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出版と近代出版文化史をめぐるブログ

3 メキシコ上陸とローザとの出会い

  

◆過去の「謎の作者佐藤吉郎と『黒流』」の記事
1 東北書房と『黒流』
2 アメリカ密入国と雄飛会


3 メキシコ上陸とローザとの出会い

そして第三章「南国」に入る。メキシコに上陸した荒木は大海会長からの紹介状を持ち、三村という雄飛会員を訪ねた。三村は医者を開業し、メキシコにきて七年になり、その妻は美しいメキシコ人だった。荒木にも自分のところで修業し、医者になるように勧めた。荒木は三村から医者になる指導を受け、夫人からは語学を習い、医者となった。彼は二十一歳だったが、立派な体格、口髭、モーニングやフロックコートやシルクハットをまとった隙のない服装ゆえに老けて見え、日本からきた有資格の医学士のように映り、尊敬を得ていた。この医者というコンセプトには若干の説明が必要で、西洋的な医者ではなく、柔道などによる身体術にたけた専門家のような存在と見なすべきだろう。

そこに地元の有力者マクドナルド家から、娘の急な発熱の往診依頼を受けた。三村直伝の解熱剤によって、令嬢のローザは快方に向かい、荒木はこの地方唯一の貴族と親しく交際するようになった。除夜の晩にマクドナルド家で恒例の大舞踏会が開かれ、荒木にも招待状とローザからの誘いの手紙が出された。彼は夜会服を身に着けて出かけた。ローザが待ち構えていた。彼女は次のように描写されている。

 淡い薔薇色のドレスを着て、純白な肌を肩先まで現して居るローザの曲線は彼を暫しの間、うつとりとさした。
 彼女の顔は入念に化粧されてそれが電燈の下に他の娘達を圧倒する様に際立つた美しさを見せて居た。彼女の耳輪が物云ふ毎に囁く様に震へて居た。

日本人の男の目に映った、明らかに日本人女性と異なる外国人女性の表象であり、オーケストラが奏でられる中で、荒木は彼女と柔道の型でワルツを踊り、「会集の視線」を集め、「舞踏会場の人気者」となり、ローザのみならず、マクドナルド夫人も「彼の男性的体軀に見惚た様に好意ある視線」を送つた。ローザから荒木は次のように表象される。

 彼は彼女の眼から見ると立派な教養のある文化的な青年であつた。
 それに彼の何処かに古武士を想はせる様な風貌が漂ふて居る事を彼女は見てとつた。身体はメキシコの青年と比較しても立派なものを備へて居た。最初往診した時からローザは異国の青年医師に心を牽かれて居たのであつた。今彼女は男の胸の中で自分の髪から来る香水の香と男の体から発して来る蟲惑的な臭ひとを心逝く許り嗅ぎ乍ら考へて居るのだつた。

春子にとって荒木は「英雄」と見なされたが、ローザにとっても、彼は二十一歳にもかかわらず、「古武士を想はせる様な風貌」の「立派な教養のある文化的青年」で、まさに突然異国からやってきたヒーローなのだ。そしてローザは荒木の助手を志願し、彼女の思いは高まり、荒木は「貴公子然」とした「美青年医師」の「恋しい男」とまで形容され、二人は「婚約の仲」だと噂されるまでになる。それでいて、ローザが一方的に熱を上げているように描かれ、荒木はあくまで受け身の立場にある。荒木の医者としての仕事は繁盛するばかりで、春子母娘を年内に呼び寄せることも可能のように思われた。

ここまできて、ようやく『黒流』の物語の中に明確な年月が記されるのである。それは一九二〇年の春のことなのだ。オブレゴン将軍の反乱軍がメキシコ市を占領し、カランザ大統領を殺害するに至る五月の政変が挿入される。そしてカランザの補佐役のマクドナルドも一緒に殺されてしまったのだ。そして暴動が起き、ローザ母娘は危険であり、自分の医院も襲われたので、三人はアメリカへ移住しようとする。二人は船でロスアンゼルスまで行けるが、荒木は東洋人で旅券がないために国境から密入国するしかない。ローザは言う。アメリカは「憎らしい国」だ。カリフォルニアもアリゾナニューメキシコもテキサスも私たちの国から奪ったのよ。「そして東洋人を排斥するなんて。憎らしいわね。碧眼(グリンゴ)の奴等―」。このローザの言葉を受けて、荒木は初めて打ち明ける。

 「(前略)貴方も白色人種の横暴を憎んで居ますね。ぢやあ話ししませう。私達は有色人種の結合提携を理想として世界の同志を糾合し様として居る或団体の会員なんですよ。私のほんとうの目的はメキシコ人や黒人種の有志と交りを結んで白色人種の横暴を凝らす為に活動する事なんですよ。(後略)」

これには少しばかり説明が必要だろう。メキシコ人はスペイン系白人とインディオ系原住民との混血が八割以上を占め、白人比率は極めて低いので、有色人種とされているのであろう。しばらく後で「白墨攻守同盟」という言葉も出てくる。荒木の説明を聞き、ローザは「サムライ」らしいと感嘆し、夫人は「お勇ましい全人類的な理想」だと言い、二人はアメリカにいっても「此の正義的な運動」に参加すると誓い、三人のロスアンゼルスでの再会を確約した。

その後の過程は省略するが、荒木は様々な困難をくぐり抜け、冒頭の国境からのアメリカ密入国の場面に至るのである。時はすでに一九二一年の二月になっていた。

次回へ続く。