出版・読書メモランダム

出版と近代出版文化史をめぐるブログ

古本夜話120 平野義太郎と『太平洋の民族=政治学』

前回ハウスホーファーの『太平洋地政学』(岩波書店)を翻訳した太平洋協会について、詳細がわからないと書いておいた。しかしその数年後に海野弘の『陰謀と幻想の大アジア』(平凡社)を読むに及んで、そこに太平洋協会への言及を見出したのである。それは大東亜共栄圏を論じた章で、「転向をくり返した平野義太郎と太平洋協会」という小見出しがあった。
陰謀と幻想の大アジア

海野は太平洋協会を、鶴見祐輔が主宰し、「転向した左翼のかくれ家になっていたらしい」と記している。そして平野について、「戦前に講座派のマルクス主義者」として知られていたが、戦時中は転向し、太平洋協会で活動し、「大東亜共栄圏のデマゴーグの役」を務め、戦後は再転向し、「民主主義の先頭」に立ったと述べている。その平野の転位に関して、海野は「その鮮やかな変わり身の速さには唖然とさせられる。戦時中の行動については黙して語らなかった。だれもあえてそれを口に出さなかった。それで通ってしまったところが不思議である」も書いている。この海野の慨嘆の言葉はそのまま出版社にも当てはまるものであり、戦時中の出版物の全貌はまだ明らかになっていないどころか、すでに半世紀以上を経て、出版史の闇の中に消えていきつつある。

海野の、平野と太平洋協会についての記述は、『平野義太郎 人と学問』(大月書店、一九八一年)に収録された陸井三郎の「戦中・戦後の平野先生一九四三―四六年」によっている。この追悼集には九十名近い人々が寄稿しているが、太平洋協会にふれているのは陸井だけだといっていい。陸井は鶴見祐輔を研究しているハーバード大学の若いアメリカ人学者が持つ、太平洋協会の活動に関する膨大な資料を見せられ、この時代のことを再検討する必要があると始め、自らの平野と太平洋協会の思い出を語っていく。

陸井は人を介して平野を訪ね、太平洋協会に採用され、資料室司書係を務めることになる。その資料室には太平洋、アジア、アメリカについての洋書がよく整備され、平野、信夫清三郎、風早八十二などの多くの研究者たちが常連であり、平野を局長とする調査局、及び別の研究局があり、調査局はマルクス派で固められていた。太平洋協会は内幸町の五階ビルの三階分を占め、日比谷公園市政会館ビルに設けられたアメリカ研究室との交流もあった。ここは日本開戦後の交換船で帰国した人々が中心で、都留重人、清水幾太郎、鶴見俊輔、和子などがいた。それもあって、太平洋協会の例会はすでに挙げた人々に加え、三木清や柳田国男も訪れてきたようである。それらの人々について、「先生に助けられた人びとの人脈の範囲たるや旧講座派からリベラリスト、純然たる自然科学者にいたるまで、その範囲の大きさはただ驚くほかはなかった」と陸井は書いている。

多くの人名を挙げられなかったが、信夫清三郎や三木清の名前は示しておいたので、ハウスホーファーの『太平洋地政学』の編集者が信夫であったことは平野との関係、その発行元が岩波書店だったことは三木のラインであることの説明になる。しかしそこにデスクを設けていたマルクス主義者風早八十二の「ぼくがここにいるのを他言してはいけない」との陸井への口止めは、陸井もまったく追求していない太平洋協会の実際の出版などに象徴される仕事の内実を暗示しているように思える。

昭和十七年に平野義太郎、清野謙次合著として、日本評論社から刊行された『太平洋の民族=政治学』という一冊がある。これは「太平洋協会調査報告」と中扉に記されている。同書の日本評論社からの刊行は、平野のがウィットフォーゲルの『東洋的社会の理論』の翻訳などを同社が出していたことによっているのだろう。

『太平洋の民族=政治学』において、平野は大東亜共栄圏の前史、南進の拠点としてのフィリピン、セレベス・マレー、海南島を論じ、仏領や南支と華僑問題に及び、興亜民族政策に至り、この一冊が日本から提出された まさに満を持した「地政学=太平洋地政学」であるとわかる。それは平野たちの『太平洋の民族=政治学』とハウスホーファーの『太平洋地政学』が出版社は異なるにしても、両書が同じ昭和十七年二月十五日に刊行されているからだ。それは地政学における日独同盟出版を意味している。したがってこの二冊の同日出版は太平洋協会によって仕掛けられ、それに岩波書店と日本評論社が協力したと見なしてもかまわないだろう。

平野は『太平洋の民族=政治学』の「序」において、その仕掛けを誇らんかのように高らかに宣言している。

 今われらが戦ひつつある大東亜戦争は、特に太平洋の制覇戦であつて、しかも環太平洋諸民族が軍事的に共同防衛しつつ大東亜共栄圏を建設し、この太平洋圏における諸資源を開発し獲得・確保して資源の自給自足を最高度に整備すると共に、環太平洋諸民族をして米英等の支配より解放せしめ、日本民族が指導力となつて大東亜そして原住民族の生産力を発展せしめようとするものである。

そのために太平洋広域圏は「民族地理も歴史も法律もその境界を徹して、大東亜の政治学の基礎対象として総合的に把握されねばならぬ」、すなわち日本の太平洋における地政学がここで宣言されていることになる。しかもその「序」の日付は「ハワイ海戦捷利の日」、アメリカにとってはパールハーバーである昭和十六年十二月八日と記され、しかも「太平洋協会において」と記されている。太平洋協会もまたアメリカへと宣戦布告したと見なしうるだろう。

おそらく平野や太平洋協会がそうであったように、またそれに岩波書店や日本評論社が協力したように、日本の出版業界も同様の軌跡をたどっていったと考えられる。しかし前述したように、それらも出版史の闇の彼方へ消えていこうとしている。ただそれらの痕跡をたどり、フィクションのかたちで、平野や太平洋協会が迎えた戦後を描いたモデル小説も存在する。

それはハーバート・ノーマンを主人公とする中薗英助の『オリンポスの柱の蔭に』(毎日新聞社、後に現代教養文庫)である。これは陸井三郎がノーマンの『日本における兵士と農民』(白日書院、昭和二十二年)の翻訳を出したとの記述から、中薗の作品を思い出し、再読してみた。すると仮名ながら、平野も太平洋協会も登場し、両者の戦後がどのようなものであったのかも描かれている。同じようにして戦後の出版業界も始まったと想像するしかない。

増永要吉を発行者とする白日書院の本は、ノーマンの訳書の三刷の他に、和辻哲郎『ポリス的人間の倫理学』、水野亮『バルザック 人と作品』の二冊を持っている。前者の巻末広告には八十冊ほどに及ぶ錚々たる著者たちの社会科学書、文芸書が並び、壮観である。

この戦後の一時期に光芒を放った出版社も、太平洋協会と関係があったのかもしれない。

なお言及しなかったが、『太平洋の民族=政治学』の共著者の清野謙次は元京都帝大医学部教授で、人類学や考古学の研究者であり、太平洋協会の嘱託の立場で、太平洋圏学術叢書として、昭和十八年に『太平洋民族学』(岩波書店)を著している。またこの叢書は同年に協会編として『太平洋の海洋と陸水』が出されている。

[関連リンク]
◆過去の[古本夜話]の記事一覧はこちら