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古本夜話1 『奇譚クラブ』から『裏窓』へ

[古本夜話]では、戦後の赤本業界を『奇譚クラブ』の紹介から始め、連載を通じて、思いがけない出版シーンをお目にかけるつもりです。


戦後の赤本業界を描くにあたって、まず『奇譚クラブ』から始めることにしよう。何よりもこの雑誌の戦後史こそは、赤本業界と所謂「エロ雑誌」世界の歴史を克明に物語っているからである。だが私はこの雑誌をリアルタイムに読んだわけでも、愛読者であったわけでもない。ただ戦後出版史の裏面を形成する人脈、『奇譚クラブ』を発端とするSM雑誌の系譜、それらを発行した出版社とその流通に関心を持っているだけなので、内容についての詳細な言及は他にゆずることにする。

昭和二十二年十月に『奇譚クラブ』はカストリ雑誌として大阪の曙書房から創刊された。山本明の『カストリ雑誌研究』(出版ニュース社)には創刊号の表紙が掲載され、「カストリ・大衆娯楽雑誌年表・解説」によれば、「42p・22円」とある。カストリ雑誌からSM雑誌へと本格的に移行したのは二十七年になってからとされ、昭和五十年に終刊になるまで、休刊した時期もあったが、四半世紀にわたって読み継がれてきた特異な雑誌といえよう。木本至は『雑誌で読む戦後史』(新潮社)の「奇譚クラブ」の項で、「その表紙に触れるだけでも戦慄が走る一種危険な雑誌『奇譚クラブ』、戦後の裏文化の帝王とも評せる雑誌」と書いている。その面影は復刻アンソロジーの『奇譚クラブ』を繰ってみれば、すぐにわかるだろう。
雑誌で読む戦後史

木本の記述に加えて、北原童夢と早乙女宏美の『「奇譚クラブ」の人々』河出文庫)を参照すると、軍属の新聞記者だった吉田稔が、戦後の大阪の焼跡で同じ隊にいた須磨利之と出会う。吉田はすでにカストリ雑誌奇譚クラブ』を発行していたが、売れ行きは芳しくなかった。そこで須磨に相談すると、須磨自らが実質的な編集長となり、自らの性癖に基づくSM変態総合雑誌へと変身させた。一人で何役もこなし、喜多玲子の名前で縛られた女の絵を描き、高月大三としてSM時代小説を書き、モデルを縛っての写真撮影もこなした。『奇譚クラブ』は取次を通さない直販雑誌で、吉田が書店と直接取引を行ない、五千部から七千部を刊行していたが、SM変態総合雑誌となってからは三万部発行するようになり、完売するほどだった。

「奇譚クラブ」の人々

須磨は京都美術学校を卒業し、日本画家を目指していたこともあり、画家、作家、縄師、カメラマンも兼ね、『奇譚クラブ』を凡百のカストリ雑誌からSM変態総合雑誌へと仕立て上げた人物であった。だが発行人の吉田は須磨と異なり、アブノーマルな性癖はもっていなかったにもかかわらず、株で儲けた金を『奇譚クラブ』に注ぎこみ、発禁や嫌がらせに抗して、雑誌を刊行し続けた。それは第五号に「我々は、如何なる権力に対しても、絶対に恐れず、おびえず、てらはず、おほらかな気持でもつて発行を続けてゆく」と記した吉田の意地も絡んでいた。

しかしこのような性癖の異なる二人の関係は長続きするはずもなく、吉田と意見が食い違うようになり、須磨は二十四年に雑誌から手を引いてしまう。それに続いて、三十年まで連続して毎年摘発押収を受け、吉田は三十年に半年ばかり休刊に追いこまれた。「当時の出版警察にとって『奇譚クラブ』壊滅は第一目標であったと思われる」(木本至)。だが熱烈な読者の要望もあり、復刊に至ったことが作用してか、三十一年十二月号から沼正三の『家畜人ヤプー』の連載が始まる、また団鬼六(最初のペンネームは花巻京太郎)が三十三年七月号にSM小説「お町の最期」を投稿し、三十八年八・九月号から八年にわたって書き継がれることになる『花と蛇』へつながっていく。沼正三団鬼六ばかりでなく、多くの読者たちが投稿から始めて常連の執筆者となり、作家や画家としてデビューしたことも、『奇譚クラブ』の大いなる特色であろう。

その一方で須磨は、おそらく高橋鉄性風俗誌『あまとりあ』の口絵の依頼がきっかけとなったと思われるが、上京して日本特集出版社(日本文芸社)の『風俗草紙』の編集に携わる。『あまとりあ』の版元である久保書店で、ハードボイルド専門誌『マンハント』の編集長を務めていた中田雅久の証言によれば、日本文芸社の編集責任者氏家富良が須磨を招聘したという。そして須磨は久保書店の『裏窓』の編集長も引き受け、大阪で芽生えたSM変態総合雑誌が東京へと移植、伝播するきっかけとなるのである。その後実際に須磨は美濃村晃と名乗り、いくつものSM雑誌を誕生させることになる。

奇譚クラブ』の流通が書店との直接取引であったことは既述したが、発行所は曙書房から始まり、三十年に天星社、四十二年に暁出版となっている。昭和三十年代後半から各県の有害図書指定を受け始めている事実からの推測だが、この時期に取次口座を開き、新刊書店ルートでの販売が可能になったのではないだろうか。昭和三十二年に団が『奇譚クラブ』と出会ったのは新宿の古本屋の店頭においてだった。とすれば、この時代まで主として『奇譚クラブ』は赤本や特価本業界の流通ルートで販売されていたとも推測される。日本文芸社久保書店も、この業界の出身と見なしていいからだ。大阪と東京の赤本業界は緊密につながり、その中で『奇譚クラブ』から『裏窓』に至る流れが形成されたと思われる。

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