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古本夜話79 田山花袋と近代文明社『近代の小説』

本連載63「平井功『孟夏飛霜』と近代文明社」のところで、田山花袋の『近代の小説』にふれたが、言及を差し控えた。しかし二回続けて花袋について書いたこともあり、ここで記しておきたい。

近代の文学者の中で、花袋ほど評価されておらず、正規の全集も編まれず、作品論もほとんど見られない作家もめずらしいように思われる。柳田泉の『田山花袋の文学』(春秋社)はあるにしても、作家以前の花袋を論じていて、文学者としての花袋にまでは及んでいない。それらは盟友だったと考えていい柳田国男の数次に及ぶ全集の刊行、大冊の評伝、あふれんばかりの論考の出現に比べると、もちろん文学と民俗学にわかれているが、あまりの落差を感じさせる。そのよってきたるところは、近代文学研究における花袋の評価に基づいているのではないだろうか。

例えば、吉田精一は『自然主義の研究』(東京堂)の中で、島崎藤村や正宗白鳥は西洋文学の感化を受けても自分のものとして消化し、自作に取りこんでいるが、花袋は単純な翻案や模倣であると述べ、次のように書いている。

 花袋の場合は手法、構成、表現の上に、はっきりわかる模擬踏襲をしているばかりでなく、人名と地名のみを日本のものにした翻訳まがいのものまであるので、もとを知らずにそれを花袋のオリヂナルな作品と解すると、とんでもないまちがいをするのである。花袋の無類の正直さがかういふところにあらはれているともいへるし、気短かで、省慮を欠いた、思索力にとぼしい彼の欠陥がここらに尻尾を出しているともいへるのである。

このような気の毒になるほどの評価に、村夫子然とした風采と容貌、『蒲団』における泥臭い私小説的イメージが加わり、戦後においても花袋の復権はなされていないと考えていい。平成に入って出された臨川書店版『定本花袋全集』にしても、戦前の全集の復刻と新編集の巻を混合させたもので、ともに生誕五十年を祝された徳田秋声の本格的な『徳田秋声全集』(八木書店)に比べ、かなり見劣りしているというしかない。また中村光夫の『風俗小説論』(新潮文庫)における花袋の『蒲団』にまつわる低い評価も重なっているのだろう。

蒲団 定本花袋全集 徳田秋声全集

しかし『東京の三十年』に続いて、大正十二年に近代文明社から刊行された『近代の小説』はこうした花袋に対する偏見を一掃する著作のように思われる。これはいうなれば、『近代小説の三十年』とでも称すべき一冊であり、『東京の三十年』と対をなす近代文学史、小説史を形成している。それは残念ながら本文中には記されていないが、目次に挙げられた百三十余の小見出しを見れば、歴然とするほどで、花袋が目撃し、体験してきた三十年の文学シーンがスナップショットのように並んでいる。これらに目を通すだけで、花袋がよく見て、よく読んできたことがわかるし、「気短かで、省慮を欠いた、思索力にとぼしい」という吉田の評価が当てはまらないことに気づく。

東京の三十年

さらに『近代の小説』の特色は、それらの事柄の重要な部分が対話のかたちで具体的に語られていることにある。そのような配慮はヴェテランの編集者としての花袋の工夫を示しているといえよう。また硯友社にも近づき、『文学界』の人々とも交流し、龍土会の会員にして博文館の編集者であったから、複合的な視点で文学史を語ることができたとわかる。すべてにわたって興味深いのだが、強い印象を残す部分をいくつか取り上げてみよう。まずは明治二十年代における硯友社と出版社の関係である。

 それに、硯友社の強味は、出版業者との堅い結托であらねばならなかつた。当時、出版界に於て有力者と言はれた春陽堂、博文館、すべて硯友社の自由になつた。紅葉が頭を横に振れば、何んなにすぐれた作家も、本を出版することが出来ないやうになつていた。

だからこそ花袋も紅葉を訪ねたのであり、彼の博文館入社もそれとつながっている。作品だけがすべてではない明治文学の政治的な関係が浮かび上がってくる。そして内田魯庵が明治二十五年に三文字屋金平というペンネームで、『文学者となる法』(復刻は図書新聞)を書き、硯友社などの文壇を皮肉った事情を伝えてくれる。しかし明治三十年代になって、紅葉、大橋乙羽、高山樗牛の三つの死によって、文壇の空気が変わったという。紅葉に代表される江戸時代的な党派性と師弟の旧式な慣習、博文館の入婿となった元硯友社の大橋乙羽が仕切る原稿の世話と出版の関係、『太陽』に論陣を張った高山樗牛の花々しい文壇的活躍などが消え、作家たちは新旧を含めて自分の作品に熱中する傾向をもたらした。

そしてさらに明治四十年代の三つの死が語られる。それらは川上眉山、国木田独歩、二葉亭四迷の死である。旧時代の滅亡を象徴するような眉山の自殺、「僕は僕のために書いているんだからね。世間のために書いているんぢやないからね」と言っていた独歩の死、「真面目に考へ、真面目に書き、そして最後に真面目に死んで行つた」二葉亭のことは新時代の潮流と淋しさを深く感じさせたのである。これらの死を花袋は「前の三つの死と後の三つの死」とよび、近代の小説のシーンにおいて、比較考察することは意味深いと述べ、「新しい時代の前には、屹度一つか二つの死のないためしはなかつた」と書きつけている。

花袋の『近代の小説』について、わずかしかふれられなかったが、この後も彼は夏目漱石の文学とその死にも言及し、次々と新しい時代が押し寄せてくるのが、文学の宿命であるかのように続けている。だが最後の一節で、欧陽修の「徐無覚の南帰するを送るの序」の漢文が一ページ余にわたって引かれている。「草木鳥獣之為物」に始まるその長い漢文を「書き下し文」(『新釈漢文大系』72所収、明治書院)で確かめると、いかに文章が流麗で、言葉が精巧であっても、それは草木の咲き誇る花が風に散り、鳥獣の美しい鳴き声が耳元を通りすぎるようなもので、不朽を望んだところで、忘れ去られてしまうのではないかという大意であった。この漢文をもって『近代の小説』を終えた花袋は深い思索者のようでもある。『近代の小説』の再刊、もしくは文庫化が切に望まれる。

新釈漢文大系72

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