(青林堂版 箱) (光文社文庫版)
安西水丸の『青の時代』(後に光文社文庫)は くすんだ青紫である紫苑色の箱入りで、本体は箱よりも色が薄いコバルトブルーで装丁されている。
このタイトルを見ると、たちどころに三島由紀夫の『青の時代』と、ピカソの「青の時代」を思い浮かべてしまう。そして紫苑色とコバルトブルーの造本から、戦後の金融業の光クラブの社長をモデルにした三島の『青の時代』という小説ではなく、ピカソの「青の時代」との連関を想定することになる。
講談社の『ピカソ全集』第一巻は「青の時代」と銘打たれ、ピカソのその時代にあたる一九〇一年から〇四年にかけての作品が主として収録されている。ピカソの「青の時代」は、スペインの世紀末における青という色彩の重要な意味の発見に始まっている。そのことについて、神吉敬三は次のように書いている。
「芸術は青に在り」と言ったのはヴィクトル・ユゴーだが、世紀末の象徴主義的な精神が否定しようとしたものは、19世紀的な写実主義であった。そうした雰囲気の中で、神秘、無限、精神、憂愁、悲哀といった概念を想起させる青の象徴性は、スペインにおいても重要性をもつようになってくる。モデルニスモの詩人ルーベン・ダリーオが『青(アスール)』という詩を書いたのは1888年であり、そのときからスペイン文学における青の美的位置づけが確定したといえる。
それらに加えて、青を基調とするエル・グレコの数世紀ぶりの再発見も、青のもつ象徴性をバックアップしたことになろう。
しかしそのような予備知識をもって、冒頭のタイトルと同じ短編「青の時代」を読むと、期待は裏切られる。そこには冬の雪の降る日に部屋の中にあって、裸体の男がいる。服を着て、アトリエにいくが、誰もおらず、どこからかピアノの音が聞こえてくる。ピアノの前には女性がいて、男は彼女と性交する。男は「逢いたかった、とても」といい、女は「すてきよ」と応じる。その後 女は「春になったら海に行きましょう」と話し、男は「きれいだよ、きっと」といい、二人の別れる場面で終わる。その一方で、モディリアニの一八八四年北イタリアの港町での出生、一九〇二年フィレンツェの美術学校入学、〇五年パリにきて、「洗濯船」でのピカソとの出会い、二〇年肺結核での死が、前述のそれぞれのコマにト書のように添えられている。
『モディリアーニ モンパルナスの伝説』(宮下規久朗、小学館)など、いくつかのモディリアニに関する本を読んでみると、彼がピカソの「青の時代」の作品に魅せられ、その影響を受けた「リヴォルノの乞食」などを描いていることを知った。とすれば、安西のこの作品はモディリアニの「青の時代」を重ね合わせているのだろうか。青いカーテン、青いコート、青いセーター、青いマフラー、それらに加えて、安西の「青の時代」にはギャスがいう「ブルーな姿勢、ブルーな態度、ブルーな思索、ブルーな身振り(中略)ブルーな言葉と絵」(『ブルーについての哲学的考察』)に包まれている。
そしてそれらのメタファーは「少女ロマンス」から始まる、のぼる少年を主人公とする九編の連作に物哀しく表出している。それらはことごとく海岸の町を舞台とし、そこから少し離れた小さな漁村で、青木繁が「海の幸」を描いたのである。「荒れた海辺」と題する作品はさびれてひっそりとした海の風景から始まり、そこには次のような言葉が添えられている。
あおい蜜柑は海のあじ くろい葡萄は山のあじ あかい柘榴は人のあじ
海が光る 春の海は まだつめたく 波は ブルースピネルの ように青い
風が吹くと 色とりどりの セロハン紙が 海面で めくれていく
ぼくは この海で 育った
少年は幼くして父を失い、母系家族の中で育ち、淋しい海辺の景色を見つめ、その孤独な心象光景を、この連作に一貫して描いてきたように思われる。またジャン=ルネ・ユグナンの小説に同名の『荒れた海辺』(荒木亨訳、筑摩書房)があり、その影響も推測できる。
さらにここで安西はモディリアニではなく、ピカソの「青の時代」に描かれた「青の女」「青い部屋」「青の男」、そして他ならぬ「海辺の貧しき人々」をも再現しようとしたのではないだろうか。
それゆえに安西の『青の時代』は、少年の目に映る海岸の町の人々と風景の中に、ピカソの「青」が必然的に孕んでいた憂愁や悲哀を浮かび上がらせることに成功したように思えてくる。
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「ブルーコミックス論」1 序 1 |