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古本夜話65 南宋書院、湧島義博、田中古代子

「奢灞都南柯叢書」の『黄金宝壺』と『タル博士とフエザア教授の治療法』の二冊を刊行した南宋書院について、一編補足しておきたい。日夏によれば、平井の「友人稲田稔が南宋書院を起して赤書印刻をやり始め」、その影響を受け、平井が急速に左傾したとされている。しかし南宋書院を起こしたのは湧島義博であって、稲田稔なる人物ではない。おそらく稲田は編集者、もしくは南宋書院と住所を異にする南宋書院印刷所の責任者であり、平井は彼を通じて、「赤書」のみならず、「印刻」の詳細な知識を身につけたのではないだろうか。またその関係で、「南柯叢書」の企画が南宋書院に持ちこまれたのではないだろうか。

それならば、日夏のいう南宋書院の「赤書」とは何を指しているのであろうか。それはやはり「叢書」と同時期に刊行され始めた「無産者自由大学」シリーズだと思われる。その「第一講座」は堺利彦の『天文・地文』で、シリーズのこの一冊だけは手元にある。内容は天文学や地学の啓蒙書に分類できる。もちろん堺も自分がそれに向いていないことを承知していて、「はしがき」に次のように記している。

 『天文・地文』という講座を私が擔任することは、云ふまでもなく不適当であり、無理である。或は寧ろ滑稽でもあるだらう。然し、私は、『無産者自由大学』の計画につき、最初から其の相談にあづかつた一人として、種々の都合上、止むなく第一冊を受持たねばならぬ事になつてしまつた。

それゆえにこの書は堺が専門書を読んで、無産階級的立場からまとめたものだとも告白している。奥付を見ると、昭和二年五月発行で、「非売品」とあるので、これが同時代の円本と同様に会員制頒布システムの所謂「講座物」に類するとわかる。これは堺に続いて、山川均、猪俣津南雄、佐野学、荒畑寒村、安田徳太郎たちが執筆し、全十二冊が刊行された。しかし当時は福本イズムの時代で、これらの労農派メンバーは古いとみなされ、売れ行きはよくなかったようだ。

なぜこの南宋書院と湧島義博にこだわるのかといえば、両者は単なる左翼、及び左翼出版社ではなく、明治四十五年に鳥取で創刊された文芸誌『水脈(みお)』に始まる「鳥取文壇」を背景としているからだ。『水脈』の主要同人は後の白井喬二橋浦泰雄、野村愛正などで、彼らが上京した後、大正三年に新たに創刊されたのが『我等』である。これは鳥取東部の大半の文芸関係者たちが集まり、湧島も、後にその妻となる田中古代子も尾崎翠もその同人だった。同人たちは雑誌を発行するだけでなく、文化講演会、絵画展覧会、近代劇脚本朗読試演会を開催し、鳥取の文化を活性化させた。それこそこの「水脈」が東京に移され、始められたのが南宋書院だとも見なせるからだ。鳥取を背景とする近代出版社は南宋書院だけではないだろうか。

湧島は明治三十年に鳥取の洋服商の長男として生まれ、『我等』同人を経て、大正五年に上海の東亜同文書院に入り、翌年中退して上京する。また東京外語学校の夜間部でロシア語を学び、長与善郎の書生になったことから、『白樺』の編集に参加し、九年には叢文閣に入社している。

大正十年には鳥取に戻り、文芸誌『水脈』を創刊し、『我等』と同様に文化芸術運動を続けたが、関東大震災後に田中古代子とともに再上京し、大正十五年に社会主義文献の出版を主とする南宋書院を創業するに至る。そして「無産者自由大学」や「奢灞都南柯叢書」などに始まる出版活動を展開していった。その出版物の全貌はわからないが、既述したように、昭和四年の林芙美子の処女詩集『蒼馬を見たり』南宋書院から出されている。これは林の友人が費用を負担した自費出版だった。『林芙美子』(「日本文学アルバム」20筑摩書房)に、この『蒼馬を見たり』の書影、及び新宿の中村屋での出版記念会の写真が掲載されている。二十五名ほどの人物が写っていて、女性のほうが明らかに多く、平林たい子宇野千代の顔も見える。この中に湧島や田中古代子はいるのだろうか。
蒼馬を見たり

しかし梅原北明たちのポルノグラフィ出版社も昭和七、八年には姿を消してしまったように、左翼出版物も刊行する南宋書院も危機が迫っていた。やはり昭和七年に南宋書院は終わりを迎え、湧島と古代子は失意のうちに鳥取へ帰る。そして古代子は十年に睡眠薬自殺してしまう。

どのような事情によるのか、湧島は『日本近代文学大事典』に立項されていて、帰郷後、山陰自由大学の創立、農民運動、水平運動に参加し、戦後は日本海新聞編集長、鳥取医療生協専務理事、日ソ協会支部長とあった。だが妻は古代とあり、大正十年に『朝日新聞』の懸賞小説に当選した北浦みお子と記されているだけで、田中古代子としては立項されていなかった。
日本近代文学大事典

だが平成時代に入って、田中古代子は作家として再評価され始め、平成十年に鳥取女流ペンクラグ編による『尾崎翠・田中古代子・岡田美子選集』が地元の富士書店から出版され、死後六十余年を経て、新たに読まれ始めようとしている。また「鳥取文壇」の見取図は、白井喬二『さらば富士に立つ影』(六興出版)や橋浦泰雄『五塵録』(創樹社)にもうかがえるが、『尾崎翠・田中古代子・岡田美子選集』に寄せられた田中古代子に関する内田照子の「作家ガイド」は「鳥取文壇」、南宋書院、湧島夫妻のコンパクトな解説となっていて、とても参考になるし、同書には古代子の「略年譜」も付されている。

湧島と古代子はまず南宋書院印刷所から始めたようで、その印刷所で平井功は二人と会っていたはずだ。その後の三人の軌跡を考えると、出版とその時代というものに対する感慨を覚えざるを得ない。

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