出版・読書メモランダム

出版と近代出版文化史をめぐるブログ

戦後社会状況論

混住社会論123 『アメリカ教育使節団報告書』(一九四六年、講談社学術文庫、一九七九年)

前回、タイの農村と小学校を舞台とする『田舎の教師』にふれたが、タイは他の東南アジア諸国と異なり、外国の植民地になったことがない。それゆえに近代の波にさらされていても、その教育システムはタイ社会の在り方と密接に結びついているのだろう。しかし…

混住社会論122 カムマーン・コンカイ『田舎の教師』(勁草書房、一九八〇年)

前回の谷恒生の『バンコク楽宮ホテル』の一文を書くために、難民写真集、タイ文献などに目を通した。それらは谷の小説のモデルとされている人物たちによる『難民 終りなき苦悩』(文・犬養道子、写真・小林正典、岩波書店)や『難民 国境の愛と死』(写真と…

混住社会論121 谷恒生『バンコク楽宮ホテル』(講談社、一九八一年)

バンコクは癌が進行していくような速さで拡大し、周辺の田園地帯を飲み込み、水田を、投機的な住宅開発、 あわただしく作られた郊外地図、そして巨大な新しいスラムへと変化させた。ベネディクト・アンダーソン『比較の亡霊』(糟谷啓介他訳、作品社) 本連…

混住社会論120 矢作俊彦『THE WRONG GOODBY ロング・グッドバイ』(角川書店、二〇〇四年)

(角川文庫版)(『複雑な彼女と単純な場所』) 横浜には絵になる景色の港などどこにもない。私が生まれてこのかた、一度としてそんなものは存在しない。たしかに十数年前まで、調布の日活撮影所の塀の中に、その幻影が転がっていた。 しかし、幻影であっても…

混住社会論119 スタインベック『怒りの葡萄』(原書、一九三九年、第一書房、一九四〇年)とピエトラ・リボリ『あなたのTシャツはどこから来たのか?』(東洋経済新報社、二〇〇七年)

(The Grapes of Wrath) 『〈郊外〉の誕生と死』や本連載115 などで、アメリカが消費社会化したのは一九三九年であり、それが世界でも突出して早かったことに関して、その主たる要因は三〇年代におけるモータリゼーションの普及に伴う全国的なスーパーマーケ…

混住社会論118 ゾラ『大地』(原書、一八八七年、論創社、二〇〇五年)と長塚節『土』(春陽堂、一九一二年)

本連載で続けて記してきたように、十九世紀後半から二十世紀初頭にかけて、欧米だけでなく、日本でも百貨店の出現に象徴される消費社会の誕生を見ることになるわけだが、その時代の主たる背景である農耕社会のコアとしての農村はどのような位相に置かれてい…

混住社会論117 渡辺京二『逝きし世の面影』(葦書房、一九九八年)と久米邦武編『特命全権大使 米欧国回覧実記』(新橋堂、一八七八年)

(岩波文庫)(慶應義塾大学出版会) 前回見たように、フランスにおいてパリがパサージュや流行品店や百貨店によって消費社会の幕開けを迎えていた頃、日本はどのような社会であったのだろうか。 これも佐貫利雄の『成長する都市 衰退する都市』から抽出してみ…

混住社会論116 ゾラ『ボヌール・デ・ダム百貨店』(原書、一八八三年、論創社、二〇〇二年)

百貨店の創立とともに、歴史上はじめて消費者が自分を群衆と感じ始める。(かつては彼らにそれを教えてくれたのは欠乏だけであった。)それとともに、商売のもっている妖婦めいた、人目をそばだたせる要素が途方もなく拡大する。 ベンヤミン『パサージュ論』…

混住社会論115 M・M・ジンマーマン『スーパーマーケット』(商業界、一九六二年)

合衆国が消費社会の典型(パラダイム)である。 ロザリンド・H・ウィリアムズ『夢の消費革命』(吉田典子他訳、工作舎) 拙著『〈郊外〉の誕生と死』において、欧米と日本の消費社会化の時期に言及し、イギリスやフランスや日本が一九七〇年前後であったのに…

混住社会論114 『大和ハウス工業の40年』(同編集委員会、一九九五年)

一九七〇年代前半にコンビニやファストフードは都市の内側において誕生し、その後半から郊外化していった。それらはストリートビジネスからロードサイドビジネスへと変容することで、八〇年代の郊外消費社会の隆盛に不可欠な装置となり、その機能システムと…

混住社会論113 安土敏『小説スーパーマーケット』(日本経済新聞社、一九八一年)とテーラー『科学的管理法』(産業能率短期大学出版部、一九六九年)

(講談社文庫 上) (下) 続けて言及してきたリッツアの『マクドナルド化する社会』の中で、「マクドナルド化」の先駆としてテーラーの科学的管理法やベルトコンベアによる大量生産のフォードシステムなどが挙げられていた。ここでは前者の科学的管理法を取…

混住社会論112 藤田 田『ユダヤの商法』(KKベストセラーズ、一九七二年)と『日本マクドナルド20年のあゆみ』(同社、一九九一年)

まず藤田 田に関するささやかなポートレートを提出してみる。彼は一九二六年に大阪に生れ、旧制松江高校を経て、戦後の四八年に東大法学部に入学する。在学中は授業料と生活費を得るためにGHQの通訳として働き、その一方で藤田商店を設立し、クリスチャン・…

混住社会論111 ジョージ・リッツア 『マクドナルド化する社会』(早稲田大学出版部、一九九九年)

リッツアの『マクドナルド化する社会』(正岡寛治監訳)はアメリカで初版が一九九三年、改訂新版が九六年に刊行され、後者に基づく邦訳版は九九年に出されている。原タイトルはThe McDonaldization of Society で、直訳すれば、『社会のマクドナルド化』とな…

混住社会論110 藤原伊織『名残り火』(文藝春秋、二〇〇七年)

前々回の庄野潤三の『夕べの雲』には出てこないけれど、その丘の上の家ではもう一人の子供が生まれていて、それは三男にあたる庄野音比古である。そうとばかり思っていたが、庄野潤三の年譜にその名前は見えないので、庄野の甥かもしれない。それはともかく…

混住社会論109 ピエール・ブルデュー『住宅市場の社会経済学』(藤原書店、二〇〇六年)と矢崎葉子『それでも家を買いました』(大田出版、一九九〇年)

一九六〇年代半ばに書かれた庄野潤三の『夕べの雲』には明らかに「一戸建て」の思想が見てとれた。だが八〇年代から九〇年代を背景とする宮部みゆきの『理由』になると、家を建てるという一戸建ての時代は後退し、マンションを買うというハビトゥスが時代の…

混住社会論108 庄野潤三『夕べの雲』(講談社、一九六五年)

前回の宮部みゆき『理由』のテーマのひとつは高層マンションに住む家族のイメージの変容であり、この作品は二一世紀を迎えようとしていた時代における家族レポートの色彩に包まれてもいた。また実際に二一世紀に入り、都市における住居の高層化はさらに進み…

混住社会論107 宮部みゆき『理由』(朝日新聞社、一九九八年)

事件が発生したのは一九九六年六月二日のことで、強い雨が降る夜だった。それは高層マンションの一室で起きたのである。まずはその建物と開発、建設プロジェクトの全容を示そう。 普通なら、営団地下鉄日比谷線北千住駅のホームからも望むことができる、「ヴ…

混住社会論106 黄 春明『さよなら・再見』(めこん、一九七九年)

日本で初めて翻訳された現代台湾小説として、黄 春明の『さよなら・再見』(福田桂二訳)の刊行を見たのは一九七九年であった。この小説は日本人による「買春観光」をテーマとするもので、七三年に台湾で発表されている。台湾への日本人旅行者は六七年には七…

混住社会論105 日影丈吉『内部の真実』(講談社、一九五九年)

(社会思想社、現代教養文庫版) 前回の映画『セデック・バレ』に続き、同じく台湾を舞台とする小説、しかも日本人によって書かれたミステリーを取り上げてみる。それは日影丈吉の『内部の真実』である。日影は一九四九年に『宝石』コンクールに応募した「か…

混住社会論104 ウェイ・ダーション『セデック・バレ』(マクザム+太秦、二〇一一年)

混住社会論103 松本健一『エンジェル・ヘアー』(文藝春秋、一九八九年)

前回の村上春樹の『羊をめぐる冒険』において、三部作の主要な背景となる「ジェイズ・バー」の由来、それを営む中国人ジェイの命名の事実が語られている。ジェイは戦後米軍基地で働いていた時、本名の中国名が長く発音しにくかったので、アメリカ兵たちが勝…

混住社会論102 村上春樹『羊をめぐる冒険』(講談社、一九八二年)

前々回取り上げた中上健次の「路地」とその消滅後の作品群の中にあって、その消滅の一因と考えていい郊外消費社会とロードサイドビジネスはダイレクトに描かれてはいなかった。それは中上の作品群とほぼ同時代に書き進められていた村上春樹の『風の歌を聴け…

混住社会論101 赤坂真理『ヴァイブレータ』(講談社、一九九九年)

前回、中上健次のロードサイドノベルと見なせるであろう『日輪の翼』を取り上げたが、それに先駆けて書かれた「赫髪」(『水の女』所収、作品社、集英社文庫)という短編がある。これは開発中の「路地」を背景にして、ダンプカーの運転手が山を切り開いてつ…

混住社会論100 中上健次『日輪の翼』(新潮社、一九八四三年)

(河出文庫) 拙著『〈郊外〉の誕生と死』において詳述したように、一九八〇年代は郊外消費社会が隆盛を迎えつつあった。それは七〇年代にファミリーレストランを先駆けとし、駐車場を備えた郊外型商業店舗、所謂郊外店を増殖させたロードサイドビジネスの急…

混住社会論99 多和田葉子『犬婿入り』(講談社、一九九三年)

拙著『〈郊外〉の誕生と死』の中で、一九七〇年に発表された古井由吉の『妻隠』(河出書房新社)に言及し、郊外における都市と地方の混住のフォークロア的なゆらめきにふれたことがあった。若い夫婦が郊外のアパートに暮らす五年間のうちに、夫は東北地方出…

混住社会論98 本間洋平『家族ゲーム』(集英社、一九八二年)

戦後の日本は一九七〇年代半ばに至る三十年の過程で、近代から現代への転換がなされ、戦前からの農耕社会、高度成長期における工業社会、オイルショック以後の消費社会へとシフトしていった。それに伴い、家族のイメージも近代家族から現代家族へと変容して…

混住社会論97 黒岩重吾『現代家族』(中央公論社、一九八三年)

前回ふれたように、吉本隆明は『共同幻想論』(角川文庫)の「対幻想論」において、典型的な家族小説として、夏目漱石の『道草』を挙げているが、それに加えて森鴎外の「半日」も論じられている。そしてどちらの場合も、そこに表出している家族が「当事者の…

混住社会論96 近藤ようこ『ルームメイツ』(小学館、一九九七年)

「わたしだってふつうよ/女はみんなふつうの女よ」近藤ようこ『移り気本気』 前々回の山田太一の『岸辺のアルバム』のヒロインで、孤独な主婦の田島則子が還暦を迎え、夫の定年を機にして家出したとすれば、それはどのような物語として展開されるだろうか。…

混住社会論95 鎌田敏夫『金曜日の妻たちへ』(角川文庫、一九八五年)

前回の山田太一の『岸辺のアルバム』の系譜を引き継ぐホームドラマとして、一九八三年に鎌田敏夫の『金曜日の妻たちへ』が放映された。これは『岸辺のアルバム』と異なり、続編も制作され、『大衆文化事典』(弘文堂、一九九一年)に立項されている。それら…

混住社会論94 山田太一『岸辺のアルバム』(東京新聞社、一九七七年)

山田太一の『岸辺のアルバム』は東京新聞などに連載され、一九七七年にTBSで鴨下信一たちを演出としてテレビドラマ化され、八千草薫、杉浦直樹、中田喜子、国広富之、竹脇無我たちによって演じられた。この『岸辺のアルバム』は、テレビドラマの歴史を塗り替…