出版・読書メモランダム

出版と近代出版文化史をめぐるブログ

古本夜話934 モースの弟子たちと『民族』

 もう一編モースに関して続けてみる。山田吉彦は『太平洋民族の原始経済』の「後書」において、講義後のモースとの交流について、次のように書いている。

 火曜日には私はモース教授と同じ通りに住んでゐたので一緒に帰るように誘はれた。電車賃は何時もモース教授の厄介になつた。私が如何に払はうとしてもこれは絶対的に拒否された。ポルト・ドルレアンまでの電車の中では以前同教授のところで勉学した宇野、赤松、松本(信広)等の諸教授の近況をよく訊ねられた。宇野博士が宗教社会学を書かれたことを告げるとモース先生は“ははあ、先を越されたな”と髭の唇に微笑を浮かべられた。

 これには少しばかり注釈が必要であろう。山田が渡仏し、ソルボンヌ大学で社会学、民族学を専攻し、モースに師事したのは、昭和九年から十年にかけてである。それから考えると、「以前同教授のところで勉学した宇野、赤松、松本(信広)等」が留学したのは、モースが『社会学年報』を復刊し、民族学研究所を創設し、民族誌学の講義を始めた一九二五、六年=大正十四、昭和二年以後と見なせるだろう。ちなみに宇野は宇野円空、赤松は前回も挙げたシルヴァン・レヴィ『仏教人文主義』の日仏会館出版代表者の赤松秀景で、その理由は後述する。松本(信広)は松本信弘であることはいうまでもあるまい。これらのモースと日本人研究者の背景には柳田国男が大正十四年十一月に自ら命名し創刊した『民族』を置くことができよう。

 『民族』は人類学や民族学を志していた岡正男雄と柳田の出会いをきっかけとし、岡の友人、先輩の田辺寿利、石田幹之助、有賀喜左衛門、奥平武彦を含む六人が発起人、編集委員となってスタートした。石田は東洋史学者で、当時はモリソン文庫(東洋文庫)在籍、田辺は本連載929などで既述しているように社会学者、奥平はドイツ人文地理学専攻、有賀喜左衛門は後に農村社会学へと進んでいる。これらの様々な分野の若い人文学徒との結びつきは、柳田が『民族』に託した民俗、民族、人類、考古、言語、歴史、社会学といった広範な総合雑誌のイメージに起因しているのだろう。

 それは『民族』第一号に寄せられた「編輯者の一人より」の、次のような言葉にも表出している。これは無署名ながら、柳田によるものだ。

 「民族」と云ふ名称は、言はゞ記憶と会話の便の為に選定せられた標語である。我々は雑誌の編輯に由つて、民族に関する学問の範囲を限定せんとする野心を持たぬ。羅らば我々の事業の領域はどれ迄かと言ふと、是も亦追々に読者が之を決するであらうと思ふ。而して此雑誌が繁栄し且つ永続する間には、多数の力は自然に相作用して、真に何々学と名くべき大なる一体を作り上げることと信ずる。我々計画者の之を切望することは申す迄も無いが、読者諸君に取つても之は甚だ楽しみな未来であると言はねばならぬ。

 それは第一号の執筆者とテーマにも投影され、浜田耕作「石金両時代の過渡期の研究に就いて」、井波普猷「琉球語の母韻統計」、新城新蔵「十二支獣に就いて」、柳田国男「杖の成長した話」、鳥居龍蔵「太平洋諸島の巨石文化に就いて」がメイン論文として並んでいる。新城は重力や地磁気の研究から天文学に進み、後の京都帝大総長である。

 こちらに先の「編輯者の一人より」、リヴァース、岡正雄訳「民族学の目的」、奥平武彦「ラッツェル以後」、石田幹之助「書庫の一隅より」、有賀喜左衛門「浜田教授の『豊後磨崖石仏の研究』」といった編集委員たちの翻訳や論稿、書評が続いている。また「北方文明研究会の創立」「啓明会と南島研究」「おもろ草子の校訂刊行」などの告知、紹介記事も付され、それから「学友書信集」もあり、そこには「巴里(松本信広君)より『民族』同人へ」という便りの掲載もある。この信広君こそ、モースが山田に近況を訪ねた松本に他ならない。そこにはマルセル・グラネ、ペリオ、マスペロ、プシルスキイ、モースの消息や講義が語られ、本連載738のアンダーソンや、パリで日本学の代表であるエリセーエフと交流し、ロシア語を習っていることも述べられている。これに「倫敦の秋葉隆君より『民族』の一同人へ」も加えれば、このようなインターナショナルな状況の中で、『民族』が創刊されたことが自ずと伝わってくる。

 なお柳田と『民族』の関係については、柳田国男研究会編纂 『柳田国男伝』(三一書房)の第十章「日本民俗学の確立」において、「雑誌『民族』とその時代」で詳細にたどられている。また『民族』は昭和六十年に岩崎美術社から全冊、全七巻が復刻されているので、それを参照していることを付記しておく。

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古本夜話933 シルヴァン・レヴィ『仏教人文主義』とマルセル・モース

 本連載929のデュルケム『社会学的方法の規準』の「訳者前がき」において、昭和二年に田辺寿利が関係しているフランス学会と東京社会学研究会の共催で、デュルケム十周年祭が開かれ、そこで当時東京日仏会館フランス学長のシルワ゛ン・レヰ゛、宇野円空、赤松秀景、それに田辺の四人がデュルケムの様々な学問的業績に言及したと述べている。
f:id:OdaMitsuo:20190617222817j:plain:h120(創元社)

 実はその翌年にシルワ゛ン・レヰ゛=シルヴァン・レヴィの『仏教人文主義』が刊行され、レヴィはコレージ・ド・フランス教授、日本帝国学士院客員との肩書が付され、高楠順次郎閲、山田龍城訳とある。これは「印度と世界」を始めとする六編からなり、最後の「合法人文主義」が「ダッカ大学に於ける講演」と記されているように、その話体訳からして、ほとんどが講演草稿だったと思われる。

 そのことが作用してか、本文は一八五ページだが、菊判、皮装の上製、函入のフランス学術書の体裁の造本で、口絵写真としてレヴィの「小照及筆蹟」も掲載に及んでいる。奥付には日仏会館出版代表者として前出の赤松秀景の名前があり、発行者として高楠正男、発行所は大雄閣書房とある。本連載505で示しておいたように、高楠正男は高楠順次郎の息子、大雄閣書房はその出版社で、おそらく父が校閲したことから、その発売を引き受けたのであろう。それゆえに正確にいうならば、日仏会館が発行所で、大雄閣書房は発売所と見なすことができよう。

 私がシルヴァン・レヴィの名前を初めて知ったのは、拙稿「青蛙房と『シリーズ大正っ子』」(『古本探究Ⅱ』所収)や本連載507などの岩野喜久代の『大正・三輪浄閑寺』においてだった。彼女は嫁いだ三輪浄閑寺の新古のあらゆる仏教書収集の中で、「幻の辞典」とされるフランス語の仏教辞典『法宝義林』を見出して驚喜した。学者たちの間でもほとんど見る人がいない『法宝義林』について、知るところを書いている。
古本探究2

 大正八年に万国学士院会議がパリで開かれ、日本から高楠先生が出席された。当時フランスは東洋学の世界的権威と自負していて、印度、中央アジアなどで発掘された梵本の解読も進み、シルヴァンレヴィ教授のように、西域の未知語亀玆(クツチヤ)語を自由に解される学究もいられたから、日本の碩学高楠博士を迎えて、フランス語の仏教辞典編纂の企画が、セナール学士院長やレヴィ教授をまじえて、商議された。
 高楠先生はその時、(中略)仏教研究の最も完成しているのは日本であるから、日本語を元にしなくては、真の仏教辞典は出来ぬと力説され、レヴィ教授もセナール院長もこれに同意されて、およその方針が決まったという。
 それから関東大震災をすぎて、昭和二年にレヴィ教授が日仏会館長になって日本に来られたのを機会に、日本とフランスの学者陣の協力の下、編纂が開始された。

 この『法宝義林』は高楠が亡くなる戦前にA・B・Cの三巻が上梓され、戦後の昭和四十二年にDが出された。岩間は山田龍城の第五巻の刊行はまだ見当がつかないという証言を挙げ、最後の巻が出るまでに百年を要するのではないかと述べている。その後も『法宝義林』の刊行は続いているのだろうか。

 それはともかく、この岩間の言及によって、レヴィをめぐる日本人人脈と『仏教人文主義』の出版の背景が浮かび上がってくるように思われた。しかし今世紀に入ってのことだが、モース研究会『マルセル・モースの世界』(平凡社新書、平成二十三年)が出るに及んで、そこには高島淳「『供儀論』とインド学―もう一人の叔父シルヴァン・レヴィ」が収録され、先述した写真とともに、『法宝義林』のことも含め、レヴィの日本との関係にふれている。
マルセル・モースの世界  

 だがここで特筆すべきはモースの最初の重要な著作『供儀論』はレヴィのサンスクリット文献研究に端を発していることだ。モースは叔父のデュルケムの勧めにより、パリに出て高等研究実習院のレヴィの指導を受け、その結果、彼がモースにとって「第二の叔父」となったのである。それはレヴィがデュルケムと同様にユダヤ人であり、そのこともモースに大きな影響を与えたと考えられる。それらの具体的な事情は高島の論稿を見てほしいが、『マルセル・モースの世界』において、巻末に「モース関連名鑑」が付され、そこにはレヴィのプロフィルが高島自身によって提出されているので、それを示しておく。

 レヴィ、シルヴァン (Sylvain Lévi 1963-1935) 
 インド学者。コレージュ・ド・フランス教授、日仏会館初代館長。日本においては特に大乗仏教のサンスクリット原典の研究で知られているが、幅広い関心の中心には「歴史なきインド」に歴史を返すという心意気があったのではないかと思われる。デュルケムと親交を結び、モースの師であった。

 なおここに見える「歴史なきインド」云々は、『仏教人文主義』所収の「印度と世界」にうかがわれるし、また彼の死に際し、高楠がラジオで追悼講演しているという。


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古本夜話932 内田老鶴圃、『チ氏宗教学原論』、内田魯庵訳『罪と罰』

 前々回の『自殺論』の訳者として、東北帝大で社会学講座を担当していた鈴木宗忠の名前を挙げておいたが、それに先立つ大正五年に、『チ氏宗教学原論』を早船慧雲と共述刊行している。これは内田老鶴圃からの出版で、手元にあるのは菊判上製四七〇余ページの裸本、大正八年の再版である。
f:id:OdaMitsuo:20190722170248j:plain:h120(『チ氏宗教学原論』)

 この本を教えられたのは本連載911などの比屋根安定訳によるC・P・ティーレ『宗教史概論』(誠信書房、昭和三十五年)においてだった。「チ氏」=ティーレは一八三〇年オランダに生まれ、ライデン大学で宗教学、宗教哲学を講じ、本連載でもお馴染みのマックス・ミュラーとともに宗教学の創立者とされる。『宗教史概論』は七七年、『宗教学原論』は九七年の刊行で、後者が『チ氏宗教学原論』に当たる。しかしどのような事情なのか、平凡社の『世界宗教大事典』(平成三年)にあっては、ミュラーは立項されているのに、ティーレの名前は見出せない。
f:id:OdaMitsuo:20190722165247j:plain:h115

 それらはともかく、『チ氏宗教学原論』は英訳からの重訳で、前編が「宗教発達論」とされ、宗教学の概念と方法、宗教の発達が論じられ、後編の「宗教本質論」では宗教の恒存的要素としての表現と成分、つまり言語や行為と情緒、概念、情操への言及となる。だがこれらの翻訳に関して、意訳、省略、構成変更、抄訳処理を施しているために、「吾人は此翻訳を共訳としないで、共述とした」との断わりも記されている。

 このような「共述」によって『チ氏宗教学原論』を刊行した目的は「之に依つて適当な宗教学教科書を提供」することにあり、その事情として、「我国には一般宗教学を教ゆる学校を随分沢山にあるやうだけれど、適当な教科書もないので困つて居る」ことが挙げられている。この述懐から推測すれば、『チ氏宗教学原論』は大学の教科書として刊行されたはずで、早船も鈴木と同様に東北帝大の教授だったのではないだろうか、そのように考えてみると、内田老鶴圃から出版された経緯が理解できるように思う。

 『出版人物事典』から内田老鶴圃の創業者を引いてみる。

 [内田芳兵衛 うちだ・よしべえ]生年不詳~一八九八(不詳~明治三一)内田老鶴圃創業者。福井県生れ。紙漉の老舗内田一族という。一八七四年(明治七)ころ上京、日本橋西河岸に絵草紙屋と和紙仲介業を開き、書籍の仲買業も行っていたが、八〇年(明治一三)『老鶴万里の心』という本を出版、店の名前を書肆内田老鶴圃とした。八七年(明治二〇)日本橋大伝馬町に移り、そのころから中等教科書や学術書、参考書の出版で名を売った。東京書籍出版営業者組合評議員などをつとめた。

 確かに『チ氏宗教学原論』の奥付住所は日本橋区大伝馬町二丁目とあるし、この記述から同書も学術書兼教科書として刊行されたことがうかがわれる。だが近代文学史において、内田老鶴圃の名前が印象づけられるのは明治二十五年の内田魯庵訳、ドストエフスキー『罪と罰』である。これは丸善に入荷したヴィゼッテリー社の英訳からの重訳で、『明治翻訳文学集』(『明治文学全集』7、筑摩書房)に収録され、現在でもその翻訳を読むことができる。
f:id:OdaMitsuo:20190722210112j:plain:h120 明治翻訳文学集

 そしてそこには『文学界』同人の北村透谷や島崎藤村たちを驚かせ、深遠な影響を与えたシーンが描かれている。それはラスコーリニコフと下宿の女中の会話である。女中はあなたは利口なのにごろごろしてばかりで、お金になることは何もしていないという。それに対して、彼は答える。会話の部分だけを抽出してみる。

 『自己(おれ)だツて為てゐる事がある』(中略)
 『何を?』
 『何をツて、或る事をサ』
 『どんな事?』(中略)
 『考へる事!』(中略)
 『考へる事ツて、それがお金子(かね)になるンですか』

 ここに『考へる事』をしている青年が突然出現したことになるし、これはその後、近代文学のコアを形成し、様々に変奏されていくことになろう。

 この『罪と罰』は丸善に三部入荷し、他の二冊は森田思軒と坪内逍遥が購入した。内田は長谷川辰之助=二葉亭四迷の校閲を求め、明治二十五年十一月に第一巻、翌年二月に第二巻が刊行された。だが世評が高かったにもかかわらず、売れ行きは芳しからず、第二十章で中絶してしまったのである。『明治翻訳文学集』の口絵写真には『罪と罰』第一巻の書影が掲載され、表紙には内田老鶴圃という版元名がはっきりと記されている。しかしその翻訳刊行に至る事情と経緯に関してはまったく判明していないのである。

 なお内田老鶴圃は創業者の内田芳兵衛の死後、三代目内田作蔵社長の長女と結婚した内田篤次が養嗣子として四代目を引き継ぎ、昭和十四年には『採集と飼育』を創刊し、自然科学関係の雑誌、書籍の出版に力を注いだとされる。だがその全出版目録も社史も刊行されていないはずで、戦後も含め、その全貌は定かでない。


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古本夜話931 北村寿夫『笛吹童子』と宝文館「ラジオ少年少女名作選」

 フランス社会学などの話が続いてしまったので、ここで箸休めの一編を挿入しておきたい。それは前回宝文館にふれたことに加え、浜松の典昭堂で、戦後に宝文館から刊行された北村寿夫『笛吹童子』全三巻を入手したことによっている。

 これは昭和二十九年に刊行された宝文館の「ラジオ少年少女名作選」のうちの一作で、その巻末広告には『笛吹童子』の他に、同じく北村『白鳥の騎士』、青木茂原作・筒井敬介脚色『三太物語』、菊田一夫『鐘の鳴る丘』『さくらんぼ大将』が並んでいる。

 私は昭和二十六年生まれなので、これらのラジオ放送をリアルタイムで経験していないけれど、『笛吹童子』の巻頭に置かれた主題歌の「ヒャラリ ヒャラリコ ヒャラリ ヒャラリコ だれが吹くのか 不思議な笛だ」と始まるメロディと歌詞は記憶にある。これは北村作詞、福田蘭堂作曲である。そのことを考えるために、その時代に戻ってみる。

 私たち戦後世代にとって、テレビが家で見られるようになったのは昭和三十年代半ばを過ぎてからで、それまではラジオを聞いていたのである。ちなみに当時はテレビ、冷蔵庫、洗濯機などの電化製品はまだ普及しておらず、それはガスや水道にしても同様だった。自動車に関してはいうまでもないだろう。昭和三十一年の『経済白書』は「もはや戦後ではない」と宣言していたが、現実の日常的生活はまだ戦前と地続きで、そのようなものだった。それゆえに現在からは想像もつかないほど、メディアとしてのラジオは大きな役割を占めていた。

 日本放送協会編『放送五十年史』(昭和五十二年)は昭和二十二年から二十五年まで、ほぼ週五日、十五分連続放送された菊田の『鐘の鳴る丘』が戦災浮浪児救済をテーマとしていたこともあって、ラジオを通じての新しいドラマを提供し、そうした物語が戦後の日常生活に組み入れられていったと指摘している。

 つまり先述した「ラジオ少年少女名作選」シリーズはその書籍化であり、前回ふれたように宝文館は戦前から放送物を手がけていたので、やはり一世を風靡した菊田の『君の名は』とともに、これらの出版権を得たことになろう。北村の場合、「NHK放送新諸国物語」として、『白鳥の騎士』や『紅孔雀』まで含まれているので、『紅孔雀』も宝文館から「ラジオ少年少女名作選」シリーズとして刊行されたはずで、放送劇台本の小説化を代表するものとされる。そしてこの北村の「新諸国物語」三部作が東映で映画化されたことによって、ラジオでは聞いていなかったけれども、『笛吹童子』を観ることを通じ、主題歌のメロディと歌詞を覚えたのかもしれない。ただそれらの細切れの記憶は残っていないが、映画『紅孔雀』は数部仕立てだったことは確かだ。
笛吹童子 紅孔雀

 そうしたビジュアルアーカイブとしての平凡社の『子どもの昭和史 昭和二十年―三十五年』(「別冊太陽」)には、北村の三部作の書影や東映映画『紅孔雀』のポスターも収録され、私たちがふれてきた戦後の文化のクロニクルを形成している。また日本児童文学学会編『児童文学事典』(東京書籍)の北村の立項によれば、「『新諸国物語』は連続放送劇としてヒットし、主題歌の『笛吹童子』のメロディとともに一〇年間にわたって茶の間の人気を博した」とある。ということは映画だけでなく、長きにわたって『笛吹童子』の歌が様々に流れていたことになるのだろうか。

子どもの昭和史 昭和二十年―三十五年 児童文学事典

 しかし当然のことながら、『笛吹童子』のほうはまったく思い出せず、宝文館版で初めて読んでいくと、この物語が室町時代、しかも応仁の乱が背景となっているのである。その社会状況は次のようなものだ。

 花の都はやけ野と化し、天下また麻のごとくみだれ、野盗は横行し、人は家を失い、世の秩序はうしなわれてしまった。強い者は斬りとり強盗勝手しだい、いやはやお話にもならない暗黒時代である。
 がんらいが、応仁の乱というのは、足利幕府の権臣、執事職の細川家と侍所の大将である山名氏との勢力あらそいから起ったもので、この大乱は前後十数年もつづいた。そのために天下の大名もそれぞれの勢力にわかれて、いたるところ平和の里なく、ために世はかりごもと乱れ切ったのだ。

 まさに意外な時代設定であり、近年のベストセラー『応仁の乱』(中公新書)の呉座勇一にしても、この時代小説でもある『笛吹童子』が応仁の乱を背景としていることを知らないだろう。だがそれは応仁の乱を浮かび上がらせるというよりも、敗戦と占領下の戦後社会のメタファーを意味しているのかもしれない。
 応仁の乱

 それはともかく、応仁の乱における丹羽の満月城は一団の野武士によって包囲され、襲撃を受けていた。城主の丹羽は幕府に助けを求めたが、何の支援もなく、城を屈服せずに守っていたが、老臣の上月右門とその息子の左源太を始めとする籠城の将士たちは食にも窮するところまで追いこまれていた。そうした中で、右門が姿を消し、左源太も父を探すために城を出て、援兵を頼むために丹後の三本松城へと向かう。すると吹雪の中で、何者かに襲われ、格闘となるが、それは思いがけずに父だった。父は城主の密命を受け、城を脱け出していたのである。父と別れ、左源太は三本松城に向かうが、そこはすでに野武士の手に落ち、それは満月城も同様の運命にあった。

 そして『笛吹童子』のタイトルの由来が明かされる。丹羽城主には双生児の萩丸、菊丸という息子があり、貿易船を有し、明国や朝鮮との交易を行なっていたことから、萩丸は貿易船の宰領として海外に、菊丸は明国で面作りを学んでいた。菊丸は小さい頃から笛がうまく、師から名笛をもらい受け、笛吹童子と呼ばれるようになっていた。そしてここから実質的に『笛吹童子』の物語が始まっていくことになる。

 このイントロダクションは昭和三十四年から始まる白土三平の『忍者武芸帳』を彷彿とさせるし、また角田喜久雄、柴田錬三郎などの伝奇時代小説のイメージと重なってくる。おそらくこのような物語コードはラジオを通じ放送劇として広く伝播し、それから映画、貸本マンガ、紙芝居などだけでなく、テレビドラマへとも継承されていったのではないだろうか。

忍者武芸帳  


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出版状況クロニクル135(2019年7月1日~7月31日)

 19年6月の書籍雑誌推定販売金額は902億円で、前年比12.3%減。
 書籍は447億円で、同15.5%減。
 雑誌は454億円で、同8.9%減。その内訳は月刊誌が374億円で、同8.0%減、週刊誌は80億円で、同12.9%減。
 返品率は書籍が43.4%、雑誌は44.7%で、月刊誌は44.8%、週刊誌は44.4%。
 5月に続いて、6月も大幅なマイナスで、2ヵ月連続の最悪の出版流通販売市場となっていることが歴然である。
 まさに7月からの出版状況はどうなっていくのだろうか。



1.出版科学研究所による19年上半期の出版物推定販売金額を示す。
 まず最初に出版科学研究所による1~5月期のデータに誤りがあり、書籍雑誌推定金額と雑誌推定販売金額が修正されていることを断わっておく。
 2019年上半期の書籍雑誌推定販売金額は6371億円で、前年比4.9%減。
 書籍は3626億円で、同4.8%減。
 雑誌は2745億円で、同5.1%減。その内訳は月刊誌が2241億円で、同4.3%減。週刊誌は504億円で、同8.4%減。
 返品率は書籍34.9%、雑誌が44.2%で、月刊誌は44.7%、週刊誌は41.9%。


■2019年上半期 推定販売金額
推定総販売金額書籍雑誌
(百万円)前年比(%)(百万円)前年比(%)(百万円)前年比(%)
2019年
1〜6月計
637,083▲4.9362,583▲4.8274,500▲5.1
1月87,120▲6.349,269▲4.837,850▲8.2
2月121,133▲3.273,772▲4.647,360▲0.9
3月152,170▲6.495,583▲6.056,587▲7.0
4月110,7948.860,32012.150,4745.1
5月75,576▲10.738,843▲10.336,733▲11.1
6月90,290▲12.344,795▲15.545,495▲8.9

 上半期トータルで見ると、書籍雑誌のマイナス幅は少し改善されているように見える。だがこれはひとえに5月連休前の大幅な送品の増加に伴う、4月の8.8%増というデータによって支えられているからだ。
 これから問題なのは5、6月のような最悪の出版流通販売市場が続いていけば、書店市場そのものが恒常的な赤字に陥ってしまうであろう。
 一部ではそれが続けてふれる2、3、4のように現実化し、徐々に全体へと波及していく。それは19年下半期にさらに加速していくであろう。



2.文教堂GHDと子会社の文教堂は6月28日、事業再生実務家協会に「産業競争力強化法に基づく特定認証紛争解決手続」(事業再生ADR手続き)を申請し、受理された。
 それに伴い、2社と事業再生実務家協会は金融機関に、借入金元本の返済などの「一時停止の通知書」を送付した。
 7月12日に「事業再生ADR手続き」に基づく第1回債権者会議が開かれ、出席金融機関のすべてが2社の借入金元本返済の「一時停止」に同意した。
 この「一時停止」の期間は9月27日の事業再生計画案を決議する債権者会議終了時までで、今後はすべての金融機関と協議しながら、事業再生計画案を策定し、その成立をめざす。

 文教堂GHDの債務超過や大量閉店、上場廃止問題に関して、本クロニクル129や132などでずっとトレースしてきたが、ついにこのような事態となった。「事業再生ADR手続き」とは会社更生法や民事再生などの法的手続きによらず、債権者と債務者の合意に基づき、債務を猶予、または減免するための手続きとされる。
 結局のところ、8月までの債務超過解消は困難で、上場廃止も避けられないことから、「事業再生ADR手続き」がとられたと判断できよう。
 それに対して、金融機関は借入金元本返済の「一時停止」に同意し、日販も「これまで通りの取引を行い、営業面で支援していく」ということだが、書店市場が最悪の中で、本業の回復は不可能に近い。そのような状況において、上場書店、大手取次、金融機関のトライアングルはどのような展開を示していくのであろうか。
 なお6月の文教堂閉店は6店である。
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3.『FACTA』(8月号)が「粉飾歴40年『フタバ図書』に溜まった膿」という記事を発信している。それを要約してみる。

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* フタバ図書は1913年創業で、広島県を中心に60店舗移譲を展開する大型書店であり、年商は373億円。
* 発端は6月初旬のシステム障害で、商品の入荷が遅れ、予約や注文ができない異例の事態に陥り、混乱を招いた。それと同時に5月末の取引先への支払いも遅延していたことが判明し、「単なるシステム障害」ではないとの不安が広がった。
* 緊急招集したバンクミーティングで、「40年前から粉飾決算をおこなってきた」と告白し、取次の日販の支援と銀行団からの返済の一時棚上げは認められたが、経営再建できるのかは未知数。
* 昨年10月、世良與志雄社長が急死し、財務などの経営管理担当の実弟世良茂雄専務が後継したが、すぐに手をつけたのが資金調達で、既存借入金だけで100億円を超えているにもかかわらず、60億円という巨額だった。
* それによって、従来の決算内容に疑惑が生じ始めた。表面上は毎期10億円規模の営業利益を出していたが、在庫が100億円強と多すぎるので、利益率も不自然に高かった。
* そのことに対して、フタバ図書は飲食店、コンビニ、コインランドリー、VRゲームとカフェバーの複合店、24時間営業のジム「ハイパーフィット24」のFC店などの多角経営による高収益と説明してきた。だが今回のシステム障害で、長年の不足会計が露呈してしまった。
*今後、数ヵ月かけて、専門家によるデューデリジェンスが行われるが、20億から30億の簿外債務が指摘され、在庫などの資産評価の洗い直しが必至である。  


 本クロニクル128で、同じく広島の老舗書店広文館の破綻とトーハン主導の第二会社設立を伝えたが、フタバ図書と日販はどのような道筋をたどることになるのか。
 前回のクロニクルで、フタバ図書TERAワンダーシティ店1100坪の閉店を伝えているが、それは象徴的な始まりに他ならず、いずれにしてもリストラと大量閉店は避けられないだろう。
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4.札幌市のなにわ書房が破産申請。
 なにわ書房は1954年設立で、ピーク時の2000年には売上高13億円を計上していたが、それ以後は販売不振が続き、17年には大垣書店とFC契約を締結していた。
 しかし売上高は18年には4億8000万円となり、業績回復は困難で、今回の処置となった。負債は2億9000万円。

 なにわ書房といえば、かつてはリーブルなにわというよく知られた店を有していたけれど、今世紀に入ってからは出店と閉店の繰り返しの中で、後退を続けていたようだ。
 6月の閉店状況を見ると、なにわ書房が4店あり、いずれも東光ストアや西友のテナントとしてで、おそらくそのようなトーハンとのコラボによって延命していたと思われる。それに相次ぐ閉店は自己破産とリンクしている。
 トーハンの代理のようなかたちで、大垣書店はなにわ書房のFC化、2でふれた広島の広文館の受け皿的役割を果たしているが、双方とも清算を迫られているのかもしれない。



5.『日経MJ』(7/10)の「第47回日本の専門店調査」が出された。
 そのうちの「書籍・文具売上ランキング」を示す。


■ 書籍・文具売上高ランキング
順位会社名売上高
(百万円)
伸び率
(%)
経常利益
(百万円)
店舗数
1カルチュア・コンビニエンス・クラブ
(TSUTAYA、蔦谷書店)
360,65730.419,651
2紀伊國屋書店103,144▲0.21,35670
3ブックオフコーポレーション80,7962,120795
4丸善ジュンク堂書店74,390▲2.2
5未来屋書店52,531▲6.3▲118272
6有隣堂51,7382.030345
7くまざわ書店41,9851.2241
8フタバ図書38,9854.41,07270
9ヴィレッジヴァンガード33,466▲3.5392358
10トップカルチャー(蔦屋書店、TSUTAYA)31,4823.6▲1,20178
11三省堂書店25,400▲0.435
12文教堂24,337▲9.6▲593162
13三洋堂書店20,300▲4.4▲7781
14精文館書店19,6640.348350
15リラィアブル(コーチャンフォー、リラブ)13,8630.447310
16キクヤ図書販売11,200▲3.536
17大垣書店10,4060.99737
18オー・エンターテイメント(WAY)10,391▲6.014261
19ブックエース9,783▲4.53230
20京王書籍販売(啓文堂書店)6,447▲2.56826
21戸田書店6,010▲6.2▲6430
ゲオホールディングス
(ゲオ、ジャンブルストア、セカンドストリート)
292,560▲2.217,6321,878

 この出版危機下にあって、ほとんどが前年マイナス、もしくは微増であるのに、CCCの売上高は3606億円、前年比30.4%増、それに加え196億円という1ケタちがう経常利益率は尋常ではない。経常利益はブックオフの約10倍、紀伊國屋の15倍に及んでいるのだ。
 しかもこの「書籍・文具」全体の売上高は前回調査よりも8.8%増と大きく伸び、それはCCCによるもので、徳間書店や主婦の友社の買収効果に加え、大型店も好調ゆえだとの調査コメントも付されている。
 それだけでなく、この売上高と経常利益は連結数字によるものとされるが、どのようにして出されたものなのか、Tポイント事業はともかく、物販、図書館事業などでは多くが赤字と見られるし、釈然としない。本クロニクル132で、TSUTAYAの書籍雑誌販売額は1330億円であることを既述しておいたけれど、それに2000億円以上が上乗せされている。
 前回の本クロニクルで、CCC= TSUTAYAとコラボしてきた日販の赤字やMPDの後退も見てきたし、CCCの売上高の10%近くを占める上場会社で、10位のトップカルチャーも赤字になっている。それに今回ので、フタバ図書の長年の粉飾決算、及び文教堂の「事業再生ADR」申請にもふれたばかりだ。
 またこれも本クロニクル130などで、文教堂以上にTSUTAYAの大量閉店が18年から続いていることにも言及してきたし、CCCの2011年からの連結決算の推移についても、『出版状況クロニクルⅤ』などでトレースしてきている。

 それらの推移をたどると、CCCは出版危機が進行するほど売上高や経常利益を伸ばしていることになる。売上高における連結決算のメカニズムは不明だが、経常利益に関しては、CCCがFCに対して銀行機能を代行することで、信じられないような利益率と増益を可能にしているのではないだろうか。
 これを具体的に説明すると、CCCのフランチャイズ店は100%支払を原則とし、中取次としてのCCCはそれをベースとして日販とMPDにも100%支払を実行することによって、コラボしてきた。ところがFCの大量閉店に加え、売上の低迷もあり、100%支払が困難となり、そのショート分の金額をCCC本部が銀行金利よりも上乗せするかたちで、FCに貸付金とする。それゆえに、CCCのFCに対する貸付金の増加に伴い、利益も上昇していくことになる。FCの大量閉店はそれ自体で清算を意味していないし、未払い金が積み重ねられていくメカニズムを有しているからでもある。
 もちろんこれは日販やMPDにもダイレクトにリンクしていく取次と出版金融の危ういメカニズムに他ならないが、その資金調達が臨界点を迎えるまでは続いていくだろう。
出版状況クロニクル5
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6.『世界』(8月号)が特集「出版の未来構想」を組んでいる。そのリードは次のようなものだ。
 「第一に、このような破滅的な市場縮小は世界各国で同時進行していることなのか。もしそれでなければ、なぜ日本でこうなのだ。第二に、この傾向を反転させる道筋はありうるのか。」
 そしてこの特集は出版ニュース社の清田義昭「出版はどこから議論すればいいのか」から始まり、新文化通信社の星野渉「崩壊と再生の出版産業」で終わっている。


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 出版危機がまさに臨界点を迎えている現在において、これほど不毛な特集「出版の未来構想」が組まれたことに唖然とするしかない。
 そのリードにしても、これらは本クロニクルが10年以上にわたってレポートし、詳細に記録してきたもので、何を今さらというしかない。それに所謂「出版に詳しい」業界誌の二人の公式見解の表明を掲載すること自体が、『世界』の認識を疑わしめている。
 もし本気でこのような特集を組むとすれば、この10年間における『世界』の実売部数の推移、それから岩波新書+岩波文庫の動向も含め、岩波書店の出版物全体の現在をまず提示すべきであろう。そして自らの言葉で、「このような破滅的な市場縮小」を「反転させる道筋」を語り、岩波書店の高正味と買切制の行方も含め、「出版の未来構想」を具体的に提案しなければならない。
 しかしこの期に及んでも、岩波書店にそのような現在的認識すらもないことを、この『世界』の特集は図らずも明らかにしてしまったことになろう。



7.『自遊人』(8月号)がやはり「『本』の未来』」特集を組んでいる。

自遊人

 これもまたリードにあるように、駅前書店の消滅に象徴される出版不況の中にあって、「本の未来」を信じ、期待するという意図によって編まれた特集といっていいだろう。
 そのメインとなっているのは「箱根本箱」の開業物語であり、そのプロジェクトに携わった、他ならぬ『自遊人』編集長と日販の「担当者」が自らプロパガンダすることを目的としている印象を否めない。
 それに続く他の「本の未来」物語にしても、様々な本に関するコンサルタントたちが勢揃いしてのパフォーマンスと見なせよう。 
 このような特集を見ると、『出版状況クロニクルⅣ』で繰り返し批判しておいた丸善の小城武彦と松岡正剛の松丸本舗プロジェクトを想起せざるをえない。これは書店の実情に通じていない二人が「本の未来」に挑んだことになるけれど、失敗に終わったプロジェクトである。それなのに「奇蹟の本屋、3年間の挑戦」と銘打たれ、『松丸本舗主義』(青幻舎)として、あたかも成功したプロジェクトであるかのように喧伝されたことになる。
 その延長線上に、様々な「本の未来」にまつわるプロジェクトと言説が横行するようになったことはいうまでもあるまい。 
 それから取次が試みている不動産プロジェクトのひとつとして、「箱根本箱」は位置づけられよう。だが最も有効な不動産活用は、できるだけ高価で売却することに尽きる。実例は挙げないけれど、そのようにして多くの出版社がかろうじてサバイバルしてきた事実を認識すべきだろう。
出版状況クロニクル4 松丸本舗主義



8.久間十義『限界病院』(新潮社)を読んだ。

限界病院

 これはタイトルに示されているように、北海道の財政危機と人材難に見舞われ、民営化を迫られる市立病院を舞台とする小説にほかならない。
 それゆえに、本クロニクル133でふれたPFI(Private Finance Initiative)や指定管理業者制度が生み出した「行政市場」の中で翻弄される病院と医師の姿を描いて、出色の小説として読める。
 そのような『限界病院』を読みながら想起されたのは、公立図書館の現在の姿であり、やはりこの小説と重なるような「限界図書館」的状況が全国至るところで生じているにちがいない。
 残念ながら「限界図書館」的小説は書かれていないので、『限界病院』を読むことを通じて、それらを想像するしかない。
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9.安田理央『日本エロ本全史』(太田出版)が出された。
 1946年から2018年までの創刊号100冊をカラー図版で紹介し、その帯には「とうとうエロ本の歴史は終わってしまった」とある。


日本エロ本全史

 その面白さをどう伝えればいいのかと考えていたが、著者が中学生の頃からエロ本を買って衝撃を受け、「自分もいつかはエロ本の編集者になりたい」と思うようになり、実際になってしまったという事実に尽きるだろう。
 実は私も中学生の頃から「売れない物書きになりたい」と思い、本当にそうなってしまった。おかしいことは人後に落ちないけれど、まさかエロ本の編集者になりたいと思っていた中学生がいたとは!
 ただ残念なのは、私がインタビューした飯田豊一『「奇譚クラブ」から「裏窓」へ』(「出版人に聞く」シリーズ12)が参考文献として挙がっていないことだ。
 だがそれはともかく、資料的にも優れ、楽しい一冊なので、全国の公共図書館3300館にも必備本として推奨したいが、リクエストしても無理かもしれない。
『「奇譚クラブ」から「裏窓」へ』



10.レオナルド・パデゥーラ『犬を愛した男』(寺尾隆吉訳、水声社)を読了。

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 このキューバ人作家の小説を読むのは初めてだったが、19年上半期ベスト1に挙げたいと思う。670ページに及ぶ長編『犬を愛した男』は、1940年のトロツキー暗殺者が生涯の最後の数年を犬とともにキューバで過ごしたことに触発され、ロシア革命とスターリン体制、スペイン内戦を横断し、暗殺者と犠牲者の生涯が追跡され、小説的物語へと昇華していく。
 ロシア革命やスペイン内戦の翻訳編集に携わっていたこともあり、久し振りにフィクションへの堪能感を味わい、ラテンアメリカ文学の健在さを確認した次第だ。またやはりトロツキー暗殺をテーマとするジョセフ・ロージー監督、アラン・ドロン、リチャード・バートン主演の『暗殺者のメロディ』(1972年)を思い出したりもした。
 この『犬を愛した男』は水声社の「フィクションのエル・ドラード」の一冊でもあるので、この叢書のすべてを読むことにしよう。

 この読了に味をしめ、次のマーロン・ジェイムズの大長編『七つの殺人に関する簡潔な記録』(旦敬介訳、早川書房)にも挑んだのだが、『犬を愛した男』ほどには乗り切れなかった。それでもこの小説のテーマであるボブ・マーレイ殺人未遂事件から、1980年代に読んだコミックの一シーンが浮かび上がってきた。
 それは『出版状況クロニクルⅣ』などで二人の死を追悼してきた狩撫麻礼作、谷口ジロー画『LIVE ! オデッセイ』(双葉社)である。アメリカからかえってきたオデッセイは誰も聴いていないビアガーデンでバンド活動を再開しようとしていう。
「奴らをこっちに向けてみせる。フルボリュームで “ I SHOT THE SHERIFF ” だ。あの世のボブ・マーレイに捧げる」と。そして10ページにわたって描かれる演奏シーンはあたかもレゲエを描いているようで、二人の作品のコラボの秀逸さを見事に伝えるものだった。
 この調子でと、さらにウィリアム・ギャディスのこれも大長編『JR』(木原善彦訳、国書刊行会)も読み出したのだが、まだ読了していない。


暗殺者のメロディ 七つの殺人に関する簡潔な記録 LIVE! オデッセイ JR



11.拙著『古本屋散策』はまったく書評も紹介も出ないので、おそらく「忖度」により、『日本古書通信』(8月号)に樽見編集長との3ページ対談が掲載されます。
古本屋散策

 またこれは18年10月のシンポジウムの記録ですが、好評ということで、最近になって「CINRA.NET「郊外」から日本を考える 磯部涼×小田光雄が語る崩壊と転換の兆し」がネットにアップされました。若い人たちの試みなので、アクセスして頂ければ幸いです。

 なお今月の論創社HP「本を読む」㊷は「紀田順一郎、平井呈一、岡松和夫『断弦』」です。