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古本夜話97 岡本綺堂と『世界怪談名作集』

森下雨村延原謙も、また渡辺温にしても、改造社『世界大衆文学全集』の訳者陣に加わった経緯、及び翻訳、代訳事情について、記録を残していない。それは他の多くの訳者たちも同様だが、ただ一人だけそのことをかなり詳細に日記に記している作家がいた。それは第三十五巻の『世界怪談名作集』を担当した岡本綺堂である。同書は河出書房新社から復刻されている。

世界怪談名作集 上 世界怪談名作集 下

もちろん青蛙房刊行の『岡本綺堂日記・続』は第一巻目の『岡本綺堂日記』が大正十二年から十五年のものであることに対して、昭和二年から五年にかけてのものなので、はからずも綺堂による円本時代の証言となっている。綺堂もまたこの四年間に『明治大正文学全集』『日本戯曲全集』(いずれも春陽堂)、『現代大衆文学全集』(平凡社)、『現代日本文学全集』『世界大衆文学全集』(いずれも改造社)などの主たる円本の著者・訳者として召喚され、あわただしい円本時代の日々を過ごしていたことが日記から伝わってくる。

岡本綺堂日記・続 岡本綺堂日記

ここでは『世界怪談名作集』のことだけを追跡してみる。その発端は昭和三年一月九日であり、次のように述べられている。

 改造社の高平君が橋本君同道で来て、今度同社で在束の現代日本文学全集のほかに欧米大衆文芸全集を発行するに付、わたしにも怪談集一冊を担任してくれといふ。全部翻訳物で、一冊が九百枚ぐらゐの予定ださうである。兎も角も承諾。

しかし他の円本全集の仕事や『支那怪奇小説集』の翻訳などが重なり多忙で、実際にその準備に取りかかったのは翌年の三月二十二日になってからだった。「日本橋丸善にゆき、怪談小説八種を買ふ。世界大衆文学全集の原稿用である」。それから『世界怪談名作集』のために神田で洋書六冊を古本で買い、洋書の読書と翻訳が始まっていく。改造社は原稿を急いでいるので、「とても私ひとりでは遣り切れない。先づ大体に眼を通して、その材料を選択し、二三人に翻訳を助けて貰はなければならない」。そこで「林二九太君」なる人物が選ばれる。自らはモーパッサンの「幽霊」の翻訳に取りかかっている。

そして四月になって、さらに丸善で「怪談種本三冊」を買ったり、知人所有の「ベスト・ゴースト・ストーリース」を借覧したりして、一ヵ月で「病気以来の勉強」という二百余枚の翻訳を仕上げる。五月にもほぼ同じ枚数を翻訳し、さらに「世界怪談名作集に編入した原作者十八人の小伝をかく。エンサイクロペデアなどを繰つて一々取調べるのが、なかなかうるさい」。六月は百三十余枚、七月は四十四枚を翻訳し、綺堂自らの担当の分は訳了にこぎつけたようだ。綺堂は当初の九百枚の予定のうちの六百枚を受け持ち、残りを「林二九太君」他が代訳したことになるのだろう。

そのようにして翻訳編集された『世界怪談名作集』初版は五万八千部、追加一千部で、それらの部数の「奥付捺印」をした事実も七月末の日記に書きこまれ、八月初旬に改造社から著者用に五十部が届いたとの記述もあるので、ほぼ同時期に発売されたと思われる。

これらの記述からすれば、代訳は含まれているにしても、作者と作品の選択は綺堂自らの手になることは明白であり、そこに編まれた作者と作品はどのようなラインナップなのだろうか。綺堂はその「序」において、ここに編まれた「外国の怪談十六種、支那の怪談一種」は「その大多数がクラシック」で、「世已(よすで)に定評ある名家の作品のみを紹介する」と述べている。それらの「名家の作品」を見てみると、綺堂が英語に通じていることは承知していても、リットン、ディケンズ、デフォー、キプリングなどの英国の作品、ゴーチェ、フランス、モーパッサンといったフランスの作家に加えて、ロシアのプーシキンやアンドレーエフ、アメリカのホーソンやビアースたちが顔を揃えていて、その組み合わせは綺堂のイメージと異なる印象を与える。

しかしあらためて考えてみると、そこにドイルの名前も見えているが、綺堂が六十八編に及ぶ『半七捕物帳』を書き継いでいったのは、シャーロック・ホームズ物にインパクトを受けただけでなく、このような幅広い欧米の小説を読むことによって、絶えざる刺激と物語へのヒントを得ていたからではないだろうか。
半七捕物帳

例えば、モーパッサンの「幽霊」は綺堂が日記に書いているように、自らの翻訳であるが、どうしてこの一編を選んだのかというと、これが老人によって語られる「鳥渡凄味のある話」だったからのように思われる。この短編は前置きに続く「そのうちにド・ラ・トウル・サミュールの老侯爵が起ち上がつて、暖炉の枠によりかゝつた。侯爵は当年八十二歳の老人である。かれは少し慄てるやうな声で、次の話を語り出した」という一文から始まっている。『半七捕物帳』も半七老人が語り出すことによって、様々な事件が展開されていくのである。その意味において、モーパッサンの「幽霊」は共通しているといえよう。

「幽霊」は戦後になって青柳瑞穂訳でも春陽堂『モーパッサン全集』2に収録されているが、その訳文は「老人がやおら立ち上がり、暖炉のところへ行って、よりかかるや、声さえいくぶん震わせながら、こう言った」とあり、綺堂訳とそれこそ「語り口」が異なっているとわかる。両者の全文を比べてみると、綺堂の訳文が英語からの重訳であるにもかかわらず、この物語に独特の陰影を添え、青柳の仏語からの直訳よりも、こちらに翻訳の軍配を上げたくなる。

私は同じく『世界大衆文学全集』第二巻のエクトール・マローの菊池幽芳訳『家なき児』を「菊池幽芳と『家なき児』」(『古本探究 3』所収)で、かなり綿密に戦後の訳と比較したことがあったが、前回のポーの渡辺温訳といい、この全集の翻訳は注目すべき仕上がり、それなりのひとつの達成を示していたのではなかっただろうか。
古本探究 3

それゆえに戦後になって改造社が消滅してしまったことも作用しているだろうが、様々なダイジェスト的な児童文学版のリライトのための絶好のテキストになったと思われる。

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