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古本夜話45 宮武外骨と紅夢楼主人『美少年論』

南方熊楠岩田準一の長きにわたる書簡による男色談義にもかかわらず、あえて両者がふれなかったと思われる一冊がある。それは紅夢楼主人の『美少年論』で、岩田は『男色文献書志』 の745にこれを掲載している。

 男色文献書志

その解題によれば、著者を紅夢楼主人とする『美少年論』(同性色情史)は大正元年に雅俗文庫版として刊行されたもので、次のような説明と内容紹介が付されている。

 この書巻頭に序あるものは記念保存版として三部作れりという。序なきものは少々流布せり。第一、罪悪としての男色。第二、男色発生の動機。第三、男色の特徴。第四、男色関係の双方。第五、女性的傾向(エツフエミネーシヨン)。第六、世界的男色(上)。第七、世界的男色(中)。第八、世界的男色(下)。第九、日本の美少年史。

稲垣足穂にとって、『美少年論』は彼の「前期愛読書」であり、中学の同級生から借りて読み、この青色の半紙本を「クラフトエビングの青い本」として、しばしば自作に引用している。戦後になって、あの伊藤竹酔が「版権者たる外骨」の許可を得て、和綴の袖珍版で若干部を刊行した。それを入手した足穂は「宮武外骨の『美少年論』」と題し、現代文訳を試みた。これは現代思想社の『稲垣足穂大全』2 に収録され、後に『南方熊楠児談義』 河出文庫)にも掲載された。しかしタイトルがゆえに誤解されやすいが、著者が外骨だと言っているわけではなく、刊行者の意味で外骨の名前を付しているのである。

実はこの『美少年論』の著者は南方熊楠だとされている。岩田はそのすぐ前の742、743に大阪の雅俗文庫から出されていた『此花』掲載の熊楠の論文「婦女を姣童に代用せし事」「淫書の効用」を挙げているので、おそらく紅夢楼主人が熊楠であることを承知していたと思われる。しかし熊楠自身の告白と言及がなかったことに加え、その性格もわかっていたこともあり、それ以上踏みこんだ記述を避けたのではないだろうか。ただ前回挙げた花房四郎の『男色考』は「主として紅夢楼主人が美少年論を祖述したるに過ぎない」との指摘がある。なお熊楠のふたつの論文は岡書院の『続南方随筆』 に収録されている。

さて『此花』だが、これは宮武外骨が明治四十三年に大阪で創刊した浮世絵研究雑誌で、発行所の雅俗文庫は江戸堀通りの自宅の名称だった。この雑誌は「号」ではなく、「枝」と呼び、二十二枝にあたる「凋落号」まで出された。外骨が熊楠に『此花』への寄稿依頼の書簡を送ると、熊楠は創刊以来『此花』に注目していたこともあって、寄稿依頼を快諾し、前述の二編を始めとするいくつかの論考を寄せる。また熊楠は『此花』を柳田国男にも読むように勧め、柳田も実際に買って読んでいる。

さて紅夢楼主人=熊楠のことに戻ると、この『美少年論』は平凡社『南方熊楠全集』 にも収録されておらず、原文は容易に読むことができない。一度だけ雑誌に復刻掲載されたが、単行本化されていないので、そのまま雑誌に埋もれたままになっていると思われる。

 南方熊楠全集

その雑誌は昭和四十四年から四十八年にかけて、ほぼ四年間にわたり三崎書房を版元として刊行され、性文化総合誌の色彩も含んでいた『えろちか』である。『えろちか』の昭和四十五年十月号と十一月号に「55年間のヴェールを脱いだ幻の稀書」として『美少年論』は復刻掲載された。

そこに寄せられた日野光雄という人の「解説」によれば、明治四十四年七月に『美少年論』の原稿が熊楠から外骨の手に渡され、それが熊楠によって書かれたことを生前の外骨に確認したと述べている。公刊に至らなかった事情については外骨が熊楠に対し、「極端に渉る淫猥字句、醜陋字句は現行法律の許さざる所なるを似て、適宜に改削を加えたりとの旨を通知せし」ところ、熊楠より「改削を好まず、寧ろ中止せよのと電報があり」、印刷を中止したが、本文数十頁は刷了の後だったので、記念保存のために三部だけ残したとされている。その原本は序文も奥付もない和装半紙二つ折四十六頁、五号活字で組まれていて、これが復刻されたとわかる。そして日野は外骨のいう記念保存のための三部だけを製本云々は嘘で、少なくとも五十部、もしくは百部くらいは作られたのではないかと推測し、それゆえに極めて稀だが、古本市場に出てくるだろうとも記している。

『美少年論』の「第一、罪悪としての男色」は「性欲と道徳と何等の交渉なきこと今や闡明せられたり、性欲に対する道徳上の罪悪は、其行為の有害無害を推量する常識によつて判断せられざるべからず」という一文から始まっている。しかしこれは私の印象だが、通読しただけではただちに熊楠の論考と断定できる確証が今ひとつつかめないように思う。それゆえに今東光の『稚児』と同様に、『美少年論』もまた詳細なテキストクリティックと注を施した決定版が望まれる。前回記したように、日本におけるミシェル・フーコーの出現が待たれるのだ。

だがこの『えろちか』での復刻と解題のゆえと思われるが、宮武外骨の側の研究からすれば、紅夢楼主人=熊楠は周知の事実となっているらしく、吉野孝雄『宮武外骨』 河出文庫)を確かめてみると、次のような文章に出会った。

 外骨はこの時期に「猥熟風俗史」(四十四年四月)と「筆禍史」(同年五月)を執筆した。また八月には、紅夢楼主人として南方熊楠の「同性色情史」(美少年論)の出版を企てたが、卑猥語の削除を要求した外骨に著者の熊楠が応じなかったため、結局未刊のまま印刷編集だけが外骨の手許に残ることになった。

熊楠の研究者たちは『美少年論』をどのように見ているのであろうか。それらの意見を聞いてみたいとも思う。

なお『此花』は河出書房新社『宮武外骨著作集』第七巻 に復刻収録されている。また日野光雄は外骨の養女となった三千代の兄で、第四巻月報に「妹の父・外骨翁のこと」を寄せている。

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