出版・読書メモランダム

出版と近代出版文化史をめぐるブログ

10 『篠沢フランス文学講義』と La part du feu

前回、大修館書店の『篠沢フランス文学講義』 全五巻を挙げたこともあり、またこの連載はゾラをめぐるものなので、渡辺利雄の『講義アメリカ文学史』 に言及しておいて、篠沢の講義にふれないのは片手落ちということになる。だから一章を設けるしかない。それに最近になって篠沢がALS(筋萎縮性側索硬化症)にかかり、苛酷な闘病生活を送っている記事を読んだ。励ます一文とはならないだろうが、『篠沢フランス文学講義』 から学んだことを書いてみる。
篠沢フランス文学講義

篠沢は講義の1の第六章で、「反軍・反体制のナチュラリスム」と題し、ゾラとドレフュス事件を論じ、「本当にゾラはおすすめ研究題目です。一九八〇年代にはとてもはやって来ると思いますよ」と述べている。しかし「ルーゴン=マッカール叢書」についてはラフスケッチにとどまり、『立体・フランス文学』 朝日出版社)の「ルーゴン=マッカール叢書」の各巻荒筋紹介を見る限り、半分も読んでいないと思われる。

だから私が教えられたのはゾラのことではなく、モーリス・ブランショの『火の分け前』の原題 La part du feu についての解釈だった。これは紀伊國屋書店から『焔の文学』 『虚構の言語』 (重信常喜他訳)として、前者は一九五八年に翻訳され、後者は六九年になってだが、「火の部分2」とのサブタイトルが付いている。確かに原題を直訳すれば、「火の部分」であるにしても、これではあまりにも単純すぎて、ブランショの難解な文学論集にふさわしい書名だとは思われず、ずっと違和感が残っていた。
完本 焔の文学

そして二〇〇〇年になって出た4のモーリス・ブランショに言及した章で、篠沢の次のような説明に出会った。

 このブランショの『火の分け前』の原語「ラ・パール・デュ・フー」が非常に難しいんですが、このことの意味は、古い言葉です。これは昔火事になると、消すことができないので、家が密集していると、燃えている地域のとなりの家屋を破壊してしまったんですね。そこまで燃やさせるけれども、壊してあるから、そこで火が止まる。それを“フェール・ラ・パール・デュ・フー”という言葉で、昔からある言葉らしいんです。(中略)ですから、格好つけて訳すと「火に投ずるもの」なんていうのが一番いいです。(中略)火の分け前ということなんですが、訳しにくい題名です。しかし激しくて美しいですね。

これを読んで、ブランショがどこでこの言葉を用いているのか、原文に当たってみようと考えた。ところがその後、ゾラの資料として読んだJean-Paul Caracalla, Le Roman du Printemps(Éditions Denoël, 1989)の第三章がLa part du feuと題されていたのである。この本は『ボヌール・デ・ダム百貨店』 のモデルのひとつとされるプランタン百貨店を中心とする百貨店の、現在に至るまでの歴史をテーマとしている。多くの挿絵、図版、写真、絵画などをふんだんに掲載したピクチャレスクな大判の一冊で、これも古本屋の目録によって入手したものだ。

問題の章は一八八一年三月九日に起きたプランタン百貨店の大火事に焦点を当て、「プランタン百貨店、火に呑まれる!」という三月十日付けの『フィガロ』の見出しを引用している。朝の五時にガス係があやまってランプをカーテンにあてたために、それは瞬時に燃え上がった。これが二日にわたる大火事の発端だった。

消防隊が到着した時、火はすでに七階のすべての窓から吹き出し、猛火の勢いは恐るべきもので、隣接建物や界隈一帯への延焼さえも危惧された。消防隊の必死の放水にもかかわらず、百貨店の建物はガス爆発を起こし、ファサードや天井が落ち、全焼するに至った。そして消防隊員は何人も負傷した。燃えている建物と消火活動を描いた版画が掲載されている。

本文ではla part du feu は使われておらず、章題となっているだけなので、これは「大火災」とでも訳していいのかもしれない。

さてこの場合は直接ゾラとは関係なかったのだが、『プラッサンの征服』 を訳していて、最後の場面に及ぶ段になって、実はla part du feu が使われていたのである。『ボヌール・デ・ダム百貨店』 オクターヴ・ムーレの父親で、『プラッサンの征服』 の主人公フランソワは、最終章で精神病院から脱走し、狂気のうちに自宅に火を放つ。そして近隣の人々が固唾をのんで見守る中、家は炎に包まれていった。ようやく消防士とポンプが到着し、消火活動を開始し、次の部分にそれが出てくる。

プラッサンの征服 ボヌール・デ・ダム百貨店

 水が噴出し始めると、群衆は安堵の溜息をついた。その時、家は一階から三階まで大きな松明のように炎上していた。水が甲高い音を上げながら猛火にぶつかった。その一方で炎は黄色い層となって分裂し、さらに火の手を上げるのだった。裁判長の家の屋根に上がった消防士もいて、鶴嘴で瓦を壊し、延焼を食い止めようとしていた。

この最後の「延焼を食い止めようとしていた」という部分が、篠沢が語っていたfaire la part du feu に該当している。

このようにLa part du feu は使用の含み、それぞれの文脈において、「火に投じるもの」「大火災」「延焼を食い止めること」といった言葉に翻訳することが原語の意味にふさわしいとわかる。

しかしそれだけでなく、日本語にも共通する言葉があるのではないかと考えた。そしてそれを思いがけないところで見出したのである。その言葉を見つけたのは原作 きむらはじめ、作画 里見桂のコミック、『なんか妖かい!?』 小学館)第二巻所収の「火事場で幽霊、大活躍の巻」においてだった。そこでは江戸時代の火消しが消防記念館に幽霊として現われ、隣の木工所の火事の消火にあたる。その時、彼は柱を倒して、建物を倒壊させ、延焼を防ぐ。これは江戸時代に行なわれていた火消し技術で、「破壊消防」だとの説明が消防士の口から語られている。

なんか妖かい!?

この言葉を求め、いくつかの大きな辞書を繰ってみると、『日本国語大辞典』(小学館)に掲載があり、次のように記されていた。

 火事で火の燃えている先にある建物を破壊して延焼を阻止する消防法。

とすれば、La part du feu の日本語訳は「破壊消防」との言葉もあてはめることができるだろう。ただ残念なことに出典例は記載されていなかった。どこで使用されているのだろうか。

私は既述したように「ルーゴン=マッカール叢書」を十冊翻訳しているが、ゾラの場合もla part du feu は『プラッサンの征服』 にしか出てこない。この言葉はゾラ以外の十九世紀の作家の小説の火事のシーンにも使われているものなのか、いずれ確かめてみたい。それにしてもブランショはLa part du feu をどこから採用したのであろうか。


[付記]
ゾラからハードボイルドへ7 トレヴェニアン『夢果つる街』に出てくる一九〇六年版の挿絵入り『エミール・ゾラ全集』が英訳版でなく、フランス語版ではないかとの読者からのご教示を記しておいた。
遅ればせながら、原書The Main(Harcount Brace Jovanovich,1976)を入手し、確かめてみると、the 1906 Edition Populaire Illustrée des Oeuvres Compètes de Émile Zola とあるので、やはりフランス本国版だと判明した。したがってラポワントは下記のサイトでアクセスできる挿絵を見ていたことになる。
http://gallica.bnf.fr/Search?ArianeWireIndex=index&p=1&lang=EN&q=+Oeuvres+compl%C3%A8tes+illustr%C3%A9es+de+%C3%89mile+Zola+1906

◆過去の「ゾラからハードボイルドへ」の記事
ゾラからハードボイルドへ9 渡辺利雄『講義アメリカ文学史』補遺版
ゾラからハードボイルドへ8 豊浦志朗「ハードボイルド試論 序の序―帝国主義下の小説形式について」
ゾラからハードボイルドへ7 トレヴェニアン『夢果つる街』
ゾラからハードボイルドへ6 ドライサー『シスター・キャリー』とノリス『オクトパス』
ゾラからハードボイルドへ5 IWW について
ゾラからハードボイルドへ4 ダシール・ハメット『赤い収穫』
ゾラからハードボイルドへ3 『ジェルミナール』をめぐって
ゾラからハードボイルドへ2 『ナナ』とパサージュ
ゾラからハードボイルドへ1 「ルーゴン=マッカール叢書」