出版・読書メモランダム

出版と近代出版文化史をめぐるブログ

相田良雄『出版販売を読む』

みすず書房の元営業部長だった相田良雄が亡くなった。相田も戦前には羽田書店に在籍し、戦後のみすず書房の創業メンバーの一人で、四十年以上にわたって営業に携わり、彼ならではの人文書の営業と販売の指針を具体的に教えてくれた。

かつて出版社を立ち上げた時、身の程しらずにも、彼の『出版販売を読む』日本エディタースクール出版部)をテキストとして、営業と販売の在り方を学んだ。もちろん少ししか実行できなかったけれども。

相田とは面識がなかったが、再読してみた。するとこれまでは営業と販売のテキストの側面を重視する思いが強かったけれど、あらためて読んでみて、この百ページ余の薄い一冊が、他に類書が求められない貴重な戦後の人文書出版営業史、販売史の証言であることに気づかされた。しかもそれは具体的な数字に裏打ちされたもので、一ページたりとも読み飛ばすことができない、出版についての「現代史資料」ともいうべき一冊だと思われた。様々に挙げられた販売の計数化と立案、データ、配本と返品、製作部数などの数字も貴重であるが、それらはかなり人文書の分野における専門的数字なので、あえてふれず、相田が述べている戦後出版史の事実にだけ、言及してみよう。
まずは書店に関する証言。

昭和二十年代の書店は、どこも今から思いもよらぬほど小さかったんですね。今、100坪200坪の本屋さんが当時はどれも十坪くらいの本屋さんだった。(中略)
書店が今のようなイメージに近くなるのは、三十五年以降です。人文会を作ったのは四十三年ですが、その時でも、店の規模はまだまだ小さいし、本の分類にもなってなかった。本がただザーッと並べてあって、棚の上の表示も何もない。文芸書はここらへん、理工書がそこらへんにあって、人文書は文芸書の隣に何となく置いてあるとか。(中略)その後からですね、どんどん新刊本が多くなって、置ききれなくなって店を大きくしていくのは。

それはみすず書房も同様で、出版点数が少なかった頃は書店にも取次にも営業力が発揮できず、取次配本にまかせていたようだ。またこれは小尾俊人『本は生まれる。そして、それから』幻戯書房)の中で証言しているが、資金は市中金融にたよっていた。つまり高利貸である。だから創業時も含め、二十年代後半から三十年代にかけても赤字続きの自転車操業で、他の出版社と同様に給料は遅配、欠配が多く、ボーナスも餅代程度で、楽になったのは三十五年からの高度成長期に入ってからだったという。
本は生まれる。そして、それから
そして編集と同様に、営業と販売も新しい段階に入る。それらを要約してみる。

*取次による新刊配本を減らし、返品率を下げる方針。
*多く配本すれば売れるは神話で、その本の読者がいる書店に必要部数を送品することが最良だが、その実行の難しさを痛感。
*書店営業は特定の本を売りこむのではなく、「みすず書房」を売りこむことが目的となる。
*書店での売れ行きを調べるために、昭和四十年頃から売上カード(スリップ)を回収し、分析。
*その結果、やはり新刊配本過多、常備の出し過ぎがわかり、注文への移行と常備点数と書店数を減らす。
*これは年が不明だが、おそらく売上カード回収に続いて、書店への「新刊月報」を発行し、注文制システムへと転換。

これらのプロセスがいかに大変だったかよくわかる。このような営業と販売の営為によって、みすず書房の成長があったし、この出版社の営業と編集のコラボレーションは見事なものだったと思わざるをえない。

相田の人文書の営業と販売の目から見られた専門書出版社の問題についても、専門書取次の鈴木書店と絡めて、彼ははっきり述べている。

あとは正味の問題でしょうね。取次に対して書店のほうからは要求が日増しに強くなるでしょうし、専門書版元はなかなか下げないでしょう。このマージンの幅の少なさが専門書取次の辛い部分にますますなっていくと思う。だから、ぼくは自分たちが生き延びていくためにも専門書はもっと定価を上げて、正味を下げればいいと思う。そうしないと、専門書取次は成り立たないと思う。(中略)
専門書の出版社というのは結構高正味のところが多いんです。これは歴史的な産物だから是非の問題ではないんだけれど、このことで現実が歪んでいることも事実なんでね。長年のことだから何の疑問も感じていない部分も多いけど、正直言って公平じゃないですよ。

やはり見ている人はいたのだと思う。鈴木書店の倒産は専門書版元の高正味にその主たる原因があったはずで、末期に多少改正されたにしても、時すでに遅く、専門書取次として退場するしかなかったのである。そして現在では専門書版元のみならず、大手出版社も含んで、このことが大手取次や書店にとっても、焦眉の問題となっている。

『出版販売を読む』の肝心なところを少ししか紹介できなかったけれども、同書が類書のない卓越した一冊であることはわかって頂けたと思う。そして営業、編集、及び出版社、取次、書店を問わず、現在の出版状況を一考するために、まだ在庫はあるはずなので、ぜひ出版業界の人々に一読をお勧めする。また相田の共著として『出版販売の実際』日本エディタースクール出版部)もある。

出版販売の実際