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古本夜話92 ヴァン・ダイン、伴大矩、日本公論社

江戸川乱歩『探偵小説四十年』の中で、日本におけるエラリー・クイーンヴァン・ダインのいち早い紹介者兼翻訳者が、伴大矩であったと書いている。少し長くなるが、その部分を引いてみる。
探偵小説四十年

 伴大矩君は、別名の露下紝と両方を使いわけて、翻訳工場式に拙速翻訳をやった人で、学生などに下訳させたものがあったのではないかと想像されるが、本人はアメリカに住んだことがあり、アメリカ語には通じていたようだし、ヴァン・ダインなどとも文通して、アメリカの事情にも詳しかったので、クイーンが評判になっていることも、いち早く気づいたのであろうと推察する。伴大矩君はアメリカ在住時代にけがをしたのか、足が悪くて外出が不自由だったので、外部との折衝は主に奥さんがやっていた。私は後にこの人の訳本『エジプト十字架』に序文をたのまれて書いたことがあるので、いくらか交渉はあったが、本人には会っていない(後略)。

しかし伴大矩のカーの『魔棺殺人事件』は悪訳で、他にも序文を頼まれたが、「翻訳が拙速の商業主義」だったために断わったところ、「商業として翻訳をやっているものだから、そんな良心的なことをいわれても困る」という返事の手紙がきたとも乱歩は記している。横溝正史『横溝正史自伝的随筆集』角川書店)の中で、博文館の『探偵小説』編集長時代に、伴がクイーンの『オランダ靴の秘密』を持ちこんできたエピソードを記し、乱歩と同様の感想をもらしている。
横溝正史自伝的随筆集

伴大矩の翻訳を出した出版社は日本公論社である。私はそれを二冊持っていて、やはりヴァン・ダインの『賭博場殺人事件』(昭和九年)、『競馬殺人事件』(同十年)で、いずれも疲れが目立つ裸本である。後者の巻末広告を見ると、日本公論社は探偵小説以外の本も刊行していて、乱歩の認識と異なり、むしろ探偵小説も出している出版社と考えたほうがいいだろう。探偵小説では伴訳のヴァン・ダインの『狂龍殺人事件』、乱歩が序文を書いたというクイーンの『エヂプト十字架の秘密』の他に、やはりクイーンの『ロオマ劇場事件』(川井蕃訳)、メイスンの『モンブランの少女』(野阿千伊訳)が掲載されている。

伴大矩なる訳者名がヴァン・ダインをもじっていることはただちにわかるが、伴がアメリカに住んだことがあり、ヴァン・ダインと文通していて、アメリカの探偵小説に通じていると乱歩が判断したのは、『競馬殺人事件』(The Garden Murder Case)に寄せた伴の「まへがき」によっている。それを伴はヴァン・ダインに宛てた手紙形式で述べ、滞米時代に体験した競馬のエピソード、『トリビューン』の記者とヴァン・ダインが今度は競馬についての事件を書くのではないかという話をしたことなどを織りこんでいる。これを読んで、乱歩は伴からヴァン・ダインと文通していると誤解したと思われる。アメリカでの原書の刊行が一九三五年にもかかわらず、同年の十二月に日本で伴によって翻訳刊行されたことも、乱歩の誤解を相乗させたとも感じられる。しかし後述するように、伴はアメリカへ行っていない。

さて伴の翻訳の「拙速の商業主義」だが、戦後の『ガーデン殺人事件』(井上勇訳、創元推理文庫)と照らし合わせてみると、明らかに半分近くが省略された抄訳だとわかる。それに井上もこれが初めての全訳だと述べている。しかしそれは伴訳ばかりでなく、春秋社の翻訳も同様であり、この時代の翻訳の共通性であり、それほどとがめるに値する問題ではない。乱歩の言わんとするところは、カーに見られるような度をこした「悪訳」があったということなのだろう。
ガーデン殺人事件

最初にこれを読んだ時は伴が誰だか判明していなかったが、若狭邦男の『探偵作家追跡』日本古書通信社)が出現するに及んで、伴が誰なのか明らかになった。実は伴は八切止夫だったのである。八切に関してはもう一編 次に書くつもりでいるので、ここで止めておく。
探偵作家追跡
しかし若狭の前掲書に続く『探偵作家尋訪―八切止夫・土屋光司』(同前)を通じて知った土屋の『十字路をゆく』(江崎書店、昭和四十五年)の中に、日本公論社がでてくる場面を見出したので、それだけは書いておきたい。
探偵作家尋訪―八切止夫・土屋光司

『十字路をゆく』は小説仕立てになっているが、戦前に英文学を専攻し、翻訳者を志した青年の自伝と見なしていい。主人公の土居はたまたま後に『矢の家』福永武彦訳、創元推理文庫)で知られるメイスンの原書『流れる水の音』を持っていて、その翻訳を二百枚まで進めていた。その頃、同じ作者の『モンブランの乙女』が出され、書店で確かめると、はやり同じ作品で、出版を断念するしかなかった。
矢の家

しばらくして、友人が原稿の売りこみに際して、その出版社は翻訳物も出ているので、一緒にいかないかと誘われ、そこを訪ねた。「神田の大きなビルの一室に『東邦公論社』と札がかかっている。私はハッとした。なんということか。これがあの『モンブランの乙女』を出したところではないか」。

「東邦公論社」となっているが、『モンブランの乙女』の版元とされているから、日本公論社と断定してかまわないだろう。これをきっかけにして、土居はアントニイ・バークレイの『絹靴下殺人事件』、クロフツの『マギル卿最後の旅』や『船から消えた男』、メイスンの『オパールの囚人』などの探偵小説の翻訳者になっていく。「印税は(中略)一冊訳しても、一ヶ月の生活費そこそこで」あったが。さらに土居は東邦公論社の社長の白井から、新聞記者が書いた、パール・バック『大地』にあたる『中国の苦悩』という本の翻訳を頼まれたりもした。白井は文学にまったく関心がなく、編集者の守田に仕事をまかせ、ほとんど会社に顔を見せなかったが、ただ中国問題には深い関心があったからだ。この白井は『競馬殺人事件』の奥付の発行者の黒澤正夫であると思われる。
大地

伴大矩=八切止夫もおそらく土居のような経緯で、日本公論社の探偵小説の翻訳者になっていったのではないだろうか。

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