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古本夜話33 佐治祐吉の『恐ろしい告白』

井東憲が『変態作家史』の中で、これもまた「大正の変態心理小説」とよんでいる佐治祐吉の短編集を、神保町の金沢書店で入手した。それは大正十年に宝文社から刊行された『恐ろしい告白』で、七つの作品を収録した短編集である。

佐治は山崎俊夫や倉田啓明と異なり、『日本近代文学大事典』講談社)に立項されていて、明治二十七年会津若松生まれ、一高から東大に進み、第五次『新思潮』に参加し、『恐ろしき告白』(ママ)などを発表し、後に澁澤栄一の秘書となり、その死後『澁澤栄一伝記資料』の刊行に携わるとある。幸田露伴『澁澤栄一伝』岩波書店)に関係しているのではないかと考え、小林勇『蝸牛庵訪問記』講談社文庫)を繰ってみたが、残念なことに佐治の名前は見当たらなかった。つまり佐治はとりあえず近代文学史に名前が残っているにしても、もはや忘れ去られてしまった作家だと思われるので、幸いにして彼の作品集を読んだこともあり、この際だから、それらの短編にふれてみよう。
蝸牛庵訪問記

井東憲が佐治を変態作家として挙げたのは『恐ろしい告白』の中の表題作と「少年と環境」の二作を読んだからであろう。なぜならば、この二作にホモセクシャルサディズムがあからさまに表出しているからだ。

まずは「恐ろしい告白」から見ていこう。これは吉田という友達への書簡の形式をとったM の告白からなる短編である。吉田はM に自分の妹と結婚するように勧め、M も一時その気になっていたが、手紙の冒頭から「御断りする」という言葉が書きつけられている。その理由をM は吉田に告げる。

 己は君に、告白する、己は先天的なHomo‐Sexualist なんだ。而も重症だ。かつて加えてSadismus の傾向を持つている精神病患者だ。

そして吉田に恋しただけでなく、町の中を通る美貌の学生、商店などの丁稚や小僧たちの露出した柔い皮膚や肉体に魅せられ、後をつけていく習慣、寄宿寮における隣室の男に対する恋情、その男によく似た床屋との戯れが語られていき、「己はどうしても一万人に十五人あると云ふソドミストの一人にちがいない」という結論に至る。しかし縁談は断わるが、それでも「今迄のやうな親しい友達」であってほしいと書き、「最後のお願ひだ」と結んで、この短編は終わっている。

さて次の「少年と環境」はサディズムホモセクシャルの目覚めを描いているが、それが日露戦争を報道する雑誌群や絵葉書に触発された事実を書きとめ、地方の少年におけるそれらの体験の秘密を開示して、とても興味深い。またそれに劣らず、次のような当時の地方書店の光景も貴重な証言である。

 金港堂からは戦争小説の読物が出る。博文館では月二回の戦争記を出す。少年雑誌から実業雑誌まで戦争談が満載される。少年物の戦争記や写真画報といふやうな四六二倍版の雑誌が極彩色の表紙で出る。本屋の前には石版摺の陥落の光景が張出される。それを近所の村から出て来た百姓が、引いて来た馬を止めていつまでも立つて眺めている。―
 吉彌の知らぬ間にすさまじい勢で雑誌の数が殖えて居た。そして吉彌の知識欲を猛烈に峻るのであつた。

これらの雑誌は博文館の『日露戦争実記』や、それこそ国木田独歩が編集に携わっていた『戦時画報』や『少年智識画報』などをさしている。
吉彌は戦争記の口絵写真に見られる両手両足を失い、包帯を巻かれ、血痕がこびりついた胸と腹だけの大きな肉体の軍人に魅せられ、「潜んでいた残虐症が大声で万歳を挙げた」。ここで江戸川乱歩の「芋虫」を連想するのは私だけではないだろう。

そして吉彌はさらに六、七冊の戦争記を買い求め、薄暗い土蔵に入りこみ、似たような写真に眺め入るのだった。また戦争で絵葉書もブームになり、新しくできた絵葉書屋で、裸体画の絵葉書を見出した。それは吉彌にとって、「戦争以上の驚異であつた」。西洋人の若い男の美しい肉体を見たのは初めてで、「引摺り込まれて行くやうな恍惚を経験した」。吉彌の裸体画の収集が始まった。白い身体の腿に大きな傷口があり、白い大理石の上に横たわっている男、大蛇に巻きつかれ、苦しげな顔で筋肉を昂ぶらせ、両手に蛇を握っている巨人などの無数の裸体画がアルバムに差しこまれ、一日中それらを繰り返し眺め入り、美しい裸体に見惚れ、「自分が片輪なのだ」という思いが脳裏を過ったりもするのだった。ここでも私は、ダヌンツィオの『聖セバスチャンの殉教』(美術出版社)のために三島由紀夫が編んだ「名画集」と、彼がそれに扮した「写真」を思い出してしまう。

しかしこの二作以外の『恐ろしい告白』収録の五編はホモセクシャルサディズムを基調とするものではなく、それなりに様々な趣向をこらした作品となっている。これは「恐ろしい告白」にも出てくるが、二作における「変態性欲」のテーマはショペンハウエルやクラフト=エビングに触発されたものであるかもしれない。

フックスの『風俗の歴史』やキントの『女天下』のところでも述べたが、円高もあって大正時代にはこれらの豊饒な図録入りの性風俗研究書に加えて、多くの性科学の洋書が輸入され、新たなセクソロジーの時代が出現しつつあった。それらの影響を受け、最もダイレクトに作品に反映させたのは谷崎潤一郎であった。佐治もまたそのような試みを目論んだ作家のように思える。『恐ろしい告白』のほかにも作品は刊行されているのだろうか。

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