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出版と近代出版文化史をめぐるブログ

 2 太宰治とジョン・ダワー『敗北を抱きしめて』

2001年に翻訳されたジョン・ダワーの『敗北を抱きしめて』三浦陽一他訳、岩波書店)は「第二の敗戦」的状況の中で刊行されたこともあり、その出版は偶然のように思われなかった。そして戦後日本が敗者として始まったこと、占領が現在まで続いている実態をまざまざと想起させた。

敗北を抱きしめて<上> 敗北を抱きしめて<下>

アメリカ人研究者による占領の歴史社会学といった内容と構成は、征服者の視線が否応なく露出し、それは性的メタファーに覆われている。ダワーは第4章の「敗北の文化」において、パンパン、カストリ雑誌、闇市を敗戦後の三つのサブカルチャーと見なし、パンパンについて「征服者を歓迎して抱きしめるという表現が、きまり悪くなるほど直接的にあてはまった」と記し、タイトルの由来を暗示させているかのようだ。また木曜日更新の拙文[古本夜話]連載で言及しているSM雑誌は、カストリ雑誌から始まっていることを考えると、日本におけるサディズム、マゾヒズムの成立は戦争と占領を起源としているのかもしれない。さらにダワーはパンパンの姿が占領下における「アメリカ化」の目立った例だと述べ、次のように書いている。

 パンパンたちは、少々特異な意味で、戦後日本の物質第一主義と消費至上主義の先駆者であった。ひどい空腹と物不足の当時にあって、アメリカ人たちの豊かで快適な生活ぶりは、日本人の目にはとにかく信じられないほどであった。アメリカが「偉大」な理由は、それがとてつもない金持ちだったからであり、多くの日本人にとって「民主主義」が魅力的だったのは、それが豊かになる方法のようにみえたからであった。

これはアメリカの消費者社会が発する誘惑のようにも思える。ダワーはこの記述から進んで、性的メタファーを乱用して日米関係を語っていく。

 至るところで、これほどまでに性が征服者と敗者を結びつけていたという事実は、アメリカ人からみたこの敗戦国と敗戦国民のイメージに深い影響を与えた。

 昨日までの危険で男性的な敵であった日本は、一度のまばたきのうちに、白人の征服者が思い通りにできる素直で女性的な肉体の持ち主へと変身した。

 敗北した日本にたいして、征服者はたちまち性的な眼差しを向けるようになった。以来ずっと、日米関係は複雑な絡み合った男女の演技になぞらえてイメージされるようになった。

まだまだあるが、これらにとどめておこう。これらの訳文以上に、原文はさらに露骨な表現を伴っている。そしてダワーは忘れずに、「アメリカ人のお近づきになった」日本の特権的エリートたちも「肉体そのものではないが、ある意味で身を売っていた」とも書いている。

サイードの『オリエンタリズム』(平凡社ライブラリー)がアメリカで刊行されて以来、すでに二十年が過ぎているのに、このようなあまりにも意図的な性的メタファーを乱用する日米関係史にピュリッツァー賞が与えられたということは、現在のアメリカが日本に向けている視線が、占領とまったく変わっていない事実を示唆しているのではないだろうか。

オリエンタリズム〈上〉 オリエンタリズム〈下〉

しかしそれでもダワーは、太宰治の占領下における抵抗と占領軍による検閲にもふれている。この部分は原書の注に磯田光一の『戦後史の空間』(新潮社)が記されているように、明らかに磯田によっていると思われ。だがなぜか「邦訳注」ではカットされている。さすがに磯田が挙げている太宰の「真の勇気ある自由思想家なら、いまこそ何を措いても叫ばねばならぬ事がある。天皇陛下万歳! この叫びだ」(『十五年間』)は引かれていないが、戯曲『冬の花火』と『春の枯葉』(いずれも新潮文庫版『グッド・バイ』所収)には言及している。

戦後史の空間 グッド・バイ

まずは『冬の花火』における検閲削除された一節の日本語とダワーの引用する原文を示す。

 日本の国の隅から隅まで占領されて、あたしたちは、ひとり残らず捕虜なのに。
 From one corner to the other, the country of Japan is being occupied, and every single one of us is captive.

次は『春の枯葉』の登場人物が口ずさむ歌である。

 あなたじゃ
 ないのよ
 あなたじゃ
 ない
 あなたを
 待って
 いたのじゃない
 Not you
 Not you
 I was not you
 We were waiting for.

この英訳に注は施されていないので、ダワー自身によるものと思われる。日本語と英訳を比べると、前者は英語の方が生々しく、検閲で削除された理由がわかる。検閲と削除こそは監視と処罰を意味し、占領下の言語空間の位相を告げている。だが後者は削除されなかった。その理由は英訳からうかがわれる。英訳は日本語に含まれていた哀感が消えてしまい、即物的な印象を与えたからではないだろうか。ダワーは『冬の花火』の言葉を「愛国的憤慨」、『春の枯葉』の歌を「占領軍に対するあてこすり」と片付けているが、それだけですますことはできない。太宰にしてみれば、「終戦」ではなく、あくまで「敗戦」であり、「占領」ではなく「捕虜」である現実を突きつけているのだ。『春の枯葉』の上演許可を求めて訪れた吉本隆明に、太宰は「あなた」とはアメリカ占領軍のことだと語ったという。少なくとも太宰治は「敗北を抱きしめて」はいなかったのだ。

ダワーはパンパンたちが「アメリカ的消費文化の先駆者」だと述べたが、前回記したように、占領下のマルキストたちもアメリカ占領軍の背後にいち早く消費社会を見出し、そのための流通革命を構想する。敗北を越えていくために。その一人で、太宰の盟友とみなすべき、「ユダヤ」ならぬ「ユダ」的人物のように思われる藤田田は、占領軍の通訳となり、アメリカ的消費社会の建設へと赴いていく。

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