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古本夜話138 円地文子の随筆集『女坂』

前回 昭和十四年に人文書院から出された円地文子の随筆集『女坂』にふれた。少しばかり連載のテーマとずれる間奏的一章となってしまうが、この際だから続けて書いてみる。またこれは戦後へと持ちこまれてしまうにしても、いずれ円地の夫に関して言及するつもりでいるからだ。

昭和十年代になって、大阪や京都の出版社が東京に進出し、多くの文芸書が刊行されていく。そのうちの一社が人文書院であり、円地の『女坂』もその一冊であった。

この本について、先頃亡くなった紅野敏郎は「ふたつの『女坂』のひとつ」(『本の散歩 文学史の森』所収、冬樹社)の中で、小説集『女坂』(角川書店)の「あとがき」にある「その本を知っている人もまことに少いと思ふ」という円地の一文を引き、次のように述べている。
女坂 新潮文庫版

 たしかに随筆集『女坂』のほうは知る人も少いと見えて私たちの周りでこの本にふれて書かれた事実も、語られた事実もまったく稀である。(中略 )この随筆集『女坂』は、彼女の文学活動の出発の地点、その背景を知るためには必須の本なのである。

紅野はさらに続けて、「この時点までの円地文子の心の営み、心の歴史がおのずとにじみ出ている随筆集」、「彼女の全素養、全下地のすべて、といってもよい本」とまで評している。

円地の年譜を見てみると、昭和十年に戯曲集『惜春』(岩波書店)、十四年に小説集『風の如き言葉』、随筆集『女坂』と続き、この随筆集がきわめて早い時期に刊行されているとわかる。しかもそれぞれの文章の大半に日付が記載されているし、「まへがき」に「ここに収めた短文の多くは求めに応じて書いたその折々の断片的な感想」とあるので、刊行前に様々な雑誌に発表したものを一本にまとめたと思われる。おそらく婦人誌が中心で、円地のようなデビューしたばかりの女流作家にも多くの随筆の注文が寄せられていたことを示し、昭和十年前後の雑誌の活況ぶりがうかがわれる。

タイトルには七つになる娘にお宮へ行く段々に男と女があるのかと問われ、「長いこと口にしなかった女坂といふ言葉」を思いだし、それを借用したと、これも「まへがき」に述べられている。この随筆集は「群鷺図」「国文学覚え書き」「芝居とラヂオ」「女坂」「衣裳」「父の追憶」「弔亡」「課題」の八章立てで、五十七編が収録されている。これらの多岐にわたる随筆はいずれも円地自身とその時代を伝えて興味深いが、ここでは「群鷺図」各編に見られる「白」への注視、及び「父の追憶」の中の一編「私の家系」にふれてみよう。

「群鷺図」の章において、白い鷺が民家の庭樹に群れている鷺山の風景、黄昏の浅瀬に浮かぶ流れ灌頂という塔婆と白い布、白い花だと思いこんでいたはまなす、百花園の白銀薄や白い蒲公英、そのような「白」への注視は、『女人芸術』時代に「女流作家を花に例へた中に私を白い桃だといつてくれた人があつた」ことにも起因しているのだろう。だが彼女の見つめる「白」は「鷺山」にしても「流れ灌頂」にしても、無気味な「白」でもある。それらは円地文学の根底に横たわる原風景のようにも思えてくる。

「私の家系」は戦後になって書かれた小説『女坂』のモデルについて語られた重要な一編である。執筆の日付は昭和十三年五月とされている。『女坂』の連作が書き始められるのは二十八年からなので、まだこの小説の構想も立っていなかった。しかし母親から聞かされた祖母の一生はこの随筆を契機にして物語として熟成し、『女坂』のヒロイン白川倫が造型されていったと考えられる。

 母の実家は熊本の出であるが、祖父が早くから官途について、県庁の役人など勤めていた(中略)。祖父は故三島子(現章道子祖父君)に愛されて、その下役を勤めていたといふから、自由党伐りなどもやつたのであらう。三島子が警視総監時代には自分も警視庁にいて、相応利れる官吏であつたらしい。三島子の死後、自分も官を棄ててしまつて、その後は、定まつた職にもつかず、気ままな一生を送つた人であるが、私共が知つている晩年にも気象が烈しく、楽みに囲む碁などでも、負けが込むと機嫌が悪かつた。
 さふいふ人柄なので家族のものは絶えずはらはらして主人の為に気を遣はねばならなかつたが、妻であつた私の祖母は、現代の女では到底しのび得ない苦労を擔つて、この祖父との生活を持ちこたへた堅忍不抜な強い精神の持ち主だつた。

祖母から母へ、母から娘へと伝えられ、ひっそりと語り継がれた「現代の女では到底しのび得ない苦労」と様々な犠牲は、戦後になって『女坂』という小説を生み出すに至る。そのためには三代に至る女たちの時代の流れ、及び戦後の日本社会の出現が不可欠であったと言えるだろう。円地にとっても、若い頃には「封建的な婦人の地位に対する反抗」が先だっていたが、女流作家としての道をたどり始めると、祖母が「堅忍不抜な強い精神の持主」で、「正しく叙述する価値のある女の一生」のように思えてきたのだ。しかしその距離を正当に測るためには「封建的な婦人の地位」を改善しようとする戦後の時代を待たなければならなかった。つまり円地は戦後の時代にあってこそ、この祖母の物語は聖なる輝きを帯びると確信したのではないだろうか。

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