出版・読書メモランダム

出版と近代出版文化史をめぐるブログ

古本夜話914 永橋卓介と『金枝篇』翻訳史

 サビーヌ・マコーミック編『図説金枝篇』(内田昭一郎他訳、東京書籍、平成六年)の序文で、メアリー・ダグラスは次のように述べている。「人間のものの考え方のはじまりこそ、十九世紀の思想家たちがもっとも関心を寄せた問題」で、「無意味でばかげてみえるものに意味を見出すことが、十九世紀の学者の関心の的」であり、フレイザーは「巨大な金字塔」としての『金枝篇』全十三巻によって、「この謎解き競争に勝利を収めたといってもよい」と。日本においても、この「謎解き競争」は原書の伝播、翻訳と相乗し、始まっていたと見なすべきだろう。
図説金枝篇(東京書籍)

 それゆえに続けて、生活社の永橋卓介訳のフレイザー『金枝篇』、及びその翻訳史への言及を試みる。生活社版は一九〇〇年の原書再版に基づく二二年のフレイザー自身による「抄略一巻本」の翻訳であり、三分冊予定で、昭和十八年に上巻が刊行された。
f:id:OdaMitsuo:20190408111522j:plain:h120(生活社)

 その「訳者序言」は「皇紀二千六百二年」として記され、「本書を読まずして民族学、民俗学を語り得ぬとは決して過言ではない」との文言に出会う。またこの「老碩学」フレイザーが昨年の五月に八十七歳で亡くなったことも伝え、実際には一九四一年の死なので、一昨年だが、次のように結ばれている。

 いま大東亜戦争のさなか、一億の眼と耳とはすべて南方に向いてゐる。斯る秋、祖国に対して本訳書が幾分の貢献をなし得るとすれば、訳者の幸これに加へるものはない。終りに本書出版に関して多大の好意を示された生活社の前田廣記氏に深く感謝するものである。同氏のお骨折りがなかつたら、本書は決して上版されるに至らなかつたであらう。

 この前田は生活社編集長だったようだが、明確なプロフィルはつかめない。永橋は『現代人名情報事典』(平凡社)に立項が見出されるので、まずはそれを引いておく。
現代人名情報事典

 永橋卓介 ながはしたくすけ
 宗教学者[生]高知1899.12.10~1975.1.1
[学]1930オーボルン神学校(アメリカ)[博]神[経]1930東北学院講師、40慶應義塾大教授、51高知県中村高校校長[著]《イスラエル宗教の異教的背景》《宗教史序説》、訳フレーザー《金枝篇1~5》

 これだけでは永橋のプロフィルと『金枝篇』の関係はほとんど浮かび上がってこない。幸いにして、昭和十年刊行の『イスラエル宗教の異教的背景』(日独書院)が大改訂増補され、昭和四十四年に『ヤハウェ信仰以前』(国土社)として出され、そこに略歴も示されているので、それによって補足してみる。それによれば、ニューヨークのオウバーン神学大学卒業後、オックスフォード大学マンスフィールド・カレッジに留学し、R・R・マレット教授のもとで宗教人類学を学ぶとある。
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 『文化人類学事典』(弘文堂)を繰ってみると、マレットは初期のイギリスの人類学者の一人で、本連載907のタイラーの弟子に位置づけられている。タイラーの「アニミズム」論を発展させ、それ以前に「プレアニミズム」の段階があり、タイラーやフレイザーが原始宗教の知的側面を重視したことに対し、儀礼に見られる情緒的、感情的側面、思考と情緒と行動との有機的複合に注目したとされる。訳書として、誠信書房から『宗教と呪術』(竹中信常訳、昭和三十九年)が出されているようだが、これは読むに至っていない。
文化人類学事典 f:id:OdaMitsuo:20190410114043p:plain:h111

 これに永橋が岩波文庫版『金枝篇』の翻訳の承諾を得たという。それが前提となり、帰国後の一九三二年=昭和七年にフレイザーの『呪術と宗教』の翻訳刊行を見たとわかる。これは『金枝篇』上巻の第三章から第六章にかけての主要部分を訳出したもので、タイトルは第四章がそのまま使われている。ただこれは永橋個人によるのではなく、内田元夫との共訳とされ、版元は八木重良を発行者とする新撰書院、発売は大岡山書店である。大岡屋書店に関しては本連載40でふれ、拙稿「郷土会、地理学、社会学」(『古本探究Ⅲ』所収)においても、柳田国男が編んだ『郷土会記録』(大正十四年)に言及している。

古本探究3

 実は『呪術と宗教』の巻末広告のすべてが大岡山書店の刊行物なのか確認できないけれど、五十六冊に及ぶ書籍が掲載され、そこには『郷土会記録』も見えるし、本連載46の折口信夫『古代研究』全三巻、同49などの中山太郎『日本民俗学』全四巻も並んでいる。さらにそれらの中にフレイザーの永橋訳『社会制度の発生と原始的信仰』も見出される。とすれば、『呪術と宗教』に先駆けて、こちらが翻訳刊行されている。これは確認できないけれど、昭和十四年に岩波文庫化されたフレイザー民俗学入門書とされる『サイキス・タスク』ではないだろうか。それに続いて、昭和十六年に永橋はやはりイギリスの社会人類学者R・S・スミスの『セム族の宗教』を岩波文庫として出している。

サイキス・タスク(『サイキス・タスク』) セム族の宗教(『セム族の宗教』)

 このようなフレイザーと永橋の翻訳史をたどってみると、永橋は昭和五年にフレイザーと会い、その著作の翻訳を許され、帰国後に相次いで『社会制度の発生と原始的信仰』『呪術と宗教』を翻訳し、その一方でスミスの『セム族の宗教』も翻訳刊行していたことになる。それらが認められ、永橋は慶應大学教授として迎えられ、またそれらの仕事を通じて生活社の前田とも知り合い、『金枝篇』の翻訳へとリンクしていったように思われる。『ヤハウェ信仰以前』を読んだ印象からすると、永橋の旧著『イスラエル宗教の異教的背景の成立』はこれらの翻訳と併走していたと推測できる。

 その生活社版『金枝篇』は上巻が昭和十八年、中巻が十九年に出されたが、下巻の原稿は戦火に見舞われて刊行できず、戦後の昭和二十六年から二十七年にかけて、岩波文庫の全五巻が出され、完結するのである。その原著の「抄略一巻本」は一九〇〇年の再版をベースにしていたことからすれば、ちょうど半世紀後に邦訳が送り出されたことになる。
金枝篇 (岩波文庫)

 それからさらに半世紀後に、一八九〇年版の『初版金枝篇』(上下、吉川信訳、ちくま学芸文庫)、一九一一年の決定第三版は『金枝篇』(全八巻+別巻1、神成利男訳、国書刊行会)として出現している。しかしまだ日本において、本格的な『金枝篇論』は書かれていない。

初版金枝篇 (ちくま学芸文庫) 金枝篇 (国書刊行会) 



907

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古本夜話913 生活社とフレイザー『金枝篇』

 タイラーの『原始文化』と並んで、人類学や民俗学、神話と宗教研究に大きな影響を及ぼしたのはフレイザーの『金枝篇』に他ならないけれど、後者にしても、前者を抜きにしては語れないだろう。
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 この『金枝篇』は一八九〇年に全二巻の初版、一九三六年に全十三巻の第三版決定版、二二年に著者による、一九〇〇年第二版に基づく簡約一巻が刊行された。日本において、簡約一巻本による永橋卓介訳『金枝篇』上巻が出たのは昭和十八年になってのことで、出版社はこれもまた生活社である。
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 そしてこの訳書の冒頭を読むに及んで、どうして口絵にターナーの「金枝」が掲載されているのかを了承したと思われる。私たちが戦後になって岩波文庫版で体験したように。その第一章「森の王」の「一. ディアナとヴァビウス」は次のように始まっている。
f:id:OdaMitsuo:20190408114044j:plain 金枝篇 (岩波文庫)

 誰かターナーの描く「金枝」(The Golden Bough)の絵を知らぬものがあらうか。それは、古人によつて「デキアナの鏡」と呼ばれてゐたかのネミの小さな山の湖の夢幻的な景観で、ターナーの聖き心は、実にも美はしい自然の景色をすら染めて神々しきものとし、画面は想像の金色の輝きで覆ひつくされてゐる。アルバの山の緑の窪地にたたへたかの静寂な湖を見た者は、永久にそれを忘れることは出来ない。その畔に眠る二つの特色あるイタリアの村も、湖面にまで峻しく降る雛段式庭園をもつたイタリアの宮殿も、決してその景色の幽寂と孤独とを妨げはしない。ディアナは今もなほこの淋しい湖畔をしたひ、今尚このあたりの自然林に出没するのではあるまいか。

 これを受けて、フレイザーは古代のネミの森の悲劇にふれていく。この聖なる森には一本の樹があり、その周りを一人の男が昼夜を問わず、抜身の剣を携え、徘徊していた。彼はディアナの祭司で、森の王だった。彼が警戒しているのは自分を殺し、その代わりに祭司となるはずの人物で、祭司の候補者は祭司を殺すことによってその職を継承し、力が衰えた自分自身が殺されるまで、その職を保つのであり、それこそが「この聖所の規則」だった。それにはひとつの伝説も伴い、このネミの聖所にはやはり一本の樹があり、その枝はひとつも折ってはならず、それを折ることができれば、それが「金枝」で、祭司を殺し、新たなる森の王に就くことを可能にするのである。

 このようにして、フレイザーは、なぜ祭司は森の王となるために前任者を殺さなければならないのか、またどうして殺す前に「金枝」を折り取らなければならないのかというふたつの謎を解明するために、呪術、タブー、供犠、樹木崇拝、王殺し、スケープゴートなどの世界中の夥しい習俗と伝説を例証として挙げていく。そしてこの錯綜する聖なる森の物語は呪術―宗教―科学という人類史、及びキリスト教起源史をも浮かび上がらせようとしている

 これらのフレイザーの探究の出発点に位置するターナーの、細部までわかる「金枝」をずっと見てみたいと思っていた。ペーパーバック版のThe Golden Bough(Papermac,1987)には口絵はないけれど、表紙はその中央部分がカラー写真で使われ、生活社や岩波文庫版とはかなり異なる印象を与えるもので、先のフレイザーの記述を納得させる色彩に包まれていたからだ。それにロバート・アッカーマン『評伝J・G・フレイザー』(玉井暲監訳、法蔵館)を読み、「金枝」の口絵収録はフレイザー自身による指定であると知ったことにもよっている。
f:id:OdaMitsuo:20190408152430j:plain:h120   評伝J・G・フレイザー

 その肝心のターナーの「金枝」だが、いくつものターナー画集を繰ってみても、収録されておらず、「誰かターナーの描く『金枝』の絵を知らぬ者があろうか」という時代が過ぎ去っていることをあらためて認識させられた。それでも探していれば、いずれは出会うもので、思いがけないところにカラーの「金枝」を見出したのである。それは『世界名画の旅3 イタリア編』(朝日文庫、平成元年)においてであった。そこにはターナー「金枝」と題する一章が見え、文庫版ながらも、そのロンドンの帝都ギャラリー所蔵の一八三四年の油彩作品が見開き二ページで掲載され、モノクロ写真ではわからなかった「ネミの小さな山の湖の景観」が「想像の金色の輝きで覆ひつくされてゐる」のを見てとれた。そして確かに左側には「雛段式庭園を持つたイタリアの宮殿」が位置し、「二つの特色のあるイタリアの村」も潜んでいるようだった。それに何よりも、左下にいるのは金枝を手にしたディアナであることも。
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 その出会いからしばらくして、やはり「金枝」の表紙をあしらった富士川義之の『英国の世紀末』(新書館)を読むことができた。富士川はその第一章「黄金の枝」において、先のアッカーマンの評伝を参照し、フレイザーの『金枝篇』は人類学の名著というよりも、文学の古典として読まれてきたし、それが世界各地の呪術と宗教の蒐集と分類に基づく、紛れもない「世紀末の書」だと指摘し、フレイザーの若き日の短い詩「ケンブリッジと六月」を紹介する。
英国の世紀末

 その中には「夢のような空想の世界!/これこそぼくのほんとうの故郷なのだ」という詩句があり、それに続けて富士川はターナーの「金枝」を示し、そこに投影されたフレイザーの「夢のような空想の世界」の構造を分断する。ターナーの絵はヴェルギリウスの『アエネーイス』第六巻第一節において、巫女シビュルラが英雄アエネーイスに地下の世界にいる父アンキーセスを訪れるためには、森の奥に生えている黄金色に輝く木の枝を折り取ってこなければならないという場面があり、それを典拠としている。

 ターナーは十八世紀の英訳を読み、そこに見出される言葉「黄金の枝が生えている大きな樹木」から画題を得た。それゆえにフレイザーの祭司殺しとはまったく関係なく、湖もネミ湖ではなく、アヴェルヌス湖であり、現在において、「金枝」と、ネミ湖のほとりの聖なる森の祭司殺しの神話との関係は認められていない。つまりフレイザーの『金枝篇』の冒頭の記述も誤解に基づくもので、「夢のような空想の世界」から始まっていることになる。それゆえに文学の古典として読み継がれてきたのである。

 それはアッカーマンがいうところの、『金枝篇』はタイラーの『原始文化』とW・R・スミスの『セム族の宗教』(永橋卓介訳、岩波文庫)にギリシア、ローマ文化を重ね、比較人類学として考察され、キリスト教以前の宗教の原型の探究の書として成立したことと密接にリンクしていよう。
『セム族の宗教』(永橋卓介訳、岩波文庫)を著わしている。
セム族の宗教(『セム族の宗教』)

  
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古本夜話912 ヤジロー伝説と窪田志一『岩屋天狗と千年王国』

 比屋根安定の『日本基督教史』の「伝来時代」には、前回の中国景教碑文や太秦伝説の他にも、ヤジロー(以下、ヤジロオ、ヤジロウとも表記)伝説にほぼ一章が割かれ、彼はそれを「日本伝道の計画、パウロ弥次郎の経歴」と題し、次のように始めている。

 一五四七年七月下旬、サビエルはマラッカに着き、伝道に忙しく日々を送ったが、傍ら船便を待つてコチンへ渡ろうと企てた。十二月上旬、教会で結婚式を司つた時、友人のポルトガル船長ジョルジ・アルヴァレスは、一異人を伴つて教会に入り、彼に紹介した。異人は三十五歳くらい、五年前ポルトガル人が発見した日本の人で、その名をヤジロウと称し、仮りに弥次郎と記そう。

 続けて比屋根はサビエルがイエズス会本部に宛てたヤジロオに関する書簡を長く引用し、日本とヤジロオの関係を説明しているので、それを簡略に要約してみる。ヤジロオはマラッカの地で、サビエルのことを知り、キリスト教を学ぶために訪れてきた。ヤジロオは少しばかりポルトガル語を話したことから、通訳を経ずして話をした。日本は近年発見されたばかりだが、日本人は知識欲と才能に恵まれているので、キリスト教伝道にはインドよりも有望ではないかと。それを説明するように、ヤジロオも教会で学んだ教義問答や信仰箇条をよく覚え、適宜な質問をするし、サビエルは彼が知識に渇し、真理を教えるのに向いていると判断する。そこでサビエルはヤジロオを助手として、日本伝道を決意し、それをイエズス会に報告している。

 さらに比屋根はヤジロオが「鹿児島の人で、門地も低からず、相当の財産のある家に生まれたらしい」し、「その成果は外国貿易を営み、島津家に出入りした家柄であつたかも知れない」と述べ、彼がイエズス会に送った、日本でのキリスト教布教の大いなる決意をこめた書簡を引用している。それには日本で、ある理由から人を殺し、ポルトガル人の船に逃れ、マラッカに至り、聖パウロ学院で学び、サビエルに出会い、彼に仕える決意を固めたことが記されていた。

 かくして一五四九年八月十五日、天文十八年七月三日、サビエルとヤジロオたち一行は鹿児島に上陸した。当時の城主島津貴久はその一行を歓迎し、伝道を許した。サビエルはヤジロオの通訳により布教にいそしみ、また日本語も学び、キリスト教の大要を記した日本文小冊子を作り、信者を得ていった。しかしその翌年にサビエルは京都での布教を志し、ヤジロオを残し、鹿児島を出発した。そしてその後のヤジロオに関してもふれている。サビエルが去ってからも多くの信者を獲得したが、仏僧の迫害が続き、鹿児島ばかりか日本にもいられなくなり、「彼は日本を去り、八幡船に乗つて海賊を働き、寧波で殺されたと伝えるが、その最後は詳かでない」と。

 ここで比屋根が描いた弥次郎のプロフィルは、鹿児島の資産家の家に生まれ、何らかの理由で人を殺し、ポルトガル人の船にのがれ、マラッカに至り、サビエルと出会い、洗礼を受け、キリスト教の布教のために鹿児島へと戻った。だがサビエルが京都に向かうと、ヤジロオは迫害され、日本を去り、海賊となって殺されたという伝説が残されたことになる。

 ヤジロオの存在はフロイスの『日本史』(松田毅一他訳、中央公論社)にも見出されるし、おそらく遠藤周作の『沈黙』(新潮文庫)のキチジローにしても、ヤジロオをモデルにしているように思われる。それゆえにヤジロオが実在したことは確実である。だが、戦後になっても、和辻哲郎が『鎖国』(岩波文庫)で述べているように、サビエルの日本伝道はヤジロオを通じて日本民族に対する信頼と希望を得たことによっているし、その意味で彼は十六世紀の日本人代表者、日本民族の突端の役目を務めていたことになるけれど、「日本の歴史はこの重大な役目をつとめたヤジローについて何一つ記録していないのである」。
日本史 沈黙 鎖国

 この和辻の提言に触発され、ヤジロー・コンスピラシーともいうべき壮大な偽史へと赴いたのが窪田志一だと思われる。それは死後に『岩屋天狗と千年王国』(上・下、八幡書店、昭和六十二年)として上梓されている。窪田は自家に伝わる『かたいぐち記』と『異端記』に基づき、ヤジローは僧名を岩屋梓梁といい、日本史や東洋史だけでなく、世界史においても想像を絶する偉大な人物で、蕃異人種(西戎)だったために、切支丹と信長、秀吉、家康の幕藩体制を通じて、歴史から徹底的に抹殺された存在と見なす。
岩屋天狗と千年王国

 窪田によれば、ヤジロー=岩屋梓梁は明応六年(一四九七年)薩摩国伊集院神殿に生まれ、背丈十尺、魁偉、頭上に三寸ほどの肉腫が立っていたので、「ヤジローどん」、「岩屋大天狗」「たゝらぼっち様」など、多くの呼称で畏敬された。永正四年以来、十数回渡鮮し、弥勒天徳教を説き、仏教の再興、韓語(ハングル)の創出、易占の普及といった多元的文化興隆を図り、自分と朝鮮王女玉珥との間に生まれた清茂を王(仁宗)に擁立するなどの多くの事蹟を遺した。

 それに続き、ヤジローは薩摩人の武力と朝鮮人の文化、経済力を駆使し、永正年代末期(一五二〇年代)に時の室町幕府を衰退させ、『日本書記』や『古事記』を編纂、自記し、易断政治の思想的根拠を固めた。そして北はアイヌ族から南は琉球の果てに至るまで、神仏習合、祭政一致の易断教団政府を樹立した。天文十七年には西方浄土を求め、中国、天山山脈、タクラマカン砂漠、中東経由で、地中海に達し、印度のゴアからサビエルを鹿児島に案内してきた。だが二人は仏教と切支丹の宗教論争の果てに、サビエルはヤジローの説く地動説に敗退し、印度へ帰ってしまう。

 ところがフロイスはサビエルの敗北への復讐の念を抱いて来日し、織田信長をそそのかし、多くの武器と商船艦隊を提供し、大阪石姫山に籠る易断(ユタ)政府を討滅させ、ヤジローと易断政府の存在を抹殺するに及んだ。秀吉と家康も自らがヤジローの子であることを歴史から隠蔽し、政権保持のために同様の処置をとったのである。かくしてヤジローという謎の人物は歴史から抹殺されてしまったことになる。

 窪田の『岩屋天狗と千年王国』は、戦後を迎えても延命し続けていた『古事記』などの日本神話をベースとする大東亜共栄圏幻想の反復のような印象を受ける。管見の限り、この窪田とヤジローに言及しているのは、四方田犬彦の『貴種と転生』(新潮社)の第三章に当たる「偽史と情熱」だけで、「異形」の人物窪田が四方田を訪ねてきたエピソードとヤジロー伝説を語っている。四方田と窪田の著作の刊行は同年であり、それもあって後者に四方田が「炯眼の読者よ、願わくばロマンの香り高き本書を通してテクストの快楽を味わいたまえ!」というオマージュの言葉を捧げていることを了解するのである。
貴種と転生 (『貴種と転生』)


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古本夜話911 比屋根安定『日本基督教史』

 本連載906などで、タイラーの『原始文化』の訳者が比屋根安定で、彼がヴントの『民族心理学』も誠信書房から刊行していることを既述しておいた。この二冊に加えて、同じく昭和三十年代にマックス・ミュラーの『宗教学概論』の翻訳書もあることからすれば、比屋根は戦前において、民俗学、考古学、民族学、宗教学の近傍にいて、それらの影響を大きく受けていたにちがいない。そうしたオブセッションは戦後になっても続き、誠信書房との関係は詳らかでないが、これらの三冊の翻訳の実現を見たのであろう。

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 といって、比屋根は著名とはいえないので、まずは『[現代日本]朝日人物事典』の立項を引いておく。
[現代日本]朝日人物事典

 比屋根安定 ひやね・あんてい 1892.10.3~1970.7.10 宗教学者。
 青山学院神学部で別所梅之助、東大で姉崎正治(号・嘲風)に学び、1920(大9)年東大宗教学科卒。20~44(昭19)年青山学院、49~64年東京神学大、64~70年日本ルーテル神学大教授を歴任。その間55年にドルー大学で客員教授、日本メソジスト教会牧師の資格をもち、キリスト教を唯一の啓示宗教としつつ、広く日本と世界の諸宗教に知識を有し、『日本宗教史』(25年)、『世界宗教史』(26年)、『日本基督教史』5巻(38~40年)を著した。(後略)

 ここには単著として挙げられていないけれど、戦後の昭和二十四年に教文館から出された『日本基督教史』を入手している。これは「序文」、及び巻末の「筆を擱いて」によれば、サビエルが鹿児島に第一歩を印した一五四九年から四百年に当たって、立項に見える戦前の『日本基督教史』全五巻を一巻に書き改めたものである。

 その日本基督教史四百年は伝来時代、布教時代、禁教時代、復興時代、発展時代とたどられている。その叙述は翻訳と異なり、物語性に富み、登場人物たちもヴィヴィッドで、手練の小説家のような筆致で進められていく。そのキリスト教と日本史のアラベスクは、異形にして、同様の印象を与える。『信長―あるいは戴冠せるアンドロギュヌス』(新潮文庫)などの宇月原晴明の小説を想起してしまったほどだ。

 『信長―あるいは戴冠せるアンドロギュヌス』

 たとえば、その第一篇の伝来時代は『続日本紀』(東洋文庫)における天平八年のネストリウス派基督教徒の波斯人が来訪し、聖武天皇に謁せたとの記述から始まっている。そしてこのネストリウス派基督教は唐で景教と呼ばれ、それは波斯寺=大秦寺の景浄が建てた大秦景教流行中国碑にある言葉に基づくとされる。比屋根は日本でネストリウス派基督教徒が「何を説き何を為したか、全く判然としない」としながらも、次のように続けている。
続日本紀

 平安時代の延暦二十三年(八〇四)、のちの真言宗の開祖空海は、入唐求法して長安に留学し、北インドからまた般若に就いて、梵語を学んだ。般若は、大秦景教流行中国碑を建てた景浄と交を締し、景浄は般若と協力して、仏教を訳した。『貞元釈教録』に般若は胡語を解しないので、胡語を知る景浄の力を借りて、『六波羅密教』を漢訳したと記してある。胡語とは、中央亜細亜のソグト語を指すらしく、同語はネストリウス派基督教徒の用いるシリヤ語に近いから、景浄が知つていて、斯くの如く空海と般若、般若と景浄との間は結縁されるが、空海と景浄の関係が探られざるは、遺憾である。
 京都に太秦(うずまさ)という地あり、『日本書紀』巻十四によると、雄略天皇十五年(四七一)、天皇は秦(はた)氏に太秦(うずまさ)という姓を与えられた。秦氏は『日本書紀』巻十によると、応神天皇十四年(二八三)に百済より来た弓月君(融通王)の子孫と伝えられ、太秦寺内桂宮院の大辟神社は、『太秦広隆寺縁起』によると、秦の始皇帝の祖神を祀ると伝える。辟は一に闢を作るから、大辟を大闢と記せば、漢訳旧約聖書に記すダビデである。しからば『延喜式神名帳』に載る大辟神社は、秦の始皇帝の祖神ではなく、ダビデ王を祀ると解されよう。大辟神社の近くに伊佐良という井あり、伊佐良井やイスラエルの訛誤であるかも知れない。

 省略を施さず、そのまま長く引用したのはすでにおわかりだと思うが、これらの言説は本連載653や665ですでに言及してきたものに他ならない。しかも景教碑文や太秦をめぐる言説は、その淵源に他ならない佐伯好郎によるフィクションであることも既述したとおりだ。しかしこれらが戦前の記述のリライトだとしても、このような言説が戦後になっても延命していたことを物語っている。

 比屋根がタイラーやヴントやマックス・ミュラーの影響を受ける時代と環境の中にあったのではないかと先述したが、それは景教碑文や太秦伝説をめぐっても同様であるとわかる。そのような比屋根の資質、及び『日本基督教史』に見られる明らかな物語性は、これも「筆を擱いて」で述べられているように、少年時代から滝沢馬琴の『南総里見八犬伝』などを始めとする読書に起因しているのだろう。そうした資質に基づき、キリスト教と聖書に接近し、伝道者たらんとして神学部に進むかたわらで、切支丹物の芝居や戯曲に心を躍らせる体験を得ている。それらがこの『日本基督教史』に投影されているにちがいない。ただ残念なのは、おそらく戦前の『日本基督教史』全五巻には参考文献が収録されていたと思われるが、それが戦後の一冊版では省略されてしまっていることである。もし戦前版に出会うことがあれば、まずはそれを確かめてみたい。
 南総里見八犬伝


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出版状況クロニクル133(2019年5月1日~5月30日)

 19年4月の書籍雑誌推定販売金額は1107億円で、前年比8.8%増。
 書籍は603億円で、同12.1%増。
 雑誌は504億円で、同5.1%増。その内訳は月刊誌が416億円で、同5.9%増、週刊誌は88億円で、同1.4%減。
 返品率は書籍が31.4%、雑誌は43.0%で、月刊誌は43.1%、週刊誌は42.7%。
 書籍、雑誌がともに前年増となったのは、初めての10連休の影響が大きく、とりわけ書籍は連休前の駆け込み発売で、出回り金額が5.9%増となったことによっている。また5月連休明けまで書店の返品も抑制されたことも作用していよう。
 それゆえに今月の大幅なプラスは大型連休がもたらした一過性の数字とみな日販の赤字決算すべきで、その反動は5月の販売金額と返品に露呈することになるだろう。
 月末になって日販の赤字決算が出されているが、6月にトーハンなども含め、言及するつもりだ。


1.『出版月報』(4月号)が特集「ムック市場2018」を組んでいる。そのデータ推移を示す。

■ムック発行、販売データ
新刊点数平均価格販売金額返品率
(点)前年比(円)(億円)前年比(%)前年増減
20057,8590.9%9311,164▲4.0%44.01.7%
20067,8840.3%9291,093▲6.1%45.01.0%
20078,0662.3%9201,046▲4.3%46.11.1%
20088,3373.4%9231,0621.5%46.0▲0.1%
20098,5112.1%9261,0912.7%45.8▲0.2%
20108,7622.9%9231,0980.6%45.4▲0.4%
20118,751▲0.1%9341,051▲4.3%46.00.6%
20129,0673.6%9131,045▲0.6%46.80.8%
20139,4724.5%8841,025▲1.9%48.01.2%
20149,336▲1.4%869972▲5.2%49.31.3%
20159,230▲1.1%864917▲5.7%52.63.3%
20168,832▲4.3%884903▲1.5%50.8▲1.8%
20178,554▲3.1%900816▲9.6%53.02.2%
20187,921▲7.4%871726▲11.0%51.6▲1.4%

 18年のムック市場は初めて800億円を下回り、726億円、前年比11.0%減となった。
 販売冊数もさらに悪化し、こちらも8000万冊を割りこみ、7440万冊、同16.2%減である。1億冊を割ったのは昨年だったことからすれば、2年で25%以上のマイナスで、19年は16年の半分近くになってしまうかもしれない。
 返品率も4年連続で50%を超え、下げ止まる気配はない。ムックの場合、週刊誌や月刊誌と異なり、書店滞留時間も長く、ロングセラーも生まれ、再出荷もできることがメリットであったが、それももはや失われてしまったのであろう。
 ムックの起源は1960年代後半の、平凡社の「別冊太陽」だとされるが、それは半世紀前のことで、スマホ時代に入り、雑誌刊行モデルとしては広範に機能しなくなっていると考えられよう。
 それに決定的なのは書店の半減、及びコンビニ売上の失墜であり、とりわけ今世紀に入って進行した雑誌販売市場のドラスチックな変容というしかない。
 なおここでのムックには廉価軽装版コミックは含まれていない。



2.紀伊國屋書店弘前店が閉店。

 これは4月の大分店の閉店に続くものである。弘前店は1983年の開店で、仙台店よりも早く、東北で初めての紀伊國屋書店だった。
 弘前店は372坪、大分店は734坪であり、この2ヵ月で紀伊國屋の売場面積は1100坪が減少したことになる。



3.三省堂名古屋高島屋店が閉店し、名古屋本店へと統合。

 名古屋高島屋店は2000年の開店なので、20年の歴史に幕を下ろしたことになる。それは書店市場の悪化の中で、テナント契約更新が難しかったことを推測させる。
 4月の書店閉店は47店と、19年に入って最も少なかったが、それでもTSUTAYAと宮脇書店が各3店、文教堂と夢屋が各2店、また文真堂や Wonder GOOの各1店も含まれている。
 また文真堂は資本金を500万円減少して1000万円に、資本準備金6億5265万円を0円にすると発表。

 5月以後の書店閉店状況はどうなるのかが、19年後半の出版業界の焦点となろう。これは不動産プロジェクトのコストやテナント料の問題から見れば、大型化した書店はチェーン複合店も含めて、もはや採算がとれなくなってきている現実を露呈させているからだ。
 本クロニクル130などで既述しておいたように、18年から続くTSUTAYAの大量閉店はその事実を象徴しているし、4月のTSUTAYA3店の閉店坪数も600坪を超えている。
 それは大量返品として大手取次と出版社へと跳ね返り、本クロニクル131のコミックス、コミック誌、前回の文庫、1のムック販売状況へとリンクしているのである。

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4.そのWonder GOOはRIZAP傘下にあるのだが、今期のRIZAP連結決算は193億円の赤字となっている。

 この決算で明らかになったのは、Wonder GOO=ワンダーコーポレーションの不採算事業の撤退費用として、48億円の特別損失が出されていることである。
 本クロニクル130でふれたワンダーコーポレーションが売上高からすれば、RIZAPの中核企業であり、TSUTAYAのFC、つまり日販が取次だから、その再建の行方は両社にも多大な影響を及ぼしていくだろう。また同127で既述しておいたように、そのうちの15店は大阪屋栗田に帳合変更しているので、そちらへも波及するかもしれない。
 前回、文教堂GHDにふれ、その不採算店の閉店などにより、債務超過もさらに拡大していると伝えてきた。それはワンダーや文教堂だけでなく、撤退、閉店にはそれに伴う特別損失が生じているという事実を浮かび上がらせている。
 とりわけ文教堂やワンダーは上場企業であるだけに、再建の行方が注視されているし、文教堂は残された時間が少ないところまできていよう。



5.三洋堂HDの加藤和裕社長は粗利益を35%に改善する7ヵ年計画を発表。
 「書籍・雑誌」から「古本」「フィットネス」へ売上構成比を高めていくことで、19年には粗利益率30.8%、25年には35.0%にする。

 本クロニクル124などで、三洋堂の筆頭株主がトーハンになったこと、フィットネス事業などへの参入に関して既述しているが、もはや三洋堂にしても、ポスト書店の段階に入っていることの表明である。
 加藤社長によれば、週刊誌と月刊誌は20年半ばに消滅するかもしれないし、19年には三洋堂コストとしての信販手数料、返品運賃ポイント関連費用などで2億円増加するとのことである。
 それからあらためて認識させられたのは、返品運賃の急騰で、19年には18年の1.8倍の1億3000万円に達するとされる。これはすべてのナショナルチェーンに共通するものだと考えられる。それはこれからのキャッシュレス決済コストも同様であろう。
 7年後に35%の粗利益を達成するにしても、そこに至るまでに一体何が起きるのか、それが上場企業でもある三洋堂の焦眉の問題であろう。
 これも本クロニクル122でふれておいたように、18年は500万円という「かつかつの黒字」、19年予想は純損失3億円と見込まれているからだ。

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6.トーハンの近藤敏貴社長はドイツをモデルにしたマーケットイン型流通を主とする5ヵ年中期経営計画「REBORN」において、従来の見計らい配本から発売前に書店注文を集約しい、AIを駆使した配本システムを融合するかたちに移行すると表明。
 それにより返品率を抑制し、そこから派生する利益を出版業界全体で再配分し、18年の40.7%の返品率を23年度には33.4%、最終的に20%まで引き下げる。

 本クロニクル124で、近藤社長によるトーハンの「本業の回復」と「事業領域の拡大」を紹介しておいた。だが後者の不動産事業などはともかく、前者はさらに出版状況が失墜していく中で、埼玉の書籍新刊発送拠点「トーハン和光センター」の稼働を挙げることしかできない。 
 ドイツをモデルとしたマーケットイン型流通にしても、これも本クロニクル131で言及しておいたが、設備投資の失敗で、マーケットイン型流通が日本の出版業界において成立するとは考えられないし、誰もが信じていないだろう。それは取次や書店の現在状況からして明らかなことだ。
  
 大阪屋栗田の子会社であるリーディングスタイルも2店目の「リーディングスタイルあべの」を180坪で開店。デジタルサイネージを50台設置し100席のカフェとイベントスペースを併設。それこそ大阪屋栗田の「本業の回復」と「事業領域の拡大」に貢献するのだろうか。
 それらはともかく、取次の決算発表も間近に迫っている。



7.『ルポ 電子書籍大国アメリカ』(アスキー新書)などの大原ケイが『文化通信』(5/20)に「米2位の書籍取次が書店卸から撤退」を寄稿している。
 それによれば、北米第2位の書籍取次(ホールセラー)であるベイカー&テイラー、以下(B&T)がリテール(書店)向け卸業から撤退すると発表した。
 アメリカの書籍流通業には日本の取次に近い「ホールセラー」と、中小出版社に代わり、受注、発注、営業も請け負う「ディストリビューター」がある。
 ホールセラー第1位のイングラムがリテール(書店)に広く書籍を流通させているのに対し、B&Tは書店だけでなく、全米公立図書館の9割に及ぶ6000館を抱えている。後者の年商は22億ドルだったが、2016年にフォレット社傘下に入った。
 フォレット社は北米の他に140ヵ国で、小学校から大学、学校図書館など9万団体に及ぶ教育機関を対象とし、電子教科書を含む教育コンテンツを製作販売する企業である。
 今回のB&Tの書店からの撤退は、「地域コミュニティを支えている公共図書館を支援する」という親会社のフォレット社のビジネスに適ったものだとされる。

  それに加え、アメリカでは出版社と書店の直接取引が主流になったこと、ふれられていないが、アマゾン問題も絡んでいるのだろう。
 このB&Tの撤退を受け、書店では日本でいう帳合変更、全米書店協会や大手出版社のサポート、中小出版社の「ディストリビューター」の支援も始まっているようだ。
 アメリカのことゆえ、他山の石とも思えないので、ここに記してみた。

ルポ 電子書籍大国アメリカ(『ルポ 電子書籍大国アメリカ』)



8.『日経MJ』(5/6)に「ゲオが新業態」という記事が掲載されている。
 ゲオ傘下の衣料品販売のゲオクリアが横浜市に「ラック・ラック クリアランスマーケット」を開店した。これはメーカーや小売店から余った新品在庫を直接買い取り、定価の3割から8割引きで販売するという新業態店である。
 売場面積は1400平方メートルの大型店で、衣料品はブランド類100種類を扱い、雑貨や装飾品も含め、商品は5万点に及ぶ。
 ゲオはグループで最大手の1800店を有し、古着、中古スマホ、余剰在庫や中古ブランド品などの新業態で、さらなる成長を模索するとされる。

 これもポストレンタルを見据えた上での新業態ということになろう。それがTSUTAYAと異なるのは、前回も示しておいたように、TSUTAYAが他社とのジョイントによって新業態をめざしていることに対し、ゲオの場合は自社によるチェーン店化も想定されているし、「メルカリ」などとともに、中古品市場をさらに活性化させるかもしれない。
 このようなゲオとTSUTAYAのコントラストは、直営店とフランチャイズシステムによる企業本質の違いに基づくものであろう。



9.町田の大型古書店の高原書店が破産し、閉店。
 高原書店は1974年に町田の最初の古書店として開店し、支店も出店する一方で、85年には小田急町田駅前のPOPビルに移転し、大型古書店の名を知らしめた。2001年には町田駅北口の4階建に移り、徳島県に広大な倉庫を置き、インターネット通販にも力を入れていた。
 作家の三浦しおんがアルバイトしていたこともよく知られ、古本屋のよみた屋や音羽館が高原書店の出身で、他にも古本人脈を形成するトポスであった。

 親しい古本屋から高原書店の危機の話が聞いていたが、その予測どおり、連休明けに破産してしまった。 
本クロニクル129で、大阪の天牛堺書店の破産を伝えたが、古書業界では在庫量と店舗数で西の天牛堺書店、東の高原書店と称されていたという。
 その2店が破産してしまったのだから、古書業界も書店市場と同様の危機に見舞われていることになる。

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10.『日本の図書館統計と名簿2018』が出されたので、公共図書館の移を示す。

日本の図書館統計と名簿2018

■公共図書館の推移
    年    図書館数
専任
職員数
(人)
蔵書冊数
(千冊)
年間受入
図書冊数
(千冊)
個人貸出
登録者数
(千人)
個人貸出
総数
(千点)
資料費
当年度
予算
(万円)
1971 8855,69831,3652,5052,00724,190225,338
1980 1,3209,21472,3188,4667,633128,8981,050,825
1990 1,92813,381162,89714,56816,858263,0422,483,690
1997 2,45015,474249,64919,32030,608432,8743,494,209
1998 2,52415,535263,12119,31833,091453,3733,507,383
1999 2,58515,454276,57319,75735,755495,4603,479,268
2000 2,63915,276286,95019,34737,002523,5713,461,925
2001 2,68115,347299,13320,63339,670532,7033,423,836
2002 2,71115,284310,16519,61741,445546,2873,369,791
2003 2,75914,928321,81119,86742,705571,0643,248,000
2004 2,82514,664333,96220,46046,763609,6873,187,244
2005 2,95314,302344,85620,92547,022616,9573,073,408
2006 3,08214,070356,71018,97048,549618,2643,047,030
2007 3,11113,573365,71318,10448,089640,8602,996,510
2008 3,12613,103374,72918,58850,428656,5633,027,561
2009 3,16412,699386,00018,66151,377691,6842,893,203
2010 3,18812,114393,29218,09552,706711,7152,841,626
2011 3,21011,759400,11917,94953,444716,1812,786,075
2012 3,23411,652410,22418,95654,126714,9712,798,192
2013 3,24811,172417,54717,57754,792711,4942,793,171
20143,24610,933423,82817,28255,290695,2772,851,733
2015 3,26110,539430,99316,30855,726690,4802,812,894
20163,28010,443436,96116,46757,509703,5172,792,309
2017 3,29210,257442,82216,36157,323691,4712,792,514
2018 3,29610,046449,18316,04757,401685,1662,811,748

 21世紀に入ってからの書店の減少は本クロニクルでずっとトレースしてきているが、公共図書館は書店とは逆に700館ほど増えている。19年は戦後初めての3300館を超えることになるだろうし、それがさらに書店数のマイナスへとリンクしていくのは自明だろう
 しかし貸出数は2010年代に入り、7億冊を超えていたが、14年以後は下降気味で、18年は6億8000万冊と、この10年間で最低となっている。ひょっとすると、図書館にしても、スマホの影響を受け始めているのだろうか。
 いずれにせよ、登録者数も微減しているし、高齢化社会の進行もあり、個人貸出数は10年代前半でピークを打ち、これ以上の増加は難しく、こちらも微減を続けていくように思われる。



11.たまたま新刊の曽我謙悟の「170自治体の実態と課題」というサブタイトルの『日本の地方政府』(中公新書)を読み、10の公共図書館に関しても教えられることが多かったので、ここで取り上げておきたい。
 とりわけ言及するのは第2章「行政と住民―変貌し続ける公共サービス」である。そこでの図書館絡みの重要なところを要約してみる。世界的に1990年代までは公共サービスや公共事業は行政がほぼ一手に担っていたが、2000年代以降、民間企業、NPO、及びPFI(Private Finance Initiative)を始めとする種々の官民協働方式が登場して大きく様変わりした。
 PFIは公共施設の建設に、指定管理者制度は公共施設の運営に、民間部門を参入可能にするものである。日本では1999年にPFI法、2003年に指定管理者制度が導入され、さらに2011年のPFI法改正で、コンセッション方式と呼ばれる民間部門の手で、施設の建設から運営までが可能になった。
 そこで登場してくるのが「ツタヤ図書館」なのである。これは要約しないで、直接引用しておくべきだろう。

日本の地方政府

 佐賀県武雄(たけお)市に登場したいわゆる「ツタヤ図書館」も、指定管理者制度によるものである。二〇一三年四月の武雄市にはじまり、その後神奈川県海老名(えびな)市、宮城県多賀城(たがじょう)市、岡山県高梁(たかはし)し、山口県周南市(しゅうなん)市宮崎県延岡(のべおか)市に導入され、和歌山市にも導入予定である。他方で、愛知県小牧(こまき)市での計画は住民投票の結果を受け、撤回された。書店やカフェを併設することにとどまらず、新たな書籍の購入や独自の配列基準に基づく書架への配列、ポイントカードを貸し出しカードとすることなどは、指定管理者の制度によって可能となった。
 PFIや指定管理者制度を地方政府が多く用いるのは、財政と職員の不足が要因である。これにより新たな市場が生まれることを歓迎する民間事業者も背景にある。たとえば、二〇一八年に開館した周南市の「ツタヤ図書館」に支払われる指定管理費は年間一億五〇〇〇万円である。PFIと指定管理者制度が生み出した「行政市場」は、現在の日本には珍しい成長市場である。行政と事業者の双方が求めるのだから、PFIや指定管理者制度が拡大するのも当然である。


 この部分を読むに至り、10において、公共図書館の専任職員数が1999年の1万5000人から、2018年には1万人と減少していることとパラレルに指定管理者制度が導入され、「行政市場」が成立したとわかる。
 それはまさに公共における「新自由主義」の導入に他ならず、思わず中山智香子の『経済ジェノサイド』(平凡社新書)を連想してしまった。こちらに引きつけて例えれば、純然たる「民営化」と「行政市場」のメカニズムの相違は、出版と出版業の乖離以上のものがあることになる。いずれも新書として好著なので、一読をお勧めする。
 本当に公共図書館もまたどこに向かおうとしているのだろうか。
 経済ジェノサイド



12.『人文会ニュース』(No131)に東大出版会の橋元博樹営業局長による「平成の『出版界』―専門書と書籍流通の30年」が掲載されている。

 このような論稿が『人文会ニュース』に書かれるようになったのは、行き着くところまで来てしまったことに加え、その内部の営業責任者もそうしたプロセスの中で、否応なく成熟せざるを得なかったことを告げているように思われる。
 筑摩書房の田中達治営業部長が存命の頃は私も出かけていって、出版社、取次、書店の人たちと話し合う機会を多く持った。しかし特に出版社の人たちは自らのポジションからの思い込みに束縛され、トータルな視座からの出版業界の分析、それに基づく危機の問題を説明することは難しい印象が強かった。だからこのような出版史も、出版社側からは提出されてこなかったのである。
 ただそれは2010年までのことであり、現在ではもはや危機は至るところに露出し、このような橋元の論稿も書かれ、掲載されることになったのだろう。
 拙著も出てくるからではないけれど、広く読まれることを願う。


13.またしても訃報が届いた。講談社の元編集者白川充が亡くなった。

 白川は1980年前後に船戸与一『非合法員』、志水辰夫『飢えて狼』を送り出し、冒険小説ブームのきっかけを担ったといっていい。
 その仕事は原田裕『戦後の講談社と東都書房』(「出版人に聞く」14)でふれられ、新保博久『ミステリ編集道』(本の雑誌社)で語られている。
 最後に会ったのは5年前の、前者の出版記念会の席だった。
 ご冥福を祈る。
非合法員  f:id:OdaMitsuo:20190530001657j:plain:h111 戦後の講談社と東都書房  ミステリ編集道



14.拙著『古本屋散策』が刊行された。
 読み切り200編を収録しているが、きっと何冊かは読んでみたいと思う本に出会えるはずだ。
 600ページという大冊になってしまい、高定価でもあるので、図書館にリクエストして頂ければ、有難い。
古本屋散策


15.今月の論創社HP「本を読む」㊵は「草風館、草野権和、『季刊人間雑誌』」です。