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古本夜話84 花咲一男と岡田甫

しばらく間があいてしまったが、もう一度松村喜雄『乱歩おじさん』晶文社)に戻ろう。松村は花崎清太郎=花咲一男の『雑魚のととまじり』に言及し、石川一郎は探偵小説にしか興味がなかったけれども、花崎は乱歩の同性愛文献を見せてもらいたがっていたと書き、花崎が書いた土蔵の書斎に招じられた場面を引用している。

 部厚い海外同性愛文献の目録をテーブルの上におき、そこかしこの書物の山から、一冊二冊と引き抜いて、その目録に照合しながら講義のようなものが始まった。
 ヨーロッパ文学の古い部分、ギリシャ文学は、モエブ(ママ)叢書によって読み、その個所をチェックしてあった。バートンの「千夜一夜」は巻末のターミナル・エセーのそこかしこにチェックがあった。クラフト・エビングや、エリスの本は僕達も多少の馴染があったが、これらの正統派の外に、かなり絵と写真が入ったものが数冊あって、僕がそれらの本の頁をめくっていると、「君、それは俗受けのする大衆的なもので駄目なんだ」といって、ジョン・アデングトン・サイモンズ(ママ)の文字ばかりの本を示した。

そして松村や石川は探偵小説で乱歩と結ばれていたが、「僕はそれ以外のもので、師事した」と花崎は付け加えている。これは花崎が十七歳くらいの時の体験であった。このような体験を経た少年が古本屋廻りに熱中するようになったのは必然的な成り行きだった。
発禁本1
城市郎『発禁本1』(「別冊太陽」)の花咲一男の紹介によれば、花咲は「大正はじめ東京に生をうけ、私立商業を中退、文学趣味に芽生え、昭和七年に就職、勤めを終えると古本漁りに精を出し、成り行きで風俗物に魅入られ、北明関係の軟派本を蒐集」とある。その背景には松村を通じて知った乱歩との関係が潜んでいたのであり、花咲の「古本漁り」は「もう一つの面で乱歩に刺激を与えた」と松村は指摘している。それは花咲が知り合った古本人脈も含まれていると思われる。松村が昭和十九年に仏領インドシナ、ヴェトナムのハノイ大使府に赴任するにあたっての見送りに、乱歩と岡田甫の顔があり、それをきっかけに二人の交流が始まったと述べ、次のように書いている。

 岡田氏は江戸庶民文化研究の権威で、『柳多留』『末摘花』などに関する著作も多く、その研究では氏の右に出る者はいない。私ははじめ花崎清太郎の紹介で岡田氏を知った。それから、岡田氏の紹介で、松川健文氏、阿部主計氏などと知り合った。
 その頃岡田氏は早稲田グランド坂上で「オランダ書房」という古本屋を開業していた。そこが一種の社交場になり、私たちは昼食、夕食を御馳走になって、一日中駄弁っていた。岡田氏は江戸文学のみならず、内外の文学にくわしく、とくに探偵小説は活字になったものはほとんど読んでいるほどの探偵小説通であった。

岡田は竹内道之助が発売所を風俗資料刊行会、発行所を日本愛書家協会と名乗って出していた『匂へる園』終刊第五輯付録の「性的珍具辞典」の編者であるから、やはり梅原北明の出版人脈の一人だったと考えられる。松川(葛城前鬼)は戦後初めて荷風『四畳半襖の下張り』(『荷風全集』第12巻所収、岩波書店)を秘密出版し、『新註誹風 末摘花』(ロゴス社)の出版と合わせ起訴されている人物だが、阿部に関しては不明である。松村は「オランダ書房関係のエピソードの数々を書けば、梁山泊さながら、ゆうに一冊の読物が出来るほどである」と書いている。
荷風全集 第12巻

戦後になって、花咲は近世風俗研究会、岡田は近世庶民文化研究所を主宰し、近世のポルノグラフィを少部数で刊行している。花咲の近世風俗研究会、岡田の近世庶民文化研究所については、斎藤夜居『大正昭和艶本資料の探究』芳賀書店)にそれぞれ言及がある。

その岡田の著作を一冊持っている。それは『奇書』と題され、内容は「秘本」にして「忘れられた傍系文学」を巡るエッセイ集といえよう。江戸三大奇書のひとつ『逸著聞集』、元禄期の艶笑文学の傑作『好色四季咄』、遊里白書とでも称すべき打明け話『奇諸遊芥子鹿子』、江戸時代の随筆の珍書『独寝』、上方系艶本『水のゆく末』などが二十編にわたって紹介され、もう一人の尾崎久彌といった印象も伝わってくる。ただ私はそのような分野に通じていないので、これらについて語る資格もないし、素養にも欠けている。

『奇書』は昭和三十六年の刊行になっているが、ただわかるのはこの一冊において、昭和初期の艶本出版人脈が完全に復活していることだ。奥付を見ると、版元の有光書房は温故書屋、坂本書店を手がけていた坂本篤が発行者、印刷は三笠書房などを担当し、後に二見書房を興した堀内文治郎、装丁は書物展望社斎藤昌三である。そして巻末の「有光書房刊行書目」には岡田や山路閑古の他に、高橋鉄林美一の著作も掲載され、戦後の『あまとりあ』や『人間探究』系の人々も合流していると推測できる。それらの関係は出版業界の地下水脈としてずっと保たれていたのだろう。

なお「あとがき」の謝辞に平井太郎=乱歩の名前も見えている。


《付記》
 月末進行のため、[古本夜話]を30日と31日に、[出版状況クロニクル]を1日に更新する。

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