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4 エミール・ゾラ『ボヌール・デ・ダム百貨店』

ジョン・ダワーは『敗北を抱きしめて』の中で、パンパンを始めとする占領下の日本人たちがアメリカに魅せられたのは、その豊かで快適な生活ゆえだと述べていた。それはアメリカ的消費社会を体現しているからだと解釈できよう。占領時の日本は第一次産業就業人口が五〇%近くを占める、まだ農耕社会であった。

私は一九九七年に著した 『〈郊外〉の誕生と死』青弓社、増補版 論創社近刊)において、太平洋戦争がアメリカという消費社会と日本という農耕社会との戦いであり、八〇年代になって日本が占領時のアメリカとまったく同じ産業構造となり、消費社会化したことで、占領の完成を見たと書いた。その詳細は拙著を参照してほしいが、アメリカこそは戦前からの世界に先駆けた消費社会だった。
『〈郊外〉の誕生と死』
消費社会を一言で定義づけることは難しいけれども、その第一の指標は第三次産業就業人口が五〇%を超えたところに求められると言ってもかまわないだろう。その指標をあてはめてみると、アメリカは何と一九三〇年代末にそこに到達している。日本、フランス、西ドイツ、イギリスはほぼ七〇年代以降である。日本の場合、八〇年代に五五%に及んでいて、それはアメリカの五〇年代と同じ数値になっている。ディズニーランドが開園し、郊外消費社会が成立したのも八〇年代だった。日本はアメリカ消費社会の風景に覆われてしまったのだ。

しかし日本の八〇年代において、言及すべき消費社会論は提出されなかった。その代わりに読まれたのが、七九年に翻訳されたジャン・ボードリヤール 『消費社会の神話と構造』紀伊国屋書店)だったと思われる。その原書がガリマール書店から出版されたのは七〇年なので、フランスの消費社会化に呼応していたとわかる。ちなみに原タイトルも「消費社会」La Société de Consommationである。

ボードリヤールのこの本は、いち早く消費社会化したことによって、すでに多くの優れた消費社会論を提出していたアメリカ社会学や経済学の成果を踏まえ、フランス哲学を加味して書かれた一冊と見なせよう。それは参考文献の著者名マクルーハン、ブーアスティン、ガルブレイスなどが証明している。ただリースマンの名前が挙がっていないのは奇妙だが、ボードリヤールは確実にリースマンの 『孤独な群衆』 『何のための豊かさ』(いずれも みすず書房)を読んでいるはずだ。

またリースマンの郊外ショッピングセンターへの具体的言及と異なるとはいえ、ボードリヤールはこの本において、フランスに絶好の消費社会の起源を描いた小説があるにもかかわらず、まったくふれていない。これはまことに残念なように思われる。小説という素材が 『消費社会の神話と構造』 の哲学的記述にそぐわなかったからであろうか。

『消費社会の神話と構造』 『孤独な群衆』

鋭敏な読者はすでにおわかりであろうが、この小説はエミール・ゾラ 『ボヌール・デ・ダム百貨店』である。しかしこれは一九二二年に三上於莬吉の英訳からの重訳で『貴女の楽園』(天佑社)として出版されているだけで、フランス語からの完訳版は戦後になっても未刊行のままだった。これはようやく〇二年になって、伊藤桂子による本邦初訳として、論創社から刊行された。この編集に携わったのが実は私で、これがきっかけとなって、ゾラの一連の「ルーゴン=マッカール叢書」の翻訳にも加わり、十作を担当することになったのである。これはまた別の機会に述べることにしよう。

『ボヌール・デ・ダム百貨店』は、ゾラの二十作からなる第二帝政下のフランス社会を描いた「ルーゴン=マッカール叢書」の第十一巻にあたり、百貨店を造型したオクターヴ・ムーレを主人公とする近代商業小説である。それと同時に消費社会が立ち上がっていく原点を見すえた小説の嚆矢と言えるだろう。そして私たちはフランス市民社会が革命を経て、自立した個人によって形成されたと錯覚していたが、実態は異なり、この小説から消費社会の出現を目のあたりにして、革命的群衆ならぬ消費的群衆となって、百貨店のバーゲンに押し寄せていく姿を教えられた。

『ボヌール・デ・ダム百貨店』は、やはり主人公を同じくする第十巻の拙訳『ごった煮』における近代ブルジョワ社会の男女間の闘争や経済問題が絡み合っているのだが、ここでは前者にだけふれる。

『ボヌール・デ・ダム百貨店』 『ごった煮』

ムーレは近代商業が隆盛していく中で、消費の殿堂を彷彿させる百貨店を立ち上げる。それは資本と商品の迅速な回転率をめざす機械として語られ、大量生産、大量販売によるバーゲンのメカニズムの内幕までも描かれていく。そしてムーレは、金融資本家の誰に売れるのかという疑問に対して、百貨店は女性の新しい欲望を目覚めさせ、流行品を作り出すことで、魅惑と誘惑の場とならしめ、また女性を商品に恋する王妃として扱い、消費させるように仕向けるのですと答える。

実際に物語はそのように展開されていく。資本を得て増築、新装開店となった百貨店はリネン類を始めとする白い布地製品などの白物大展示会と大バーゲンを仕掛ける。それはまさにスペクタルでもあった。夥しい消費者的群衆を、ムーレは「自ら手なづけた女性という大衆」と呼び、その戦場のようなバーゲン品争奪売場の光景に眺め入る。その後でゾラは書きつけている。

 ムーレの創造した百貨店は新しい宗教をもたらし、信仰心が衰え次第に人の来なくなった教会の代りを百貨店がつとめ、それ以後空虚な人々の心に入り込んだ。女性は暇な時間をムーレのところにやって来て過ごすようになった。かつてはチャペルの奥で震えおののき不安な時間を過ごしたというのに。

近代商業が生み出した百貨店がかつての教会の代わりを務めるようになった十九世紀後半のフランス社会をクローズアップさせている。そしてゾラはこれを「美という天上の神を崇め、身体を絶えず再生させる信仰」で、「精神の情熱の必然的な消費」だと付け加えている。まさにここから消費社会の幕が切って落とされたのである。

しかしその一方で、ゾラは百貨店の隆盛の背後で破滅していく商店街の人々をも周到に描いている。そして破産に追いやられていく商店街の姿は、八〇年代以後の郊外消費社会の成立によって壊滅状態に陥っている現在の日本全国の商店街の状況と酷似し、一世紀前の流通革命が何をもたらしたかを露出させている。

この十九世紀後半のフランス消費社会の光と影を描いた 『ボヌール・デ・ダム百貨店』は、鹿島茂『デパートを発明した夫婦』講談社現代新書)によって、九〇年代に広く喧伝されたにもかかわらず、実際にはあまり読まれていない。しかし日本がたどり着いた過剰消費社会を考える上で、不可欠な古典と称すべき小説だと思われるので、ぜひ一読を勧めたい。なおその後、藤原書店版も刊行されたことを付記しておく。
『デパートを発明した夫婦』

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