出版・読書メモランダム

出版と近代出版文化史をめぐるブログ

河村清一の『千二百円で出来る書籍雑誌店開業案内』

 前々回「倉本長治と田中治男『踏んでもけっても』」で書名を挙げた、河村の『千二百円で出来る書籍雑誌店開業案内』は、柴野京子の『書棚と平台』の「購書空間の変容」の章で参照され、そこで示された書店のレイアウト平面図が転載されている。彼女はこの本に関して、自分の「購書空間」論のための都合のいい部分しか言及しておらず、肝心なことにふれていないので、せっかくの機会だから、ここで記しておこう。

書棚と平台―出版流通というメディア

 『千二百円で出来る書籍雑誌店開業案内』は昭和十一年に誠光堂から刊行されている。奥付裏の広告を見ると、「『商店界』主筆倉本長治先生責任推奨 小資本開業案内叢書」とあり、同書に加えて、菓子パン店、喫茶店、売薬化粧品店、婦人子供服店の本が並んでいる。だから商業界ゼミを主宰した倉本が、戦前からの年季の入った商店イデオローグだったことがわかる。

 この誠光堂だが、社名からして、後の誠文堂新光社の小川菊松関係先と推定でき、彼の著作をくってみると、『商戦三十年』(誠文堂、昭和七年)の中に、次のように書かれていた。ルビは省略する。

昭和三年三月私の店に十年勤務した、誠光堂堤健治君が独立開業するに及び慰労金二千円を添へ、四大取次店及大阪屋号の外の市内取引先は全部之を独立した誠光堂支持のため三年間といふものは、堤君に一任したのである。(中略)誠光堂は、誠文堂と新光社の発行品を一手に販売すると共に、他の発行所の取次品も自由に取り扱つて、今日まで盛大に営業して来たので、取次仲買店として、今では押しも押されもしない(後略)。

 この小川の記述からすると、堤は大手取次の帖合以外の、東京市内の書店に対する三年間の誠文堂と新光社の出版物の独占取次権を、暖簾分けに際して与えられたことになる。それで力をつけ、小川と同様に出版にも乗り出し、前述のような商業書の刊行に至ったのであろう。こうした一例は単独の出版社や書店と異なり、出版社と取次を兼ねた小川菊松のところならではの独立話のように思われる。そして間違いは多々あるにしても、小川が個人としては最も情報量の多い何冊もの出版史を残すことができたのは、そのようなポジションにいたことによっている。しかしバイタリティあふれた小川自身も、最後は猟銃自殺したと伝えられ、出版史の闇の深さを物語っているかのようだ。

 さて『千二百円で出来る書籍雑誌店開業案内』に戻ると、同書は役立つ開業案内というよりも、すでに袋小路に陥ってしまった昭和十年代の書店事情を赤裸々に明かしている色彩が強く、それは現在の書店状況と相通じていることを教えてくれる。まず倉本が「序」で、「この商売は発行所の付した定価によつて商品を売るのであつて、仕入の上手下手といふことも比較的少いし、商品の多くは委託販売によるので、売れ残りは無条件で問屋へ返品すればいい」と書いている。つまり再販制は導入されていないにしても、かつての買切制ははるかに後退し、委託万能の時代になっていることを告げている。おまけに書店数は一万五千店で、現在とほぼ同じである。

 著者の河村は「はしがき」で早くも次のように述べている。渋谷区栄通に書籍・雑誌・たばこ店を経営し、教科書、参考書の古本も扱い、すでに開店以来十年以上になるが、「私自身現在書店経営に成功しているかと云ふと、今日までどうやら凌いで来ただけに過ぎません」と。どうも最初から後ろ向きの姿勢であって、読者に希望を持たせる開業案内の著者としてはふさわしくないのである。

 その代わりといっていいのかわからないが、本文は開業マニュアルとしては懇切丁寧に仕上がっている。出版業界と各組合の位置、書店の社会的在り方から始まり、開店資金、場所の選び方、店の構造と装飾法、雑誌や書籍の仕入法、外売、返品、店員のことにまで詳細にふれ、併設のたばこ店、兼業の古本販売にまで及んでいる。

 しかしその「結語」に至ると、たばこと古本販売を兼業していても、「儲からぬ商売と心得て一生奮闘努力が出来る方はやるがよろしい」という言葉まで出てきてしまう。その原因として、円本以後、本の値段が安くなり、マージンが少なくなったこと、文庫類が多く出て、これも値が安くなったこと、正味が高いことなどに加えて、本が売れなくなったことが挙げられている。
そしてさらに次のような諦念にも似た述懐が出てきてしまうのである。

 尚今一言重大な問題は書籍雑誌界は不振不況の打開策として、出版・取次・販売三者間夫々の立場から色々問題が錯綜し論議され研究が進められています。小売書店のためにいい問題ばかりであれば段々よくなるでせうが、全国一万数千の小売屋全部が安穏に暮してゆける方法など到底期待出来ない。
優勝劣敗、弱肉強食の法則は我々業界にも益々劇しくなるばかりである。而も小売書店と云ふ商売は常に受身の商売で、出版社や取次店にリードされている。

 これに「版元からの当てがひ扶持の(正味)」とか、「自縄自縛商略も商才も揮ひ様のない定価販売と云ふ足枷手枷をさせられている」といった言葉も添えられている。

 この本は数年前に古書現世で三千円で買ったものだが、何人かの書店関係者の手を経たと考えられ、これらの部分に赤線が引かれ、さらにその赤線の上の部分に「35年1日の如し」なる青インクによる書きこみもあり、それが現在もまったく同様であることに苦笑するしかない。後者の書きこみは戦後の読者によってなされたと考えられる。

 おそらくこの時代において、書店現場では利益の上がらない高正味による定価販売委託制についてのフラストレーションが、たまりにたまっていたのだろう。そしてこのような閉塞した書店状況を背景にして、国策一元会社の日配構想が進められていったのではないだろうか。それならば、同じような状況の中にある現在の出版業界全体が再編に向かっていることも、同様の動きとして捉えるべきなのかもしれない。

 なお同書は巻頭に、河村が経営する書店の二枚の写真を掲載している。とりわけ二枚目は鮮明で、店内に『キング』と『婦人倶楽部』の宣伝幕がとめられ、春陽堂文庫専用棚に加え、書棚と平台が写り、平台の雑誌名もかすかに読める。

 
 管見の限りでは、これほど大きくて鮮明な同時代の書店空間の写真を見たことがない。それこそ『書棚と平台』に最もふさわしい写真であるにもかかわらず、柴野はこれを引用転載していない。それより小さく不鮮明な写真を十枚も掲載しているのに。それはこの書店がたばこ屋を併設していて、たばこ売場も写っているために、「書棚と平台とたばこ屋」になってしまい、彼女の言う「購書空間」のコンセプトからずれてしまうことから、排除されてしまったのだろう。

 またこれまで見てきたように、『千二百円で出来る書籍雑誌店開業案内』の内容はタイトルに反して、昭和十年代のたばこ屋を併設した「購書空間」そのものが、すでに現在と相通じる、利益の上がらない高正味による定価販売委託制の限界を示していたことを、図らずも明らかにしている。