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古本夜話806 田山花袋『花紅葉』と大盛堂書店

 続けて国木田独歩とその周辺にふれてきたが、新潮社の『二十八人集』や改造社の『国木田独歩全集』の編纂者として、田山花袋の功労を見逃すわけにはいかないだろう。本連載77などや262などでも田山に言及しているけれども、独歩と同様に花袋もまた、柳田国男との関係も含め、再発見、再評価され、あらためて研究されるにふさわしい近代文学者のように思われる。だがそれに応える新たな全集も刊行されていないのは残念でならない。ともに生誕五十年を祝われた徳田秋声が近年になって、まったく新しい『徳田秋声全集』(八木書店)が編まれたことに比べ、花袋はそのような再発見再評価、新たな研究の対象にもなっていないのは近代文学の不幸としかない。それは独歩がそうであったように、新潮社や岩波書店から全集が出されなかったことも関係しているのだろう。

二十八人集 (『二十八人集』) 徳田秋声全集(『徳田秋声全集』)

 本連載804で、『欺かざるの記』後篇の「隆文館新刊図書目録」の中に、『花袋小品』があることを既述しておいたが、やはり「文芸小品」という角書が付された花袋の『花紅葉』を入手している。文庫判に近い小型本で、昭和三年第十版、定価四十五銭、版元は発行者を小泉重太郎とする浅草区柳原町の大盛堂書店である。浅草という住所から、『全国出版物卸商業協同組合三十年の歩み』を確認してみたが、大盛堂書店の名前は見えないので、金星堂との関係を考えるべきかもしれない。

 大正七年に創業された金星堂は花袋を顧問格とし、同十三年には川端康成と横光利一たちを同人とする文芸雑誌『文芸時代』も創刊していた。小泉はそれらの関係者で、大盛堂書店を立ち上げたとの推測も成立する。

 『田山花袋集』(『日本近代文学大系』第19巻、角川書店)の「年譜」をたどってみると、『花紅葉』は大正十三年のところに見出され、大盛堂・城北書房の共同出版となっている。その後共同出版が解消され、大盛堂に引き継がれ、版を重ねてきたとわかる。あらためて花袋の「年譜」を見ると、彼が大盛堂だけでなく、多くのリトルプレスから著作を刊行していることを実感させられるし、それには博文館の編集者、金星堂の顧問などのポジションも反映しているのだろう。
 田山花袋集

 またしても前置きが長くなってしまったが、『花紅葉』は花袋が「序」で述べているように、十二編の「旅行記、感想、小品」からなり、この「二三年来書いたもの」とあるので、大正十年代の初めに書かれたものであろう。最初の「平野の雪」は次のように書き出されている。

 利根河畔の街にある淋しい寺から出て、私は一週間ほど関東平野をあちらこちらとさまよひ歩いた。そこには私の生れた町もあれば、私が幼い頃丁稚にやられた町もある。欅の大きな樹に吹荒るゝ凩のお伴なつかしければ、路傍にぽつねんと立つてゐる道祖神に夕日の微かに当るもなつかしい。私は近頃にないひとり旅の面白さを覚えた。

 そして足利の町の停車場から東武線に乗り、ひとり旅が始まり、関東平野の雪を伴う風景がいずれも印象深く描かれていく。それをひとつだけ挙げておきたい。

 街道の蕎屋の軒には、萎びた細い大根が干しつらねられて、午後の日影が寒く斜にさしてゐた。道は日当のところだけは乾いて駒下駄でも通れたが、林の蔭や丘の裾などに行くと、半ば溶けた雪が車の轍のあとを深く食い込ませてゐた。

 それらの風景とともに、その関東平野の町で暮らす人々のことも、短編小説の一コマのように描かれ、この「平野の雪」からは「凩の寒い町、機の音の絶えず聞える町、種物を売る赤い暖簾の際立つて眼に立つ町、夜は横町の明るい窓に調子はずれの三味線の音のきこゆる町」のざわめきすらも伝わってくる。関東平野の美しい山の雪を背景にして、花袋の筆致は「さふいふ町が其処にも此処にもあつた」ことが浮かび上がるような印象をもたらしてくれる。あらためて花袋が優れた紀行文作家であったことを想起させる。

 それは次に続く、まさに「川の印象」も同様で、利根川の朝の静けさが述べられ、「低い土手には月見草などが朝霧を帯びて俛首(うなだ)れてゐた。雁木では、女が釜や鍋などを洗つていた」と、その風景がそこから立ち上がってくるようにも思える。この「平野の雪」や「川の印象」を読んでいて、これもまた想起されるイメージは、つげ義春の漫画がもたらしてくれるものと通底していることに気づく。

 そういえば、かつてつげは『つげ義春 漫画術』(ワイズ出版)の中で、川にひかれるようになったのは飯島博『利根川』(現代教養文庫)を読んでからだと語っていた。ひょっとすると、つげも利根川にまつわる花袋の「平野の雪」や「川の印象」を読んでいたのかもしれない。

つげ義春 漫画術 利根川

 『利根川』は私も所持しているし、私は以前に「現代教養文庫と旅行ガイド」(『文庫、新書の海を泳ぐ』所収)を書き、昭和三十年代に多く出された旅行や旅と銘打った現代教養文庫のガイド的な本を紹介している。これらには主としてモノクロ写真だが、もはや失われてしまった日本の風景や生活、風俗が収録され、現代では貴重な資料といっていいからだ。拙稿はその版元である社会思想社の倒産の際に書かれたものだが、その現代教養文庫も最後の頃には、花袋の『東京近郊一日の行楽』などを出していたことを思い出してしまうのである。

文庫、新書の海を泳ぐ


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