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古本夜話857 桜沢如一、岩波書店、カレル『人間』

 前回、本連載146の桜沢如一が戦時下の横光利一の近傍にいたらしいことにふれておいた。桜沢に関しては、その実用的東洋哲学の無双原理=「極東のすべての科学、哲学、すべての大宗教、すべての文明の母胎」の紹介である自著『東洋医学の哲学』(日本CI協会)、その思想と生涯をたどった松本一朗『食生活の革命児』(地産出版)を読んでも、明確なプロフィルを把握できない。それは横光との組み合わせにしても同様であるし、おそらくは玄米研究などの食生活をめぐってだと思われる。二人の組み合わせは、ちょうど『胎児の世界』(中公新書)の三木成夫と相似象学の楢崎皐月の関係を彷彿とさせる。

東洋医学の哲学  f:id:OdaMitsuo:20181209110531j:plain:h115  胎児の世界

 それは桜沢が訳したアレキシス・カレルの『人間』の巻末に掲載された「桜沢如一著作目録」を見ると、さらにオーバーラップしてくる。そこにはフランス語やドイツ語の他に、「邦文」の「哲学・医学・食物」だけでも五十冊以上に及び、「文学」は『石塚左玄(東洋医学の暁星)』やボードレール『悪の華』翻訳など七冊、「政治・社会」は、『空襲読本』や『ユダヤ人の世界陰謀網を衛く』など六十余冊、あわせて百三十冊ほどが二ページに並んでいる。
石塚左玄

 その次ページには最新刊らしき『健康戦線の第一線に立ちて』の広告が打たれ、「にほんを亡ぼすものはだれだ!!」、「日本を守る爆弾はこれだ!」という太字のキャッチコピーが躍っている。しかもその右側余白には購入者がペンで書き入れたキャンペインらしき神田商大会館での「世界観大学講座」と講師としての桜沢、大川周明、藤沢親雄たちの名前も書きこまれ、この時代の桜沢の人脈を伝えている。

 この『人間』は昭和十六年に滋賀県大津市の無双原理講究所から発行者を奥井金治郎として出されたもので、配給所は日配とあることからすれば、取次を通して書店でも販売されていたし、それは『健康戦線の第一線に立ちて』も同様であろう。前述の松本の著書によれば、大津市の無双原理講究所は桜沢が大きな料理屋の跡を買い、設立したものとされる。桜沢の著書が異常に多いのは宗教書出版に見られるように、自らのために設立した会などが出版社も兼ねていたことによっているし、よくいえば、多彩、悪くいえば、雑多な著作群の印象を与えるのである。

 それでもほとんど知られていないと思われるが、この『人間』だけは昭和十三年に岩波書店から初版が出されている。『岩波書店七十年』を確認してみると、八月に四六判並製で出されているので、無双原理講究所版は菊判であり、判型が異なっているとわかる。ただこちらは「改訂版」とされているが、「記者の言葉」はそのままだと見なしていい。それでも念のために、『岩波西洋人名辞典増補版』でのカレルの立項を抽出してみる。
f:id:OdaMitsuo:20181209161047j:plain:h120(『人間』、岩波書店版)  岩波西洋人名辞典増補版

 カレルはフランスの生理学者で、渡米し、ニューヨークのロックフェラー医学研究所に入り、組織培養法、白血球が出す発育促進物質の存在の発見、血管縫合術、臓器移植法の創案により、一九一二年にノーベル生理・医学賞を受賞している。第一次世界大戦に従軍し、創傷を食塩水や重層水で灌流して治療することを創案し、多くの傷病兵を救ったとされる。しかし主著として『人間』(L’Homme , Cet Inconnu)は挙げられていない。
L’Homme , Cet Inconnu

  桜沢が『人間』の翻訳を思い立ったのは、パリの友人で、「私について現下の世界の混乱を救う唯一の指導原理としての『神ながらの道、無双原理世界観』の研究を十年以上もやった法律学者であり、数学者」からの次のような提言だった。カレルの『人間』が示しているのは西洋医学が東洋医学、すなわち桜沢の不老長寿法(マクロ・オチツク)という自然医学の方へ方向転換しつつあると。それを受け、桜沢は『人間』を読み、それからカレルから翻訳の許可を得て、刊行に至った。

 しかし実際に『人間』を読んでいくと、人間の個別性と民主主義の否定、優生主義の肯定などが強く浮かび上がり、そこに桜沢が共感していることが伝わってくる。そうしたファクターによって、昭和五十年代に渡辺昇一による新訳『人間』もだされたとわかるのである。桜沢は「殿下の優涯なる御思召に感激しこの三ヶ年を内地に於て国民健康の争奪闘せる記念として」、「謹みて本書を久邇宮朝融殿下に捧げ奉る」と献辞をしたためている。どうも桜沢はこの「三ヶ年」間、久邇宮家などの上流階級や陸海軍の高官に接近し、食養指動にいそしんでいたようなのだ。

 おそらくそのような皇族絡みの関係から、岩波書店での翻訳刊行が決まったのではないだろうか。それが数年うちに桜沢の無双原理講究所から改定版が刊行されたということは、岩波書店での出版企画と事情が特殊なものだった事実を告げているように思われる。岩波茂雄は自社刊行物が三年もしないうちに他社から出されることを快く許す人物ではなかったからだ。いずれにせよ、桜沢と岩波書店の結びつきは興味深いというしかない。


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