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古本夜話34 今東光の『稚児』

大正十四年に今東光を編集長とする『文党』が創刊され、第二号から梅原北明が加わり、その流れがあって『文芸市場』が誕生している。したがって今東光も梅原の出版人脈に数えられることになるのだが、その今も山崎俊夫や倉田啓明と立場や時代は異なるにしても、男色小説を発表している。しかも二人の作品が歌舞伎の深い影響を受けているのに対して、今は仏教の秘められた文献を読み、『稚児』なる一編を書き上げたのである。なお今は佐治祐吉に続いて、第六次『新思潮』の同人だったが、二人の関係は定かでない。

今の『毒舌文壇史』徳間書店)は梶山季之を聞き手として、梶山の主宰する『噂』に連載された大正文壇裏面史だが、その中で『稚児』の戦後における出版の経緯を語っている。紙の闇屋と印刷屋を兼ねる変わった青年が今の本を出版したいと言ってきた。

 あんまりやかましくいうんで書いたのが、古いのを少し敷衍した「稚児」という小説なんです。これは「弘兒聖経秘伝(グジショウギョウヒデン)」という仏教の教典からとった男色の話です。明治時代になってから、これは天海蔵に門外不出の写本として伝わっている。天台宗でもこれを読んだ人は、十人あるかないかでしょう。おれは、これをこっそり持出して、写した。それだけでも、相当の値打があるんだよ。

この出版社は鳳書房で、昭和二十一年二月に『稚児』は一万部発行され、すぐに売り切れてしまったという。だが川端康成が絶賛しただけで、今が文壇から離れていたこともあり、黙殺されてしまったようだ。それにこの本もほとんど見かけないのである。

ところがある時、二十年ほど前に今東光の選集の端本を二冊入手したことを思い出し、探してみると出てきた。それは昭和四十八年に読売新聞社から刊行された全六巻の『今東光代表作選集』で、幸いにして出てきた第五巻の短編集に『稚児』が収録されていた。そしてようやくこの興味深い作品を読むことができた。『稚児』にはまず「緒言」があり、今による「弘兒聖教秘伝」(『毒舌文壇史』では「聖経」とあるが、どちらが正しいのか判断できないので、二重表記とする)についてのメモが記されている。

これは恵心僧都源信の御作と伝承されているが、明らかに偽書である。「蓋し完く隠蔽された僧侶の性的生活の重要な文献として密教経軌の形式を藉りて発表されたものとしては古今絶無の珍書」と今は判断し、日本文学において特殊な位置を占める「稚児物語」を理解する上での「重要な鑰(カギ)」と位置づけている。これは五部の異本が存在し、内容はほとんど同じだが、そのうちの一部は前出の表題、他の四部は「児灌頂」を含んだタイトルで、「児灌頂」は稚児灌頂と読み、密教の儀式に基づく僧侶の稚児との性的生活の様式を伝えた文書だと注釈が続く。

そして、「緒言」は終わり、物語形式で「稚児」が始まる。平安時代における延暦寺の延年舞の催し事は「稚児さだめ」と称せられ、比叡山を挙げての興行で、僧侶、法師三千人に加えて、多くの群衆が集って息を詰め、満山三塔一の美童が選び出されるのを見守っていた。山内の稚児は厳しい掟によって育てられ、美しいだけでなく、読み書き、立ち居振舞の作法を身につける必要があった。そのような教育期間を経て、「稚児さだめ」に至り、選び出された稚児は阿闍利との秘密灌頂を体験することになる。今は「稚児」という物語の核心に稚児灌頂をすえ、密教儀式の内実と進行を描き、灌頂が終わった後の「隠処インジョ(閨房)」の場面へと移っていく。まさにそれは「比叡の山深い蕭殺(ショウサツ)とした僧坊の出世間道の色界はうかがい知ることの出来ない秘密曼荼羅の界会(カイエ)である」。その閨房での秘事は物語の場面のように始まっていくが、秘事そのものについては原文の引用によって、詳細な秘儀の過程を明かすことになる。

今は『毒舌文壇史』『稚児』の「跋文後記」で、三島由紀夫の小説において、作中人物がこの写本を入手し、この秘儀に言及しているかのように描いているらしいが、写本は門外不出の秘本であり、三島が見ることは不可能だと述べ、これは明らかに『稚児』からの引用だと書いている。今は三島の作品名を挙げていないが、それは『禁色』新潮文庫)である。老作家の檜が美青年の悠一に比叡山文庫の写本を見せる場面に次のように出てくる。
禁色

  (前略)君に読んでもらひたいのは、弘児聖教秘伝のほうの不可思議な愛撫の儀式を詳述した部分なんだが、(何といふ精抄な術語だろう! 愛される少年の具は「法性の花」とよばれ、愛する男の具は「無明の火」とよばれている)、理解してもらひたいのは、児灌頂のかういふ思想だ。

昭和二十一年の『稚児』との「跋文」によれば、「序文」は谷崎潤一郎が寄せているという。とすれば、今の言う「古き日本のあわれに美しいもの」を描いた「古風な一篇の物語」は谷崎が閲し、川端が絶賛し、三島に継承された密教の秘儀を象徴する曼荼羅的作品と見なしていいのではないだろうか。言うまでもなく、檜のモデルは川端である。今も『稚児』に強い愛着もあったようで、「この度、選集を刊行するに際し、完全な定本を世に送り出せることになったのは作者としても最大の悦びだ」と述べている。だが選集の中に埋もれたままになっているのはいかにも惜しい。原文にテキストクリティックと詳細な注を施した『稚児』の決定版の出現を望んで止まない。
少年愛の美学

なぜならば、稲垣足穂『少年愛の美学』ちくま文庫)の中で、現存する「弘児聖教秘伝」五種にふれ、知人が写本を写真に撮って判読しようとしたら、後半部分に焦げ跡があり、それから先がたどれなくなり、投げ出してしまったと記し、結局 今の『稚児』にたよるしかないと述べ、『稚児』を抜き書き紹介しているからである。また最近になって出た松尾剛次『破戒と男色の仏教史』平凡社新書)や丹尾安典の『男色の景色』(新潮社)にしても、当然のごとく『稚児』への言及があってしかるべきだが、まったくふれられておらず、二人とも読んでいないと思われるからだ。

破戒と男色の仏教史 男色の景色
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