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古本夜話80 『性の心理』と『相対会研究報告』

エリスの『性の心理』は日本の近代文学や性科学に大いなる影響をもたらしたが、それらの中で最も直接的で真摯なインパクトを与えたのは、小倉清三郎が主宰した相対会に対してだったと考えられる。小倉は東京帝大哲学科出身の熱心なクリスチャンであり、そのかたわらで性科学に傾倒し、エリスの『性的特徴』を翻訳出版している。これは未見だが、一八九六年にイギリスで刊行され、発禁処分を受けた『性的倒錯』だと思われる。

そして小倉は大正二年から性的経験と対人信仰の二つをテーマとする『相対』を創刊した。しかし会員たちの赤裸々な性体験の報告を掲載したこともあり、度重なる官憲からの弾圧を受けた。それにもかかわらず、特筆すべきはその会員たちの多くが法曹関係者、医学者、心理学者、画家、文学者、新聞記者、社会主義者といった錚々たる顔ぶれで、そこには芥川龍之介大杉栄平塚雷鳥などの名前もある。

だが小倉清三郎が昭和十五年に急死した後も、未亡人小倉ミチヨがその意志を継いで、十九年まで刊行を続け、戦後になって『相対会研究報告』全三十四巻にまとめ、復刻した。

これはどのような出版事情が絡んでいるのかわからないが、一九八八年になって銀座書館から『相対会研究報告』が再び復刻され、その全貌をようやく俯瞰できるようになった。また一方で、九〇年末から「相対レポート・セレクション」(河出文庫)が刊行され始め、『小倉ミチヨ・相対会研究報告』ちくま文庫)も出され、大正から昭和にかけて『相対』(後に『相対会報告』)に掲載された会員たちの「告白」を花袋の『蒲団』と同様に、手軽に読めるようになった。

小倉ミチヨ・相対会研究報告 蒲団

『相対』の「性的経験」のテーマはエリスの『性の心理』における「経歴」に基づいていることは疑いを得ない。そしてさらに付け加えれば、性的告白手記、もしくは性的実話といった、日本のポルノグラフィの定番の起源もここにあるといっていいだろう。

『相対会研究報告』の寄稿者は小倉夫妻を除いて、いずれもが匿名、もしくはペンネームであり、前述したように会員が多くの文学者や知識人を含んでいたために、その報告者に対して、様々な憶測が生まれた。特に有名な報告は『赤い帽子の女』河出文庫)で、これは佐藤紅緑『乱れ雲』小栗風葉『袖と袖』(いずれも河出文庫)、永井荷風四畳半襖の下張』(『荷風全集』第12巻所収、岩波書店)と並ぶ日本の近代文学者の書いたポルノグラフィとして、芥川龍之介が書いたとも喧伝されてきた。

赤い帽子の女 乱れ雲 袖と袖 荷風全集 第12巻

『赤い帽子の女』は黙陽生というペンネームで書かれたもので、彼はこの他にも『暗色の女の群』『田原安江』(いずれも河出文庫)を寄稿している。『赤い帽子の女』は昭和五十五年に伏せ字のままで、青木信光を発行人とする美学館から出版された。また銀座書館の『相対会研究報告』の監修は青木信光事務所とあるので、彼は小倉ミチヨや相対会の関係者かもしれない。

暗色の女の群 田原安江

『赤い帽子の女』第一次大戦後のベルリンを舞台とし、パリから訪れた日本人と化粧品屋の売り子で素人売春婦のドイツ娘との情事を描いている。その文体に芥川龍之介の痕跡を認めることはできないし、詳細なベルリン描写を見ても、実際に体験したものでなければ不可能な都市のトポロジーがリアルに書かれていて、留学経験のない芥川には無理なように思われる。

これは美学館版にも収録されているが、『赤い帽子の女』のリアルなベルリン描写に「某々生」がただちに反応し、「赤い帽子の女を中心にして」というその倍近い大論文を寄稿している。彼は「偶然にも、その当時、その地に稍久しく滞在したりし理由」で、『赤い帽子の女』の舞台となる西部ベルリンの地図、街並と繁華街、この町を有名ならしめている「所謂不明瞭な婦人の徘徊」を語り、敗戦後のドイツの経済事情、為替成金としての日本人から始めて、ドイツ社会の様々な世相が次々に描き出され、話はゲーテ『ファウスト』にまで及んでいく。この「某々生」の筆力も黙陽の叙述にまったくひけをとるものではなく、こちらも誰なのかを想像してしまう。
ファウスト

黙陽生に戻ると、語り手の「私」は第一次大戦後にパリに留学し、ベルリンに出かけたことのある人物で、その時すでに妻帯者で、フランス語とフランス事情に通じていることがよくわかる。例えば『赤い帽子の女』の最後の部分のところに長い説明を施した「ビデー(Le bidet )解説」が付されている。だが当時の唯一の『模範仏和大辞典』白水社)を見ても、bidet は「化粧用洗器」とあるだけなので、実際に見て、体験したものでなければ、とても書けない「解説」だと了解される。

それらは『暗色の女の群』『田原安江』にも共通している。この二つの報告は関東大震災後の東京における結婚媒介所や待合に出入する私娼たち、所謂素人的高等淫売との交情の記録であり、赤線とは異なる大正末期から昭和初期にかけての都市の私娼窟の実態を浮かび上がらせている。『赤い帽子の女』森鷗外『舞姫』を意識して書かれたことは明白であるように、このふたつも永井荷風の作品を念頭においていると考えられるが、文体から特定の作者を認めることは難しい。
舞姫

以前に黙陽生がフランス文学者の辰野隆ではないかという説を紹介したことがあった。ただ彼の個人史におけるパリ留学、ベルリン行は符合しているが、それ以上のことは探索できなかった。読者のご教示を乞う。

またさらに補足しておけば、『性の心理』は『相対会研究報告』を生み出しただけでなく、戦後の『キンゼイ報告』(朝山新一他訳、コスモポリタン社)に始まる様々な性レポートの模範になったと思われる。

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