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古本夜話60 野村吉哉と加藤美侖

前々回のマリー・ストープスの『結婚愛』の巻末広告を見て、思い出される事柄があった。それらにまつわる本を入手していないので、仮説にとどまるが、これも記しておくことにする。

それは見開き二ページの加藤美侖著「人間叢書」全十編の広告で、「新旧世界思潮の総縮図」と銘打たれ、哲学、思想、文芸、宗教などを論じた第一編『老子から王陽明まで』に始まる叢書である。「復興改訂十冊完成」とあり、第一編の四十三版を筆頭に、第八編までは順調に版を重ねていて、『結婚愛』と並んで朝香屋書店の当時のベストセラーだったと思われる。

加藤美侖は大正中期のベストセラー「是丈は心得おくべし」シリーズの著者で、全十六冊を刊行して百二十万部を売り、出版社の誠文堂の発展の基礎を築いたとされる。「是丈は心得おくべし」については誠文堂の小川菊松が、『商戦三十年』(誠文堂)や『出版興亡五十年』誠文堂新光社)の中で、繰り返し言及しているので、そちらを参照してほしい。前者には小川も含んだ「ありし日の加藤美侖君とその友人」という鮮明な写真も掲載され、加藤が『子供の科学』の原田三夫などを紹介してくれた、誠文堂にとって大切な人だったこと、また興文社の『日本名著全集』などの企画者だったこと、昭和二年に三十八歳で惜しい一生を終わってしまったことも書かれている。これらのことからわかるように、加藤は著者であるばかりでなく、出版の才にも恵まれた企画編集者だったことがわかる。朝香屋書店の「人間叢書」も、そのようなひとつの企画シリーズだったと推測できる。

さてここで野村吉哉というほとんど忘れられている詩人を登場させてみる。その詩は昭和四年に平凡社刊行の円本の『新興文学全集』第十巻に四十ページにわたって収録され、これが生前における唯一のアンソロジーであり、そこには自ら書いた「略伝」が付され、次のような経歴がしたためられていた。

 大正十一年ごろから詩を書くことを覚へ、又当時勃興しはじめたプロレタリア文学に就いて感想を書いた。大正十二年「中央公論」の依頼に応じてプロ派作家表を書いてより文筆生活に入る。其の後つまらぬ原稿を書いて金に代へたり、病気になつたり、怪し気な雑誌社に雇はれたり、印刷職工になつたり、希望と絶望とを一日おき位に代る代る味ひ、真面目と出鱈目と熱心と不熱心を交互に身を処し、転変極りなく生きてゐる。

この間に野村は一年余り林芙美子と同棲生活を送り、それは平林たい子『砂漠の花』に描かれている。その後 詩から離れ、童話に力を注ぎ、昭和十五年に亡くなっている。

それから半世紀近く過ぎた昭和五十八年に草思社から、岩田宏編による野村吉哉作品集『魂の配達』が刊行された。詩、童話、エッセイ、評論の主要作品を発掘し、周到な解説を施した一冊で、これまで見られなかった野村の写真、著書の書影も収められている。岩田は編者の意図について、再評価、再発見の立場というよりも、「大正末期から第二次大戦前の昭和時代に、すわなち両大戦間の時代に、このような青年が生きて詩や童話を書いていたという事実そのもの」や「時代の極印」を見定め、「一回きりの、二つとはない一詩人の生を、なんとか蘇らせたい」と述べている。その解説「野村吉哉の生涯と作品」の中で岩田は、野村が大正十三年九月に一夏ででっちあげた東洋哲学、哲学史形而上学、認識論の話を含んだ『哲学講話』(丁未出版社)を出版したと書き、また次のように述べている。
魂の配達

 平林たい子によれば、この時分、吉哉はある出版社から毎月金をもらって『これだけは心得おくべし』という常識書を、ちょうど『哲学講話』のようにでっちあげていたというが、この本の存在は確認できていない。但し、前記「略伝」には吉哉の著書は「五冊ばかり」と書かれている。この本を入れれば勘定はちょうど合うから、平林たい子の話は事実だったかもしれない。

実はこれは朝香屋書店の「人間叢書」の数冊ではなかっただろうか。「これだけは心得おくべし」の著者は加藤美侖だが、このシリーズが出版されたのは大正八年であり、平林の言う時代に符合していない。とすれば、同じく加藤の「人間叢書」だった可能性が高い。その第一編の『老子から王陽明まで』は東洋哲学、第四編の『カントから現代まで』は哲学史であり、年代的に考えれば、「人間叢書」のこれらの作品が先行して書かれ、それらが集大成されて、『哲学講話』として結実したのではないだろうか。ひょっとすると、第二編『ルソオから現代まで』、第三編『常識としての哲学』も含んだ第一編から第四編までが、野村吉哉が書き下ろしたもので、これが『哲学講話』としてまとめられたのかもしれない。「人間叢書」の改訂前版は大正十一年から十二年にかけて出ている。

これを確認するためには、『哲学講話』と「人間叢書」の第一編から第四編を入手し、比較対照すれば、ただちにわかるであろうが、どちらも入手しておらず、今のところ残念ながらあきらめるしかない。

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