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古本夜話81 『性の心理』とナボコフ『ロリータ』

エリスの『性の心理』ナボコフ『ロリータ』若島正訳、新潮社)の構想にあたって、インスピレーションと「うずき」を与えたことを、サイモン・カーリンスキー編『ナボコフ=ウィルソン往復書簡集1940−1971』(中村紘一・若島正訳、作品社)で知った。

ロリータ ナボコフ=ウィルソン往復書簡集1940−1971

一九四七年四月にナボコフはウィルソンにあてて、「海辺の王国」という「少女好きの男を主人公にした短めの長編」を執筆中だと書いている。それが念頭にあったのかは不明だが、ウィルソンは四八年六月に「ハヴロック・エリスがロシア人のセックスについて書いた傑作」を送ると書き、この本は自分のものではないので、「忘れずに返してほしい」と付け加えている。この時、一緒に送られたのはナボコフの『誤解』(邦訳『絶望』大津栄一郎訳、白水社)についてのエッセイが収録されている四七年刊行のサルトルの『シチュアシオン1』(人文書院)だったと思われる。
絶望

ウィルソンがエリスの本を送ってくれたことに対し、ナボコフは同じ六月の返信で「ロシア人の性生活は大いに楽しめた。とてつもなく愉快な本だ。少年のころに、こんなめったにないおませで豊かな反応を示してくれる女の子たちに出会うとは、著者はよほど運が良かったのだろう」と感想を記している。

このエリスの「傑作」について、編者のカーリンスキーは一ページに及ぶ注を寄せ、それがフランス語版『性の心理』第六巻の付録として所収の「1870年頃生まれた南部ロシア人の性告白」だと指摘している。そして英語版にはないようだとも述べ、一九一二年頃に匿名でフランス語によって書かれ、当時のロシアの社会的文化的現実をよく把握し、信頼できる非常に興味深い記録と見なし、その百六ページにわたる告白を次のように要約している。これはフランス語版『性の心理』だけに収録され、『ロリータ』との関係もほとんど知られていないと思われるので、ここで少しばかり長い引用をしてみる。

 裕福だが急進的な家庭に生まれた著者は、12歳のときに何人かの同じ年頃の娘たちのみならず大人の女たちに誘惑されて、自らの極めて活発な性生活を始めた。彼は12歳から20歳までの間、性的強迫観念に取り憑かれて勉強ができなくなり、将来の展望をなくす結果になった。家族は彼をイタリアにやる。彼は禁欲の誓いを立て、勉強を再開して工学部を卒業すると、教養豊かなイタリア娘と恋に落ち結婚することになった。しかし、32歳になった彼は仕事でナポリに行ったとき、少女売春の存在を知った。11歳と15歳の経験豊かな少女売春婦に誘惑された彼は、かつての強迫観念に取り憑かれ、それは今度は10代初めの娘をむりやり探してきて、屋外便所で自らを露出して見せるという形を取った。結婚は破談になり、彼の稼ぎはすべて欲望を満足させるために消えていき、彼は自分の性的衝動を抑えられない絶望を記して告白を終えている。熱心で協力的で性的に早熟なニンフは至るところにいるために、彼には将来自分の衝動を抑えられるという望みはない。

カーリンスキーはエリスのことについて、『ナボコフ自伝』大津栄一郎訳、晶文社)ではさりげなくふれているだけだが、そのロシア語版『別の岸辺』における明白な言及を示し、「告白」の後半の主題である「若い娘たちの虜になり、一見犠牲者にみえても実は性的にはるかに経験を積んでいる彼女たちに惑わされる男」は『ロリータ』のいくつかの部分と明らかに関係があると書いている。
ナボコフ自伝

そしてさらにウィルソンが後に『ロリータ』を嫌うようになったのは、エリスの『性の心理』における「告白」を提供し、『ロリータ』に刺激を与えたのがウィルソン自身であったからではないかと推測している。

『ロリータ』はアメリカで出版できず、パリのポルノグラフィ出版社オリンピア・プレスから一九五五年に刊行された。この事情と経緯については、「『ロリータ』事件」(ジョン・ディ・セイント・ジュニア『オリンピア・プレス物語』所収、青木日出夫訳、河出書房新社)を参照してほしい。
オリンピア・プレス物語

その前の五四年七月にナボコフは完成した『ロリータ』について、「これが出版されたらみんな刑務所行き」だと言われているが、「この長編は私が英語で書いた最高傑作だ」とウィルソンに書いている。八月の返信で、ウィルソンはその小説の生原稿をぜひ送ってほしいし、何としても見てみたいと述べ、十一月になって読んだ感想を手紙にしたためている。

 これはこれまで読んだ君のどの作品よりも気に入らない。元になった短編はおもしろかったのだが、あのテーマがこのように拡大されて扱われるに耐えうるとは思われない。みだらな主題でもいい作品を生み出すことはあるが、君がここで成功しているとは感じられない。登場人物や状況それ自体は嫌悪感を催すだけでなく、それがこのスケールで描かれると、まったく真実性を欠くように思われるのだ。

一九四〇年にナボコフがアメリカに到着していから、ウィルソンは長い歳月にわたり、ナボコフの文学の比類なき支援者であり続けていた。二人の本格的破局ナボコフプーシキン『オネーギン』に対するウィルソンの酷評と、五十七年のナボコフ家訪問日記の公開によって決定的になるのだが、『ロリータ』をめぐってすでにその前兆が表われていたと見なすべきだろう。
オネーギン

だがウィルソンが提供したエリスのフランス語版『性の心理』における「告白」と、ナボコフ『ロリータ』をめぐって起きた二人の「うずき」の真相ははっきりとつかめない。ロリータ・コンプレクス嫌悪があるならば、最初からウィルソンは「告白」など送らなかったはずだ。それにウィルソン自身がその「告白」を誰から知らされ、貸与されたのだろうか。

そのことを確かめるつもりでVisit to Nabokovも収録されているウィルソンの五〇年代の日記The Fifties (Farrar Straus and Giroux,1986) に目を通してみた。するとそこには『ロリータ』に関する言及はまったくなく、エリスや『性の心理』に対する記述も何も見つけられなかった。

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