出版・読書メモランダム

出版と近代出版文化史をめぐるブログ

8 阿片中毒となるアメリカ人女性たち

  

◆過去の「謎の作者佐藤吉郎と『黒流』」の記事
1 東北書房と『黒流』
2 アメリカ密入国と雄飛会
3 メキシコ上陸とローザとの出会い
4 先行する物語としての『黒流』
5 支那人と吸血鬼団
6 白人種の女の典型ロツドマン未亡人
7 カリフォルニアにおける日本人の女


8 阿片中毒となるアメリカ人女性たち

第八章「堕ち行く者」はロツドマン夫人からの電話で始まっている。彼女はすでに阿片中毒者になっているばかりか、荒木に「愛人」になってほしいと言う。そこで荒木は支那貴族になりきり、北京に戻り、大統領(プレジデント)に立候補する資金を作るつもりなので、その援助を彼女に頼む。未亡人は資金援助をたちどころに了承し、取引先のサンフランシスコ銀行頭取の妻であるチヤンデル夫人とその娘にもあの煙草を差し上げたと話す。それから二人はチヤンデル家を訪問することになる。荒木の目の前に未亡人とも異なるアメリカの女たちが現われた。

 チヤンデル夫人は鼻眼鏡をかけた痩せぎすの神経質に見える容貌だつた。令嬢の方は丸ぽちやの断髪で、我儘らしい性格はその口辺に漂ふて居た。ロツドマン夫人は社交辞令を巧みに操り乍ら、彼と彼女達とを相互に紹介した。四人はそれが済むと静かに腰を下ろしてテーブルを囲み乍ら話し合つた。話を令嬢を中心として婦人参政権論などに入つて行つた。

アメリカにおいて、一九一〇年に婦人参政権に対する支持が広範に拡がり、第一次世界大戦下の女性の社会的進出もあり、二〇年に婦人参政権を規定する憲法第十九修正の成立を見ているので、この部分の記述とそれに続く東洋婦人たちについての話はアメリカの同時代の状況を反映している。しかし荒木の立場は冷淡で、ほとんどの東洋婦人たちは「伝統的な良妻賢母主義で満足して居る」と答えている。荒木は「心の中で悪魔の様な笑い」をもらし、この母娘も阿片中毒者にしてしまう。二人は吸いながら夢幻的な「陶酔境」に入っていった。

二人はテーブルの上へ静かに突伏して居た。彼は令嬢の身体を抱いてソファの上へ安らかに置いた。それから夫人の痩せた身体を静かに抱いて別のソファに置いた。彼は二人の女の顔を交る交る凝視した。腕白な女権拡張論者も険しい目の夫人も、他愛ない赤児の様に寝入つて居る。
彼の心は痒ゆい処を釘で刺されて快感を覚ゆる様な気分だつた。此の女達も俺の操(あやつ)り人形になる処なんだ――誘惑に脆(もろ)い子供達よ!

令嬢は陶酔の中で、荒木を「私の可愛い人(マイデーア)、「可愛い悪魔(サタン)」と呼び、彼に愛を告白するのだった。荒木は勝利の微笑を浮べた。

一方で荒木は木村とともにニューヨークでの阿片密売にも驚くほどの成功を収めていた。客たちは富豪の貴婦人たちが中心で、流行になりそうだった。その帰りにナイヤガラ瀑布に立ち寄り、轟音響く雄大な滝を目の当たりにし、荒木は心の中で思った。「藤村操は華厳の滝を見て大地の悠大を叫んで飛び込んだ。俺は米大陸の大瀑布の前に立つて、悪に生きる者の雄々しい叫びを発しているんだ」。

お花もまた「支那の貴婦人」や「日本の伯爵夫人(カウンテス)」になりすまし、サンフランシスコの社交界で、多くの紳士たちを阿片中毒へと誘っていた。そしてお花のみならず、団員一同が荒木を「一個の偶像として崇拝する」ようになった。吸血鬼団の活動の目的は「米国の貴族階級を闇の中に葬むる事」、さらに「米国を或る程度までに堕落さしたなら、今度は濠洲を征服せねばならぬ事」という遠大なものに向かいつつあった。

阿片中毒の中で、ロツドマン未亡人も叫ぶ。「早く! 妾の生きてる中にヤングチヤイナの大統領になつ(ママ)頂戴! そして一度丈けでもいゝから、美しい宮殿の中に女王の様に立たして下さいね。支那のあらゆる宝玉を身につけさしてね」。彼女にとって、朝の光の中で見る刺青をした荒木の裸の姿は「サタンの像」のようだった。

次回へ続く。