから数日して、モンキー・パンチと小池一夫の訃報が伝えられてきた。彼らの死はやはりひとつの時代が終わってしまったことを痛感させられた。

 たまたま私は坂本眞一『イノサン』(集英社)をフランス版『子連れ狼』として読んでいるのだが、その第3巻にダンテの『神曲』を想起させる見開きのシーンがあり、そこに「この得体の知れない不安感は何だ……?/まるで僕一人だけが真っ暗な穴に迷いこんでいくような……」という言葉が表記されていた。これこそは20世紀後半の『漫画アクション』ならぬ21世紀コミックの声なのであろう。
ルーザーズ f:id:OdaMitsuo:20190427152907j:plain:h112 >『子連れ狼』 イノサン 

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18.今月も出版人の死が伝えられてきた。
 それは太田出版の前社長の高瀬幸途である。

 前回、宮田昇の死を記したが、高瀬も宮田と同じく、日本ユニ・エージェンシーに在籍していた。その関係もあって、『出版状況クロニクルⅤ』で取り上げておいた、宮田の『出版の境界に生きる』を始めとする太田出版の「出版人・知的所有権叢書」の成立を見たと思われる。その後の続刊を確認していないけれど、宮田に続いて高瀬も亡くなってしまうと、刊行も難しくなるかもしれない。
 いずれ太田出版と高瀬のことは近傍にいた編集者が書いてくれるだろう。
出版の境界に生きる



19.今月の論創社HP「本を読む」㊴は「新人物往来社『近代民衆の記録』と内川千裕」です。
 『日本古書通信』に17年間連載した拙著『古本屋散策』は200編1000枚を収録して、連休明けに刊行予定。

古本屋散策