出版・読書メモランダム

出版と近代出版文化史をめぐるブログ

17 伏字の復元 2

◆過去の「謎の作者佐藤吉郎と『黒流』」の記事
1 東北書房と『黒流』
2 アメリカ密入国と雄飛会
3 メキシコ上陸とローザとの出会い
4 先行する物語としての『黒流』
5 支那人と吸血鬼団
6 白人種の女の典型ロツドマン未亡人
7 カリフォルニアにおける日本人の女
8 阿片中毒となるアメリカ人女性たち
9 黒人との合流
10 ローザとハリウッド
11 メイランの出現
12『黒流』という物語の終わり
13 同時代の文学史
14 新しい大正文学の潮流
15 『黒流』の印刷問題
16 伏字の復元 1

17 伏字の復元 2

それにしても12のローザと結ばれる場面は、5に見られるロツドマン未亡人の描写、1の前の部分にあたる春子についての記述と少しばかり異なっている。それはローザがメキシコ人女性にして同志であること、兄妹的関係から始まったこと、定かならぬ宗教的感情がこめられているためなのだろうか。12の場面を復元してみる。

魂と魂が、肉体と肉体とが微妙な接吻をした。彼女は自分の(四字不明)が全く荒木の(三字不明)になつた様に感じた。荒木の霊と肉が自分のものに一致した様に思つた。二人は(一字不明)情を燃やすが儘に燃やした。

「魂と魂」、あるいは「霊と肉」という言葉からうかがわれるように、ローザとの関係は宗教的なメタファーが用いられ、ロツドマン未亡人の場合における「征服」と異なる同志的結合を示唆しているようにも思える。またさらに宗教的な面を拡大すれば、ローザについての記述は神と交感し、恍惚状態になっている修道女の神秘体験のようでもある。とすれば、荒木はここで神に擬せられていることになる。有色人種の神なのである。
そして全裸の身体をさらけ出し、荒木を誘惑するグラハムという美しい白人女の娼婦も登場する。この11の場面は前述したように十ページにわたって伏字処理され、わずかしか判読できないが、それでも最初の部分は何とか次のように読める。

 彼女は足を高く上げたりして踊つて居る中に今度は、(四字不明)ダンスをやり始めた。一同は思はず拍手した。その中に彼女は其の薄衣を脱ぎ捨てて終つた。肉付きのよい彼女の全裸体が、惜し気も無く晒け出されると、一同はまるで蛇に見据えられた蛙の様に縮んでしまつた。
 彼女のダンスは益に露骨になつて来た。

ここでも白人女のグラハムはその全裸姿で「蛙」のような日本人や黒人を圧倒する「蛇」として語られている。「蛇」もまた「倒錯の偶像」のメタファーなのだ。
三ヵ所しか言及できなかったが、これらを含め十八ヵ所にわたる伏字処理のほとんどが、このような白人女についての性的な描写であり、明治から大正にかけての小説の中で、これほど執拗に白人女の肉体を描写した小説家はいなかったように思われる。このことから判断すると、『黒流』のテーマは「人種戦」であることが「自序」のみならず、本文でも繰り返し述べられているのだが、アメリカ人の男は映画監督のデミルや賭博場の遊人トムなどの数人が名前入りで登場するだけなのである。それゆえに『黒流』は男達の「人種戦」というよりも、むしろ白色人種の女と日本人の男との「両性間の闘争」の色彩を強く帯びている。邪推すれば、その意味で佐藤吉郎のアメリカにおける白人女との「侮蔑と汚辱」の体験が投影されているかもしれないのだ。
またそれがこの『黒流』を特異な小説とならしめている原因のようにも思われる。さらに付け加えるならば、佐藤吉郎は同時代の日本文学の影響をほとんど受けておらず、ヨーロッパの世紀末文学やアメリカの大衆文学の文法や叙述に学んでいるのではないだろうか。前者からは女性像の造型、後者からはパルプ・マガジンなどに発表されたピカレスク小説の形式を取りこんでいるのではないだろうか。だから『黒流』の物語祖型は白色人種の小説に範を仰ぎ、舞台をアメリカとし、主人公は日本人で、それを白人女たちが取り巻き、阿片による「人種戦」を展開するという、読者には破格な文法の突然変異的な近代小説として出現した。まだハードボイルド小説という概念も成立していなかったし、いかにも時期尚早の小説ゆえに、文学史にも記載されず、忘れ去られてしまったのであろう。

次回へ続く。