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古本夜話17 『竹酔自叙伝』と朝香屋書店

坂本篤は『「国貞」裁判・始末』の中で、当然のことながら、梅原北明の一方の盟友であった伊藤竹酔にふれ、「たいへんな編集者」にして「一つの道を拓いた男」で、「梅原北明がいちばん最初に出したボッカチオの『デカメロン』とか、『ロシア革命史』なんかは、みんな竹酔が勤めていた朝香堂書店というところでやった」と語っている。そして竹酔が自叙伝を書いた時、坂本は装丁を頼まれたが、かつての名編集長に対して僭越なので、断わったとも述べている。

その『竹酔自叙伝』が手元にある。これは昭和三十六年に日本愛書会から和本仕立ての限定百部で刊行されているが、発行所の住所は著者と同じなので、自費出版と見なせよう。斎藤昌三が「序」を寄せ、竹酔のことを「元来は朝香屋の二代目として、古いノレンを有ちながら、そんなものには未練もなく、朱に交われば赤くなるのを覚悟で、趣味家奇行家と交わり、本職まで趣味に走った」と書いている。この自叙伝をたどると、竹酔は明治十七年神奈川に生まれ、幼年期に東京へ移り、文学青年として成長し、『報知新聞』の案内広告に出版を学ぶつもりで、「出版書肆に雇われ度し」を出したことがきっかけになって、神田鍛冶町の医学専門書の朝香屋書店に勤める。朝香屋書店主の大柴四郎は大分県出身の自由党闘士で、国会請願運動に絡んで入獄し、出獄後に上京する。そして東京稗史出版社を興し、馬琴の小説や円朝の講談などを出版したが、明治十九年に医学書の朝香屋を創業し、医書組合や東京書籍商組合の組長を歴任していた。

竹酔は出版の知識を一通り身につけ、『女学世界』に連載されていた糸左近の『素人薬物学』を、明治四十年に自ら処女出版すると、たちまち版を重ね、朝香屋から暇をもらい、敬文館の看板を上げる。だが敬文館はうまくいかず、芙蓉閣や志鵬堂の名前で、泉鏡花の『遊行車』や巌谷小波の『小波身上噺』を刊行するが、大正十年頃に朝香屋へ戻ることになる。朝香屋も出版状況の推移を見て、医学書から一般書へと転換しつつあり、竹酔はその出版をまかされたのである。おそらくこの頃梅原北明と出会い、『全訳デカメロン』の出版に至ったと思われる。その出版イベントを竹酔は次のように記している。

 梅原北明訳『デカメロン』上下二冊を大正十四年に朝香屋書店から発行した。丁度ボッカチオ五百五十年祭を記念して伊太利大使ア・デ・プロスペロさんを浅草に担ぎ出し曽我廻家五九郎の『デカメロン』の芝居を見せたり宣伝上手の北明が音頭をとったので都下の新聞は写真入りの特種にした。その時の有様を書いてみると、下位春吉、梅原北明、峯岸義一、正岡容、小生夢坊、金子洋文、尾高三郎、石角春之助と私と云った連中が皆んな仮装して六区を練り歩いた。私はシルクハットに燕尾服を着て役者に髭をつけて貰った。(中略)浅草の大きな洋食屋を買切って大宴会を開きあとで一同伊太利大使館へ繰り込んで大使や館員一同と握手を交した。

このパフォーマンスはイタリア本国の新聞でも写真入りで報道され、特装本の献上を受けたイタリア皇帝からの謝辞が朝香屋の大柴四郎宛に届けられたという。

しかし『竹酔自叙伝』にはこのような『完訳デカメロン』出版エピソードが記されているだけで、肝心な国際文献刊行会の「世界奇書異聞類聚」に始まる予約出版の艶本について何も言及しておらず、巻末の「出版書目」にもない。すでに出版から三十年が過ぎているのに、これもまた村山知義と同様なのだが、まだ何かはばかる事情が潜んでいたのだろうか。一説によれば、梅原と竹酔たちの艶本出版は「世界奇書異聞類聚」によって獲得された数千人の読者リストをベースにして、企画が進められたと言われている。

また朝香屋書店は昭和に入って、大柴が胃癌のために廃業し、斎藤の証言にもあるように、竹酔は二代目の暖簾をもらった。そして独立して竹酔書房を名乗り、酒井潔の『巴里上海歓楽郷案内』などの著作やその個人雑誌『談奇』を出版したのだが、そのことにもふれていない。これほど肝心な出版のことが語られていない出版者の自叙伝もめずらしいと思えるほどだ。

竹酔は出版を続けながら、昭和六年に粋古堂の名前で古本屋も始めていて、渋澤敬三に頼まれ、アチック・ミューゼアムのための民俗資料の収集に携わったことも記しているが、それよりももっと出版について書いておいてくれたらと残念でならない。

最近になって、朝香屋書店刊行のマリイ・ストオプス夫人著、矢口達訳『結婚愛』を入手した。これは大正十三年一月初版で発禁となり、三月に改訂再販し、五月再訂四十版とあり、巻末広告には同じく矢口訳のJ ・ロンドン『血の記録』、ビッソン『神秘の女』、太田三郎『金髪の女』などが掲載されている。これが国際文献刊行会の前史ではないだろうか。すでに書いておいたが、矢口も太田も「世界奇書異聞類聚」の訳者たちである。おそらく彼らと梅原の人脈が交差したところで、「世界奇書異聞類聚」の企画が成立し、それ以後の艶本翻訳、及び出版販売の模範になったと思われる。

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