前回記したように、武俠社の『近代犯罪科学全集』と『性科学全集』については手持ちが少ないこともあって、それらの明細と著者を省略するつもりでいた。しかしその後、浜松の時代舎で、双方の美本を十冊ほど入手し、その中には発禁となった『近代犯罪科学全集』の二冊も含まれ、梅原北明や文芸市場社とは異なる、柳沼沢介と武俠社の出版人脈をあらためて実感した。これらのふたつの円本企画は、武俠社が刊行していたエロ・グロの代表的雑誌『犯罪科学』を背景とし、それらの人脈を総動員して成立したと思われる。そのメンバーは学際的と言っていいほど多岐にわたっているので、それを確認する意味でも、煩をいとわず、両者の著者、編、解題者と書名を挙げておく。
まずは『近代犯罪科学全集』
1 高田義一郎 『変態性欲と犯罪・犯罪と人生』
2 金澤重威他 『理化学鑑識法』
3 有松清治他 『犯罪捜査法』
4 中村古峡 『変態心理と犯罪』
5 野添敦義 『女性と犯罪』
6 喜多壮一郎 『暗殺・革命・動乱』
7 浅田 一 『犯罪鑑定余談』
8 小南又一郎 『法医学短篇集』
9 尾佐竹猛他 『売淫、掏摸・賭博』
10 金子準二 『犯罪者の心理』
11 加藤寛二郎他『殺人と性的犯罪』
12 古畑種基 『血液型と親子鑑定指紋学』
13 原胤昭他 『刑罰珍書集(1)』
14 尾佐竹猛他 『刑罰珍書集(2)』
15 飯塚友一郎 『演劇と犯罪』
別巻 天草麟太郎『特異犯罪の実記』
これらの著者たちのすべてにふれることはできないので、実質的に13も含む三冊の著者や編、解題者である尾佐竹猛だけに限定する。幸いにして彼の三冊は前回記したように、13と14は柏書房の『江戸時代犯罪・刑罰事例集』として、9は、『賭博と掏摸の研究』として一九六九年に新泉社から復刻されている。
尾佐竹は裁判官にして歴史家であり、『大津事件』(岩波文庫)や『幕末遣外使節物語』(講談社学術文庫)などの正統的な歴史叙述から、「無用学博士」の綽名にふさわしい、『賭博と掏摸の研究』などに至る広範な著作を残している。ただ残念なことに遺稿となった、『下等百科辞典』は加太こうじ補で新泉社から刊行予告されていたが、出版には至らず、ようやく九九年になって、批評社から出された。
また尾佐竹は吉野作造、宮武外骨、石井研堂たちと明治文学研究会を創立し、その成果は同じく円本時代の日本評論社の『明治文化全集』として結実している。つまりそのかたわらで、『近代犯罪科学全集』も編まれていたのであり、尾佐竹が三冊を担当していること、警察、司法関係者が著者の半数以上を占めていることを考えると、尾佐竹がこの全集の企画編集の中心にいたことも推測でき、思いがけない円本時代のひとつの側面をのぞかせているような気がする。
次に『性科学全集』を示す。
1 富士川 游 『性欲の科学』
2 杉田直樹 『近代文化と性生活』
3 石川千代松 『性と生命』
4 西村真次 『人類性文化史』
5 横山桐郎 『自然界の両性生活』
6 丸木砂土 『世界艶笑芸術』
7 矢口 達 『世界性的風俗史』
8 高田義一郎 『変態性欲考』
9 馬島 僩 『産児調節の理論と実際』
10 石原純 『恋愛の史的考察』
11 日夏耿之介 『吸血妖魅考』
12 正木不如丘 『人性医学』
こちらは昨年クレス出版から図書館向きの全巻復刻版が出ているが、11だけは一九七六年に牧神社から復刻され、今でも古本屋で見かけられるだろう。これは著者も題名も内容も『性科学全集』にそぐわないように思える。しかし日夏の「序」によれば、「武俠社ノ懇嘱ニ応ズル」とあるので、実際に武俠社の企画だったことは確かだが、何らかの事情があって、この全集に組みこまれてしまったとも考えられる。
それはともかく、この「序」を読むと、『吸血妖魅考』(のち ちくま学芸文庫)が『日夏耿之介全集』(河出書房新社)に収録されなかった事情がよくわかる。これは日夏が自ら述べているように、モンタギュ・サマーズのThe Vampire in Europe と The Vampire ; His Kith and Kin の実質的な翻訳であるからだ。前者が第二編の「欧羅巴吸血俗概観」、後者が第一編の「吸血鬼戚族考」にあたるのだろう。サマーズについては荒俣宏の『世界幻想作家事典』(国書刊行会)に立項され、イギリスのオカルティスト、ゴシック・ロマンス研究家で、オカルティズムの文献、怪奇小説家を再発掘し、二〇世紀における幻想文学とオカルティズム流行の先駆けとなったと記されている。
しかもこの翻訳は日夏の手になるものではなく、「若キ友人文学士中村眞一、同小山田三郎、同普後俊次、同太田七郎諸君子」によっているようだ。この「若キ友人」たちも円本時代の隠れたる翻訳者であったことになるので、ここにその名を挙げてみた。
この『性科学全集』の12の著者の正木不如丘は竹久夢二たちの「宿命の女」だったお葉が入院した病院の院長だった。また8の丸木砂土は中央公論社のベストセラー『西部戦線異状なし』(のち新潮文庫)の訳者秦豊吉のペンネームだが、これからの連載でしばしば言及することになるだろう。「エロ・グロ」の武俠社の全集も全貌は見えないにしても、出版企画、人脈に絡んで、様々な人間関係に反映され、広範な波紋をもたらしていったように思われる。とりあえずはそれらの著者だけの一覧を示す意味で、ふたつの全集の明細をリストアップしてみた。
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