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古本夜話98 「心理試験」と中村白葉訳『罪と罰』

江戸川乱歩に関する事柄を長きにわたって書き続けてきた。松村の『乱歩おじさん』も興味深いが、それほどまでに『探偵小説四十年』も次々と関心を募らせる、広範な大正から昭和にかけての近代出版史、文化史を投影させた自伝を形成しているのだ。
探偵小説四十年

最初の章の「処女作発表まで」において、「谷崎潤一郎ドストエフスキー」という一項を立てている。乱歩が谷崎の初期の小説に「わが隣人」的関心をそそられていたことはすでに書いているので、ここではドストエフスキーのことにふれてみたい。『新青年』に「二銭銅貨」でデビューするのは大正十二年であるから、乱歩はそれまで「職業転々時代」を過ごし、その間に谷崎、続けてドストエフスキーに遭遇している。それを乱歩は次のように書いている。

 ドストエフスキーの方はそれより少し後、鳥羽造船所にいたとき(大正七年)あの新潮社の部厚い小型本の翻訳叢書で、まず「罪と罰」を、つづいて「カラマーゾフ」を、息もつかずに読み終った。これは谷崎以上の驚異であった。ドストエフスキーを逃避の文学というのではないが、私はこれを日常的リアルとしては驚異しなかった。ドストエフスキーの中の人為的なものに、その哲学に、その心理に圧倒されたのである。そこに現われる諸人物は、日常我々の接する隣人に比べて、殆んど異人種と思われるほど意表外の心理を持ち、意表外の行動をしていた。それでいて、人間の心の奥の奥にひそむ秘密が、痛いほどむき出しに描かれていた。日常茶飯事とは逆なもの、即ち私の最も愛するところの別のリアルがそこにあった。その後数々の翻訳小説を読んだが、(中略)いずれもドストエフスキー初読のような驚異は感じなかった。

乱歩が読んだ「あの新潮社の部厚い小型本の翻訳叢書」の『罪と罰』『カラマーゾフの兄弟』を持っている。ページを繰ってみると、そうか、百年近く前に乱歩がこれと同じ本を読んでいたのかという感慨が浮かんでくる。前者は中村白葉訳の二巻、後者は米川正夫訳の三巻で、大正五年から刊行され始めた『ドストエーフスキイ全集』収録のものである。奥付を見ると、第九版から十四版を重ねていて、よく売れていたことを示し、それを買い求めた当時の読者の一人が乱歩だったのだ。

罪と罰 カラマーゾフの兄弟

訳者の中村白葉はその自伝『ここまで生きて―私の八十年』河出書房新社)において、失業していた時に、かつての『文章世界』の投書仲間で、新潮社の編集幹部になっていた加藤武雄の来訪によって、『罪と罰』の翻訳が始まったと記している。

 来訪の用件は、今度新設する新潮社文庫のためにドストイェフスキイの『罪と罰』新訳の依頼であった。(中略)私はさっそく喜んでその準備にとりかかった。
 『罪と罰』は私にとり、長編作の処女訳であり、ちゃんとした本になった最初の仕事である。私は、その夏いっぱいかかって、七分冊中の第一分冊―四百字詰めで二百枚の新訳を脱稿した。

中村のいう「新潮文庫」とは大正三年に始まった第一次の文庫で、海外の必読名作を収録する企画であった。しかし中村は『罪と罰』の原書を持っていなかったので、同じ文庫で『白痴』を訳すことになる米川正夫からそれを拝借する。その原書は「略装小型全集版」の上下二冊だったというから、新潮社版の全集もそれにならって、同じ小型本になったのではないだろうか。
白痴

しかし興味深いのは中村の証言で、新潮文庫はかなり売れたはずだし、その後も全集となったりして何度も刊行されたが、円本の『世界文学全集』(新潮社)や岩波文庫が刊行されるまで、翻訳は印税ではなく「一枚いくらという『売切り』」が多く、翻訳専門家はほとんどいなかったとも述べている。

少年時代に乱歩の「心理試験」を読み、それからドストエフスキーの『罪と罰』へと移った時、両者は似ていると一読して思った。心理試験のほうはともかく、大学生による金貸しの老婆殺しはまったく共通していたからだ。ここでの「心理試験」は光文社文庫の『江戸川乱歩全集』第一巻所収を参照している。
江戸川乱歩全集 第1巻

『探偵小説四十年』にはそれらのことは告白されていないが、それでも第二のトリックを『罪と罰』から拝借したと率直に語っている。「心理試験」は『新青年』の大正十四年二月号掲載だから、乱歩が読んでからしばらくタイムラグがあるが、「考えること」を仕事にしている青年が犯す老婆殺しの物語が頭から離れていなかったにちがいない。

明治二十三年に内田魯庵が『罪と罰』(『明治翻訳文学集』所収、筑摩書房)を英訳から重訳刊行し、それは北村透谷や島崎藤村などの『文学界』の人々へと大きな影響を与えた。しかし大正時代にロシア語から直接訳された中村白葉訳『罪と罰』は乱歩の「心理試験」を始めとする多くの探偵小説、それと並んで新しい大衆文学である時代小説にも多様な波紋を及ぼしていったと思われる。乱歩は「考えること」を仕事にしている青年の中に探偵と殺人者の両面を見て、ラスコリニコフを分裂させることによって、探偵と犯人の物語を紡ぎ出していったのではないだろうか。またこれは中村訳出現以前の大正三年であるが、中里介山『大菩薩峠』の冒頭での老巡礼殺しも、『罪と罰』の陰影が落ちているようにも思われる。
大菩薩峠

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