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古本夜話105 国民文庫刊行会『国訳大蔵経』

前回大正時代における仏教・宗教書出版につい書いたので、乱歩絡みの仏教書のことも書いておこう。松村喜雄は『乱歩おじさん』の中で、花咲一男と乱歩の書物談議を紹介し、花咲が『国訳大蔵経』を勧められ、「この本を〈文学〉として読め、と乱歩さんが教えてくれた」というエピソードを、花咲の『雑魚のととまじり』から拾っている。そこで花咲は乱歩の本に関する指示にかなり忠実に従ったが、『国訳大蔵経』だけは入手せず、読むことを果たせなかったと書いていた。

この『国訳大蔵経』とは大正六年に国民文庫刊行会から刊行された全三十巻に及ぶ大部のシリーズである。私も全巻は架蔵しておらず、「論部」十四巻のうちの九冊を持っているだけだ。だがあらためて確認してみると、菊判八百ページの大冊で、判型と巻数は『世界聖典全集』と同じにしても、倍近いボリュームがある。昭和円本時代に東方書院から『昭和新纂国訳大蔵経』全四十八巻も刊行されているが、乱歩の蔵書としては国民文庫刊行会版が佇まいからしてふさわしい。

その前に『大蔵経』についての簡略な説明が必要だろう。前回も挙げた『世界名著大事典』(平凡社)を参照すると、六ページにわたる長い解題が掲載されている。それによれば、『大蔵経』とは単一の経典名ではなく、仏教の経典群の総称を意味し、内容はその時代に存在した一切経をさすが、多くの場合、欽定による蔵経を『大蔵経』といった。後には漢訳一切経を『大蔵経』、日本選述の仏典集録を『日本大蔵経』、パーリ語聖典の和約を『南伝大蔵経』とよぶようになった。

これらの記述から推測できるのは、国民文庫刊行会の『国訳大蔵経』がこの分野における最初の出版に属することだ。そして「論部」第一巻の「解題」は「訳者 山下曹源」、同じく第六巻は佐伯定胤、第五巻は島地大等との署名がなされていることからすると、彼らが中心となって、この『国訳大蔵経』を翻訳刊行したと思われる。ただ残念なのは奥付に編輯兼発行者、及びその代表者として、国民文庫刊行会と鶴田久作の名前が挙がっているだけなので、訳者と編集者の全体像をまだつかんでいない。しかし高楠順次郎の『大正新修大蔵経』の企画も、この『国訳大蔵経』を継承、もしくは批判も含んで始まったと考えて間違いないだろう。

さてこの「鶴田久作と国民文庫刊行会」について、以前にも『古本探究』で同じタイトルで論じているが、その後新しい資料を入手したこともあり、もう一度言及してみる。鶴田は国民英学会を卒業し、博文館を経て、明治三十八年に玄黄社を創業し、教科書としても使用できる日本の古典の「国民文庫」の出版を企画し、四十二年に国民文庫刊行会を設立する。手元にある明治四十四年の菊判三百ページ近い『国民文庫総目録』を見ると、『万葉集略解』から『東海道中膝栗毛』までがずらりと並び、内容からして大学のテキストとしても使用に耐えられる仕上がりになっているのだろう。
古本探究

おそらく鶴田は「国民文庫」の短期のうちの成功によって、資本蓄積を果たし、欧米文学の主要な作品を集録した『泰西名著文庫』、さらに『国訳漢文大成』『国訳大蔵経』などの大部の出版に向かったと思われる。そしてこれらの販売システムとして導入されたのが新聞広告を利用した予約出版で、「内容見本進呈」によって多くの直接購読者を獲得したのである。書店から注文があった場合は「仲間取次」を利用し、返品が生じないような対策をとっていた。奥付にはかならず「非売品」と明記されていた。もし返品が発生する取次と書店ルートに依存していたのであれば、国民文庫刊行会の成功はなかったはずだ。世界文庫刊行会の『世界聖典全集』も同じシステムを採用していたし、近代社の『世界童話大系』や『神話伝説大系』も同様だったと思われる。

世界聖典全集 『世界聖典全集』

これらの出版物に共通しているのは、大がかりな編集プロジェクトに加えて、質の高い企画と斬新で堅固な造本、当時の一流の著者と訳者を揃えたこと、絶えず特定の読者を想定していたこと、それらに合わせて定価を高めに設定したことだろう。しかしそのような高定価にもかかわらず、『国訳大蔵経』は二万部近くに達し、大きな利益を上げたという。これは国民文庫刊行会について、一章を設けている杉村武の『近代日本大出版事業史』(出版ニュース社)に記されている事実である。杉村によれば、鶴田は財をなし、晩年を詩作と読書で悠々自適に過ごし、昭和三十年に八十歳で亡くなったという。ここに稀に見る幸せな出版人がいたと思うのは私だけだろうか。

国民文庫刊行会の販売システムからわかるように、昭和初期円本時代はいきなり始まったのではなく、先行する全集類の読者を対象とした予約出版形式を踏襲し、それを出版社・取次・書店という近代出版流通システムへ、ミニからマスを目ざして導入することによって、まさに実現してしまったと思われる。そして早過ぎた本のデフレが発生し、それにつられ、パラレルに日本特有の文庫や新書が誕生する。もちろん関東大震災という間接的な要因はあったにしても。

その前史とでもいうべき大正時代の先駆的出版人の一人が鶴田だったことは、近代出版史に記憶されなければならない。

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