出版・読書メモランダム

出版と近代出版文化史をめぐるブログ

古本夜話984『郷土研究』と高木敏雄『日本神話伝説の研究』

 続けてサンカをめぐってきたが、その発端ともいえる柳田国の「『イタカ』及び『サンカ』」(『柳田国男全集』5 所収、ちくま文庫)が発表された時代に戻ってみる。

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 大正二年に柳田国男は神話学者の高木敏雄とともに、本格的な民俗研究雑誌『郷土研究』を創刊する。『柳田国男伝』 によれば、明治四十四年十一月の神道談話会の席で、柳田は高木と初めて出会い、急速に親しくなり、雑誌創刊が具体的な方向へと進んでいった。だがスポンサーが現われず、最初の一年分の刊行経費は柳田が負担し、高木が編集を引き受けた。そのために郷土研究社が設立され、その発行と編集事務はこれも岡村千秋が担うことになった。

f:id:OdaMitsuo:20191218102424j:plain:h120(創刊号、復刻)   

 『郷土研究』創刊号は柳田のペンネームも含めて、大半を二人が執筆し、思いの他の売れ行きで、創刊号千部は売り切れ、三版まで発行されたようだ。そこに高木は「郷土研究の本領」(『増訂日本神話伝説の研究』2 所収、東洋文庫、平凡社)を寄せ、「日本民族の文献学的研究の今日までの歴史」は「文明の科学的研究」「文献科学的研究」に基づいていないし、それが「現時の日本文献科学界の最大欠陥」「最大疲弊」であるとし、次のように述べている。

増訂日本神話伝説の研究 2

 この欠陥とこの疲弊とは、いかほど大なる苦痛を忍んでも、何物を犠牲にしても、ぜひともこれを除かねばならぬ、ぜひともこれを救わねばならぬ、という信念の上に立ち、かつ日本民族の文献学の完成は、日本の学者の天職である以上は、この完成の前提たるべき日本民族生活の根本的研究の完成に向かって努力するのは、我々の義務であり、努力するを得るのは我々の幸福である、という信念の上に立って、この方面の研究に向って貢献したい希望から、あえて自ら惴らず、ここに新雑誌『郷土研究』を発刊するに至ったのである。

 そして「この月刊雑誌の運命は」と続いていくのだが、柳田のほうは直接資料の採集や利用を提唱していたから、このような高木の昂揚した「日本民族の文献学の完成」への意志とコラボレーションが成立するはずもなかった。それに加えて、柳田は地方の知的青年層や教員などに向けての啓発的誌面をのぞんでいた。しかし高木は研究者向けのアカデミックな専門雑誌を志向し、新しい郷土研究というコンセプトの共有に至らなかったし、もちろん編集をめぐる二人の性格上の問題も絡んでいたはずだ。

 それらもあって大正三年に高木は編集から手を引いてしまった。わずか一年での柳田との訣別であった。また高木の個人的生活難も作用していた。『郷土研究』に発表した論考をまとめた『人身御供論』(編集山田野理夫、宝文館、昭和四十八年)所収の「高木敏雄小伝」によれば、明治四十五年に年俸六百円で東京高師のドイツ語教授に就任していた。だが大正二年に『日本伝説集』(郷土研究社)を三百円で自費出版したことで家計が逼迫し、そのために『読売新聞』の連載を続けていて、これが『郷土研究』から手を引く決定的な理由となったとされる。その後、高木は大正十一年に松山高校ドイツ語講師を経て、新設の大阪外語学校教授となり、ドイツ留学を控え、腸チフスで死亡している。

人身御供論 (『人身御供論』) f:id:OdaMitsuo:20191219114200j:plain:h110(『日本伝説集』)

 一方で柳田のほうは大正三年に貴族院書記官長に就き、多忙の身であったが、高木に対する意地もあってか、『郷土研究』を単独編集で続刊し、多くのペンネームを使って執筆し、大正六年まで刊行した。『郷土研究』は四年間の刊行だったけれど、柳田が目的とした中央と地方在住者の連携は身を結んだといえるし、折口信夫、早川孝太郎、金田一京助といった学徒も見出され、日本民俗学の歴史のベースを築いたともいえよう。

 しかしそれは柳田と高木の関係に微妙な陰影を伴ったように思われる。高木の死後の大正十四年に、これも本連載でお馴染みの岡書院から『日本神話伝説の研究 神話・伝説編』『同 説話・童話編』の二冊が出され、菊判並製だが、函入で合わせると五七〇ページに及んでいる。前書には高木の高等師範教授時代の写真も掲げられ、柳田の「序」が続いている。それは次のように始まっている。

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 高木君とは一年半ほどの間、殆ど毎日のやうに往来して居たことがあつた。其頃はまだ同君の学問が現今の如く盛に行はれぬ時節であつて、書物や資料の蒐集に色々の不自由が有つたのみで無く、一般に外部の事情には、慷慨せねばならぬやうなことが多かつた。(中略)その上に高木君の気質にも、ぢつと書斎の忍耐を続けて行けるだらうかを、危ましめるものが実は有つた。

 ここに『郷土研究』を去られた、柳田の高木に対するアンビヴァレンツな思いが滲み出ているように思われる。そして『比較神話学』に始まる「高木君の新し過ぎた学問」である神話学と、柳田のイメージする民俗学の相性の悪さが、問わず語りのようにほのめかされていよう。

f:id:OdaMitsuo:20191219111342j:plain:h120(『比較神話学』、ゆまに書房復刻)

 柳田の「序」が終わると、岡村千秋名での「凡例」があり、そこに著者も生前に本書の出版を企てたようだが、実現せずに帰らぬ旅に立たれたとあり、「今回はからずも本書の刊行を見、故人の霊前に捧ぐるを得たるは、偏に岡書院主人岡茂雄氏の好意の賜物である。茲に遺族と共に編者は深く感謝の意を表したい」と記されている。

 しかしそのためには柳田に対する大いなる配慮が必要であった。先述の高木の「郷土研究の本領」は『同 説話・童話編』の末尾に収録されているが、タイトルは「日本土俗学研究の本領」と改題され、しかも先に引用した部分と末尾の四行は削除されている。これが柳田における初期民俗学の政治的本領ということになろうか。


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古本夜話983 田山花袋「帰国」と『サンカの民を追って』

 本連載484の『現代ユウモア全集』第2巻に堺利彦の『桜の国・地震の国』があり、そこに「山窩の夢」という一文が収録され、田山花袋がサンカ小説「帰国」を書いていることを知った。この短編はこれも本連載262の『花袋全集』第七巻所収だとわかったので、いずれ読むつもりでいた。

f:id:OdaMitsuo:20191217104425j:plain:h115(『桜の国・地震の国』)花袋全集

 ところがそうしているうちに年月が過ぎてしまい、思いがけずに「山窩小説傑作選」とサブタイトルが打たれた岡本綺堂他『サンカの民を追って』(河出文庫、平成二十七年)が出され、そこには花袋の「帰国」も収録されていたのである。これは山から山へと旅を続け、村里の農家にささらや椀の木地や蜂の巣などを売るサンカたちの生活を描くことから始/まっている。彼らはそのように旅しながら、一年に一度は故郷の国に帰ることを楽しみにしていた。そこはやはり山路の果てにある峠の上に位置しているようで、その会合には大勢の人々が集まり、各地のめずらしいご馳走が出され、酒もふんだんに飲み、若い男女も年寄も一緒に歌を唄い踊った。その「宴会の歓楽は、言葉にも言い尽すことが出来なかった」のである。

サンカの民を追って

 それがこの短編のタイトルの由来で、サンカ生活のハレとケを描き、その特異で謎めいた存在を伝えようとしている。次のような記述も見える。「幼い頃から親に連れられ、仲間に伴われて、草を杖に、露を衾に平気で過して来た習慣は、全くかれ等をして原始の自然に馴れ親しませた。それにかれ等の血には放浪の血が長い間の歴史を持って流れていた」。それゆえに「白い服を着て、剣を下げた人達」=「警官達」の監視と排除のシステムにさらされていた。それは次のような部分に表出している。

 かれ等は一番多くこういう人達を怖れた。そしてこういう人たちは、きまって、かれ等に籍の存在を聞いた。しかしかれ等はそういうものを何処にも持っていなかった。強いて詰問されると、かれ等はかれ等の頭領から持たされた木地屋の古い証書の写しのようなものを出して見せた。それは七八百年も前の政庁から公に許可されたようなもので、麗々しく昔の役人達の名と書判がそこに見られた。全国の山林の木は伐っても差支えないというような文句がそこに書かれてあった。

 これは偽書に他ならない、所謂「河原巻物」で、サンカがそれを持ち歩いているという記述は初めて目にするものである。盛田嘉徳の『河原巻物』(法政大学出版局)や脇田修『河原巻物の世界』(東大出版会)を確認してみたけれど、サンカと「河原巻物」との関係は取り上げられていない。それならば、花袋はこのようなサンカについての情報をどこから入手していたのだろうか。

河原巻物 f:id:OdaMitsuo:20191217112657j:plain:h110

 この「帰国」は大正五年に『新小説』に発表されたもので、それに先駆ける明治四十四、五年に柳田国男は『人類学雑誌』に「『イタカ』及び『サンカ』」(『柳田国男全集』4 所収、ちくま文庫)を書いている。その記述は「サンカの生活状態」も含み、花袋の「帰国」の描写を彷彿とさせる。これらの事実からすれば、花袋は柳田を通じてサンカと「河原巻物」のことも教えられたのであろう。

柳田国男全集

 それは花袋だけでなく、この『サンカの民を追って』に収録された作品も同様なのではないだろうか。発表年を見てみると、岡本綺堂「山の秘密」は大正十年、中村吉蔵の戯曲「無籍者」は同十四年に書かれていた。これらのことは柳田のサンカをめぐる論稿を端緒として、大正時代にサンカ小説が萌芽し始めたことを示唆していよう。

 本連載977で既述しておいたように、三角寛が本格的に『怪奇の山窩』を始めとするサンカ小説を発表していくのは昭和七年からであり、彼は大正時代に書かれたサンカ小説と犯「罪実話を結びつけることによって、新たなサンカブームを招来させたといっていいだろう。

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 また木地屋に関しては、折口信夫に「木地屋のはなし」(『折口信夫全集』第十五巻所収、中公文庫)がある。これは昭和十二年のもので、明治四十一、二年に、やはり柳田国男が木地屋に関する研究「史料としての伝説」(同前)を念頭に置き、それから近江国愛知郡の神社と美濃国揖斐郡の寺で見つかった、これも「河原巻物」と呼んでいいだろう図を掲げている。これらは諸国を歩き、後に山に籠り、ろくろを発明したと伝えられる器地=木地屋の祖神、小野ノ宮=惟喬親王をまつった図である。つまり自分たちの村から木地屋が諸国に出ているので、「その木地屋の氏神をお守りして、諸国の木地屋を監督してゐる」ことを示すものだと折口は述べている。その一方で、木地屋は「まづ大半の山々を渡り歩いてゐるので、一定の家を持たない特殊民だと自他ともに考へてゐたようです」とも語っている。

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 これは花袋の「帰国」におけるサンカと木地屋の関係、もしくは共通性を物語り、花袋も柳田からこのような話を聞き、それを「帰国」へと流しこんだように思われる。


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古本夜話982 夢野久作「骸骨の黒穂」

 菊池寛と三角寛、『オール読物』とサンカ小説の関係からすれば、やはり昭和九年に『オール読物』に掲載された夢野久作の「骸骨の黒穂(くろんぼ)」にふれないわけにはいかないだろう。実はこの作品もサンカをテーマとしているからである。

f:id:OdaMitsuo:20191217090223j:plain:h120(「骸骨の黒穂」、角川文庫版)

 この「骸骨の黒穂」という短編は明治二十年頃の「人気の荒い炭坑都市、筑前、直方の警察署内で起った奇妙な殺人事件の話・・・・・・」として始まっている。その直方の町外れに一軒の居酒屋があった。それは街道沿いの藁葺小屋で、三坪ばかりの土間に木机と腰掛、酒樽が並び、壁棚に煮肴や蒲鉾類が置かれ、六十がらみの独身者の老爺が営み、坑夫、行商人、百姓たちが飲みにきて繁盛していた。店主は刺青があり、太った禿頭だったが、一パイ屋の藤六と呼ばれ、人気があった。この藤六には妙な道楽があり、それは乞食を可愛がることに加え、周囲の麦畑でその黒穂を摘む癖も見られたけれど、誰も怪しむ者はいなかった。ただこの藤六がいることで、直方には乞食が絶えないとの評判にもなっていた。

 その藤六が明治十九年の暮に死んだ。残されていたのは仏壇に幾束もある麦の黒穂と、奥にあった古ぼけた茶褐色の人間の頭蓋骨だった。それから出てきた藤六の戸籍謄本によって、彼が四国生まれで身寄りがないとわかり、直方の顔役が金を出し、近所葬(とむらい)となった。そこに行商人体の若い男がやってきて、仏の甥と名乗り、叔父が死んだと聞き、泣き出してしまった。その名前は銀次といい、四国生まれの三十二歳で、放蕩を重ね、中国筋から大阪へ流れ、そこであらん限りの苦労の末、鉋飴売りの商売を覚え、四国に帰ったが、故郷には誰もおらず、叔父の藤六が直方で酒屋をやっていると聞き、ここまで訪ねてきたのだった。

 それから間もなく、銀次は酒屋を引き継ぐと、乞食の姿が目立って増えてきたが、酒屋の軒先に立つことはなかった。藤六と異なり、銀次は乞食嫌いのようで、商売に身を入れ、店も繁昌してきた。その一方で、直方に集中していた乞食連中はほとんどいなくなり、人々はこの現象を乞食の赤潮といって驚き、警察もしきりに首をひねっていた。

 ある晩、銀次が店を閉めると、表の戸をたたく女の声がして、小柄な女が酒を買うために入ってきた。女が帰った後、銀次は身支度を整え、一時間ほど待っていると、先ほどの「巡礼のお花」が忍びこんできた。彼は彼女を捕え、警察に突き出す。しかし女は銀次を「丹波小僧」と呼び、匕首で殺し、自害してしまう。その四、五日後に物知りの小学校校長から聞いた話を警察署長が語り出す。

 「(前略)人間の舎利甲兵衛に麦の黒穂を上げて祭るのは悪魔を信心しとる証拠で、ずうっと昔から耶蘇教に反対するユダヤ人の中で行われている一つの宗教じゃげな。ユダヤ人ちゅうのは日本の××のような奴どもで、舎利甲兵衛に黒穂を上げて置きさえすれば、如何(どげ)な前科があっても曝れる気遣いはないという……つまり一種の禁厭(まじない)じゃのう。その上に金が思う通りに溜まって一生安楽に暮されるという一種の邪宗門で、切支丹が日本に入ってくるのと同じ頃に伝わって来て、九州北方の山窩とか、××とか、言うものの中に行なわれておったと言う話じゃ」

 そして「この直方地方は昔からの山窩の巣窟」であったことも。それを受けて事件の捜査に当たった巡査部長が続ける。藤六は四国の豪農の息子だったが、若気の過ちで人を殺し、石見の山奥に入り、山窩の親分になった。藤六とお花と銀次は埋葬され、藤六には麦の黒穂、お花には花の束が置かれていたが、銀次の土盛りには糞や小便がかけられていた。それをめぐって、やはり藤六の盃を受けた銀次の兄弟分の雁八の証言が出される。

 丹波小僧は藤六が天の橋立の酌婦に産ませた実の子で、それを銀次は知らなかった。お花もやはり藤六の娘で、九州で巡礼に化け、女白浪となっていたことから、藤六は娘会いたさに、石見の山から直方にやってきた。集まってきた乞食たちは彼の後を慕ってきたのだった。ところが銀次は大阪で殺人を犯し、直方に流れてきて藤六を見つけ、金をためていることを知り、毒殺して、店を乗っ取ってしまった。それを知った藤六の子分たちが直方に集まり、評議し、お花を探し出し、銀次が実の兄であることをかくし、仇討ちをさせたのである。それでお花が自害するまえに発した「……皆の衆……皆の衆、すみません。私はお花じゃが……もう私は帰られんけに、帰られんけ……」という別れの言葉の「皆の衆」が山窩たちだったと判明する。

 この「骸骨の黒穂」は三一書房の『夢野久作全集』3に収録され、「解題対談」の「多義性の象徴を生み出す原思想」で、鶴見俊輔と谷川健一が「乞食の赤潮」にふれ、夢野の「多義的な象徴」を見ているけれど、山窩という設定への言及はない。たまたま同巻には同時期に『オール読物』に発表した「爆弾太平記」「山羊鬚編集長」も収録されているが、それらの関係は定かでない。ただ菊池寛が介在していると推測できよう。
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 それだけでなく、『近代出版史探索』でも既述しておいた、夢野と『ドグラ・マグラ』の松柏館、『白髪小僧』と誠文堂などの出版社との結びつきも、はっきりしたことがつかめない。まさに彼の場合、出版社としての関係も「夢野久作」(うすぼんやり)的だといっていいのかもしれない。
近代出版史探索

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古本夜話981 菊池寛、平凡社『明治大正実話全集』、永松浅造

 三角寛の最初のサンカ小説「山窩お良」は昭和七年に新潮社から刊行された『昭和妖婦伝』に収録され、作品の異同はあるけれど、同タイトルで現代書館の『三角寛サンカ選集』第九巻として復刊されている。

三角寛サンカ選集第九巻

 その「序」は菊池寛、加藤武雄、藤沼庄平の三人が書いているので、まずは菊池を見てみる。

 僕は「実話」の名付け親であり、最初の提唱者だが、『文芸春秋』でこれを毎号掲載してこのかた、実に多数の読者を得て、全く一時は実話時代の感を深からしめたものであるが、近来は猫も杓子も此の二字を用いて、狗肉を売る類おおく、本来の真実性を完全に失って了っている。
 三角寛君の「昭和妖婦伝」は『オール読物号』に引き続いて連載され、その特異な材料と、現実の腹部をみるような怪奇性と、之に加うるに筆者の丹念な調査とも以て、各篇共に新鮮な興味と迫力を持っている。

 菊池の「僕は『実話』の名付け親」という証言を確認するために、『文藝春秋七十年史』の「年誌」をたどってみると、昭和三年の『文芸春秋』十月号で、初めて「実話」を募集し、十二月号に掲載し、「以後実話活発となる」とある。そこで『文藝春秋七十年史[資料編]』の同号目次を見ると、確かに「実話」部門が新設され、辻美津「蔵前夜話」などの四編が並び、菊池の証言を裏づけている。

 「実話」とはアメリカで出されていた犯罪実話誌などを総称する「Confidential」の訳語と考えられ、昭和初期にエロ・グロ・ナンセンスとともに使われるようになったタームで、現在でも出されている、所謂極道ジャーナリズムを体現する『週刊実話』はその名残りをとどめているのだろう。

 またこれはアメリカの一九五〇年代を舞台としてだが、実話誌などで記事を挿入して構成されたジェイムズ・エルロイの『LAコンフィデンシャル』(小林宏明訳、文春文庫)にも「実話」の時代を彷徨させられる。

LAコンフィデンシャル

 『昭和妖婦伝』は新潮社から刊行されたのだが、菊池がその「序」を引き受けたのは、それらが文芸春秋社の『オール読物号』に連載されたことに加え、三角の「実話」が「特異な材料」「現実の腹部をみるような怪奇性」「新鮮な興味と迫力」の三位一体を認めたからに他ならない。それは本連載181などの加藤武雄も同様で、「事実のもつ深刻さと複雑さと多彩と怪奇」を備えた「実話文学」と推奨している。

 また藤沼は警視総監であり、「大衆的読み物」「探偵小説以上に興味ある人生の裏面史」との言を寄せている。すなわちここで、三角のサンカ小説は、菊池と加藤の文芸ジャーナリズム、及び警察当局からの「実話文学」としての承認を得たことになり、それは三角を特異な流行作家の位置へと押し上げたように思われる。

 しかもそうしたベースは昭和円本時代に築かれていたし、その表象が平凡社の『明治大正実話全集』だったのではないだろうか。これは第八巻しか入手していないが、そのラインナップを示す。

f:id:OdaMitsuo:20191216142533j:plain:h110 (『明治大正実話全集』) 明治大正実話全集 (第一巻、大空社復刻)

1 伊藤痴遊 『政界疑獄実話』
2 三上於兎吉 『悲恋情死実話』
3 甲賀三郎 『強盗殺人実話』
4 村松梢風 『名人苦心実話』
5 谷孫六 『財界興亡実話』
6 平山蘆江 『妖艶淪落実話』
7 田中貢太郎 『奇蹟怪談実話』
8 永松浅造 『詐欺横領実話』
9 長谷川伸 『義理人情実話』
10 白柳秀潮 『陰謀騒擾実話』
11 直木三十五 『変態恋愛実話』
12 松崎天民 『裏面暗面実話』


 これは『平凡社六十年史』の「発行書目一覧」から引いているのだが、内容見本掲載の他に、「俗受けをねらって失敗した『明治大正実話全集』と『映画スター全集』」という言及があるだけで、どのような経緯と事情で刊行されたのかは定かではない。だが同じ昭和四年初頭に、本連載387でも取り上げたように、『菊池寛全集』全十二巻が出されていることからすれば、「『実話』の名付け親」の菊池が文芸春秋社からの刊行はためらわれたので、自らの全集に相乗りさせ、企画を持ちこんだのではないだろうか。

f:id:OdaMitsuo:20171106200350j:plain  『菊池寛全集』

 そのように考えてみると、『詐欺横領実話』を担当している永松浅造は著者たちの中でプロフィルがわからない人物だが、別名の天草平八郎も含めて、多くの実話的著書があり、菊池の近傍にいたようにうかがわれる。彼は銀座の実話研究所という肩書めいたものを付し、その「序」に「果して実話時代は来た。そして澎湃たる勢をもつてわが読書界を風靡せんとしてゐる」と述べているのも、それを物語っているように思える。

 ただその「俗受けをねらって失敗」とは皮肉なことだけど、その「失敗」の後に三角の「サンカ小説」は出現してきたことになろう。


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出版状況クロニクル140(2019年12月1日~12月31日)

 19年11月の書籍雑誌推定販売金額は1006億円で、前年比0.3%増。
 書籍は537億円で、同6.0%増。
 雑誌は468億円で、同5.7%減。
 その内訳は月刊誌が394億円で、同4.3%減、週刊誌は74億円で、同12.4%減。
 返品率は書籍が37.3%、雑誌は41.9%で、月刊誌は41.1%、週刊誌は45.8%。
 ただ書籍のプラスは、前年の返品率40.3%から3%改善されたことが大きく作用しているのだが、書店売上は5%減であることに留意されたい。
 雑誌のほうは定期誌の値上げが支えとなっているけれど、相変わらずの高返品率で、19年は一度も40%を下回ることなく、11月までの返品率は43.3%となっている。


1.出版科学研究所による19年1月から11月までの出版物推定販売金額を示す。

■2019年 推定販売金額
推定総販売金額書籍雑誌
(百万円)前年比(%)(百万円)前年比(%)(百万円)前年比(%)
2019年
1〜11月計
1,130,017▲3.9621,358▲3.0508,659▲5.0
1月87,120▲6.349,269▲4.837,850▲8.2
2月121,133▲3.273,772▲4.647,360▲0.9
3月152,170▲6.495,583▲6.056,587▲7.0
4月110,7948.860,32012.150,4745.1
5月75,576▲10.738,843▲10.336,733▲11.1
6月90,290▲12.344,795▲15.545,495▲8.9
7月95,6194.048,1059.647,514▲1.2
8月85,004▲8.241,478▲13.643,525▲2.4
9月117,778▲3.068,3560.249,422▲7.3
10月93,874▲5.347,040▲3.246,834▲7.4
11月100,6590.353,7966.046,863▲5.7

 19年11月までの書籍雑誌推定販売金額は1兆1300億円、前年比3.9%減である。
 この3.9%減を18年の販売金額1兆2920億円に当てはめてみると、503億円のマイナスで、1兆2417億円となる。つまり19年の販売金額は1兆2400億円前後と推測される。
 現在の出版状況と雑誌の高返品率を考えれば、出版物販売金額と書店市場の回復は困難で、20年には1兆2000億円を割りこみ、数年後には1兆円を下回ってしまうであろう。
 そこに至るまでに、書店だけでなく、出版社や取次はどのような状況に置かれることになるのか。出版業界はどこに向っているのか。
 20年にはそれらのことがこれまで以上に現実的となり、問われていくであろう。



2.愛知県岩倉市の大和書店が破産。
 同書店は「ザ・リブレット」の屋号で、名古屋市内を中心として、岐阜、静岡、神奈川、大阪、岡山にも進出し、20店を超えるチェーン展開をしていた。
 2018年は年商30億円を計上していたが、売上が落ちこみ、資金繰りが悪化し、今回の処置に至ったとされる。
 破産申請時の負債は30億円だが、流動的であるという。

 11月30日に「ザ・リブレット」全23店が閉店し、12月に入ってそのリストもネット上に掲載されている。
 それを見ると、「ザ・リブレット」は主としてイオン・タウン、イオン・モール、アピタ、ららぽーとなどのショッピングセンターやスーパーなどに出店していたとわかる。
 しかも驚きなのは、沼津店が10月4日に開業したららぽーと沼津に出店していたことで、何と2ヵ月足らずで閉店に追いやられている。どのようなテナント出店のからくり、資金調達、取次との交渉が展開されていたのだろうか。坪数は200坪である。
 取次は楽天ブックスネットワークで、1990年代にはトーハンであったことからすれば、今世紀に入った時点で、大阪屋か栗田へと帖合変更がなされ、それから大阪屋栗田を経て、現在へと至ったことになろう。そしてそれはバブル出店を重ね、負債を年商まで増大させ、延命してきたことを意味していよう。

 だが本クロニクル138でふれたように、大阪屋栗田の楽天ブックスネットワークへの社名変更に伴うようなかたちで破産となったのである。楽天ブックスネットワーク帖合の書店破産はまだ続くのではないだろうか。
 この背景には、出版物の売上減少下にあって、書店がテナント料を払うことが困難になってきていることを告げている。かつて郊外消費社会と出店の中枢を占めていた紳士服の青山商事やAOKIも赤字が伝えられているし、その事実から類推すれば、書店は大型店や複合店にしても、もはや成立しないテナントビジネスモデルとなっているかもしれない。
 また全23店同時閉店の書店在庫の行方に注視する必要があるだろう。このような一斉閉店においては、取次による回収もできないと思われるからだ。本当に2020年の書店市場は何が起きようとしているのか。

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3.日販グループホールディングスの中間決算は連結売上高2508億円、前年比5.0%減の減収減益。取次事業は2303億円、同5.2%減。

4.トーハンの中間決算は連結売上高1896億円、前年比1.2%減、中間純損失2億500万円の赤字。トーハン単体売上高は1779億円、同2.9%減の減収減益。

5.日教販の決算は売上高266億円、前年比4.9%減、当期純利益は2億1100万円、同2.0%減。

 日販は減収減益、トーハンは赤字の中間決算で、取次事業は両社とも実質的に赤字と見なしていい。
 物流コストは上昇しているし、書店売上の凋落、台風の影響、消費税増税などを考えれば、通年決算がさらに厳しくなるのは必至であろう。
 日教販の決算は専門取次ゆえに、書籍が学参、辞書、事典で占められていることから、返品率は13.9%となっている。だから減収減益にしても利益が出ている。
 それに比べて、日販は書籍が33.4%、雑誌が47.5%、トーハンは書籍が43.5%、雑誌が49.0%で、この高返品率が改善されない限り、両社の「本業の回復」は不可能だろう。しかも雑誌は返品量の調整が毎月行なわれているにもかかわらず、高止まりしたままで、20年には50%を超える月も生じるのではないかと推測される。

 ちなみに、コミックにしても、返品率は日販が28.2%、トーハンが29.3%で、日教販の書籍返品率の倍以上であり、こちらも30%を上回ってしまうかもしれない。
 そのようにして、取次の20年も始まっていくしかない状況に置かれている。



6.紀伊國屋書店の連結売上高は1212億5500万円、前年比0.8%減、当期純利益は9億8000万円、同11.0%増。
 単体売上高は1022億6600万円、同0.9%減。
 「店売総本部」売上は500億円、同1.3%減、外商の「営業総本部」は477億円、同0.5%減、当期純利益は8億4500万円、同5.0%増。


7.有隣堂の決算は売上高536億5500万円、前年比3.7%増。当期純利益は1億5100万円、同25.8%増。
 分野別では「書籍類」が175億5500万円、同0.5%減、「雑誌」が40億3500万円、同0.6%増とほぼ横ばいだが、その他の「雑貨」「教材類」「OA機器」などが好調だったとされる。

 紀伊國屋書店は国内68店、海外37店で、計105店で、12年連続黒字決算だが、国内店舗の売上の落ちこみは同書店も例外ではないはずだし、来年の決算ではどうなるだろうか。
 有隣堂のほうも増収増益だが、すでに出版物売上シェアは40%まで下がっていて、その他部門の売上が決算の要であるところまできている。そうした意味においても、本クロニクル132で取り上げておいた「誠品生活日本橋店」の売上が気にかかる。その後の動向は伝わってこない。どうなっているのか。
odamitsuo.hatenablog.com



8.『日経MJ』(11/1)が「王道アパレルへ ゲオ衣替え中」という大見出しで、古着店「セカンドストリート」の一面特集を掲載している。
 それによれば、店舗数は630店に達し、しまむら、ユニクロ、洋服の青山に続く店舗数となり、売上も500億円、ゲオ全体売上高の18%を占めている。

 かつては「DVDレンタルが看板」と小見出しにあるように、ゲオの既存店舗などにも出店を加速させているようで、1Fがゲオ、2Fがセカンドストリートという店舗を見ている。
 やはりゲオもユーチューブ、ネットフリックスなどにより、DVDレンタルなどは苦戦し、難しい状況にあるとの遠藤結蔵社長の言も引かれている。
 それもあって、セカンドストリートは現在、年40店ペースで出店し、23年に800店、長期的には1000店をめざすという。
 トーハンとゲオは提携しているし、トーハンとゲオの連携店舗がセカンドストリートになることも考えられるので、ここで紹介しておく。



9.東邦出版が民事再生法を申請。
 11月19日付で、委託期間外商品の返品不可を3000店以上の書店にFAX通知し、取次にも伝えられた。負債は7億円。

 前回の本クロニクルで、シーロック出版社の自己破産にふれ、親会社に当たる出版社も苦境にあると記したが、これはこの東邦出版をさしている。
 委託期間外商品の返品不可の問題は、東邦出版が長きにわたって書店への営業促進をしてきたことから、高橋こうじ『日本の大和言葉を美しく話す』や山口花『犬から聞いた素敵な話』などがベストセラーになっていたことに求められる。
 それらの書店在庫がどのくらいあるのか、当然のことながら、正確にはつかめない。結局のところ、書店は返品不能品処理をするしかないと思われる。
 以前にリベルタ出版の廃業を伝えたが、幸いにして返品は少なく、数十万円で終わったようだ。

日本の大和言葉を美しく話す 犬から聞いた素敵な話



10.宝島社は来年2月に子会社の洋泉社を吸収合併し、その権利義務を継承し、従業員も継続雇用する.。
 ただ月刊雑誌『映画秘宝』は休刊となる。

 洋泉社は元未来社の藤森建二によって1985年に創業され、98年に宝島社の子会社になっていた。
 35年間の出版物は単行本、新書、ムックなど幅広いジャンルにわたる。私も単行本や新書だけでなく、町山智浩が手がけたムック『映画秘宝EX』や実話時報編集部などの編集による極道ジャーナリズムムックをそれなりに愛読してきたので、洋泉社の名前が消えてしまうことに淋しさを感じる。

 だが幸いにして、『出版状況クロニクルⅢ』で既述しておいたように、2011年に藤森の『洋泉社私記―27年の軌跡』(大槌の風)が出され、そこには「刊行図書総目録―1985~2010」も収録されている。また編集者の小川哲生の私家版『私はこんな本を作ってきた』(後に『編集者=小川哲生の本』として言視舎から刊行)、『生涯一編集者』(言視舎)も出されているので、洋泉社の記録としても読まれていくであろう。
映画秘宝  f:id:OdaMitsuo:20191224203458j:plain:h110 編集者=小川哲生の本  生涯一編集者

【付記】
 読者のtwitterによれば、藤森は現在でもブログ「大槌の風」を更新しているので、失明は誤報ではないかとの指摘があった。 確実な情報筋より伝えられたこともあり、藤森に確認せずに記したが、誤報であれば、お詫びしたい。
それゆえにその部分を削除する。


11.緑風出版の高須次郎が朝日新聞社の言論サイト「論座RONZA」(12/5)で、「本屋をのみこむアマゾンとの闘い」という臺宏士のインタビューを受けている。

 これは高須の『出版の崩壊とアマゾン』 (論創社)をベースとするその後の補論と見なせよう。
 しかしそれから年も迫った頃に、アマゾンが日本に法人税を納付していたことが明らかになったので、高須に代わって、補足しておく。
 中日新聞(12/23)などによれば、アマゾンは日本国内の販売額を日本法人売上高に計上する方針に転換し、17、18年の2年間で300億円の法人税を納付したとされる。
 これは国際的な議論となっているデジタル課税の先取り、独禁法にふれる優越的地位の乱用、国内の宅配危機への非難に対する回避処置とも見られる。
 19年は過去最高の売上高になると推測され、その法人税納付に注視すべきだろう。
出版の崩壊とアマゾン



12.みすず書房の編集長だった『小尾俊人日誌1965―1985』 (中央公論新社)が刊行された。

 この小尾、丸山眞男、藤田省三を主人公とし、加藤敬事の「まえおき」にある「みすず書房を舞台に展開された丸山と藤田の間のヒリヒリするような感情のドラマ」が、どのような経緯と事情で中央公論新社から出されることになったのかは詳らかでない。
 それでも、この日誌、加藤と市村弘正の解説対談「『小尾俊人日誌』の時代」を読むと、出版業界に入った1970年代のことが思い出される。人文社会書はまさに小尾や未来社の西谷能雄の時代でもあったけれど、出版業界は小さな共同体であり、彼らは私などに対しても謙虚に接してくれた。
 しかし時は流れ、出版業界も編集という仕事も時代も変わってしまったことを、この一冊は痛感させてくれる。
 『小尾俊人日誌1965―1985』 に関しては、いずれ稿をあらためたいと思う。
小尾俊人日誌1965―1985



13.『出版月報』(11月号)が特集「図書館と出版の今を考える」を組んでいる。

 本クロニクルでも、毎年1回、公共図書館に関してレポートしてきているが、この特集も「公共図書館の現状」「書籍販売部数と公共図書館貸出数」「公立図書館職員数の推移」をフォローしている。
 しかしこの特集の特色は「出版社にとって図書館は大事な存在 求められるのは両社の協働」とあるように、『出版月報』ならではの「出版者と図書館の関わりについて」で、人文書、専門書、実用書、児童書、文芸書の出版社に取材し、それを報告していることにある。
 その筆頭には12のみすず書房が挙げられ、「初版1800部の書籍では、200部程度が図書館分」「10%程度の占有」だとされる。そしてレポートは「公共図書館全国の3千館のうち、千部の発注があれば、初版一千部以上は確定できる。図書館の購入で、少部数でも専門的な多様な出版企画を成立させることが可能になっている」と続いていく。
 だが現実的に公共図書館から少部数の人文書、専門書の「千部の発注」はあり得ない。この問題も含め、公共図書館の現在についての一冊を書くつもりでいる。
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14.『前衛』 (1月号)を送られ、そこに高文研編集者の真鍋かおる「『嫌韓中本』の氾濫と出版の危機」が掲載されていた。

 これは「極私的な出版メディア論」との断わりがあるように、人文書編集者から観た「歴史修正主義本、嫌韓反中本の氾濫」の考察である。
 そのことに関して、真鍋は取次の「見計い」配本も後押ししているのではないかと指摘し、「なぜ書店にヘイト本があふれるのか。理不尽な仕組みに声をあげた一人の書店主」というブログを引いている。
 また真鍋は自らの編集者としてのポジションも表明し、そのようなヘイト本の氾濫状況に抗するために、自分が手がけた本をも挙げているので、興味のある読者は実際に読んでほしい。
前衛



15.沖縄のリトルマガジン『脈』103号の特集「葉室麟、その作家魂の魅力と源」が届き、それとともに編集発行人の比嘉加津夫の急死が伝えられてきた。

 『脈』は友人から恵送されているので、本クロニクルでもしばしば取り上げてきた。2月発売の104号特集「『ふたりの村上』と小川哲生」と予告されている。困難は承知だが、刊行を祈って止まない。
 折しも協同出版が子会社の協同書籍を設立し、沖縄の出版社の書籍の取次事業に参入することを表明したばかりでもあるからだ。
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16.『股旅堂古書目録』22 が出た。

 今回の「巻頭特集」は「或る愛書家秘蔵の地下室一挙大放出 ‼ 」で、書影も4ページ、64点に及び、昭和の時代の「地下本」の面影を伝えてくれる。
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17.拙著『近代出版史探索』は鹿島茂による『毎日新聞』(12/22)書評が出され、12月7日の東京古書組合での講演「知るという病」は『図書新聞』に掲載予定。
近代出版史探索
 また論創社HP「本を読む」㊼は「『アーサー・マッケン作品集成』と『夢の丘』」です。