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古本夜話123 小島威彦『世界創造の哲学的序曲』と西田幾多郎

田中美知太郎は『西田幾多郎』(『日本の名著』47、中央公論社所収)の上山春平との対談「西田哲学の意味」の中で、東京のアカデミズムにおける京都学派の「インペリアリズム」のことを語り、小島威彦がその世話役だったと述べている。

ともに獄死することになる三木清や戸坂潤が西田哲学の左派であったとすれば、小島威彦は右派に属し、その延長線上に著作を刊行し、国民精神文化研究所に入り、ヨーロッパに留学し、世界創造社と戦争文化研究所を立ち上げ、スメラ学塾創立に至ったと考えられる。
百年目にあけた玉手箱

しかしそれらのストーリーに見合う自らの思想的回路や位相が、『百年目にあけた玉手箱』に明確に語られているわけではない。そこで昭和十一年に改造社から刊行された小島の最初の著書『世界創造の哲学的序曲』を読んでみた。ただこの本が小島の処女出版であるにもかかわらず、そのモチーフは自伝の『百年目にあけた玉手箱』の中でも具体的に述べられていない。「『世界創造の哲学的序曲』にとり組む」との小見出しはあるにしても、「とりかかった」と記されているだけだ。その前後の文脈をたどってみて、これが小島の世界の没落と発生を通じてみた「地理弁証法」で、正倉院の展示品から幻視された「日本世界史」であるとの推測がようやくできる。小島の中国、インド、アフリカを経てのヨーロッパ留学もその確認のためなのだ。そしてその背後には本連載で言及してきたローゼンベルクの『二十世紀の神話』、バハオーフェンの『母権論』、シュペングラーの『西洋の没落』、ハウスホーファーの『太平洋地政学』に加えて、ニーチェの思想、及び西田幾多郎の日本文化論が重なり合っているように思える。

母権論 西洋の没落

たまたま前出の『西田幾多郎』には彼の「日本的ということについて」が収録されていて、この小文の中で西田は「真に生きた日本文化」の歴史を「力」として受け取り、その祖先をわれらの「血液」の中に蘇えらせたいと述べ、次のように結んでいる。

 日本の文化はしいてそれを孤独のものと考えずとも、世界の文化の一要素として尚ぶべきものであると思う。日本の文化の背後に深く大なる精神を求めてみたい。われらが桜花を愛する心の奥にもニーチェが「我は創造して亡びゆくものを愛す」(ドイツ語原文 中略)というごとき創造的意志の哲学を味わってみたいと思うのである。

この西田とニーチェのいうごとき「創造的意志の哲学」から小島の著書のタイトルが引かれたと考えて、まず間違いないだろう。

実際に『世界創造の哲学的序曲』の「序」には「西田幾多郎先生との会話に多くを負うもの」との言葉も記されている。しかしこの小島の著作は神話、哲学、宗教、歴史と錯綜を極め、要約をこばむ構成となっていて、それは昭和時代を迎え、様々に流入してきたヨーロッパ思想のごった煮状態を露出させているようにも思える。

例えば、「前奏曲」として冒頭に置かれた「神話の詩学」にあって、ニーチェの『悲劇の誕生』がベースとなり、そこにギリシャ哲学とドイツロマン派が召喚され、バルザックによるスエーデンボルグ論が示され、イエスとツルゲーネフの運命が語られ、アウグスチヌスが引用され、ヴァレリーのいう「精神の危機」への言及となる。これがわずか五、六ページで展開され、この章だけで、さらにジョイスの『ユリシーズ』やロレンスの『現代人は愛しうるか』までが挙がっている。その混沌的叙述はローゼンベルクの『二十世紀の神話』と相通じるような印象がある。

悲劇の誕生 ユリシーズ

この調子で最後まで進められ、結論ともいえる第三部「悦ばしき哲学」の最後の章「世界史への激情」へと雪崩こんでいく。地球の至るところにおける神々の復活、コスモポリスの建設が提唱される。その前提とは、「日本海前期の日本民族の広大な地球的人種の光栄ある位置を解明すると共に日本民族の世界性獲保に対して重要な役割をつとめる」こととされる。

ヨーロッパ人とその科学はもはや限界に達し、そのイデオロギーによる人類の高次の統一はできない。オリエント、東洋、欧米の植民地は今でも「古代的神話的な民族」であり、「宇宙科学的神話」を備えている。

 斯の如き人類的民族は宇宙科学の把握を通じて、其処に科学と経学との統一としての新な宇宙神話を構成し、地球の隅々に到るまで闘争せねばならぬ。かくて、古代地球には古代文化の再建を、新天地には新文化を建設する。発掘と搾取に対して、人類地球における再建と創造。
 かくて、人類は地球に於てコスモスの大なる弁証法的連関に入る。此処に、人類の地球的媒介としての真の生産が始まり、世界史は独占より解放せられて、人類の歴史と成る。

そして『世界創造の哲学的序曲』は「地球を背負へるアトラスよ、今コスモ・ポリスの建立のために立て」と結ばれ、終わっている。

このような混沌としたオブセッションに充ちた叙述が、その後「大東亜共栄圏」へとつながっていったと想像するに難くない。それゆえに小島は西田の日本文化論を正統的に継承し、大東亜戦争へと向かったと判断できるのではないだろうか。その意味において、小島は京都学派のもうひとつの姿を代表していたのかもしれない。

それに加えて、『世界創造の哲学的序曲』を読むに際し、そこにルドルフ・シュタイナーの名前が出てくるのではないかと注意していたが、それは見出せなかった。実は同書を執筆するにあたって、小島は奈良の東大寺などの訪問に今東光を伴っていて、今の父親はアニー・ベザントの神智学協会日本ロッジの看板を掲げていたからだ。また本連載115「バハオーフェンと白揚社版『母権論』」において、既述したように、シュタイナーとベザントの名前が『二十世紀の神話』の中に出てきてもいる。

そしてさらに人智学出版社を営み、シュタイナーの翻訳者でもあった河西善治が『京都学派の誕生とシュタイナー』(論創社)を著わし、両者の関係に触れていたからでもある。河西の論考についての判断は私の力量では下せないが、大日本文明協会から刊行されたシュタイナーの最初の著作『三重組織の国家』が入手でき、読むことが可能になったら、あらためて考えてみたいと思う。
京都学派の誕生とシュタイナー

次回へ続く。

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