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10 カネコアツシ『SOIL[ソイル]』

消費社会の風景はまったく映し出されていないのだが、郊外のニュータウンそのものを舞台とする不気味な物語がずっと書き続けられている。その物語はいまだに完結しておらず、それがどのようなクロージングを迎えるのか、まったく予断を許さない。

それは小説でなく、コミックで、カネコアツシ『SOIL[ソイル]』 という大作である。エンターブレインの『月刊コミックビーム』の03年4月号から始まり、現在まで続いているので、8年にわたって連載されていることになる。単行本は04年に第1巻、09年9月に9巻が刊行され、今夏には第10巻が出されるはずである。それが完結編ではなく、まだまだ続いていくように思われる。

SOIL第1巻 SOIL第2巻

本来であれば、完結してから書評なり紹介なりをするつもりでいた。しかし郊外消費社会について続けて書いてきたこともあり、このような機会にふれておくのも、『SOIL』 にとって一興で、ふさわしいのではないかという気になるし、広く読まれてほしいので、ここで取り上げてみることにする。

これまで小説のみならず、コミックやアニメでも多くの郊外が描かれてきたし、それらは枚挙にいとまがないほどだ。だがこの、『SOIL』 は郊外コミックとして群を抜いた異色の大作で、現在の郊外の深層のイメージを露出させている。もちろんコミックに通じた読者であれば、様々に先行する作品とのアナロジーを語ることができようが、その悪夢めいた重層的世界は比類なく構築され、郊外そのものが孕んでいる不気味さを表出させ、現在の郊外というトポスの闇を限りなく浮かび上がらせている。

すでに第9巻までで2千ページを超え、物語も錯綜しているために、1巻ずつストーリーを追って説明していけば、最もわかりやすいと思われるのだが、そうするとそれだけでかなりの分量になってしまう。だから私なりに要約して紹介するしかないだろう。

まずプロローグで、山を背景にした一面の森、森を切り開いた農村集落、道路の開通と新興住宅地の開発、鉄道の敷設と駅前ニュータウンといったそれぞれの風景が見開きで提出され、それらの上にはかならず流れ星が描かれている。

そして本編が始まっていく。二人の刑事が、「そいるニュータウン」に向かって歩いている。横井巡査部長と小野田巡査で、前者はセクハラ発言を繰り返す中年男、後者は26歳の女性という設定である。「そいるニュータウン」は均一画一的な家並が延々と続く風景によって示されている。昨夜町全体が停電となり、鈴白という一家の夫婦と娘、及び交番の巡査が身体中に鱗のある男を見たとの伝言を残し、失踪してしまった。その捜査のために、二人はやってきたのだ。鈴白家は夕食時の団欒の最中に消えてしまったようで、食卓もそのままだった。鈴白家は五年前に引越してきて、夫はピアノ調律師、妻はフラワーアレンジメントを手がけ、社交的で、娘の水紀は可愛く成績も上位で、理想的な家庭に見えた。しかし奇妙なことに、娘の部屋には塩からなる天井まで届きそうな立体像があった。そして娘が通っている中学の校庭にも、夜の間に同じく塩の山ができていた。両者は同じ岩塩だった。なお全巻のカバーに描かれているのは鈴白一家である。

「こんなにみんな幸せそうな町」に何が起きたのか。塩は何のメッセージなのか。自治会長は言う。「心配なのはね。闇に乗じて“異物”が入り込むことなんですよ!」
「そいるニュータウン」は十数年前に自治体と大手ゼネコンの合資で開発された、いわゆる新興住宅地で、当初はショッピングモールや公共施設を完備した複合都市になるはずだったが、バブル崩壊で開発が中断され、整備された空地が町を囲んだままになっていた。これが郊外特有の消費社会が描かれない理由の説明となっている。

停電の真相は鉄塔マニアの仕業と判明するが、そのかたわらで町や住民の暗部が浮上してくる。歯科医の自治会長の家にある町の監視カメラ映像をチェックする部屋、水紀の突発性睡眠発作と自己同一混乱、水紀と親しかった「僕はきっとこの世界を汚してしまう」と呟く宮原健人の停電以来の欠席、「そいるニュータうんのみな様へ」という水紀の字を貼り合わせた脅迫状と三千万円の要求、鈴白の妻から始まった塩をめぐるそいるのマルチ商法とその破綻、健人の母による自治会長の刺殺等々。「確かなものに見えていた“日常”が得体のしれないものに浸食されていく」

鈴白家の内情も明らかになる。マルチ商法破綻のために、様々な多くのいやがらせを受けていたのである。そして脅迫状をめぐる町の住民の疑心暗鬼。そのような中で一週間を経て、自治会長の死体が発見される。自治会長の葬儀に続いて、警察による町の住民に対する尋問が始まり、さらに事実が明らかにされていく。

塩のマルチ商法の実態、鈴白家がいやがらせにも何の反応も見せなかったこと、だがマルチの塩と鈴白家、校庭の塩は異なる種類のものだったこと、自治会長のビデオコレクションから、彼が少年愛嗜好者で、町の多くの少年たちが麻酔手術に乗じて被害にあっていたこと、それが原因で自治会長が健人の母に刺殺されたこと、また健人は町外れのお稲荷様に放火し、そこに住むゆかりという老婆に大やけどを負わせ、それを自治会長に握られていたことなど。これらの事実から浮かび上がるのは、「こんなにみんな幸せそうな町」なのに、他ならぬ鈴白家の人々、自治会長、健人も「異物」のような存在に他ならなかったのである。「むしろ積極的に、“異物”を見つけ出して、排除しようとするのが共同体の本質なのかもしれん」のだ。

SOIL第8巻 SOIL第9巻

またそいるの歴史もわかってくる。四千年前には呪術的儀式を行なう縄文人の集落で、昭和初期には稲作を営む農村だったが、戦後になってさびれ、産廃不法投棄地帯となり、見捨てられた土地だった。だが十数年前に開発が始まり、遺跡が発見され、縄文時代のものと判明したのだった。

姿を消した健人は空地の幽霊ビルに潜んでいた。停電の夜に水紀もそこにいたが、消えてしまったのだ。またそこで片岡美砂という女生徒が不良たちにレイプされ、発見される。三人は同じようにそいる中学の二年生である。

ところで事件のほうは振り出しに戻ってしまった。鈴白一家失踪、残された塩、謎の鱗男、巡査の安否は何もわからないままだった。それに岩塩は地球のものではなく、ザック隕石に含まれていた45億年前に存在した小さな惑星の海水の残存物のようなのだ。

また町に異変が起きていた。ミステリーサークルの出現、何百羽の鳩の死骸、道を埋める土砂、電線にぶら下がる無数の靴、公園の逆に植えられた樹々等々。これらは健人を中心とする少年たちによって仕掛けられていた。彼は言う。「“異物”をつくるんだ。この世界の裂け目のことだよ。裂け目を開いて、僕たちを傷つけたこの町をぶっ壊すのだ」。このようにして「異物」が出現することで、「日常」に「非日常」が入りこみ、そいるの町が歪んでいく。そしてこの町全体が集団催眠のような状態に追いやられていった。

町外れに住むさゆりが「蘇流」村の地主の末娘で、乱心した男が村人たちを殺害した際の唯一の生き残りであることも明らかになる。小野田は閲覧禁止となっている「蘇流村事件」記録を読む。それは昭和26年7月に起きた事件だった。地主の密閉された土蔵の中から扉を叩く音がするのをさゆりは聞きつける。するとその中に見たことのない男がいた。男自身も自分が誰で、どこからきたのかもわからない。地主は男の人柄を良とし、家に住まわせ、男も村になじんでいった。だが三ヶ月後のある晩、男は目隠しをして、村人たちを殺害し始め、さゆりだけを残して、全員が殺されてしまう。男は捕えられたが、動機も素性もわからないままに、自ら万年筆で目をつぶし、まだ一人いると叫ぶ。それはさゆりのことだった。男は精神病院に収容され、さゆりが言う。「あっちとこっちの穴が開いたの。あの男、とうとうそこからこっちに入って来ちゃったの」

この事件を担当したヨモギダ刑事は土蔵の中に一本の奇形の花を見つける。「あいつはたぶん此処にいる者ではない。“異物”だからだ」。そしてこの刑事は姿を消し、数ヶ月後に全裸で現われ、自殺を図るが、未遂に終わり、さらに行方不明となり、「蘇流村事件」は神川警察のタブーと見なされるようになった。

小野田は北海道の精神病院にいるとされるその男を訪ねる。独房の男は足元に何十年も「そいるニュータウン」の地図を描き続けていた。彼は言う。「私は此処にいる者ではない。そこに居る」。そして彼は燃え始め、そいるにいたさゆりもともに死ぬ。

一方そいるでは少年たちが自治会長の家を占拠し、町の花が狂い咲きする。横井も小野田と同様に「蘇流村事件」を調べるうちに、かつて自分が担当した事件がオーバーラップしてきて、おかしくなり始める。横井は言う。「このヤマの核心は鈴白家を取り巻くなにかじゃなくて、あの一家そのものじゃねえかってよ」。鈴白家のデータはそいるに住んでいることも含めて、市役所にもどこにもなかったのだ。とすれば、あの家族は何者なのか。水紀は言っていた。「あたし達は誰なの !?」

そいるの事件に深く関与しすぎてしまった横井と小野田は神川警察によって、横井は懲戒免職、小野田は生活安全課へと移動になり、事件そのものはサクラダ警視とサクラという謎の二人組に象徴される警視庁に引き渡され、立てこもる少年たちも機動隊に制圧された。「そいるの騒ぎは潰した。裂け目は閉じた。もうあの町に“異物”は入ってこない」。しかし「裂け目」は塩とともにまたしても生じ、少年たちも消えてしまう。

それと同時にそいるという町が閉ざされた内部となってしまい、外部からは消えてしまった町となり、その中に小野田や住民たちは閉じこめられてしまう。日常と非日常の裂け目が開きっ放しになってしまったようなのだ。「事件のすべてを理解したいとか言ったが、それがどんなに無謀なことか、時代や社会背景、時間と空間の組み合わせ、いくら解き明かしても、『謎』は次々と顔を出す。行きつくところは結局のところ『謎』だ」

一方で横井はヨモギダが神川警察の資料管理室に送ってきた本を入手する。それはドイツ語の原書で、ゲーデル『不完全性定理』(岩波文庫)だった。その本を持って、横井はあの幽霊ビルに潜むが、本が燃え出し、その燃えた部分に「しるし」が浮かび上がる。それは大阪にある日本の煙突にはさまれた奇怪な塔を意味し、そこを訪ねていくと、ゴミの家に住むヨモギダがいた。そしてヨモギダはそいるの世界についての解釈を語り始めるが、それこそ「異物」=狂人として、家ごと強制執行があり、排除されてしまう。この部分は明らかに柄谷行人が言及するゲーデル不完全性定理、及び森敦の『意味の変容』 ちくま文庫)の影響と反映だと思われる。
不完全性定理 意味の変容

それはさておき、横井はヨモギダに教えられた乗鞍岳にある奇形の花が咲いている裂け目をめざすが、警視庁に追われ、逃亡する。そして潜伏した島で、「そいるニュータウン開発基本計画草案」という資料にめぐり合う。それは鈴白一家の写真が付されていた。横井はそれを作ったデベロッパーを突き止め、家族写真について尋問する。デベロッパーは言う。これは20年前にタレント事務所から寄せ集めたメンバーでつくった「理想の家庭像」で、まだありもしない町のモデルハウスを使い、本当に町に住んでいるように家族の名前をつけ、プロフィルもまったく創作したものだと。横井は鈴白一家そのものが「虚像」だと知らされたのだ。

第9巻までのメインストリームをできるだけ簡略に追ってきたが、それでもかなり長いものになってしまった。しかしストーリーを一読しただけでも、この、『SOIL』 が突出した郊外の物語であると同時に、カオスと狂気に充ちたミステリーだと了承されるだろう。たとえて言えば、夢野久作『ドグラ・マグラ』 (角川文庫)と柳田国男『遠野物語』 角川ソフィア文庫)を融合させた現代郊外綺譚のようにも映ってくる。

ドグラ・マグラ 遠野物語

さらなる言及にかられるが、多くの言葉を費やしてしまったので、ここで止める。読者よ、願わくば、ただちに「そいるニュータウン」に赴かれんことを。
なお『SOIL』はテレビドラマ化され、3月6日からWOWOWで放映される。
http://www.wowow.co.jp/drama/soil

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