出版・読書メモランダム

出版と近代出版文化史をめぐるブログ

33 日本人移民の暗部

◆過去の「謎の作者佐藤吉郎と『黒流』」の記事
1 東北書房と『黒流』
2 アメリカ密入国と雄飛会
3 メキシコ上陸とローザとの出会い
4 先行する物語としての『黒流』
5 支那人と吸血鬼団
6 白人種の女の典型ロツドマン未亡人
7 カリフォルニアにおける日本人の女
8 阿片中毒となるアメリカ人女性たち
9 黒人との合流
10 ローザとハリウッド
11 メイランの出現
12『黒流』という物語の終わり
13 同時代の文学史
14 新しい大正文学の潮流
15 『黒流』の印刷問題
16 伏字の復元 1
17 伏字の復元 2
18 ストーカー『吸血鬼ドラキュラ』
19 モーパッサン『ベラミ』
20 ゾラ『ナナ』
21 人種戦としての大衆小説
22 東北学院と島貫兵太夫
23 日本力行会とは何か
24 日本力行会員の渡米
25 アメリカと佐藤吉郎
26 ナショナリズム、及び売捌としての日本力行会
27 『黒流』のアメリカ流通
28 浜松の印刷所と長谷川保
29 聖隷福祉事業団と日本力行会
30 日本における日系ブラジル人
31 人種と共生の問題
32 黄禍論とアメリカ排日運動


33 日本人移民の暗部

しかし日本力行会員のような移民が存在する一方で、『排日の歴史』の中に「貧民と売笑婦」という一章が設けられているように、棄民とも称すべき人々がアメリカに押し寄せていたことも事実である。もちろんそれは日本人だけでなく、中国人、ユダヤ人、イタリア人、東欧人も移民の初期においては同じで、言ってみれば、「十九世紀のアメリカは世界中の貧困者の吹きだまりだった」のだ。それは必然的に『黒流』に書かれているようなアンダーグラウンドを、同じく差別された「人種」ともどもアメリカの各地に形成することになった。『排日の歴史』は在ワシントンの日本大使館の書記官の証言を引いている。「日米紳士協約」の頃のコロラド州の首都デンヴァー市の状況である。

 当市に在留する日本人の数は、付近の農場または鉄道工事に働く労働者でときどき市にやってくる者も含めて五、六百ぐらいになろうか。市に在留している者および市に出入りする者は、デンヴァー市の最も場末のいくつかの町に雑集し、そこに日本人町をつくりあげている。この日本人町は中国人街とユダヤ人街、それに白人醜業婦の巣窟になっている地域と入りまじり、市内の最下級の不潔な一帯である。
 この町にはいると、狭い道路の両側に、古い安普請の家が立ちならび、その店頭には、飲食店、宿屋、床屋、風呂屋、球突場など、日本語で書かれた不体裁な看板や行燈が多く垂れ下がっていて、みる者に異様な感じを与えずにおかない。この辺一帯の光景はどんなにひいき目にみても、健全な人種が住んでいる居住区とは思はれぬ。特に夜にはいると、あやしげな服装をした浮浪者やごろつきが群をなして、球突場や中国人の経営する賭博場に出入りしており、窓々からは卑猥な声が遠慮会釈もなく洩れてきて、そのひどさは言語道断である。

同時代において、アメリカで成功を収めた日本力行会員たちのことを記したが、一方ではこのようなアンダーグラウンドに棲息するしかなかった日本人移民も多くいたのだ。彼らは将来を約束された所謂「洋行者」ではなく、あくまで棄民的な色彩を帯びた「移民」に他ならなかったからだ。大正時代に入ると、これらの状況は多少なりとも改善されたようだが、『黒流』の記述からすれば、各地にまだ残存していたように思われる。それに日本大使館の書記官が述べている「日本人町は中国人街とユダヤ人街、それに白人醜業婦の巣窟になっている地域」と一緒になっている「最下級の不潔な一帯」こそは『黒流』の中に登場するアンダーグラウンドにふさわしい場所のように映ってくる。


  
おそらく佐藤吉郎は『黒流』の荒木雪夫と同じルートでアメリカに入国したのであろう。日本力行会のキリスト教に基づく理念と「力行奮闘の歌」に示されたジェスイット的な戦士の思いを秘めて。そしてアメリカの各地の農場からアンダーグラウンドまでの放浪を繰り返し、アメリカが「階級戦」を孕んだ「人種戦」の戦場であることを身を持って知った。ナショナリズムに目覚めた日本人として、その「人種戦」を「白日の下に曝されても恥しくない正義の力」(自序)によって闘わなければならない。闘いの装置として、武器のようにして、一編の長編小説が構想される。長編小説もまたある意味では白色人種のヨーロッパ社会が「階級戦」と「人種戦」を内包させて生み出した近代文学の落とし子と言えるし、植民地を含めた帝国主義の膨張と重なり合う側面を持っている。だからその要素を逆手にとって、アメリカの「人種戦」に抗する小説を構想するに至る。
『吸血鬼ドラキュラ』の中に引用されている「書く物をくれ、早くくれ! 書くことが対戦なのじゃ」というハムレットの言葉を、本連載21 人種戦としての大衆小説に挙げておいたが、この叫びこそは『黒流』の「自序」の言葉と共鳴し合っているように思われる。そしてまたこの長編小説に『聖書』の世界が重ねられ、その主人公はヒーローにして神のような役目を演じなければならない。それゆえに『ヨハネ黙示録』の一節がエピグラフとして挙げられているのだ。
吸血鬼ドラキュラ

もう一度「自序」の前半を要約してみる。

 *今日地球上における最大の問題は階級戦と人種戦である。
 *小説『黒流』は人種戦に対して、ある暗示を与えている。
 *主人公の荒木雪夫は日本人で、有色人種提携の急先鋒にして人道と平和を渇仰する人間である。
 *一方で彼は地に平和をもたらすために血を流すことを余儀なく認め、運命にも導かれ、白色人種の横暴に対して、毒には毒を以って制するという闇に叫ぶ人間となった。
 *だが彼は近代人でしかありえず、英雄主義を遵奉しながらも、近代人のデリカシーから脱け出せず、最後に大悲劇的運命に逢着することになる。
 *彼の近代人としての性格の弱さが悲劇をもたらし、この悲劇こそは邪悪の行方を示し、神が正義の立場にいなければならないことを教えているのである。

次回へ続く。