出版・読書メモランダム

出版と近代出版文化史をめぐるブログ

26 ナショナリズム、及び売捌としての日本力行会

◆過去の「謎の作者佐藤吉郎と『黒流』」の記事
1 東北書房と『黒流』
2 アメリカ密入国と雄飛会
3 メキシコ上陸とローザとの出会い
4 先行する物語としての『黒流』
5 支那人と吸血鬼団
6 白人種の女の典型ロツドマン未亡人
7 カリフォルニアにおける日本人の女
8 阿片中毒となるアメリカ人女性たち
9 黒人との合流
10 ローザとハリウッド
11 メイランの出現
12『黒流』という物語の終わり
13 同時代の文学史
14 新しい大正文学の潮流
15 『黒流』の印刷問題
16 伏字の復元 1
17 伏字の復元 2
18 ストーカー『吸血鬼ドラキュラ』
19 モーパッサン『ベラミ』
20 ゾラ『ナナ』
21 人種戦としての大衆小説
22 東北学院と島貫兵太夫
23 日本力行会とは何か
24 日本力行会員の渡米
25 アメリカと佐藤吉郎


26 ナショナリズム、及び売捌としての日本力行会


 


島貫兵太夫の日本力行会は外国人宣教師によって始まったキリスト教による民間社会事業の系譜に属し、山村軍平の日本救世軍の影響を受けているのは明らかだが、海外発展運動をその中核にすえたために、強いナショナリズムの色彩を帯びることになったと解釈してもいいだろう。島貫の盟友にして仙台神学校の同窓で、東北伝道をともにした酒井勝軍が日ユ同祖論者になり、屈折したナショナリストに変貌したことも想起される。彼は力行教会の牧師も務めていた。

その文脈で考えれば、『黒流』は「力行奮闘の歌」を実践したナショナリズム小説のようにも読める。だがこの凶々した物語は見てきたように悲劇として終わる。それについて、佐藤吉郎は「自序」で、「神が、邪悪に対してすらも我々は、正義の立場に立って行かねばならぬ事を教へて居るのだが、此の悲劇に到達せしめたとも云ひ得るであろう」と記している。だからこそ「ヨハネ黙示録」の一節がエピグラフとして掲げられたのである。したがって奇妙なねじれを伴って、この『黒流』という小説は成立したことになる。

明治から大正にかけての日本力行会に投影されたキリスト教と『聖書』、苦労力行と社会事業、移民と海外発展運動、日清、日露戦争によるナショナリズムの昂揚、白色人種と有色人種間の「人種戦」、アメリカにおける排日の動きといった様々なファクターが渾然一体となって、『黒流』の中に流れこんでいるのは明白であり、それらが佐藤吉郎の放浪体験や想像力と相乗し、あのような物語が形成されたのであろう。しかもそれはすでに指摘したように、ヨーロッパ世紀末文学に物語祖型を仰ぎ、男と女の「両性間の闘争」を隠れたるテーマならしめたのだ。

そしてまた日本力行会の歴史を追うことで、『黒流』の奥付の「大売捌所」に日本力行会が挙がっている事情も明らかになった。苦学の手段、救済のために、会は行商から始め、定額収入と勉強時間が保証される新聞と牛乳の配達に移ったが、牛乳は生もので競争相手も多いために、次第に新聞主体になり、明治三十六年頃には三千部を配達し、東京の新聞配達界に相当の重きをなす存在に至ったという。出版業界における取次の前身は新聞の「売捌」から始まり、次第に雑誌や書籍も取り扱うようになり、取次へと変貌していったのであるから、当時は日本力行会も新聞の有力な「売捌」だったと推測できる。先に明治三十七年頃の力行会の組織図を示したが、そこには出版部と印刷部も含まれているので、力行会は機関紙『力行』や島貫の著書などを刊行する出版社と印刷所を兼ねていて、新聞配達(売捌)のルートでこれらの雑誌や書籍が流通販売されていたのではないだろうか。他社の出版物の取次についての記述はないが、おそらくキリスト教関連の雑誌や書籍は確実に取り扱っていたと思われる。

さらに力行会は大正時代から海外巡回図書箱の発送を始めている。これは永田が南米を視察した際に、日本移民の小学校や家庭を訪れ、どこにも図書らしきものがないのを見て、思いついたものだった。これは頑丈な木箱に書籍を入れ、蓋に図書目録を記し、巡回させるというアイデアで、帰国後にこの計画を広く訴え、徳富蘇峰などの尽力もあり、二万冊が集まり、「力行会海外巡回図書箱」のゴム印が押してある本が南米の各地で読み継がれていった。このような日本からの書籍の供給は南米ばかりでなく、会員のいる海外の各地に行なわれたと考えられ、その力となったのが雑誌や書籍の流通取次部門だったのではないだろうか。力行会の刊行物はもちろんのこと、海外の会員たちが望んでいる出版物もこのルートを通じて届けられたのではないだろうか。

このように考えてみると、『黒流』の奥付に「大売捌所」として、どうして日本力行会の名前が挙がっているのか、了承される。作者の佐藤吉郎も、出版社の東北書房も揃って無名であるので、日本力行会が流通販売に関して全面的にバックアップし、『黒流』は刊行されたのではないだろうか。そして東京堂以下の五大取次が記されているのも、取次としての日本力行会の関係からで、実際には見本として各取次の店売に置かれただけだったのかもしれない。それに当時としても、『黒流』の伏字の多さは流通販売の障害になったと思われる。したがって五大取次を通じて全国に配本されず、流通販売が日本力行会に限られていたために、『黒流』は入手困難にして「幻の小説」になってしまった可能性もある。

次回へ続く。