出版・読書メモランダム

出版と近代出版文化史をめぐるブログ

古本夜話951 マスペロ『道教』

 続けてマスペロに言及してみる。まず『世界名著大事典』(平凡社)の著者立項を挙げてみよう。

世界名著大事典

 マスペロ Henri Maspero(1883-1945)フランスの中国学者。オリエント史の大家ガストン・マスペロの子。中国学者シャヴァンヌに師事。ハノイ極東学院研究員、コレージュ・ド・フランス教授。第2次大戦末にドイツの収容所に没した。古代中国史に最も学殖が深く、さらに中国の宗教、思想、科学史、あるいは中国語、ヴェトナム語およびヴェトナム史などにも業績を残した。その明せきな理解力と百科全書的博識は、西欧中国学会の代表的存在であった。(後略)

 この立項は昭和三十七年のもので、主著として『古代中国』と『唐代の長安方言』が挙げられ、それらの解題も『世界名著大事典』に収録されているが、戦前も含めて、まだ当時は翻訳刊行がなかったようだ。これを少しばかり補足しておけば、マスペロは昭和三年から五年にかけて、日仏会館学長として東京に滞在している。「ドイツ収容所に没した」とは息子がレジスタンス運動に加わったことから捕えられ、パリ解放直前にドイツのブヘンワルト収容所に送られ、悲惨な最期を遂げたとされる。なお兄のジョルジュはフランスのインドシナ行政官で、カンボディア理事長官ともなっている。

 このマスペロの主著の他に、戦後になって未刊の『中国の宗教と歴史に関する遺稿』全三巻が出された。第二巻は『道教』と題され、「西暦初頭数世紀の道教に関する研究」「中国六朝時代人の宗教信仰における道教」「老子と荘子における聖人と生の神秘的体験」などが収録され、これはマスペロが死の寸前まで取り組んでいた仕事でもあった。それと関連して、パリの『アジア誌』には長い学術論文『古道教における養生の術』が発表されていた。

 この『道教』が同じタイトルで、川勝義雄訳として、東海大学出版会から翻訳刊行されたのは昭和四十一年で、五十三年に東洋文庫に収録され、『古道教における養生の術』のほうは『道教の養生術』(持田季未子訳、せりか書房)として刊行に至っている。ここでは前者の東洋文庫版に基づき、最初の「中国六朝時代人の宗教信仰における道教」を見てみよう。編者のドミエヴィルによれば、「世界でもっとも奇妙な宗教の一つ」とされていた道教に関して、「マスペロこそは、欧亜を通じて、道教の歴史と、その術の内面をさぐり出したただひとりの人」であるからだ。

f:id:OdaMitsuo:20190911172106j:plain:h115 (東海大学出版会版)道教 (東洋文庫版) 道教

 そのことを示すかの如く、マスペロは一筆書きのように、中国における道教の誕生から現在の瀕死の状態に至る歴史を提出している。

 道教は紀元前の最後の数世紀間に生まれたが、そのころ古代の農民宗教は、緊密な関係にあった古代社会の崩壊とともに分解してしまい、不安となった精神にとって、それはもはや十分なものではなくなっていた。かくて道教は、漢帝国のもとで驚くべき成功をおさめて発展し、中国世界が政治的宗教的に沸騰した六朝時代に、それは最盛期に達した。しかし七世紀になると、唐代の平和は、精神的にも行政的にも儒教的秩序をとりもどしたことによって、道教に致命的な作用をおよぼした。また、仏教がこれに張りあったことも、同様な効果を生んだ。道教は、しだいに一般大衆に対する影響力を失い、ただ専門的な修道者のために宗教と、巫師の行なう祭祀にしかすぎないものになってしまう。そしてこれにつづく数世紀のあいだに、何人かの偉大な道士たちの名声によってもたらされた華々しさにもかかわらず、道教はこのとき以来、長い衰退過程をたどりはじめ、ついに今日の瀕死の状態にまで行きつくことになった。

 そのように俯瞰した後で、マスペロは六朝時代、すなわち四世紀から六世紀にかけての道教の輝かしい時期の様相について述べ、ひとつの観念を現前化させようとして語り出す。道教は信者を「永遠の生(Vie Eternelle)」へと導こうとする救済の宗教で、道士たちは「長生(Longue-Vie)」を求める場合に精神の不死ではなく、肉体そのものの物質的な不死として考えた。それは精神と物質を分けたことのない中国人にとって、可能な唯一の方法だったからだ。人間には多くの霊魂があるけれど、肉体はひとつであり、真に統一ある人格を持ち続け、不死を得る可能性が考えられるのはただひとつの肉体の中においてしかなかった。

 それゆえに死すべき身体を生きている間に不死の身体に取りかえること、すなわち死すべき器官に代わる不死の器官を身体の中から生み出し、発展させることが道士の到達目標で、身体の不死と死の防止が信者の目標ともなった。それからその実践的である「養形」と「養神」に及び、ミクロコスモスとしての人間の身体に住む神々が住み、そこに生命が「気」とともに入り、呼吸を通じて腹に下り、「精」と結合し、「神」が生じる。したがって、「気」と「精」を正しい実践によって増大させながら、「神」を増強しなければならないのだ。

 それはさらに身体論、医学から「精神の術」としての内観、瞑想、神秘的合一、それらを通じての信者の救済までに測鉛が降ろされていく。それらはまさに道教が「世界でもっとも奇妙な宗教の一つ」であることを伝えているように思われる。また香港映画の「霊幻道士」=キョンシーシリーズが道教を背景としていることを了解するのである。

「霊幻道士」


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出版状況クロニクル137(2019年9月1日~9月30日)

 19年8月の書籍雑誌推定販売金額は850億円で、前年比8.2%減。
 書籍は414億円で、同13.6%減。
 雑誌は435億円で、同2.4%減。その内訳は月刊誌が359億円で、同1.2%減、週刊誌は75億円で、同7.5%減。
 書籍の大幅減は7月に大物新刊が集中したこと、前年同月が3.3%増と伸びていたことによっている。
 返品率は書籍が41.6%、雑誌は43.3%で、月刊誌も43.3%、週刊誌は43.4%。
 トリプルで40%を超える高返品率となった。
 いよいよ10月からは消費税が10%となる。この増税は出版業界にどのような影響を与えることになるだろうか。


1.8月の書店閉店状況は76店で、6月が57店、7月が33店だったことに比べ、増加している。
 9月以降はどうなるのか、書店市場は予断を許さない事態を迎えているはずだ。

 やはりチェーン店の閉店が続いているので、それらを挙げてみる。
 TSUTAYA5店、未来屋5店、フタバ図書3店、文教堂、戸田書店、くまざわ書店、とらのあなが各2店である。ちなみに閉店合計坪数はTSUTAYA 1460坪、フタバ図書 1530坪、文教堂 350坪。
 この3店を抽出したのは本クロニクルなどで、TSUTAYAの18年から続く大量閉店、フタバ図書の長きにわたる粉飾決算、文教堂の債務超過と「事業再生ADR手続き」などに関して、ずっと言及してきたからだ。
 しかも文教堂の場合、このタイムリミットは9月末であり、どのような結末となるのだろうか。経済誌などでも、その後の推移はレポートされていない。

 月末になって、文教堂の再生計画が報道され始めている。また文教堂は「事業再生ADR手続の成立及び債務の株式化等の金融支援に関するお知らせ、日販は株式会社文教堂グループホールディングス事業再生計画における当社の支援についてというニュースリリースを出している。これらは10月に言及することにする。



2.8月の書店閉店状況において、突出しているのは日本雑誌販売を取次とする24の小さな書店がリストアップされていることだろう。

 これは本クロニクル134で既述しておいた日本雑誌販売の債務整理と、それに続く自己破産を受けての閉店に他ならない。そのことに関して、多くのアダルト誌を扱う「小取次の破綻だが、その波紋は小さなものではないように思われる」と記したばかりだが、所謂 街のエロ雑誌屋を壊滅状態へと追いやっていく状況が浮かび上がってくる。
 折しもこの9月からセブン-イレブン、ローソン、ファミリーマートが「成人向け雑誌」の販売を中止した。それに合わせるかのいうに、『ソフト・オン・デマンド』10月号が「コンビニエロ本・イズ・デッド」と銘打ち、最終号となっている。
 エロ雑誌の終わりは前々回の安田理央『日本エロ本全史』においても伝えたが、まさに取次や販売市場も終わりを迎えようとしている。
日本エロ本全史
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3.丸善丸の内本店と日本橋店が日販からトーハンへ帳合変更。

 本クロニクル131などでふれてきた、日販の10月1日付での持株会社移行に伴う取次事業としての新子会社日本出版販売の発足とほとんどパラレルであるから、連関していると考えざるをえない。2店の売り上げは60億円に及んでいるので、日販にとっては痛みを伴うであろう。
 それに1に挙げた3社の書店の問題も大きく影響していることは想像に難くない。それこそ、はたして落としどころはあるのだろうか。
 いずれにせよ、丸善の帳合変更、3社の書店問題を抱えて、日販の持株会社体制への移行は最初から波乱含みということになろう。
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4.9月27日に日本橋の複合商業施設「コレド室町テラス」に「誠品生活日本橋」がオープン。

 これは本クロニクル132でふれておいたように、台湾の人気複合書店の日本初出店で、有隣堂がライセンス契約を得て運営する。
 坪数は877坪で、取次は日販。当然のことながら、この「誠品生活日本橋」の出店も丸善のトーハンへの帳合変更の理由のひとつに挙げられるであろう。しかし有隣堂も書店経営というよりも、「誠品生活」を中心とするサブリース・デベロッパーで、年商7億円をめざすとされている。
 このような複合書店は「誠品生活」だけでなく、カナダの「インディゴ」もアメリカに初進出している。同社はカナダ最大の書籍チェーンだが、ブックストアではなく、「カルチュラル・デパートメントストア」として、書籍だけでなく、ホームファッション、衣料、雑貨などを揃えるフォーマットである。
 おそらく10月以後の出版業界の話題は「誠品生活」一色になるだろうし、いずれ「インディゴ」の日本進出もありうるかもしれない。その際にはもちろん取次はトーハンとなろう。
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5.大垣書店の今期決算見通り売上高は119億9000万円、前年比6%増で、過去の最高額を更新。直営店35店、提携店2店で、既存店だけでも2%増。
 部門別では「Book」前年比4%増、「CD・DVD」同7%減、「文具」同6%増、「カフェ」同36%増、「カードBox」同18%増。

 これも本クロニクル132で取り上げておいたように、大垣書店は京都経済センターの「SUINA室町」に京都本店をオープンしている。それは大垣書店が1階全フロア700坪を借り上げ、そのうちの350坪を書籍、雑誌、文具、雑貨売場とし、残りの350坪は大垣書店のサブリースによる8社の飲食店、カフェなど104店が出店している。
 いうなれば、の有隣堂と同じデベロッパーを兼ねるポジションの出店で、それが部門別売上にもリンクしているのだろう。しかし利益面に関しては公表されていないし、来期売上高目標は121億円となっているので、やはりデベロッパーも難しいことを告げているように思われる。



6.集英社の決算は売上高1333億円で、前年比14.5%増。当期純利益も前年の4倍強の98億7700万円。
 その内訳は「雑誌」が513億円、同2.3%増、「書籍」が123億円、同3.9%増、「広告」96億円、同3.7%増、デジタル、版権、物販などの「その他」は599億円、同30.0%増。

 前期売上高は1164億円で、「その他」は461億円だったので、今期の決算の好業績はデジタル、版権、物販などの「その他」の138億円の増加に多くを負っていることはいうまでもないだろう。
 「雑誌」も内訳を見てみると、コミックスの映像化によるヒット、『ONE PIECE』の単行本が前年より1巻多いことに支えられ、「書籍」にしても、書籍扱いの『SLAM DUNK』新装再編版全20巻の寄与によるものである。
 つまり定期雑誌や書籍が回復したわけではなく、コミックスのフロック的寄与が大きい。したがって来期も続くとは限らない。結局のところ、集英社の場合も「その他」収入がどれだけ伸ばせるかということに尽きるだろう。
ONE PIECE SLAM DUNK



7.光文社の決算は売上高203億円、前年比6.5%減の3年連続の減収で、経常損失7億6500万円。だが保有していた光文社ビルを売却したことにより、当期純利益は36億2400万円と黒字決算。

 やはりその内訳を見てみると、「販売」96億7500万円、前年比9.7%減で、そのうちの雑誌66億1500万円、同7.3%減、書籍が30億6000万円、同14.6%減となっている。
 月刊誌『VERY』『STORY』も振るわず、光文社文庫や光文社新書も前年を下回り、返品率は雑誌が48.5%、書籍は40.2%と高止まりしたままだ。
 本クロニクル129で、光文社古典新訳文庫の誕生秘話としての駒井稔『いま、息をしている言葉で。』(而立書房)を推奨したこともあり、同文庫がリストラの対象とならないことを祈るばかりだ。

 いま、息をしている言葉で。
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8.メディア・コンテンツを展開するイードはポプラ社と資本業務提携し、第三者割当による25万株の自己株式の処分を行う。
 両者の業務提携の内容は、既存事業のノウハウの共有、相互連携強化などによる事業の拡大と深耕、ポプラ社の有する多数のコンテンツとイードのデジタルマーケッティング力を融合させた新規事業の創出である。

 具体的にいえば、イードが第三者割当により2億円を超える資金を投入し、ポプラ社の大株主になることだ。またイードは富士山マガジンサービスとも業務提携している。
 出版社のM&Aは公表されているケースとそうでないケースが多く生じているけれど、やはりM&Aされた場合、既存の出版路線を貫くことは難しく、在庫の問題も含め、否応なく転換が迫られているようだ。

【付記】10月1日
その後、消息筋からの情報によれば、ポプラ社がイードの株を引き受けたとのことで、イードがポプラ社の大株主になったのではないようだとの指摘もなされている。



9.『人文会ニュース』(No132)で知ったが未来社が人文会から退会し、誠信書房も2年連続の休会となっている。

 人文会は創立50周年を迎えていることからすれば、1960年代末に創立されている。
 そういえば、かつて人文書取次の鈴木書店の店売には、人文会会員社の書籍が揃って常備として置かれていた光景を思い出す。それももはや20年前のものになってしまった。
 まさに人文会の「オリジナルメンバー」に他ならない未来社の退会も、人文会の設立、鈴木書店の倒産と同様に、出版業界の変容を象徴しているのだろう。



10.『岩田書院図書目録』(2019~2000)が届いた。

 巻末に「新刊ニュースの裏だより2018・7~2019・4」がまとめて収録されている。
 久しぶりに「裏だより」を読み、歴史書の岩田書院のこの10カ月の動向と内部事情を教えられる。岩田書院も創立25周年を迎えているのだ。その中から興味深い記述を拾えば、4回にわたる「在庫半減計画」が挙げられる。これは直接読んでもらったほうがいいだろう。
 また一人だけの「新たな出版社」として、歴史、民俗、国文系の3社が紹介されていた。
 「「小さ子社」は思文閣出版にいた原さん、「七月社」は森話社にいた西村さん、「文学通信」は笠間書院にいた岡田さん」で、私もここで初めて知ったといっていい。
 それは次のように続いている。
 「私が岩田書院を作った時(25年前)は、景気こそ良くなかったけど、今に比べると、まだ本が売れていた時代。でもこれからやる人はたいへんだ。10年先、この業界がどうなっているかも、見えないし。」
 この続きもあるが、これも直接読まれたい。



11.日本ABC協会の新聞発行社レポートによる、2019年上半期(1月~6月)の平均部数(販売部数)が出されたので、全国紙5紙のデータを挙げてみる。

■2019年上半期(1~6月)ABC部数
新聞社2019年上半期前年同期比増減率(%)
朝日新聞5,579,398▲374,938▲6.3
毎日新聞2,435,647▲388,678▲13.8
読売新聞8,099,445▲413,229▲4.9
産経新聞1,387,011▲115,009▲7.7
日経新聞2,333,087▲102,886▲4.2
合計19,834,588▲1,394,740

 全国紙5紙の合計マイナスは139万4740部で、『毎日新聞』は約39万部減で、ついに250万部を割り込んでしまった。新聞配達の人に聞いても、地方紙はともかく、近年の全国紙の落ち込みは激しということだ。朝日新聞の500万部割れも近づいていよう。
 本クロニクルで繰り返し書いてきたように、毎日の新聞に掲載される雑誌や書籍広告が書店へと誘うチラシであり、それによって出版物販売と購入が促進されてきたのである。
 しかしこのような新聞の落ち込みは、その効果がもはや衰退しつつあることを示しているし、まして新聞書評に至ってはいうまでもないことだろう。



12.またしても訃報が届いた。
 それは木村彦次郎で、講談社の『群像』や『小説現代』の編集長を務め、退社後『文壇栄華物語』(筑摩書房)などを著わしている。

 大村からは5月に手紙が届き、下咽頭癌で入院すると知らされていた。それから便りがなかったので、その後どうしているのかと気になっていたところに、訃報がもたらされたのだった。
 彼からは何度も「浅酌」に誘われていたが、なかなか時間がとれず、またしても呑まずじまいに終わってしまった。
 大村の死で、宮田昇に続き、私のいう出版界の四翁のうちの二翁が失われ、これまた講談社の原田裕、白川充の三トリオも鬼籍に入ってしまったことになる。
文壇栄華物語



13.こちらも死者をめぐってだが、追悼本『漫画原作者 狩撫麻礼1979-2018』(双葉社)が出された。

 狩撫麻礼に関しては本クロニクル135でもふれたばかりだが、このような追悼本が刊行されるとは予想だにしていなかった。しかもそれは双葉社・小学館・KADOKAWA・日本文芸社による狩撫麻礼を偲ぶ会・編である。
 確かに1960年代から70年代にかけて、「漫画原作者」の時代があり、狩撫がその系譜上に位置する最後の「漫画原作者」だったことをあらためて認識させられる。
 それも含め、現代マンガ史のための必読の一冊として推奨しよう。
漫画原作者 狩撫麻礼1979-2018
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14.『古本屋散策』に続き、10月半ばに『近代出版史探索』(論創社)が刊行される。
 やはり200編収録だが、こちらは長編連作で、前著を上回る770ページの大冊となる。

古本屋散策  近代出版史探索

 今月の論創社HP「本を読む」㊹は「平井呈一『真夜中の檻』と中島河太郎」です。

古本夜話950 松山俊太郎、『法華経』、プシルスキー『大女神』

 続けて一九三〇年前後のフランス民族学や社会学に大きな影響を与えたと推測される、トリックスター的な「パリのアメリカ人」であるW・B・シーブルックに言及してきた。

 本連載935の松本信広はシーブルックがパリに現われる前に帰国している。彼の「巴里より」に記されているように、二〇年代後半のフランス民族学はモースの未開宗教、ジュネップのフォークロア研究、グラネの極東宗教、マスペロの中国神話研究、プシルスキーのインド説話などの講座が設けられ、それらは日本の『民族』の動向とも通底するものだった。そのジュネップは本連載で後述するつもりだし、グラネは本連載579ですでに取り上げているので、ここではシーブルックというストレンジャーに続いて、まずプシルスキーのことを書いてみたい。それに彼は松本の博士論文の指導教授だった。
 
 ただこのジャン・プシルスキーは各種事典などに立項は見出せず、サブタイトルを「宗教の比較研究序説」とする『大女神』の翻訳も出されていない。十年近く前に安藤礼二たちによる翻訳刊行が予告されていたが、まだ現在でもその上梓を見ていないので、翻訳と膨大な「訳注」の困難さを想像してしまう。実は私もJean Przyluski. La Grande Déesse-introduction a l’ étude comparative des religions (Payot,1950) を所持しているのだが、貧しい語学力ではとても歯が立たず、収録された写真や図版を見ているだけで読みこめていない。それは前の所有者のフランス人も同様だったようで、二二〇ページのうちの一七ページまでしかペーパーナイフが入っていない。また『書物の宇宙誌 澁澤龍彦蔵書目録』(国書刊行会)にも同書を確認できるし、書き込みもあるとのことだが、残念ながら参照はできない。

書物の宇宙誌 澁澤龍彦蔵書目録

 そこでからめ手から手がかりがつかめないかと、アデル・ゲティ『女神』(田中雅一、田中紀子訳、「イメージの博物誌」30、平凡社)などを読んでみたが、プシルスキーと『大女神』に関しては何もふれられていなかった。
女神

 ところがその後、『Fukujin』(第15号、白夜書房、平成二十三年)が特集「松山俊太郎 世界文学としての法華経」を組み、松山と安藤の対談「世界文学としての法華経」でプシルスキーに詳しく言及し、また安藤は「女神の神話学ジャン・プシルスキー紹介」を寄せていた。管見の限り、プシルスキーについての初めてのまとまった言及であると思われるので、『法華経』には無知だけれども、それらを通じてプシルスキーと『大女神』のラフスケッチを試みてみたい。

Fukujin

 まずプシルスキーのプロフィルを提出しておく。彼は一八八五年生まれで四四年に没しているので、『大女神』は死後の刊行である。彼は高等研究実習院、及びコレージュ・ド・フランス教授として、モースの民族学、グラネの中国学と並び称せられる壮大な神話学理論を構想していた。その源泉となったのは本連載913のフレイザーの『金枝篇』で、それ以上に比較神話学の規模を拡大し、エジプト、メソポタミア、インドなどの神話にも注視した。インドに関してはヴェーダやウパンシャッドも含め、インド的神話宇宙の中心に自然を体現する「大女神」の力をすえる。

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 松山にとって、インドは様々な神話が重層したひとつの宇宙で、ユーラシア大陸の東西両端の神話をリンクさせるトポスである。それに対し、『法華経』のベースにはエジプトからペルシア(バビロニア)を経て、インドでひとつの完成に至る宇宙創生のドラマが秘められ、白い蓮華たる天空の太陽神「釈尊」と紅い蓮華たる大地の女神「多宝如来」が聖なる婚姻に至り、世界が再生される。人間の心の信仰の表出が宇宙を生成させる神話のメカニズムであり、『法華経』の中核にはそれが秘められている。それゆえに、松山にとっての『法華経』は芸術作品にして世界文学となるのである。

 プシルスキーの『大女神』読解が、導き出された『法華経』における神話論理の核心というべき「秘義」は、松山の言葉で語ってもらおう。安藤が松山の「ロータスの環」から引いている部分で、再引用する。

 この秘義こそ、エジプトの〈スイレンに坐する太陽神ホルス〉のモチーフが、メソポタミアにおける〈世界の中心の池の生命の樹〉や〈太陽を表象する大車輪〉のモチーフと複合し、インドの神話的諸伝承と合流した末に形成された、画期的な構図を開示するものだったのである。
 インドでは、〈太陽=白蓮華〉〈大車輪=大法輪〉〈太陽神ヴィシュヌと釈尊の近似〉〈ヴィシュヌと蓮女神ラクシユミーの対(夫婦)関係〉などの事実が認められていたから、〈天的な真理の啓示者・釈尊(日輪=白蓮)〉を〈地的な生産力の根源・大女神(紅蓮)〉が迎え承けるという、絶妙の構図が成立したのである。

 そしてこうした構図が、「法華経の一つのコア」である「見宝塔品の多宝如来と二仏並座を行う釈尊」へとリンクしていく。しかしプシルスキーはその根拠も出典もほとんど示さずに死んでしまったことが『大女神』の問題でもある。

 柳田国男が松本信広に、プシルスキーはフランスの折口信夫だと語っていたようだが、まさに二人は同時代を生きていたことになる。だがどうして『大女神』の翻訳は出されてこなかったのか。それは折口のフランス語訳が困難であることと共通しているのだろう。またプシルスキーの『大女神』にはミルチャ・エリアーデの原型的象徴的神話学と、ジョルジュ・デュメジルの実証的な印欧比較神話学も交響し、さらに言語学に基づいた実証主義、イメージの照応による象徴主義の混在が生じている。それにプシルスキーの神話学は旧石器時代まで遡る考古学的時空間の極限、ベルグソンなどの創造的進化論まで拡大されたことで、『大女神』が「世界と神話の起源へと向かう一冊の書物」と化してしまったことも、邦訳が実現しなかった理由のひとつでもあろう。

 だがそれでも翻訳は試みられたのであり、プシルスキー翻訳試史を記しておこう。松山は澁澤から『大女神』を貸与され、二、三十年前に翻訳しようとしたが、自分では面倒臭いので、知人に頼み、雑誌で五回ほど連載した。ところがほとんど使いものにならず、訳者を替えて、さらに試みるつもりでいた。また種村季弘も『大女神』をひとつの手がかりにして、象徴的な神話学体系を構築しようとしていたようだ。おそらく彼ら以外にも、『大女神』の翻訳は試みられていたのではないだろうか。

 だが安藤が語っているところによれば、サドの翻訳者である土屋和之との共訳で、ほぼ完璧な訳が仕上がったという。しかしそれからすでに十年ほどが経とうとしているが、先述したように、未だに刊行されていない。やはり翻訳と訳注が繰り返し手直しされ、難航していることをうかがわせている。早く出されることを願うばかりだ。松山の死によって、彼の訳による『法華経』を読むことは果されなかったからだ。

 なおその後、『Fukujin』(第18号、明月堂書店)で特集「追悼 松山俊太郎」が「年譜」も添え、編まれたことを付記しておく。本連載895でも既述したけれど、松山が入院したことで、三島の畑毛温泉をともにすることができず、本当に残念だったというしかない。

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古本夜話949 シーブルック『アラビア遊牧民』と大陸書房

 前回のシーブルックだが、真島一郎が「ヤフバ・ハベ幻想」(『文化解体の想像力』所収、人文書院)の「註」で付記しているように、一九六八年=昭和四十三年は「シーブルック元版」で、大陸書房から『アラビア遊牧民』(斎藤大助訳)と『魔法の島〈ハイチ〉』(林剛至訳)が刊行され、後者は『魔術の島』に当たるが、入手に至っていない。それでも前者は手元にあるので、同書から始めてみる。
文化解体の想像力 (『魔法の島〈ハイチ〉』)

 『アラビア遊牧民』Adventures in Arabia-Among the Bedouins, Druses, whirling Dervishes and Yezidee Devil-worshippers.1927)はシーブルックが一九二五年に行なったアラビア遊牧民に関する調査で、サブタイトルにあるように、ベドウィン、ドルーズ人、原始イスラム教を引き継ぐデルヴィッシ教団、イジィディー人の悪魔崇拝教などがレポートされている。シーブルック特有の宗教や女性についての観察や記述はあるけれども、『アラビア遊牧民』には『魔術の島』や『密林のしきたり』に感じられたいかめしさは前面に押し出されていない。それは『アラビア遊牧民』が最初の著作で、しかもアラビア人が対象であったことから、『魔術の島』や『密林のしきたり』の黒人と異なり、彼の信奉するレヴィ=ブリュルの『未開社会の思惟』を写真も含め、充全に反映させていないことに求められるのかもしれない。

未開社会の思惟 (『未開社会の思惟』)Adventures(Adventures in Arabia)

 しかしその一方で、「訳者あとがき」によって、この『アラビア遊牧民』が戦前の昭和十八年に『アラビア奥地行』と題し、神田多町の大和書店から刊行されていたことを知るのである。しかも定価は三円六十銭で高価だったが、「世の中には同好の士が多いとみえ、相当の反響をみせた本」とされる。訳者の斎藤は当時二十四歳で、本連載580の東亜研究所に勤めていて、その「地下の書庫にもぐり、先人のふみしめた足跡を追って、世界の到るところをかけめぐるのが最大の生甲斐であった」。そして翻訳したのが。『アラビア奥地行』に続いて、『イラン紀行』や『ソ領トルキスタン潜入記』や『新彊省から印度へ』だったという。これらも好評のうちに迎えられたようで、斎藤は次のように述べている。
 

 世の中は広い。こうした本は同好の士によって広く、深く愛された。いかに、原著者や翻訳者とぴたりと息のあう人々が多いかを知って、私はむしろ唖然とした。そして、同時に、私は人間が信じられてうれしかった。

 そしてそれらの原書や資料を収集し、調査研究していた満鉄調査部や東亜研究所などの世界的レベルに達していた調査機関へのオマージュも捧げている。

 本連載でも大東亜共栄圏幻想と南進論の影響下に、満鉄調査部とコラボした生活社を始めとして、多くの翻訳書が刊行された事実にふれてきたが、斎藤の証言に従うならば、「こうした本は同好の士」という固定的な読者層によって支えられていたことになる。その「戦時中の同好の士」の一人が大陸書房を創業した竹下一郎に他ならず、それゆえに、斎藤は竹下の求めに応じ、単なる復刊ではなく、新たな写真を加えた、『アラビア遊牧民』の新しい翻訳を試みたようだ。

 この竹下のことは拙稿「倶楽部雑誌、細野幸二郎、竹下一郎」(『古本屋散策』所収)で、田中聡の『ニッポン秘境館の謎』(晶文社)における竹下へのインタビューを参照し、言及している。それを抽出してみる。竹下は昭和三十一年に双葉社に入り、『別冊実話特集』編集長となるが、これを怪奇、謎、恐怖、神秘をテーマとする「秘教雑誌」にリニューアルし、十五万部を売るヒットとなる。その成功を背景に「ノンフィクション・マガジン」とサブタイトルを付した「世界の秘境」シリーズを三十七年に創刊する。これはアメリカの探検や紀行ガイド誌『ナショナル・ジオグラフィック』を範とするもので、こちらも折からの探検ブームもあり、二十万部に達したという。
古本屋散策 ニッポン秘境館の謎(『ニッポン秘境館の謎』)

 真島のやはり「註」によれば、四十三年の「世界の秘境」シリーズ74所収の白川龍彦「象牙海岸奥地の喰人族グエール」は『密林のしきたり』の抄訳兼紹介文とされる。これは未見であるし、竹下はすでに双葉社を辞職し、大陸書房を立ち上げていたので、ダイレクトな関係はもはやなかったかもしれないが、同年に『アラビア遊牧民』を刊行していることを考えると、やはり大陸書房や竹下の企画とリンクしていた可能性も否定できない。

 大陸書房は昭和四十三年に本連載113の、これもまたチャーチワード『南洋諸島の古代文化』を小泉源太郎新訳『失われたムー大陸』として処女出版し、立ち上げられている。チャーチワードやシーブルックの著書も同じく大東亜戦争下の翻訳物であることは同様で、斎藤がいうように、竹下は突出した「戦時下の同好の士」で、戦後もそれに固執していたといえよう。それを考えると、まさに地続きで、大陸書書房の命名のよってきたるところは大東亜共栄圏幻想から浮かび上がる「大陸」である。それに南進論に連なる「失われた大陸」がリンクし、さらに「秘境」ともかさなっていたことになろう。

 なおシーブルックのその後の著作は前述の三冊の他に、The White Monk of Timbuctoo (1934),Foreign Americans : Theory of Witchcraft(1937), Negroes in America(1944)があるようだが、翻訳は出されていないと思われるし、彼は一九四五年に自殺したと伝えられている。


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古本夜話948 シーブルック、ミシェル・レリス、ドゴン族

 これは別のところで書くつもりでいたけれど、マルセル・モースやその時代、及び前回の山田吉彦のモロッコ行とも密接にリンクしているので、ここに挿入しておく。

 前回、フランス人類学の記念すべき始まりとしての西アフリカのダカール・ジプチ調査団の出発にふれた。それは一九三一年におけるモースの高弟のマルセル・グリオールを団長、ミシェル・レリスを書記兼文書係とするものだった。その調査はグリオールの『水の神』(坂井信三、竹沢尚一郎訳)、『青い狐』(坂井信三訳、いずれもせりか書房)などのドゴン族研究、レリスの日記『幻のアフリカ』(岡谷公二他訳、平凡社ライブラリー)へと結実し、私などはこれらを勝手に「ドゴン族三部作」と称んでいた。

水の神 f:id:OdaMitsuo:20190902235915j:plain:h110 幻のアフリカ

 しかし今世紀に入って、真島一郎「ヤフバ・ハベ幻想―シーブルックと『ドキュマン』期のレリス」、さらに真島訳のレリス「《死せる頭》あるいは錬金術師の女」(いずれも鈴木雅雄、真島編『文化解体の想像力』所収、人文書院)を読むに及んで、そこにレリスを通じて、一人の「パリのアメリカ人」が介在していたことを教えられた。その人物について、真島は次のように記している。
文化解体の想像力

 ウィリアム・シーブルック(一八八六-一九四五年)は、一九二八年の『アラビアの冒険』以来、現地での体験取材を売り物に非西洋世界のさまざまな密儀集団をセンセーショナルな筆致で欧米諸国の大衆に喧伝したアメリカ人ルポライターである。彼が活躍した一九二〇~三〇年代といえば、英仏の海外領土では植民地統治のシステムがほぼ確立し、民族誌家をふくむ一握りの西洋人旅行社の身柄もそこで最低限の保証を受けていた時期である。味気ない体裁をまもる民族誌家のモノグラフィーでは満たされず、さりとて自ら現地を訪れることもかなわなかった本国大衆の好奇心を満たすうえで、多少の文才とアウトサイダーの気質をそなえたこの秘境ルポライターの成功は、時代があらかじめ約束したものだったのかもしれない。

 なかでも彼がアメリカ軍政下のハイチを訪れ、そこで目撃したヴードゥー教やゾンビ信仰の「密儀の実態」を虚実おりまぜ扇情的にえがいた二九年の『魔術の島』は、当時の記録的なベストセラーとなった。(中略)彼は一九三〇年まで大西洋の両側で一躍、秘境探検ジャーナリズムの寵児となっていた。

 『魔術の島』の仏訳版も二九年に出され、その「序文」を書いたのは本連載815のポール・モーランである。そしてやはり同年に創刊された『ドキュマン』において、ジョルジュ・バタイユが「屠場」(『ドキュマン』所収、江澤健一郎訳、河出文庫)で、現在の生には「供犠の血がカクテルに混ざっていない」というシーブルックの『魔術の島』の一節を引用している。その注によって仏語版はフィルマン=ディド社から刊行されたとわかる。さらにレリスも『ドキュマン』にシーブルックのハイチでの「現地スナップ」を掲載し、『魔術の島』の書評を寄せ、「ヴードゥーの秘儀を伝授された初の白人」による貴重なルポルタージュと絶賛しているという。その「現地スナップ」は真島も転載しているので、そこにヴードゥーのイニシエーションのしるしである額に血の十字を記したシーブルックのポートレートを見ることができる。

ドキュマン(『ドキュマン』)

 『魔術の島』の仏訳版は入手していないが、原書の復刊 The Magic Island (Dover,2016)は手元にあり、何とその序文はジョージ・A・ロメロがしたためているのだ。彼はいうまでもなく、あの映画「ゾンビ」三部作である『ナイト・オブ・リビング・デッドゾンビの誕生』『ゾンビ』『死霊のえじき』の監督に他ならない。ロメロは、同書の「…Dead Men Working in the Cane Fields」というわずか十二ページの一章からゾンビが召喚され、大衆文化のスターに躍り出て、数年後にはブロードウェイの劇や映画にもなりフランケンシュタイン、ドラキュラ、狼男にも匹敵する存在に至ったと指摘している。そのゾンビを集大成したのがロメロということになろう。その序文ではふれられていないが、巻末にはまた十六ページに及ぶヴードゥーの血の儀式などの写真が掲載され、先の「現代スナップ」はないけれど、バタイユやレリスに感慨を催させたことは想像に難くない。
The Magic Island  ゾンビ 死霊のえじき

 その一方で、これも真島によるが、シーブルックは西アフリカに取材旅行に出かけ、それを終えた後、アメリカに戻らず、パリに滞在し、レリスと初めて出会い、意気投合したという。それだけでなく、シーブルックは三一年にフランス領西アフリカ探検記『密林のしきたり』の英語版とフランス語版を続けて出版する。それ以前にレリスは」『ドキュマン』に「民族誌学者の眼―ダカール=ジプリ調査団について」という一文を発表している。それはシーブルックが現地で撮った写真を転載したものだ。これらも真島が掲載しているが、その中にはこれも英語版の復刊 Jungle Ways (Ishi Press,2017)に収録されていない写真もある。恐らくレリスはシーブルックから英語版に収録された三十二枚の写真を見せられていたのは確実で、それによってレリスのドゴン族のイメージ、いやレリスたちでなく、グリオールのフランス領西アフリカの民族のイメージも事前にインプットされたのではないだろうか。

Jungle Ways

 だがそこには真島がいうように、レリスたちにとって「シーブルックが自らの筆力で懸命に仕立てあげようとした幻のアフリカと幻でないアフリカ」、彼の「秘境ルポタージュ」が必然的に伴ってしまう「そのパロディを通じて確実に現前してくるであろう、驚異の蛮族、ドゴン」という「きしみ」が生じるであろう。シーブルックは『密林のしきたり』で写真を示し、サンガの呪物保管者の長老オガテンビリ=Ogatembili に言及している。そのことに関して、真島は『水の神』の主人公といっていいドゴン族のインフォーマントである盲目の長老オゴテンメリ=Ogotemmêli が、「よもや同一人物でないことをここで私たちは祈るばかりである」と「註」に記している。

 ここであらためて、レリスの『幻のアフリカ』に目を通すと、三二年三月二十二日のところに、次のような記述が見出される。シーブルックの献呈本『密林のしきたり』はその前月に届いていたようだ。

 シーブルックの本を再読。いちいち考え合わせるとそんなに悪くない。不正確な記述(誤謬、脱落または粉飾)はやたら多いが、それを本物のユーモアが補っている。作品は、全体としてかなり奔放な面白みがあり、コートディヴォワール(僕の知らない地方)を扱った部分は説得力をもっているようだ。とにかく僕は、一行の唯一の蔵書であるこの本を楽しく読んだ……

 このレリスの再読感、「作品」と述べていることからすれば、彼はすでにシーブルックの「幻のアフリカ」から目覚めていたことになるのだろうか。なおここでも「解説―秘密という幻、女という幻―他とあることの民族学」を寄せているのは真島であることを付記しておく。


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