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古本夜話19 佐藤紅霞と『世界性欲学辞典』

梅原北明の出版人脈について、全員に言及したくなる誘惑に駆られてしまうが、それはこの[古本夜話]の連載の目的から外れるので断念するしかないだろう。それでもテーマと本の関係で必要とあれば、召喚するつもりでいる。

ここでは何度も名前を挙げたこともあり、梅原人脈の中でも最も謎に充ちた人物と思われる佐藤紅霞のことを書いておきたい。

二〇〇〇年になって、フリードリッヒ・S・クラウスの完訳本『日本人の性生活』青土社)が安田一郎訳で刊行された。ちなみにクラウスは来日していないにもかかわらず、この大著を書き上げていた。それが可能だったのは日本人の協力者がいたからである。その一人は交際があったドイツ留学生の巌谷小波で、クラウスは本文の中でも小波がドイツのセクソロジー雑誌に投稿した「男色」に関する論文を引用している。
日本人の性生活
だが小波以上にクラウスに刺激を与えたのは、佐藤民雄と「宮崎市のイケノ・ユウイチ」であった。後者はどのような人物か不明であるが、佐藤民雄こそは佐藤紅霞で、「世界奇書異聞類聚」のフックスの『変態風俗史』の訳者に他ならない。

訳者の安田一郎によれば、『日本人の性生活』第二版の出版が機縁となり、佐藤がクラウスに手紙を出して、交流が始まったとされている。クラウスは佐藤の『世界性欲学辞典』(弘文社、昭和四年)に「序」を寄せ、佐藤はクラウスにEncyclopaedic Dictionary of Japanese Sexual Lifeを送った。これは佐藤の『日本性的風俗辞典』(文芸資料研究会、昭和四年)の英訳だと考えられる。またその逆だという説もある。佐藤の前者の昭和八年普及版は入手していて、確かに四ページにわたり、クラウスのドイツ語序文が掲載されている。

クラウスは佐藤から英文原稿を送られ、この辞書形式のものをドイツ語に翻訳して出版するのが読者に適切ではないかと考えた。そこで共同研究者のヘルマン・イームにこれを編集、加筆するように頼み、佐藤の本の総論として、自らの旧著を増補し、第三版第一巻を出版するつもりになった。かくしてその第二巻として、佐藤民雄著、ヘルマン・イーム訳編による『日本民族の性生活についての論文と調査』が一九三一年に刊行されるのである。

この本については安田もそれ以上言及しておらず、いくつかの佐藤に関する記述を見ても、英文をクラウスの主宰する性の研究誌『アントロポフィティア』へ寄稿とあるが、イームの訳編著のことは何も書かれていない。これもやはりヒトラー焚書に巻きこまれてしまった稀覯本と化しているからなのであろうか。

それならば、ドイツに英文原稿を送った佐藤紅霞とは何者であるのか。佐藤は梅原が創刊した『文芸市場』の同人ではなかったが、この同人と執筆メンバーを中心にして企画された「世界奇書異聞類聚」の出版がきっかけとなり、著者や訳者として、昭和初期艶本時代の主要な役割を果たしたように思われる。佐藤についてのまとまった記述は斎藤夜居の『大正昭和艶本資料の探究』(芳賀書店)の中の「梅原北明と文芸市場の活動」に見出すことができる。斎藤は、梅原に依頼された佐藤の『世界性欲学辞典』にふれ、佐藤は独創的な学者ではなかったが、海外のセクソロジー文献に通じ、この種の辞典を編める人がいなかったので、「佐藤紅霞の出現に軟派界は驚異の眼をみはった」と述べている。また彼の本業は洋酒輸入商、もしくは横浜の銀行員だったのではないかと記し、知人の佐藤訪問記を紹介している。

 昭和十年頃小岩に住んでいた佐藤紅霞を訪ねた喜多川周之(地図研究家)は、そこの室内にも廊下にも、独・仏・英の書籍が無数に積んであるので驚いた。フックスの風俗史なども無雑作に畳の上に置いてあった。若い彼に親切に考証的事柄を説明してくれたりして、人をあなどる如き気配はまったくなし、(中略)門柱には本名と〈人獣書院〉という書斎号が並べてあったという。

そしてまた戦後の佐藤は特別調達庁モータープール翻訳係となり、進駐軍の機械のハンドブックなどの翻訳に細々と携わり、昭和三十二年に亡くなったと伝えている。

安田一郎も佐藤民雄=佐藤紅霞に興味を覚え、斎藤の著作も含め、彼について探索したことを、『日本人の性生活』の「訳者あとがきに代えて」で書いている。安田は患者のヤクザからの情報を受け、タミオ・サトウが佐藤民雄で、明治二十四年生まれで、著書として『世界カクテル百科事典』『世界飲物百科全書』があることを知る。この戦前の二書は出版社不明だとされていたが、その後の調べで、前者は『世界コクテル百科辞典』(万里閣、昭和六年)、後者は同タイトル(丸ノ内出版社、昭和八年)などと判明した。また安田は知人に勧められ、[古本夜話]16で記しておいた有光書房の坂本篤を訪ねた。坂本は佐藤について悪口を述べてから、混血児で外国人のような立派な顔をしていたと言った。ちょうどその頃、安田は『発禁本』城市郎からも、佐藤が日仏混血児だという話を聞いた。さらに安田は佐藤のことを調べたり、著書を求めて、東京や横浜の裏町や場末の小さな古本屋や古本市まで通うようになる。そして待望の資料に出会うのである。

 あるとき、毒々しい錦絵の和綴じの本を古本市でみつけた。それは紅霞の自伝であった。それを拾い読みすると、紅霞は築地明石町の外人居留地で生まれ、父が横浜避難病院に転任するに及び、横浜に移り、横浜のセント・ジョセフ・カレッジに入ったと書いてあった。この本はかなり高額で、手持ちの金では買えなかった。(中略)それで、翌日金をもっていったが、その本は売れていて、もうなかった。私は今でもこれを残念に思っている。

そして拾い読みの記憶から、紅霞の父はオランダ人医師ハイデンではないかと推測している。私もこの紅霞の自伝を読みたいと思う。果たして古本屋で出会えるだろうか。

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