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古本夜話48 通俗性欲書と南海書院

昭和初期円本時代は同時に「艶本」の時代だったと書いてきたが、それはまた性科学雑誌と性典ブームの時代でもあった。それを担ったのが既に記した澤田順次郎、羽太鋭治、田中香涯の三人で、かつて『彷書月刊』(二〇〇一年一月九日号)が「性科学の曙光」という特集を組んだ際に、彼らを「性欲三銃士」と呼ぶ提案が出されていた。しかしこの特集において、三人ともあまりにも多作ゆえか、彼らの著作を刊行した出版社についての言及はなかった。それらの出版社は有文堂書店、天下堂書房、平野書房、博愛堂、京文社書店、南海書院などで、南海書院は田中の本を出していないようだが、澤田と羽太の二人の本を刊行している。

手元にその南海書院の一冊がある。それは澤田の『性的本能享楽の真相』で、昭和三年三月十七日初版、四月十七日二十版と奥付に記されている。巻末広告には「忽七拾版」の羽太の『性愛研究と初夜の知識』、これまた「忽ち第三十四版」の『現代女性の性欲生活』の他に、前田誠孝の『性的誘惑の種々相』などが掲載されている。前田は警視庁警視で、その他にも『春情乱れて罪の子となるまで』があり、所謂「少年少女の性的非行」を題材とする著者だと思われる。先日古本屋で、前田のこの本を見つけたが、何と二万円の古書価がついていた。稀覯本になっているのだろう。また「定価一円八十銭」に対して、「特価一円三十銭」の記載、及び郵便による懇切丁寧な注文の案内からすると、南海書院は通信販売を主とする出版社だと考えられる。とすれば、これらの大正から昭和初期にかけて、次々と刊行された通俗性欲書は大半が赤本、つまり特価本業界が手がけていたことになり、南海書院もその近傍に位置していたと思われる。

さて澤田の『性的本能享楽の真相』は彼の意図の反映なのか、その装丁と造本はフランス装で、さらに表紙と背にはLA VÉRITÉ DU PLAISIR SEXUEL というフランス語タイトルが付され、著者名も J.SAWADA とある。もちろん人目をはばかる本のため、カモフラージュ的装丁の意味もあろうが、これも梅原北明一派のフランス書に通じている編集者が介在した可能性も高い。

それなのに扉を開くと、「人類に必ず性欲の苦悶あり、これ避け得ざる神の御心なり」というゴチック文字が目に飛びこんで来る。このリードは数行において、「予微弱なりとも社会を思ふの念あり、国家の隆昌を祈願する心あり、人類の幸福を希ふの愛あり、於玆予は敢然性書籍の発行を企てゝ勇往邁進倦むところを知らず」という文章に続き、この宣言は南海書院の近藤久男の名前で出されている。さらにその裏ページに昭和三年三月十日の『読売新聞』の訪問記事が掲載されているので、その最初の部分を引用してみる。

こんな本の発行者は定めし色つぽい意気な男であろうと、一寸覗いて見たら驚ひた。想像見事に外れて近藤専務なる人は、色の浅黒い苦み走つた登山と角力とで鍛へに鍛へ上げたスポーツマン・タイプの少壮紳士さ。

この次に発行者の「序」もある。出版にあたって、著者を押しのけ、ここまで巻頭に出版者の自己顕示を臆面もなくさらしている本は、前代未聞のように思われる。しかもそれが通俗性欲書だというのに。一体南海書院とはどのような出版社で、近藤久男とはいかなる人物なのか、そのような疑問がずっと記憶に残っていた。

その南海書院と近藤久男が、鈴木省三の『わが出版回顧録』(柏書房)を読んでいたら、出てきたのだ。鈴木は三省堂書店を経て、小学館に入社し、昭和四年に独立したが失敗し、赤本、漫画、雑誌などを手がけた後、戦後の二十八年になって小学館に戻り、さらに集英社の副社長を務め、出版業界の裏表に通じた人物である。鈴木の記述によれば、関東大震災後に関西の大取次の大阪宝文館の柏佐一郎と盛文館の岸本栄七が地震見舞いのために上京し、その宿を提供したのが近藤だった。
わが出版回顧録

 近藤氏は大阪宝文館出身で、以前大阪宝文館と盛文館の両社で出資した兵庫県御影町の宝盛館という書店の責任者であったが、経営がうまくゆかず、責任者の地位を辞任して東京に出た。そして南海書院という社名で旧制中学入試準備書を発行して相当の業績をあげていた。近藤氏の事務所兼住宅は(中略)広い庭をもった堂々たる邸宅で、土地の地盤が堅いため震災をまぬがれていた。近藤はここに関西きっての大取次、柏、岸本両大御所を招き、過去の迷惑を詫びて大歓待をした。

その当時、相賀祥宏は小学館を立ち上げていたが、柏と岸本が役員を務める学習参考書や実用書の共同出版社の東京支店長であった。東京の出版社の大半が焼失した関東大震災を機として、前述の三人が再会したことから、関西で二社が専売している書籍を東京で売る計画が持ち上がり、共同出版社東京支店が独立した法人に改組され、共同書籍株式会社が設立となった。近藤が代表取締役、相賀は取締役支配人、鈴木もその社員として働いたが、大正十四年に小学館の仕事に専念するために、相賀と鈴木は共同書籍を辞任している。

その後の近藤の消息は伝えられていないが、旧制中学入試準備書から始まった南海書院は、共同書籍の流通ルートや通信販売を利用した通俗性欲書の出版に向かったのであろう。当然のことながら、儲かる出版事業だと考えて。だがその結果はどうなったのだろうか。

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