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古本夜話113 藤沢親雄、横山茂雄『聖別された肉体』、チャーチワード『南洋諸島の古代文化』

前回『猶太思想及運動』『四王天延孝回顧録』の四王天が、パリやジュネーブの国際連盟に出向していたことは既述したが、それは大正十三年から昭和二年にかけてだった。彼は『回顧録』の中でそれを、「現職生活中公私共に最も印象深いものの一つ」と述べていた。

同時代の国際連盟に深く関わった日本人がいる。それは藤沢親雄で、彼は大正八年に元満鉄総裁松岡均平に随行し、その前年から同連盟の事務局次長であった新渡戸稲造の知遇を得て、そのまま事務局情報部に入り、同十一年までジュネーブにとどまっている。この二人の国際連盟時代の大正十年、及び十一、十二年にかけて、国際連盟総会や委任統治委員会に出席するためにジュネーブに滞在したのは柳田国男であった。

柳田国男研究会編『柳田国男伝』(三一書房)における「国際連盟時代」によれば、委任統治委員会の議題は、第一次世界大戦後を受け、それまでの帝国主義諸国に分割領有されていた植民地を国際連盟のもとで管理し、その任務をそれまでの経緯や地理的位置などによって、最適任の先進国に委任することであった。そして日本の委任統治地域は、大戦後に日本の占領下にあった赤道以北旧ドイツ領の南洋諸島に確定した。これもまた本連載で後述するつもりだが、柳田も含めて南島への関心と出版物の隆盛は、この国際連盟での確定が大きな転回点になったと思われる。またそれと同時に『柳田国男伝』は「パレスチナ問題」という一項を経て、柳田がパレスチナやユダヤ問題、つまりパレスチナ委任統治問題に大きな関心を寄せ、パレスチナ出張を働きかけ、外務省から差し止められ、それが委任統治委員会委員の辞任へとつながっていったと指摘している。

その柳田の当時の「瑞西日記」(『定本柳田国男集』第三巻所収、筑摩書房)の中に、「藤沢君」の名前が最も頻繁に記され、ジュネーブと国際連盟時代における二人の親密な交流をうかがわせている。だがこの藤沢君は『柳田国男伝』において、同連盟事務局情報部の日本エスペラント学会員として一度だけ名前を挙げられているにすぎない。

もう少し詳細に藤沢の生涯をたどると、その遺稿である著書『創造的日本学』(日本文化連合会、昭和三十九年)所収の年譜などによれば、明治二十六年に数学者で、後の貴族院議員藤沢利喜太郎の長男として生まれ、東大時代は吉野作造門下で、新人会に属していたようだ。そして農商務省に入り、国際連盟に赴くことになるのだが、その後にベルリン大学にて哲学博士号を取得し、九州帝大教授を経て、文部省国民精神文化研究所、大政翼賛会の要職を務め、戦後は学術団体日本文化連合会を結成し、日大教授などを歴任となっている。

この藤沢が、横山茂雄の『聖別された肉体』(白馬書房/風の薔薇)のローゼンベルクの『二十世紀の神話』を論じたところに、「藤沢親雄のようなナチの讃美者、紹介者でもある体制側知識人」として出てくる。そして横山はこの「オカルト人種論とナチズム」のサブタイトルを付した一冊の「附録」2として、「玄米、皇国、沈没大陸」を加え、再び藤沢に言及し、私が前述したような紹介の後、次のように書いている。
聖別された肉体

 共産主義攻撃の論客として登場した彼は、ファシズム、ナチズムの讃美、紹介に努めるいっぽうで、皇国思想の体系化、理論化に没頭するのであるが、その作業を進めるうちに出会ったのが、契丹古伝や竹内文献といった偽史であり、彼はその世界にのめりこんでいく。偽史を用いれば、天皇に率いられた古代大和民族の至高性を証明せんとする藤沢の望みは達成されるのだ。

そして藤沢は、ローゼンベルクがゲルマン民族の原郷として失われた大西洋のアトランティス大陸を求めたように、日本民族の出自は古代に太平洋に沈没したムー大陸にあるとの認識に至る。ムー大陸こそは世界文明の根源の地でもあった。国際連盟統治委員会において、日本の統治地域となった南洋にムー大陸が求められたのは偶然ではないだろう。それはゼームス・チャーチワードのThe Lost Continent of Mu,及び The Children of Mu(1931)に根拠を発し、藤沢はこの原書を仲木貞一に貸与し、昭和十七年に『南洋諸島の古代文化』として、岡倉書房により翻訳刊行させることになる。その見返し部分には「ムー大陸及びアトランチス大陸その他陥没したる陸地の地図」が掲載され、倒錯的地図としての日独同盟の奇妙な生々しさを伝えているかのようだ。

The Lost Continent of Mu The Children of Mu

仲木は、『日本近代文学大事典』を参照すると、明治十九年に金沢に生まれ、早大英文科卒、読売新聞記者を経て、劇作家となっている。だが藤沢と同様に、仲木もまた日ユ同祖論者であったようで、やはり偽史研究家の三浦一郎=三村三郎の昭和二十八年に出された『ユダヤ問題と裏返して見た日本歴史』(日猶関係研究会、復刻八幡書店)において、「早くから親ユダヤ陣営に参加した先覚者」で、「現関東大学教授、日猶懇話会理事、かつて『キリスト日本往来記』を脚色し国際映画八巻を作った人」と立項されている。その前には藤沢の名前が置かれ、同様に日猶懇話会理事、日猶関係研究会創立者の一人で、三村の同書もそこから刊行されたことになる。

さらにそこで三村が挙げている「親猶主義関係の人々」は小谷部全一郎を筆頭に、木村鷹太郎、酒井勝軍、安江仙弘、犬塚惟重も続き、反ユダヤプロパガンダに関わった人々が戦後になって、日ユ同祖論に基づく「親猶」へと転向していったことを物語っていよう。だが四王天延孝の名前はそこにない。おそらく冒頭に記したように、国際連盟とユダヤ問題を通じて、四王天と藤沢は交流があったはずだが、四王天は日猶懇話会などに加わらず、距離を置くようになっていたからなのだろうか。また藤沢と柳田国男の戦後の関係はどうなっていたのだろうか。

その他にも興味を募らせる人物の名前や写真が三村の著作に見える。それらの人々についても、これからも何人かは言及するつもりでいる。

さらに付け加えれば、横山茂雄は『聖別された肉体』の「あとがき」において、井村宏次からの教示と吉永進一の教唆を、感謝をこめて記している。この二人は昭和五十年代半ばに studies in esoteric tradition と銘打って刊行された『迷宮』の寄稿者で、その第3号に彼らの論稿がともに掲載され、横山も含め、彼らがオカルティズムに対する問題意識を共有していたとわかる。ちなみに風の薔薇と発売を同じくする白馬書房から『迷宮』は刊行され、井村は本連載でも後に言及する『霊術家の饗宴』(心交社)の原型となる「近代日本異端医療の系譜―維新以後の霊術家の饗宴」、吉永は「近代日本スピリチュアリズム史序説」を掲載し、後者は明治四十年代から始まる日本のスピリチュアリズム文献の手際のいい包括的紹介となっている。また第1号には藤沢も登場する「戦時下の偽史論争」の再録がある。
蒼霊術家の饗宴
これらをめぐる研究、出版ブーム面と、チャーチワードの『失われたムー大陸』などの大陸書房を始めとする出版社問題などについては戦後編において言及したいと思う。
なおここで横山のことだけを記してしておけば、彼はいうまでもなく本連載で何度も言及してきた水野葉舟の『遠野物語の周辺』の編者であり、稲生平太郎名で『アクアリウムの夜』(白馬書房/風の薔薇、角川文庫)、法水金太郎名でJ・G・バラードの『残虐行為展覧会』(工作舎)の翻訳を刊行している。

遠野物語の周辺 アクアリウムの夜 残虐行為展覧会

また柳田と藤沢のジュネーブ時代の関係は、大塚英志の『偽史としての民俗学』(角川書店)でも論じられている。
偽史としての民俗学


〈付記〉
誤植訂正は ExLibris=森洋介 の指摘によっている。以後はことわらない。

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