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古本夜話51 シャンソール『さめやま』

戦後の『奇譚クラブ』から始めたのに、戦前の艶本時代のことに深く入りこんでしまった。だが気になる手持ちの本がまだあるので、もう少し続けさせてほしい。

山口昌男『「挫折」の昭和史』 岩波書店)の中に、「知のダンディズム再考―『エロ事師』たちの精神史」と題する補遺の一章があり、それは梅原北明たちの出版活動をテーマとしている。そこで山口は池袋の古書店での体験を語っている。

「挫折」の昭和史

 ここで本を漁っているうちに、(中略)見なれないアール・ヌーヴォー風の装丁の箱に出会った。表題は「さめやま」とある。何か聞きおぼえのある題目だが、おかしなことに、FELICIEN CHAN(ママ)PSAURと立続けて著者の名前が書いてある。「フェリシアン・シャンソールだ」と私は吃驚してしまった。私はこの十九世紀末の著者の原書を十七、八冊持っているのである。この全く忘れられた通俗作家の小説の邦訳があるとは全く思ってもみたことがないから、驚きはひとしおであった。ところが扉をめくってタイトル・ページを見て、再び吃驚仰天してしまった。梅原北明・酒井潔編著(ママ)とあったからである。

しかしここで山口は『さめやま』の荒筋を訳者の「序」を引用して紹介しているだけで、この小説について論じることはなく、シャンソールの挿絵画家たちとの関係に移っている。

実は山口が入手した本と、表紙の装丁は異なっているが、私もやはり太洋社書店の昭和五年の再版を所持していることもあり、『さめやま』の物語と人物造型、それらを含めて日本に関する知識を、著者のシャンソールがどこから得たのかを考えてみたい。私の手元にある本の背表紙は山口のものと同様だが、表紙はまったく別で、遊女の絵、「さめやま」というタイトル、「POUPÉE JAPONAISE」、すなわち「日本の人形」なる原題が記され、見返しも同工異曲である。訳者は梅原と酒井の連名だが、梅原は名前を連ねただけで、「序」の記述からして翻訳は酒井の手になるものと思われる。

ただこの『さめやま』は削除の空白も多く、翻訳もどこまで正確であるかわからない。それでもまずは『さめやま』の物語を述べてみる。物語の背景にあるのは、十九世紀末のフランス人通俗作家によって組み立てられた勝手なジャポニスムに他ならない。そして明らかにフランス人が日本の浮世絵を模写したとわかる多くの挿絵を添え、次のような物語が展開される。

時代は江戸と明治初期が混在となっていて、豪商の娘サメヤマが家業の破産のために、吉原に身を沈め、売れっ子の花魁として人気をよんでいた。そこにフランス海軍士官のポールが訪れ、彼は彼女を受け出し、結婚に至り、洋館で生活を送るが、ポールに出発の日がやってきた。彼女は彼と離別してから、老年の大蔵大臣の妻という玉の輿に乗り、上流社会に身を置き、さらに将軍の寵愛を受け、その御台所になる。今や将軍の妻となった彼女の前に、ナポレオン三世が派遣した使節団の海軍中佐が現われる。それはポールだった。サメヤマとポールは鹿鳴山の庭園で密会し、音楽の奏でられる中で、最後の接吻を交わす。二ヵ月後に将軍は殺され、彼女は行方不明となり、そこで『さめやま』は終わっている。

この物語において顕著なのは、着物をまとった「日本の人形」と称しながらも、サメヤマがヨーロッパ世紀末の女性像のように語られていることだ。それは次のような描写に明らかである。

 黒い葉の間に、紫や紫紺の矢車草や薊の咲いている橙色の着物を着て寝そべっている―憐れなサメヤマは、素晴らしい切地や色や光などを浴びて、悲しみの為めに美くしい。彼女は喜悦の光景の仮の美の中に埋まつた快楽の死人のやうだ。

「快楽の死人」という比喩こそは娼婦的存在、つまり世紀末の宿命の女のメタファーであり、繰り返し彼女は「偶像」として語られている。異国的情緒をもたらす「日本の人形」というよりも、サメヤマを吉原という「最も美くしい、より淫楽と、最も稀な悪い悩みの咲き誇る都」に置いたために、日本の男を手玉にとる悪女、「残酷な遊女」の側面を露わにしていく。そして彼女に真の愛情を感じさせ、官能を刺激させるのは、異国的な魅力を放つフランス人の愛人だけなのである。だから「日本の人形」的なのは挿絵に示された外観だけで、その女性像は同時代のヨーロッパ文学に描かれたポートレートと通底している。倒錯のジャポニスムといっていいだろう。
お菊さん

だがシャンソールは『さめやま』に表出する日本についての知識をどこから得たのであろうか。それはピエール・ロチの『お菊さん』 岩波文庫)と『秋の日本』 (角川文庫)からのように思える。何よりもロチは海軍大尉として来日し、この二冊を一八八七年と八九年に刊行している。とりわけ『秋の日本』 ではないだろうか。『さめやま』の「踊子、即ち芸者―子供の時から江戸の首都音楽学校で育て上げられた音楽家」という記述は、『秋の日本』 の「guêcha(遊芸学校コンセルバトワールで養成された一種の女流音楽家で且つ舞姫)」が出典だろう。またポールたちが吉原に入る章が「陳列窓の人形」と題されている。同じように『秋の日本』 でも「大ヨシヴァラ」が詳細に描かれ、張見世が「立派な大商店の陳列窓」のようで、「すばらしい人形(プーペ)のコレクション」「いろんな偶像の総品評会」にも擬せられている。おそらくシャンソールはロチの『秋の日本』 に触発され、『さめやま』=『日本の人形』を書き上げたのではないだろうか。

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