出版・読書メモランダム

出版と近代出版文化史をめぐるブログ

2 『ナナ』とパサージュ

「ルーゴン=マッカール叢書」が近代という新しい時代を迎えて、これまでなかった社会インフラの出現によって新しい欲望に目覚めていく物語ではないかと記したが、それと同時に新しい時代のインフラと欲望についての多くの謎を提出している。

それらは遺伝、都市改造、市場、第二帝政と宗教、政治と権力、パサージュ、百貨店、炭鉱と資本、鉄道、証券取引所、戦争と革命などをめぐる謎であり、全二十巻に及ぶ叢書そのものがそのような近代の謎を解明するようにして書かれたという印象すらも与える。だから作品によってはミステリのようにも読めるし、構成からすれば、第十九巻の『壊滅』 がそれまでの十八巻の謎の大団円で、第二十巻の『パスカル博士』 が一族の謎を解き明かす解決編とも考えられる。

壊滅 パスカル博士

これらの謎もさることながら、訳者としてずっと具体的なイメージを思い浮かべられないでいたのが、実はパサージュなのである。もちろんベンヤミン『パサージュ論』 も読んでいるし、それがアーケード商店街だと承知していても、実物を見ていないこととビジュアルな資料がないので、よくわからないままで『ごった煮』 などを訳していた。そのような資料の所在をフランス文学者などに問い合わせても、見たことがないという返事で、古いパリの写真にもほとんど出ていなかった。そのことを反映してか、ベンヤミンの初期の翻訳ではパサージュに「路地」という訳語が当てられていた時代もあった。きっと私だけでなく、実際にパサージュを見ていない読者も多いと思われた。

パサージュ論 ごった煮 米欧回覧実記

しかしその後、この十九世紀前半に流行したパサージュと日本が出会っていた事実を知り、その記述がなされていたことに驚いてしまった。それは一八七二年にパリに着いた岩倉使節団『米欧回覧実記』 岩波文庫)においてだった。

 此小街ノ上ヲ、玻瓈(ガラス)ニテ上宇ヲ覆ヒタル所アリ、常ニ日光ヲ透シテ、風雨ヲ漏サス、常晴ノ街路ナリ、両側ノ廛ニ、百貨ヲ雑陳シテ売ル。

これはまさにパサージュであり、同時に使節団は売り出し中のボン・マルシェとおぼしき百貨店に消費者が群がっている風景も目にしている。使節団が目撃したパサージュと百貨店に象徴される社会の風景は、日本の近代化のイメージの中に刻印されたはずで、明治の中期より日本においても百貨店が出現し、戦後の高度成長期に全国の地方都市にアーケード商店街が建設されるようになったのも、この出会いに端を発しているのではないかとも思った。

さて本来の資料に話を戻すと、パサージュが最も多く出てくるのが『ごった煮』 『ナナ』 で、それらを挙げれば、ショワズル・パサージュ、マドレーヌ・パサージュ、ジュフロワ・パサージュ、パノラマ・パサージュ、モンマルトル・パサージュ、ヴァリエテ・パサージュ、サン=マルク・パサージュ、フェイドー・パサージュと次々に現われ、とりわけ『ごった煮』 はショワズル・パサージュ、『ナナ』 はパノラマ・パサージュが物語の中でも重要な場面の舞台となっている。これだけ出てくると、訳すにあたってビジュアルな資料の必要性を痛感した。ところが念じれば本は見つかるもので、その頃届いた古書目録に二冊の洋書のパサージュ本が掲載されていた。それは次の二冊である。

   Patrice de Moncan, Les Passages couverts de Paris. (Les Editions du Mecene, 1995)
   J.F.Geist, Le Passage. (Pierre Mardaga éditeur, 1989)

以前にもこの二冊について言及したことがあり、後者はドイツ建築史家によるヨーロッパのパサージュの歴史と様式についての一冊なので、ここでは前者にだけふれる。これは直訳すれば、「パリのガラス屋根つきパサージュ」ということになるが、「パリ・パサージュ紀行」的内容の大判の一冊で、大きなカラー写真、絵画、図版が収録され、パサージュの過去と現代をビジュアルに見せてくれる。ベンヤミンの「パサージュは外側のない家か廊下である」との『パサージュ論』 の一節がエピグラフに置かれ、パリのパサージュの歴史がつづられ、一七八六年から一八九九年に至るパサージュ建築、解体史年表、現存、及び消滅してしまったパサージュの地図も配置されている。そして何よりも有難いのは二十六のパサージュがそれぞれ独立した章立てになっていて、多彩なパサージュの姿を知らしめていることである。

現在のパサージュを伝えるカラー写真と異なり、十九世紀から二十世紀初頭に写されたと思われるパサージュのモノクロ写真を見ていると、ベンヤミン『パサージュ論』 の群衆と犯罪の謎をも秘めた夢幻的な世界に引きこまれるようであり、『ごった煮』 『ナナ』 の登場人物たちが動き回っているような気になる。まさしくパサージュとはベンヤミンが言うように「集団の夢の家」であり、このパサージュに関するビジュアル本は、思いがけないパリ歴史散策と翻訳のイメージをまざまざと喚起させる機会を与えてくれたことになる。

ところがこの本の在庫の有無を調べてみると、いずれも小出版社から刊行されたもので、すでに品切れになっていて、とても残念に思われた。それは翻訳するにしても、大判での出版は判型とコストの関係から無理であり、原書を参照するしかないと判断せざると得なかったからだ。

しかし〇八年になって、この本を範にしたと思われるパサージュ本がようやく刊行された。それは鹿島茂『パリのパサージュ』 (コロナ・ブックス、平凡社)で、コンパクトな気軽に携える一冊としてお目見えしたのである。写真はすべて撮り下ろしのようで、「写真・鹿島直」となっているから、親子合作によって仕上げられたビジュアル本なのかもしれない。

パリのパサージュ ナナ

こちらの本ではサブタイトルにある「過ぎ去った夢の痕跡」をとどめた十九のパサージュが紹介されていて、もちろんショワズル・パサージュやパノラマ・パサージュ(鹿島本ではパサージュ・ショワズル、パサージュ・デ・パノラマ)も登場している。

その中でもパサージュ・デ・パノラマはパリの現存する最も古いものに属しているようで、「昔日の栄光、いまいずこ」との章題に加え、『ナナ』 に出現する場面の鹿島訳も添えられている。パサージュをふまえての新訳は、この鹿島訳と私の〇六年訳だと見なせるので、興味のある読者は読み比べてほしい。
「パサージュ論」熟読玩味

おそらく鹿島の『パリのパサージュ』 の出現によって、あの難解なベンヤミン『パサージュ論』 が身近に感じられるようになった読者もかなりいるのではないだろうか。鹿島は身につまされる悪戦苦闘の『「パサージュ論」熟読玩味』 青土社)の著者であるがゆえに、そのことも配慮し、この一冊を編んだと思われる。

◆過去の「ゾラからハードボイルドへ」の記事
ゾラからハードボイルドへ1 「ルーゴン=マッカール叢書」