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古本夜話114 ローゼンベルク『二十世紀の神話』と高田里惠子『文学部をめぐる病い』

ノーマン・コーンは『シオン賢者の議定書』において、『プロトコル』、ヒトラー『わが闘争』、ローゼンベルクの『二十世紀の神話』を、ナチズムの三大聖典とよんでいる。そしてローゼンベルクと『二十世紀の神話』は『プロトコル』のユダヤ人の世界陰謀神話をプロパガンダし、ナチの反ユダヤ主義イデオロギーヒトラーゲルマン民族主義に結びつけられていった。いうまでもなく、その帰結はジェノサイドを正当化させ、ホロコーストへの道を準備したのである。だがこの時期のドイツの大学教授たちの読書思想史であるフリッツ・K・リンガーの『読書人の没落』(西村稔訳、名古屋大学出版会)はこれらの三大聖典にはまったくふれていない。

シオン賢者の議定書 わが闘争 上 読書人の没落

コーンはローゼンベルクの写真に、ナチ御用の「哲学者」にして「『プロトコル』の宣布と擁護のスペシャリスト」というコピーを添えている。しかしコーンによれば、ローゼンベルクは純血ゲルマン人ではなく、ユダヤ人の陰謀としてのボルシェヴィズムの権威を自称していたが、マルクスも読んだことがなく、社会主義やロシアの革命運動についてもまったく無知で、その情報は周辺の亡命ロシア人によっていた。だから彼の主著『二十世紀の神話』は他の著作の盗用や抄訳も多く、「読むに堪えない」もので、「実際には誰にも読まれなかったが(おそらくナチの指導者たちさえ読んでいないだろう)」。それゆえにこそ深く解読もされず、単純なチャートと歴史認識、民族観だけが独り歩きしてマスイメージを形成し、短絡に他ならない大きな影響を及ぼしたのであろう。

三大聖典のうちで最も売れ、最も読まれたのは『プロトコル』であり、『二十世紀の神話』は読まれなくてもそれを補完し、正当化する権威的書物と位置づけられ、また『わが闘争』へと架橋されていったからだ。

その『二十世紀の神話』が昭和十三年に中央公論社から、吹田順助、上村清延共訳で翻訳刊行されている。菊判箱入り、五百六十ページ余の大冊で、その箱には「ナチスの聖書完訳日本版」との表記があり、奥付を見ると、昭和十六年六刷とされているので、日本でもそれなりに売れていたとわかる。ちなみに続けて取り上げた久保田栄吉訳『世界顚覆の大陰謀ユダヤ議定書』も同年、『我が闘争』第一書房からの出版は同十五年であるから、日本においてもナチス三大聖典はほぼ同時期に翻訳されていたことになる。

中央公論社版をくってみると、一九三〇年初版、三一年第三版、三七年五十万部出版における「原著者」のそれぞれの「序」が置かれ、コーンがいう「誰にも読まれなかった」にしても、売れたことだけは間違いないだろう。初版の「序」にローゼンベルクは書いている。これはドイツの第一次世界大戦から三〇年代至るナチズムと『プロトコル』を反映させた社会状況を示している。

 一旦死んだ血が生命をもり返し始めるのである。血の深秘的な標徴の下に、独逸の民族魂の・新しい細胞組織が行はれるやうになつた。現在と過去は突如として新しい見方の下に置かれ、そして未来にとつては新しい使命が生じて来たのである。歴史と未来の問題とはもはや階級対階級の、教会的教義対教義の闘争を意味せず、然し血と血との、人種と人中との、民族と民族との間の離合、折衝となつたのである。而してそれは畢竟するに、魂の価値との争闘に外ならないのである。

かくしてゲルマン民族ユダヤ人の「争闘」の幕が切って落とされ、アウシュヴィッツへと至ったのだ。邦訳版の表紙には大きくハーゲンクロイツが箔押しされ、メタリックにして異様なイメージの刻印を告げているかのようだ。その本文はコーンが「読むに堪えない」と書いているが、やはり異様な印象を受ける。それは『プロトコル』も含めて、おそらく当時のナチズム文献の位相だったと考えられる。しかし三大聖典の他にも多くのナチズム文献や研究書が日本でも出版されていたのであり、これの他に私の手元にも、長守善著『ナチス経済建設』(日本評論社、昭和十四年)、菊池春雄著『ナチス戦時経済体制研究』(東洋書館、同十五年)がある。

またこれら以外にも、ある古書目録でまとまったナチズム文献掲載を見たことがあり、その版元として、生活社、実業之日本社、春秋社、大原社会問題研究所白揚社、今日の問題社、岩波書店、慶応書房などが並び、多くの様々な出版社がナチズム文献の出版に携わっていたことを教えられた。そして調べていくと、シリーズとしての『世界全体主義大系』白揚社)の他に、ナチズム文学の色彩の濃い『現代独逸国民文学』白水社)や『ドイツ民族作家全集』(実業之日本社)も、完結には至らなかったが、同時代に刊行されていたことを知った。だからそれらをトータルすれば、日本においてもナチズム文献とみなしていい出版物がかなりの量に及ぶのではないかと思われた。しかしそれらの出版物や著者や訳者に関するまとまった研究は見当たらなかった。

ところが今世紀にはいって、高田里惠子『文学部をめぐる病い』松籟社、後にちくま文庫)、関楠生『ドイツ文学者の蹉跌』中央公論新社)が出され、それらのナチズム文献の研究書や翻訳にかかわった日本のドイツ文学者たちの当時の状況が明らかになった。ここでは両書がいずれも吹田順助にふれているので、それだけに限定する。

文学部をめぐる病い ドイツ文学者の蹉跌

関によれば、『二十世紀の神話』が翻訳される以前に高橋健二がそれを雑誌に紹介して解説に及び、その一方で吹田順助の翻訳が進行していたのではないかと推測している。高橋も吹田も当時の代表的なドイツ文学者だったと考えていいだろう。関の言及はそこまでだが、高田はさらに踏みこんで、吹田がその自伝といっていい『旅人の夜の歌』講談社)の中で述べた翻訳事情にもふれている。吹田はローゼンベルクのもう一冊『理念の形成』(紀元社)を高橋義孝と共訳してもいて、彼は『神話』の翻訳を中央公論社の編集者に勧められて引き受けたが、「全体主義者」でも「軍国主義者」でもなく、「総じてナチス精神というものを理想化」していたゆえで、後に「猶太民族大量虐殺事件」などを聞き、翻訳を「後悔するような気分」になったと弁明している。

しかし高田はこの吹田の告白を、「それなりの悲劇性」を備えた「美しい錯誤」であり、そこには「個人的野心」が隠蔽され、「当時、ナチス聖典を翻訳出版することは、それなりに大きな業績」であったはずだと指摘している。さらに高田はこのナチス時代に「日本のドイツ文学研究界の空前絶後の精神的昂揚を経験」し、吹田は「その最先端」にいたと見なし、制度化された「二流の書き手」である外国文学者たちの「現代の先駆的存在」だったと位置づける。確かに「ナチスの旗振り」の「ナチス」を様々な主義や言説に代えれば、それは現代でもまったく変わっていない、出版をめぐる社会的状況であろう。それは「ドイツ文学」を他の文学に言い換えても通用するだろう。

また高田はサブタイトルに示された「教養主義ナチス・旧制学校」をめぐる共通するイメージ、さらにそれらと協調して「文学」と「仕事」を支える構造の中に、近代日本の教養主義に表出している男性性とその間の関係、特権的男性たちの高等教育の場としての学校を検証する意図をこめ、それらの総体を「男性同盟(メナーブメント)的な美しい結末」と見ようとしている。

この高田の指摘を受け、本連載のひとつのテーマでもある、近代におけるホモソーシャルにしてホモセクシャルな世界の形成、男女間ジェンダー闘争の台頭、ナショナリズムとナチズムの関係、ユダヤ人と女性を同一視する倒錯やミソジニーなどが逆照射されるような感慨を抱かされた。高田の『文学部をめぐる病い』について、わずかしか言及できなかったが、文庫化もされているので、ぜひ一読されたい。

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