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古本夜話74 エドワード・カーペンターと石川三四郎

江戸川乱歩の先駆的な論考「シモンズ、カーペンター、ジード」に関して、シモンズだけにとどめるのは惜しいので、カーペンターやジイドにも言及しておきたい。順序からして、まずはカーペンターを取り上げるべきだろう。

カーペンターで最も思いだされるのは石川三四郎の『哲人カアペンター』である。これは十代の終わり頃、古本屋で見つけ、読んだ本だが、あらためて確認してみると、明治四十五年に東雲堂書店から出版されている。その奥付裏には北原白秋『思ひ出』石川啄木『一握の砂』などを始めとする十冊余の広告が掲載され、石川の著作がそれらと同時代の出版物だとわかる。背が半ば崩れかけた裸本のその表紙には、壮年と思われるカーペンターの写真が中央にすえられ、写真の上にEDWARD CARPENTER:POET AND PROPHET との記載があった。当時の読後の印象からすると、カーペンターは英文表記にもあるし、石川も言っているようにイギリスの田舎で自給自足の生活を営む詩人にして預言者という位置にあると思われた。

思ひ出 一握の砂

ところがその後、乱歩の「シモンズ、カーペンター、ジード」を読むに至って、カーペンターの「社会改革の思想には同性愛精神が有機的に結びついていた」こと、同性愛を弁護する三つの著作Anthology of Friendship, The Intermediate Sex, Intermediate Types among Primitive Folk があり、いずれも未邦訳で、三冊目の著作には日本の武士道の紹介があることを知らされた。

Anthology of Friendship The Intermediate Sex Intermediate Types among Primitive Folk

そこで大正十三年に大日本文明協会から出されたカーペンターの自叙伝『吾が日吾が夢』の訳者の宮島新三郎の「序にかへて」に、「著作年表」が付せられていたことを思い出し、繰ってみると、一冊目はなかったが、二冊目は「『中性』男女のある変形に関する研究」、三冊目は「『原始民族中の中性タイプ』社会進化の研究」という釈然としない仮邦訳タイトルと内容説明があり、カーペンターの同性愛についてはヴェールに包まれたままであった。

それからずっとカーペンターのことは忘れていた。ところが今世紀に入って、一九三四年に刊行された『エマ・ゴールドマン自伝』(ぱる出版)の翻訳を頼まれ、ようやく終わりに差しかかったところで、エマがカーペンターに会いにいく場面が出てきた。彼は八十歳近くになっていたが、「賢者の知恵」を持っていたとエマは記していた。しかしそこにはカーペンターに伴うジョージという男への彼女特有の反発の気配が漂い、それでカーペンターの同性愛が再び想起されたのである。

エマ・ゴールドマン自伝 上 エマ・ゴールドマン自伝 下

そのこともあって、またエマを取り巻く人々の人物辞典を作成する意向も加わり、しばらく前に出され、気になっていた都築忠七の『エドワード・カーペンター伝』晶文社)を読んだ。するとこの「人類連帯の預言者」というサブタイトルが付された伝記が初めてのもので、元版は八〇年にケンブリッジ大学出版局から刊行され、その日本語版が同書であるとわかった。そして日本において、正面から扱われなかったカーペンターの同性愛にも挑み、それは「同性愛の昇華」という章に結実している。

そこで都築はカーペンターが社会主義アナキズム自然主義への関心の高まりと同性愛的生活の中で、性を文明の最も重要な問題だと考えるに至ったと述べ、次のように記している。

 時がたつにつれ、しかも外部の世界が男性の同性愛にたいする敵視を強めるなかで、彼自身の本性に合う生活のスタイルを確立し、情勢の渇きをいやし、心の安らぎを得るようにさえなった。こうしたなかで、性愛の世界を、人間の、個性の、存続のためだけでなく、人間の、人類の、統一と平等の基礎として宣言するため、彼が性の研究、何よりもその同性愛的側面の研究に着手したのは、さして驚くべきことではない。

そのきっかけになったのはほかならぬJ・A・シモンズとの出会いであった。カーペンターもシモンズと同様に、ケンブリッジ時代にギリシャ、ヘレニズム文明に魅せられ、また隠遁の生活を送っていた。つまり二人は同時代人であり、その同性愛への傾斜と生活からして、紛れもない「わが隣人」であったのだ。シモンズは自分の新しい著作『青の基調』と題する一冊をカーペンターに送った。そこには「ダンテおよびプラトンの愛の理想」なる一章があり、ギリシャと中世における二つのタイプの騎士道的愛は活力を横溢させる情熱の源泉、より高い世界への移行、誇り高き思想や勇敢な行為を可能とする永続的な恍惚の境地だとも書かれていた。このようなシモンズの高められたギリシャ的愛の理想こそは、カーペンターの生活の中で求めてきたものとまったく重なるものだった。しかしシモンズはカーペンターと会った翌年の一八九三年にインフルエンザにかかり、ローマで急死してしまった。「恐らくカーペンターは、同性愛の擁護者としてシモンズを継承する運命にある、と感じたことだろう」と都築は書いている。

そして晩年まで生活をともにするジョージ・メリルと暮らし始め、性についての小冊子『性愛―自由社会におけるその地位』、前述の『同性愛』や『中間の性』を出版し、同性愛について世間を啓蒙する孤独な戦いを続けていったのである。都築はジョージに関する一章も設けている。『E・M・フォースター評伝』(辻井忠男訳、みすず書房)を著したフランシス・キングによれば、フォースターはカーペンターに心酔し、ジョージに尻を触られたことから、『モーリス』(片岡しのぶ訳、扶桑社)が構想されたという。
E・M・フォースター評伝
都築は石川三四郎にも言及し、イギリスのカーペンター・コレクションには外国からの手紙が相当にあり、日本関係は石川からの私信が多いと述べ、それらを題材として、「石川三四郎自由主義―カーペンターとの邂逅をめぐって」(『歴史と人物』昭和四十八年四月号)をまとめたことがあると書いている。これは未読であるが、私もこの機会に『哲人カアペンター』を再読してみた。するとこれまで石川もカーペンターの同性愛的側面にふれていないとされていたが、はっきりと書いている部分があった。かつては気がつかなかったのだ。それを引用してみる。

 カーペンターが世界合一の基礎としての性の思想は、同性間相互関係の問題を包含する。ホイットマンの句に酷似する多くの詩中に於て、彼は古代希臘の名物たる同士関係(カムレードシップ)を称揚して居る。此る感情は今日では彼の多く公言せぬ所であるが、併し、之を一概に転倒異常の沙汰たりとして退けるは不当と言はねばならぬ。

石川三四郎はカーペンターの「ひそかなる情熱」を最初からわかっていたのだ。ひょっとすると、石川もまたその「ひそかなる情熱」を共有していたのかもしれない。そのように考えてみると、これも謎めいた石川の生涯を開く鍵であるようにも思えてくる。

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