出版・読書メモランダム

出版と近代出版文化史をめぐるブログ

18 カミュ『異邦人』

ハードボイルドとフランス小説の関連といえば、かならずケインの『郵便配達はいつも二度ベルを鳴らす』 がもたらした、カミュ『異邦人』 (窪田啓作訳、新潮文庫)への影響について語られる。実際に渡辺利雄も『講義アメリカ文学史』 でふれているし、『英米文学辞典』 (研究社)のケインの項も同様である。このようなアメリカ側からの指摘は、『異邦人』 がハードボイルド的文体によって書かれたクライムノベルの形式を採用していたこと、それに起因するアメリカ的フランス小説の出現の印象、それから両書が同じアルフレッド・A・クノップ出版社から、刊行されたことなどが作用しているのだろう。もちろん『異邦人』 は戦後になってからの翻訳だが。またこの出版社はハメットの『赤い収穫』 の版元でもある。

郵便配達はいつも二度ベルを鳴らす 異邦人 講義アメリカ文学史 英米文学辞典


しかし両者の詳細で具体的な比較文学的論考はこれまで読んだことがないし、フランス側からのカミュの評伝や研究でも、ヘミングウェイ『日はまた昇る』 の影響は語られているが、ケインの『郵便配達はいつも二度ベルを鳴らす』 との関係はほとんど言及されていないように思われる。だが一九三〇年代にフランスで相次いで出版されたヘミングウェイのみならず、フォークナー、スタインベック、コールドウェル、ドス・パソスに加えて、ハメット、ケインなどのハードボイルドも翻訳され、アメリカの新しい文学が同時代のフランス文学に大きな影響を与えていたことは紛れもない事実であろう。それはサルトル『シチュアシオン1 』人文書院)所収のいくつものアメリカ文学論やC・E・マニーの『アメリカ小説時代』 (竹内書店)にも明らかだ。だがここではケインとカミュに限定する。
日はまた昇る

まず『郵便配達はいつも二度ベルを鳴らす』 の仏訳経緯を記しておく。前回この作品がペーパーバック化され、ミリオンセラーとなったことで、ペンギン・ブックスにも収録され、それを機にして十七ヵ国で翻訳されたと書いておいたが、フランスでも三六年にガリマール書店から仏訳が刊行されている。これは同書店のCatalogue nrf Mai 1911-31 Décembre1990 で確かめてみると、「全世界叢書」の一冊として、Le facteur sonne toujours deux fois の仏訳タイトルで出され、訳者はサビーヌ・ベリッツである。彼は後に やはりガリマール書店が四五年に創刊する、英米の翻訳ミステリ叢書「セリ・ノワール」の主要な訳者となっている。「全世界叢書」についても付け加えておこう。ピエール・アスリーヌの『ガストン・ガリマール』 (天野恒雄訳、みすず書房)によれば、この叢書はアメリカ在住で、アメリカ文学に心酔し、フォークナー論も発表していたモーリス=エドガール・コワンドローの企画と推進によるもので、前述のフォークナーたちの作品も「全世界叢書」に入ることで、フランスでも読まれ、高い評価を得ていたのである。そしてカミュ『異邦人』 もドイツ占領下の四二年に同じガリマール書店から刊行されることになる。

ケインが仏訳された時代にカミュはアルジェにいた。そしておそらくアルジェにおいて、仏訳されたアメリカ文学を読んでいたはずだ。それはアルジェにおけるカミュの著作の出版史が絡み合っている。カミュと同様にジャン・グルニエから哲学を学んだエドモン・シャルロは書店を開くつもりでいたが、グルニエは地中海をテーマとする出版を兼ねるように勧めた。シャルロの父はアルジェにおけるアシェット社の取次を営んでいた。アシェット社は出版社も兼ねる取次で、ガリマール書店の主要取次でもあった。

一九三六年にシャルロは最初の出版として、カミュたちの集団制作の試みとしての戯曲『アストゥリアスの反乱』を五百部刊行し、二週間で完売した。そして翌年カミュの処女作『裏と表』を三百部出版したが、シャルロ社はフランスへの取次ルートを持っていなかったこともあって、こちらは初版が売り切れるまで二年を有したという。さらに三九年には『結婚』 も刊行している。なおこれらのアルジェ時代のシャルロ出版社のカミュの著作は新潮社の『カミュ全集』第一巻 に収録されている。
カミュ全集第一巻
また三九年にシャルロは「地中海文化誌」の副題を添えた『リバージュ』の創刊を構想し、その編集会議は書店部門の小さな店の奥で開かれた。新しい雑誌のマニフェストカミュが引き受け、後に文芸編集顧問にもなった。その当時のシャルロの出版や書店との関係について、ロットマンの『伝記アルベール・カミュ』 (大久保敏彦他訳、清水弘文堂)は次のように書いている。

 カミュは、シャルロ書店で過ごす時間がますます多くなった。勿論かれは、開店以来、これまでも新刊雑誌(「N・R・F 」「コメルス」、「ウーロップ」)や新刊書、それにフォークナー、ヘミングウェイドス・パソスカフカ、シローネの仏訳本をぱらぱらめくりながら、時々この店で過ごしていた。最初かれはシャルロの貸本部の会員に登録していたが、その後シャルロ出版社の原稿審査係になってからは、好きな本を無料で読めるようになった。というのもシャルロ出版はシャラ通りにある書店の狭い一角を、その本拠としていたのである。

この書店は明け方から夜の十時過ぎまで開けていて、新刊の豊富な貸本屋も兼ね、コンサートや芝居の推進や座席の予約も行なっているところから、「アルジェの文化生活の極」を体現する特異な店だった。ロットマンが指摘しているように、シャルロ書店はアルジェにあって、パリにおけるシェイクスピア・アンド・カンパニー書店のような役割を果たしていたのである。シェイクスピア・アンド・カンパニー書店については拙著『ヨーロッパ本と書店の物語』 平凡社新書)を参照されたい。
ヨーロッパ本と書店の物語

ロットマンの記述にケインの名はないが、フォークナーなどはガリマール書店の「全世界叢書」収録だから、ケインも含まれていたはずである。それにシャルロ書店は父親の関係からアシェット社を取次とし、ガリマール書店の出版物は積極的に仕入れられていたと思われるからだ。このような書店環境にカミュをおいてみると、三六年から三八年にかけて構想され、書かれ、『異邦人』 の原型となった『幸福な死』 (高畠正明訳、新潮社)と、四〇年にすでに完成をみていた『異邦人』 との差異は、アメリカ文学読書体験に起因しているのではないかという推測も可能だと思われる。『幸福な死』 に見られるフランス文学的陰影は、『異邦人』 においてアメリカ文学的叙述に変容しているからだ。それもとりわけ『郵便配達はいつも二度ベルを鳴らす』 が大きな影響を及ぼしているのではないだろうか。そのように考えてしまうほど、二つの作品には類似点が多い。
幸福な死

フランクの放浪者兼よそ者はムルソーの「異邦人」と重なるし、同じ中編小説の体裁、これもアラビア人との二度目の出会いによる殺人に至るクライマックス、裁判、死刑宣告、監獄の中での死刑の待機とその告白によるクロージングなどのストーリー上の共通性に加えて、『郵便配達はいつも二度ベルを鳴らす』 におけるフランク、コーラ、ギリシャ人ニックの関係は、『異邦人』 ムルソー、マリイ、アラビア人を彷彿させ、ハードボイルドは植民地と民族葛藤を必然とするという船戸与一のテーゼをも想起させる。その他にも、海での描写も同じようなイメージの喚起力がある。もちろんカミュ『異邦人』 はあの時代のアルジェにおいてしか書かれえなかった重要な現代文学の作品だと認めた上でだが、ケインのもたらした影響は否定できないように思う。アルジェの社会と自然環境下において、『郵便配達はいつも二度ベルを鳴らす』 を読むことはカミュに強烈なインパクトをもたらし、その読書体験が介在することで、『幸福な死』 から『異邦人』 への変容と移行が起きたと考えても、カミュの名誉を貶めることにはならないだろう。カミュはカリフォルニアの社会状況の中に、アルジェと共通する様々な物語因子を否応なく読みとってしまったのだ。

さて前述のガリマール書店のカタログによれば、ケインの作品はその他にも『セレナーデ』など五作が刊行され、ボリス・ヴィアンも訳者の一人だったとわかる。そしてケイン、ハメット、チャンドラーも含めたアメリカハードボイルドは四五年創刊の「セリ・ノワール」に収録され、さらに多くの影響を現代フランス文学に対して及ぼしていくのである。それらの事情はJ = P・シュヴェイアウゼールの『ロマン・ノワール』 (平岡敦訳、文庫クセジュ)に詳しい。

ここで最後に付け加えておけば、シュヴェイアルゼールは「ロマン・ノワール」の重要な先駆者としてゾラを挙げ、次のように言っている。

 ドレフュス事件に対するゾラの叫び「われ、弾劾す」は、現代ノワールの大作家たちの口から発せられたとしてもおかしくない。(中略)すなわち社会の不正、搾取される人間、アルコール中毒といった悲惨……。小説構造等を見て、ミシェル・ルブランは『テレーズ・ラカン』 を躊躇なく「自覚せざるロマン・ノワール」と呼ぶ(中略)。『居酒屋』 も忘れてはならないだろう。まさに居酒屋とは、犯罪小説に欠かせない舞台のひとつの原型である。(中略)しかし、ロマン・ノワールに対する貢献という点から見たゾラの最大の重要性は「われ、弾劾す」にある。(中略)ゾラは、忍耐強く注意深い昆虫学者のようにして観察した社会に、激しい非難を投げ掛ける。ゾラの叫びは、現代の若い作家たちによって今日的状況のなかに再生された。彼らは自分たち独自に、六八年五月革命時代の用語である「異議申し立て」という言葉を用いたのだが。

テレーズ・ラカン 居酒屋 ジェルミナール

私は『郵便配達はいつも二度ベルを鳴らす』 がゾラの『ジェルミナール』 を受けて書かれたのではないかという仮説を提出しておいたが、もしそれが正しいとすれば、ゾラはケインを貫流し、めぐりめぐってフランスへと還流し、『異邦人』 を経て「ロマン・ノワール」まで引き継がれていったことになる。

◆過去の「ゾラからハードボイルドへ」の記事
ゾラからハードボイルドへ17 ジェームズ・ケイン『郵便配達はいつも二度ベルを鳴らす』
ゾラからハードボイルドへ16 『FAULKNER AT NAGANO』について
ゾラからハードボイルドへ15 フォークナー『サンクチュアリ』
ゾラからハードボイルドへ14 フォークナーと「ヨクナパトファ・サーガ」
ゾラからハードボイルドへ13 レイモンド・チャンドラー『大いなる眠り』
ゾラからハードボイルドへ12 ケネス・アンガー『ハリウッド・バビロン』
ゾラからハードボイルドへ11 ハメット『デイン家の呪い』新訳』
ゾラからハードボイルドへ10 『篠沢フランス文学講義』と La part du feu
ゾラからハードボイルドへ9 渡辺利雄『講義アメリカ文学史』補遺版
ゾラからハードボイルドへ8 豊浦志朗「ハードボイルド試論 序の序―帝国主義下の小説形式について」
ゾラからハードボイルドへ7 トレヴェニアン『夢果つる街』
ゾラからハードボイルドへ6 ドライサー『シスター・キャリー』とノリス『オクトパス』
ゾラからハードボイルドへ5 IWW について
ゾラからハードボイルドへ4 ダシール・ハメット『赤い収穫』
ゾラからハードボイルドへ3 『ジェルミナール』をめぐって
ゾラからハードボイルドへ2 『ナナ』とパサージュ
ゾラからハードボイルドへ1 「ルーゴン=マッカール叢書」