◆過去の「謎の作者佐藤吉郎と『黒流』」の記事 |
1 東北書房と『黒流』 |
2 アメリカ密入国と雄飛会 |
3 メキシコ上陸とローザとの出会い |
4 先行する物語としての『黒流』 |
5 支那人と吸血鬼団 |
6 白人種の女の典型ロツドマン未亡人 |
7 カリフォルニアにおける日本人の女 |
8 阿片中毒となるアメリカ人女性たち |
9 黒人との合流 |
10 ローザとハリウッド |
11 メイランの出現 |
12『黒流』という物語の終わり |
13 同時代の文学史
『黒流』は入手困難な幻の小説と考えられるので、全十四章にわたる物語の流れを追いながら、できる限り簡略にして明確な紹介を試みてきた。現在の地点から見れば、『黒流』は御都合主義的な大衆小説、劇画的小説、民族葛藤をベースとする冒険小説、南北アメリカを舞台とする日本人のナショナリズム小説、日本人による国際陰謀小説、有色人種対白色人種の闘争小説などと様々に命名することが可能であろう。しかしこの『黒流』が刊行されたのは大正十四年、一九二五年であり、同時代の日本近代文学史を検証すればわかるように、きわめて突出した異色の作品だと断定できる。大正十年代における主要な小説を列挙してみる。
大正十年/一九二一年
内田百�瑶 | 『冥途』 | |
志賀直哉 | 『暗夜行路』 | |
小川未明 | 『赤い蠟燭と人魚』 | |
前田河広一郎 | 『三等船客』 | |
滝井孝作 | 『無限抱擁』 | |
魯迅 | 『阿Q正伝』 |
大正十一年/一九二二年
野上弥生子 | 『海神丸』 | ||
里見�嘖 | 『多情仏心』 | ||
モーラン | 『夜ひらく』 | ||
ジョイス | 『ユリシーズ』 | ||
マンスフォールド | 『園遊会』 | ||
カロッサ | 『幼年時代』 |
大正十二年/一九二三年
長与善郎 | 『青銅の基督』 | |
宇野浩二 | 『子を貸し屋』 | |
横光利一 | 『日輪』 | |
井伏鱒二 | 『山椒魚』 | |
コレット | 『青い麦』 |
大正十三年/一九二四年
谷崎潤一郎 | 『痴人の愛』 | |
白井喬二 | 『富士に立つ影』 | |
近松秋江 | 『黒髪』 | |
ラディゲ | 『ドルジェル伯の舞踏会』 | |
フォースター | 『インドへの道』 | |
トーマス・マン | 『魔の山』 | |
ザミー・チャン | 『われら』 |
大正十四年/一九二五年
梶井基次郎 | 『檸檬』 | |
水上滝太郎 | 『大阪の宿』 | |
ウルフ | 『ダロウェイ夫人』 | |
フィッツジェラルド | 『華麗なるギャツビー』 | |
ドライサー | 『アメリカの悲劇』 | |
ドス・パソス | 『マンハッタン乗換駅』 | |
カフカ | 『審判』 |
さらにこの年代の日本文学史について補足すれば、夏目漱石や森鴎外の死、白樺派の隆盛に続いて、プロレタリア文学や新感覚派文学運動が起き、また大衆文学の発生期でもあり、国枝史郎の『蔦葛木曽桟史』、大仏次郎の『鞍馬天狗』、吉川英治の『剣難女難』などの時代小説、江戸川乱歩の『心理試験』や『D坂の殺人事件』などの探偵小説も発表され始めていた。社会的に見れば、大正デモクラシーの時代である一方で、第一次世界大戦後に起きた米騒動、シベリア出兵、造船所や製鉄所のストライキ、ソ連邦の成立に続き、関東大震災に見舞われ、東京が焼野原になった時期でもあった。
次回へ続く。